(15)カフェと式場

恵比寿に来たのは久しぶりだった。


この場所は、何というか本当にピンポイントなスポットだと思う。

決して娯楽が多い場所ではないが、それに関わらず若者で溢れ、かつ大人の社交場としても多くの人間がこの場所を利用する。カラオケ位ならあるけど、ゲームセンターもなければ、ボウリング場も無い。若者が喜びそうなレジャーの類は、主要駅にしては珍しいほど少ないように感じていた。

それでは結局のところ、人々は何を目的としてここを訪れるのか?


その答えは、食事だ。

都内広しといえど、業態や形式を問わず、これ程までに高級店からリーズナブルな飲食店が顔を揃えている駅は少ないだろう。

各々が楽しい時間を過ごすべく店選びに精を出し、目的にあった店舗の扉をくぐっていくのだ。


……そして、美香ちゃんの選んだ答えが、だった。


「ねえ、美香ちゃん。普通のカフェって言っていたよね?」

「?……どこからどう見てもカフェでしょう」

「俺にはさ、結婚式場とかそういう類にも見えるんだけど?」


彼女の言う通り、ここがカフェであるという事に異論はない。店頭に置かれたおしゃれな黒板には、その日のおすすめランチとかメニュー表の一部が書かれているわけだし。


そう。彼女の言う通り、1階部分は紛うことなきカフェだ。


しかし、見上げた2階と3階部分は綺麗に白く塗装が施され、まるで西洋の城の様なで立ちをしていた。いや、城というより、教会をモチーフにして作ったとしか思えない。だって、とうの上に大きな十字架なんて普通のカフェにはないだろ?


そして何より、先ほどから2階のベランダに佇む女性がいるのだが。彼女は純白のドレス、もとい、ウエディングドレスに身を包んでいた。


「……これでもカフェ?」

「カフェ」コクリ


頷いた直後、ただ、と美香ちゃんは言葉を紡いだ。

「私もね、ここに来る電車の中で知ったんだけど、2階以上ではパーティールームや簡易的な結婚式場も兼ねているんだって……わあ、キレイな人」


美香ちゃんが、明るい表情で2階の女性を見上げると、それに気が付いた女性が手を振ってくれた。恥ずかしそうにしながらも、美香ちゃんは小さく手を振り返す。


よくよくその女性の方を見ると、近くにカメラを持った男性が目に入った。恐らく宣伝用の写真でも撮影していたのだろう。


「すごく良さげなお店じゃない。レンジは嫌だった?」

「い、嫌じゃないけどさ」

「なら、早く入りましょうよ」


俺の手を引いた彼女が扉を開けると、真っ黒なエプロン姿の若い男性店員さんと目があった。


「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」

「はい。そうです」

「ご来店有難うございます。お席へご案内させて頂きます」


うやうやしい態度の店員さん。その後について席へと向かう最中、店内の様子をぐるっと眺めることにした。客層の殆どが20代くらいの女性陣。ハイソ感を前面に押し出した服装に身を包んでいた。男性もいるけど、当たり前の様に一人客はいない。皆、パートナーと思しき異性と席を共にしていた。


「こちらのお席にどうぞ。ご注文が決まりましたらお申し付けください。こちらがメニュー表です」


案内されたおしゃれなデザインの椅子に腰かけると、改めて店内の観察を行う。

壁はレンガに見立てた内装となっており、天井から吊るされている照明は温かく柔らかな暖色を放つ。その形状はランプを模した作りをしていた。


うーん。お客さんもそうだけど、内装も凝っているし、高そうなお店だな。

パラりとメニュー表を開いた瞬間、その予感は見事に的中した。


……コーヒー1杯で750円か。

試食みたいな小さなケーキでも500円はする。恐らく最安であろうメインデザートのパンケーキは1300円。美香ちゃんはパフェが食べたいと言っていたけど一体いくらするのだろう?

