(11)ツンデレ娘

「ねえ、村瀬さん。早く来て」


ベッドの上、一糸纏いっしまとわぬ姿で雪谷さんは俺にそう言った。胸元を布団で覆ってはいるが、隙間から見える彼女の真っ白な胸の谷間から目が離せなかった。それに、潤んだ瞳と短く漏れる吐息が官能的で、気が付いたら彼女に覆いかぶさっていた。


「ほ、本当にいいんですか?」

「……恥ずかしい事を言わせないで下さい」


せきを切った様に彼女と肌を重ねようとした時、彼女は俺の唇に、ピタッと人差し指を当てた。

「ねえ。まずは、こっちから」

「こ、こっちって何ですか?」

「もう、分かっている癖に意地悪ですね」

「キ、キス?ですか?」


ゆっくりと彼女は首を横に振った。


「ピ、ですよ。」

「ピ?」

「そうです。ピピピピ」

「……雪谷さん?」

「ピピピピ!ピピピピ!ピピピピピピ!」

「ゆ、雪谷さーーーーん!!」


ピピピピ!



スマホから聞こえてくるアラーム音で俺は目を覚ました。

「……死にてえ」


最悪だ。あんな事があったからって淫夢を見るって、どれだけ俺の脳と下半身は単純なんだよ。


昨晩、バーで俺に甘えてくる雪谷さんを何とかやり過ごし、少々強引ではあったがタクシーを捕まえ彼女を帰宅させた。彼女は最後まで抵抗していたけども。


「しかし、雪谷さん。酔っ払うとあんな感じになるんだな」


正直に白状すれば、俺も男だ。美人に甘えられるのは悪い気がしなかったし、そこに邪な感情が介入していたことも素直に認める。

逆に、あのタイミングでタクシーに乗せる事が出来なければ、理性が崩壊して彼女とそういう関係になっていたかもしれない。そう思える程、昨晩の雪谷さんは積極的で煽情的だったのだ。

ぴたりと身体を密着させて、甘くて柔らかい声を発する彼女の破壊力はかなりのものだったから。今でも、彼女の体温が残っているような錯覚すら覚えた。


しかしだ。ナンパに絡まれて怖い思いをしたから、その反動で、ああなったのではないかと思うと最後の一線を越える様な真似は出来なかったのだ。何というか、人の弱みに付け込んでいるかの様な気がして。


加えて、これは俺自身の問題だけど、果たして俺は彼女が好きなのだろうかという疑問が頭の中を駆け回ったのだ。

仮に、彼女のことが本当に好きで今後もずっと一緒に居たい。本気でそう思えるならば、俺からしっかり告白すればいい。

まあ、そもそも彼女は俺の事を男として見ていない可能性も盛大にあるわけで。何なら、ここまで彼女が俺に惚れている事を、さも前提みたいに考えていたこと自体、死ぬほど恥ずかしいけれど。


……ただ、もしも彼女が美人という理由だけで、性欲に結び付けての勘違いだとしたら、それはお互いにとっていい事はないと思うのだ。


はあ。どんな顔して彼女に会えばいいのだろうか。


ああああ!


どうせ答えは考えても出ないんだ。それならば、と、スポーツバッグにキックパンツやバンテージを詰めると早々に家を出た。


本日は日曜日。出勤日ではないがジムに足を運ぶことにした。目的は自主練である。こういう時は思いっきり汗を流して頭をすっきりさせるに限る。そうすれば、一人でうだうだ考えているよりも少しはマシな答えが出るだろうと、経験則で分かっていたから。

ジムまでは、自宅から徒歩20分程度。バスを使った方が多少は早く到着するが、運動も兼ねて毎回こうやって徒歩で通っていた。


「こんちわーっす!」


ジムの扉を開けて直ぐに、少しだけ珍しい人物を見つけた。

髪をうっすらと茶色に染めたショートカットの小柄な女の子。年相応というべきか、くりくりとした愛らしい目をしている。贔屓目無しにしても可愛いくて容姿に恵まれた娘だ。

会うのは一月ぶり位かな?


「美香ちゃん、久しぶりだね。どうしたの?」


ジムの入り口付近にある机で、会長と談笑しているその子に声を掛けた。


「うわ!レンジじゃん。まだ働いていたわけ?休日までジムだなんて暇なの?」

「相変わらず毒舌だな?そんなんじゃ、高校でモテないぞ」

「親父くさっ!あんたに心配されるほど落ちぶれて無いんだかんね?寧ろ、半年で3人からも告白されたし!まあ、全員お断りさせても貰ったけど」


上目遣いで、チラッと俺を見上げる美香ちゃん。


「へー、モテるんだね。おめでとう」

「……ホント、ムカつく」


彼女は、黒木美香。何を隠そう会長の実の娘さんだ。会長は晩婚で、美香ちゃんとは年が45歳離れている。たまに孫と間違えられると密かに傷付いているというのは、ここだけの話である。彼女とは、なんだかんだ言って長い付き合いで、美香ちゃんが小学生の頃から知っていた。

当時は、‘お兄ちゃん’と俺を慕ってくれて可愛かったんだけどなー。反抗期だろうか?いつからか、俺のことを下の名前で呼ぶようになっていた。


彼女は日曜日だというのに、高校の帰りなのだろうか。制服を着ているのだが、妙に着崩していた。俺の世代ならヤンキーとか言われている類の装いだ。


「別に……特に用なんてないけど。近くを通りかかったから寄っただけよ」

「へー。たまたま、練習着と道具を一式持ってたんだ?」

美香ちゃんの足元には大きめのショルダーバッグが置かれており、その中からは彼女お気に入りの黄色いキックパンツだとか、膝当てが見えていた。


「……たまたまだけど。つーか、勝手に中を覗かないでくれる?!変態!」

「はいはい。ごめんな―。それじゃあ、俺も今日は自主練だから頑張ってね」


靴を脱いで彼女の脇を通り抜けようとした時、裾を軽く引かれた。


「どうしたん?」

「レ、レンジ!たまにはあんたの構えるミットを蹴ってやってもいいけど?」

「いや、だから今日は自主練なんだよ。会長に持ってもらえばいいじゃないか?サポン先生だっているんだし」

「何、嫌なわけ?この私がこんな風に頼んでいるのに。何様?」

「えー。頼まれた事に気が付けなかったんだけど……まあ、いいよ。それじゃあさっさと着替えてきな。何だか制服ごちゃごちゃしてるし、着替えに時間かかるだろ?」

「わ、わかってるわよ」

「それと、制服とかを着崩したい年頃なのは分かるけど、普通に着ていた方が可愛いぞ。素がいいんだから勿体ないと思う」

「ッー///あ、あんたもさっさと準備しなさいよね!」


何故か顔を紅潮させた美香ちゃんは、ズカズカと音を立てて更衣室へと入っていった。何も変なことは言っていないよな?


ジトッーとした視線を俺に向けている会長。

「何ですか?」

「や、別に……なあ村瀬。美香の事をどう思う?」

「うーん、そうですね。高校ではボクシング部に入部したって聞いていますし、成長が楽しみですね」

「ハアー。そうだよな、お前はそういう奴だよな。ホッとしたようなムカつくような」


深いため息を吐いた会長。

今日は親子揃ってわけが分からないな。


そんな俺たちの様子を間近で見ていたサポン先生は、

「セイシュンとはイイものだねー」

と、何かを悟った様に、片言の日本語を口にしながら遠い目をしていた。

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