(12)ミットとパフェ

ジムの中は静かだった。

いつもは人が多い日曜日だけど、今日は3連休の真ん中。こういう日は、一部の人間を除いて殆どの会員さんが自主休息とする事が多い。


着替えが終わった俺は、一人柔軟体操を行っていると、更衣室からは美香ちゃんが姿を見せた。黄色キックパンツに、同じ色のアンクルサポーター。髪は元々短めではあるけど、前髪が気になったのか紺色のヘアバンドをしている。

「それじゃあ、ミットは30分後くらいでいいかな?足りなければ、もう少し後でもいいけど。」

「それで大丈夫よ」


俺を一瞥した彼女はそのまま黙々と柔軟体操を始めた。


そうして時間が経過して、お互いうっすらと汗をかいた時、彼女が俺の方に歩みを寄せた。

「レンジ。準備、出来たわよ」

「了解。取り敢えずパンチミットからいくか?3分間ね」


コクリと頷いた彼女の表情から、かなり集中していることが窺えた。これは、マジでやらないと怒られそうだな。


パンチミットを嵌めてリングに上がると、彼女は軽くシャドーボクシングを行っていた。へー、身体のキレが良くなっている。何より、以前と比べて体のブレが少ない。体幹トレーニングもしっかりとこなしているみたいだ。


ピーっと、始まりを知らせる電子音が鳴った瞬間、俺と美香ちゃんは互いにミットとグローブを合わせた。


「宜しくお願いします!」


フフッ。こういう礼儀はしっかりしているんだよな。普段は悪態をついても、こういう礼儀を重んずるところが可愛くて思わず破顔してしまう。


俺はミットを自分の顎近辺に構えると、彼女の身長に合わせて腰を落とした。基本的にミットは自分と同じくらいの体格の相手を想定して構えてあげることが多い。


「ジャブ!」

パンッ!

!……これは?


「もう一発!」

パンッ!


やっぱりだ。

以前受けた時よりも。しかし、それ以上にコンパクトで速く鋭くなっている。そして、この破裂音は手首のスナップの効かせ方が上手くなっている証拠だ。加えて、ハンドスピードが上がっている上に、戻しの意識が格段に良くなっている。

今一度、彼女の構えを観察すると、完全にボクシングスタイルになっている。キックボクシングでは、相手の正面を見ている前足のつま先の向きが、小指の側面を相手に見せるように大きく内側になっており、重心も前にきていた。


これは面白いぞ。しっかりとパンチに磨きがかかっている。

「ジャブから入って、ワンツー」

パン、パダンッ!!


うん、ストレートは速く重くなっているし、ジャブの打ち方が変わったから、以前よりも連続攻撃の速度がグンとよくなっている。

「もっとサイドから入ってきて。打ち終わりに注意な。ワンツー、ダッキングから左フック!」


パーン!!

腰の捻りもスムーズだ。体幹が良くなったから体が流れずに、しっかりとミットに重さが残る打ち方が出来ている。


「ハイ!ジャブから、ストレートをブロッキングして返しの左まで!」


ピピピピ!


そうしているうちに、3分間が終了した。

彼女は、ハアハアと肩で息をしている。嬉しくて少々きつくしすぎたかな?いや、それより。


「美香ちゃん!良かったよ、ボクシングテクニックが凄い向上したね」

「はあはあ。……別にこれ位普通だし」

「いや、本当に上達したよ!これならプロでもやっていけると思う。流石会長の娘だ」

「へ、へへ。そうかな」

「ああ。キックも楽しみだ」


僅かに表情を柔らかくした彼女は、疲労感の残る表情を見せつつも照れたように笑っていた。


「ねえ、レンジ。私さ、頑張ったよね?」

「ん、ああ。本当によく頑張ったと思うよ。前回だと半年くらい前かな?に、受けた時と比べて格段に良くなっていたしね」

「じゃ、じゃあさ。その、最近甘いものとかも控えていたし、パフェとか食べたいかも……ご褒美的な?」

「パフェ?いいんじゃないかな。爆食は選手をやるなら控えるべきだけど、たまに、甘いもの食べるくらい別に」

「そ、そうじゃなくて!え、えーと、私、学生だからお金ないし……その」

「ああ!お小遣いが欲しいのか?俺も余裕はないけど、それくらいならカンパしてもいいよ」


ダン!ダン!ダン!

あれ?どうして美香ちゃんは地面を殴りつけているんだろう?


「なんだ、美香。甘いものが食べたいのか?それなら、パパが連れていこう__な、何をするサポン!何故このタイミングで首相撲モエパン⁉ふごっお。そうか分かったぞ!しかし、パパはまだ認め、ぐううぅ!」


何故かサポン先生は会長の首をロックすると、じりじりと床に組み敷せた。その体制のまま、美香ちゃんへとウインクを送る。


そこから何かを受け取った美香ちゃんは、少しの間固まっていた。しかし、スーッと息を吸い込むと、静かに立ち上がり俺の目を覗き込んだ。


そして……

「行ってみたいお店があるの。明日の祝日に連れて行って」


自身の胸にボクシンググローブを抱え、彼女はそう言った。




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