(10)絡み酒から始まるラブコメ

【Barアルコバレーノ】

カラン、重いドアを開けると子気味良い音を立てた。

「いらっしゃいませ。2名様で宜しいしょうか?」

「はい」


ここは所謂オーセンティックバーと、カジュアルバーの中間に位置するようなお店だ。

お酒もしっかり美味しいものを提供するけど、一杯で1000円を超える様なカクテルは少数。雰囲気がいいから、男女で来るにはいい店だと、以前誰かに聞いたことを思い出した。


というのも、俺自身はバーとかそういうお店を利用する頻度は極端に少なかったからだ。


奥のソファー席に案内されて、メニュー表を広げてみると、カクテルの名称がおしゃれな書体で書かれているが、正直良く分からなかった。バーテンダーさんに質問するのも、雪谷さんを前にしている以上何だか気恥ずかしい。


「頼むもの、決められましたか?」

「ああ、はい。雪谷さんは?」

「それでは、私はモッキンバードを頼みます。村瀬さんは?」

「そうですね、それじゃあXYZを貰います」


昔読んだ漫画で紹介されていたカクテルだ。前に飲んだ時、さっぱりしていて飲みやすかったのを覚えていたのだ。すると、小さく頷いた雪谷さんが視線をバーテンダーさんに送った。


「ご注文をお伺いいたします」

なんかカッコいいな。視線だけのやり取りが、やたらと格好よく映った。もしかしたら、彼女はこういうお店に慣れているのだろうか?


「私はモッキンバードを。彼にはXYZをお願いします」


かしこまりました。

そう、返事をしたバーテンダーさんはバーカウンターへと戻っていく。


何となく、遠目にその動きを眺めることにした。


ショットグラスを置くところから始まり、様々なお酒をテーブルの上に並べて準備を始める。多様な色をした液体が、一つのシェーカーへと注がれていく。その光景はどこか非日常的なものだった。そこに丸く削られた氷を放ってシェイクすると、それぞれのカクテルに生まれ変わった。


「お待たせいたしました。」

差し出されたカクテルをまじまじと観察すると、俺の方は白っぽい色をしているのに対して、雪谷さんのほうは、鮮やかなエメラルドグリーンをしていた。


雪谷さんはグラスを持つと、それをこちらに差し出す。慌てて、グラスからお酒がこぼれない様にとグラスを持ち上げた。


「乾杯」


グラスをぶつける方式しか知らなかったが、成程。こんな風にグラスを持ち上げて視線を送りあうという方法もあるんだな。


くぴっ。

「うん、美味い」

以前飲んだ時と同じように、レモンの酸味が爽やかだ。口当たりがよくて、ガバガバ呑めてしまいそうだな。


「ええ。本当に美味しいですね」

一口飲んだ彼女はホウッ、と小さく息を吐いた。その光景が妙に艶めかしくて思わず目を伏せる。


「村瀬さん。先ほどは本当にありがとう御座いました。突然のことで驚いてしまって……ご迷惑をお掛けしました。」

「ああ、いえ。普通はそうなりますよ。仕方が無いことです。それより本当に何もなくてよかったです」


短い静寂。彼女にとっては、先ほどの一件は苦い思いをしたことだろう。綺麗だからこそ、おかしな人間にちょっかいを出されることも、過去にあったのではないだろうか?


「雪谷さん。もしああいう事があっても、その、僕がいますから。困ったらいつでも言って下さい。出来るだけ、その、早く駆け付けます」

「……はい。その時はまた私の事を守ってくれますか?」


コクリと、俺は頷いた。


酒の勢いがあったにせよ、少しキザだったかな?ただ、彼女を安心させてあげたいと思ったのだ。


またしても静かな時間が流れた。

けど、それは気まずいとか不快なものではなくて、寧ろ穏やかで心地よいものだった。


「えっと、飲みましょうか?」

「ええ。何だか今日は、いくらでも飲めてしまいそうです」

うっすらと顔を赤くさせた雪谷さんは、残りのお酒を一気に飲み干しす。


そして、お代わりを頼む。

ゴクリ


お代わりを……おか……

クピクピ


あれ、ペース速すぎません?

そんな俺の不安は見事に的中した。


入店から1時間ほど経過した時だ。


タンッ!

「聞いてますかー。村瀬しゃん?私は頑張っているんれすよー。もっと褒めて下さい!ムゥー」

「はいはい。聞いていますよー」


彼女は完全に出来上がっていた。


普段は切れ長で凛々しい眼差しをトロンと下げ、頬を真っ赤に染めている。呂律も崩れ始め、言葉選びが幼いものへと変化していた。


「ふーんだ。私はお化粧直しに行ってきましゅ」


そう言って立ち上がった彼女だったが、

「きゃ」


ふらついて転びそうになり、それを慌てて受け止める。


「大丈夫ですか?お水とか頂きますか?」

「ありがとう御座います。大丈夫です……わあ、村瀬さんって着痩せするんですね」


そう言うと、自分を支えている俺の両腕を撫でまわし始めた。


さわさわ、さわさわ。


くすぐったい。

何だこれ?かなり恥ずかしいぞ。

彼女はニコニコと触り続け、止める気配は微塵もない。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべると、


「うーん。やっぱりです」

「ツッー・・・!・・・」


色々と溜まらなくなった俺は、彼女の両肩を掴んでソファー席へと座らせた。


「ゆ!雪谷さん。そろそろお開きにしましょうか?」

「……や!」

「嫌って、終電は大丈夫ですか?」

「うーん?今、何時ですか?」

「23時35分です。」

「あー、もう駄目かもです。でも、タクシーがあるからダイジョーブなのれす!だからまだ飲みます。こっちに来て下さい」


手を掴まれ強引に引き寄せられた。そして、頭を俺の胸の辺りに預けると、フッフーン♪と上機嫌そうに鼻歌を口ずさみ始めた。


彼女がスリスリと頭を擦りつけてくる度に、いい匂いが漂ってきた。そこに加えて、熱い吐息と混ざったリキュールの甘い香りが押し寄せてくる。


ホントもう!何だこれ⁈頭がおかしくなりそうな香りだ。


彼女を押しのける事も憚られて、手は宙に浮いていた。それでも彼女がモソリ、と動くたびに柔らかくてサラサラした髪が触れたり、熱を帯びフニャンとした頬が触れたりするものだから、表現しきれないほどに内心では悶えていた。

そんな俺の理性を試すみたいに、彼女はニヘラーと幸せそうな笑みでこちらを見上げてきた。


これはマズい、可愛すぎる。


「……どうすればいいんだよ」


これ程まで、’生殺し’という表現がぴたりとくる状況もないだろう。

酔った頭を押さえながら、俺は一人でやけ酒をあおった。

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