パラパラとページを捲ると、パフェのページに辿り着いた。

最安だと1500円。逆に一番高いものは、各種フルーツが沢山盛られたそれだった。お値段は2700円。安めの焼肉店なら食べ放題も可能な値段だ。


ふむ。まさか、高校生の美香ちゃんがこれ程の高級店を選択してこようとは。確かに、女子高生が気軽に来れる様な値段じゃないな。


美香ちゃんに視線を向けると、彼女はメニュー表を眺めながら目をパチパチとさせ、動揺の色を隠せずにそわそわとしていた。


「ね、ねえ、レンジ……パフェってこんなに高かったっけ?」

「そうだね。高めのお店だと、これ位はするんじゃないかな」

「同じクラスの子がお薦めしてくれたから、女子高生でも行ける範囲のお店だと思っていたんだけど……」


どうやら美香ちゃんは、このお値段を想定していなかったようだ。チラッと、こちらを申し訳なさそうな表情で見ている。


「大丈夫だよ。好きなものを頼みな。まあ、俺も一応は社会人しているからさ?」

まあ、アルバイトなんですけどね。


「う、うん」

そんな風に短く返答をすると、再びメニュー表とのにらめっこを再開する。


大丈夫だよ。と、そう言われても、なんだかんだで気を遣ってしまう女の子、それが彼女だ。口をアヒルみたいにして、長いまつ毛を伏せながら、形のいい眉をへの字にして真剣に悩んでいるその様は、すごく可愛らしかった。


さて、俺はどうするか。甘いものは好きだしな。

この際だし、おすすめと書いてある『パンケーキ・ベリーソースと生クリームを添えて』、にしてみるか?


そうだ。甘いものといえば、雪谷さんも甘いものが好きだった事を、ふと思い出した。

過日、彼女の歓迎会で伺ったイタリアン風居酒屋。あそこで、大き目なティラミスを一人でペロリと平らげていたのだ。

それを俺が見ていたことに気が付くと、恥ずかしそうな表情を浮かべ、口元をナプキンで拭いていたっけ。


フフッ。

あの時の彼女の困った顔を思い出して、少しだけ笑ってしまった。


「ねえ」

何だか、不機嫌そうな表情をしている美香ちゃん。

やばい、ボーっとしていた。


「ど、どうしたの。頼むものは決まった?」

「そうじゃなくて。今、別の女の人の事を考えていたでしょ?」

「ふえ?!」


思わず呆けた声を上げてしまう。美香ちゃんは読心術でも使えるのだろうか?


「女の勘よ」

やっぱり使えるんじゃないかと、すうっと視線を逸らす。


「はあ、信じられない……まあ、いいわ。ご馳走してもらうわけだしね。これで心置きなく何でも注文が出来るわ」

「お、お手柔らかに」

「イヤよ、べっーだ!あ、注文お願いします」


舌を出していた彼女は、店員さんに声を掛けると同時に、その表情を元に戻した。

もう怒っていないかな?内心ではヒヤヒヤしながら店員さんを見上げる。


「えっと、私はこのストロベリーのパフェと、アールグレイのホットを下さい」

「俺はアイスコーヒーと、このおすすめのパンケーキを下さい」

「はい。承りました。少々お待ちください……メニュー表をお下げ致しますね」


店員さんが脇にメニュー表を抱えて持っていた後、美香ちゃんがポツリと言葉を発した。

「……ねえ、レンジ。今日さ。その、本当は嫌じゃなかった?」

「え?」


バツを悪そうにしながら、彼女は途切れ途切れといった感じでそう尋ねる。その表情は不安に満ちていて、どこか悲し気なものだった。

「全然、嫌じゃないよ。俺もたまには甘いもの食べたかったし。一人じゃこんなお店に来ることも無かっただろうから、いい経験になったよ」

「じゃ、じゃあさ……嬉しい?」

「うーん。嬉しいというか、楽しいかな?久々に美香ちゃんとゆっくり話せているしね」


「そ、そう//」

僅かに声を漏らすと、両手で薄紅色に染めた自分の頬を包んでいた。そして、

「ね、ねえ。私達ってさ。その今……恋__」


彼女が何かを言いかけた時だった。


「お待たせ致しました。お先にコーヒーとお紅茶をお持ち致しました。デザートの方も、直ぐにお持ち致しますね」

「はい、ありがとう御座います。お、美香ちゃんの紅茶はポットごと提供されるんだ。何か凄いな」

「う、うん。そうだね」

「あ、そうだ。さっき何か言い掛けてただろ?」

「……えっと、パフェ楽しみだなって」

「そうなんだ?」


少しだけホッとした様な、それでいて残念そうな表情を浮かべながら、彼女は湯気の立った紅茶にゆっくりと口を付けた。

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