2nd Chart:盧溝諸島海戦Ⅱ
「御見事」
双眼鏡越しの世界に、敵キーロフ級が甲板上から細かな破片を盛大にまき散らす姿が映り、鮫島の口から感嘆の息が漏れた。
この時命中した2発の内、1発は第二砲塔の左横に命中して甲板に大穴を穿ち、もう1発は最上部の射撃指揮所を襲っている。水上砲戦における目にして頭脳でもある中枢部所は、開戦早々に鋼鉄製の柘榴となって赤熱した破片を海面状へ散らすこととなった。
射撃指揮所を潰されながらも、反撃の砲火を上げようと主砲を俯仰させるキーロフ級ではあったが、6秒強の時を空けて第二斉射、さらに7秒空けて第三斉射が畳みかける様に降り注ぐ。相次いで奔騰する水柱の隙間から命中弾の閃光と紅蓮の彩が垣間見え、黒煙の量が確実に増え始めた。
「距離一八○で初弾命中とはな。まさかキーロフ級に先手を取るとは思わなんだ」
「相手の練度が殊更低い個体であったのもあるでしょうが、有瀬砲術長にとって20㎞以下は、砲口を相手に押し付けているのとそう変わらんのでしょう」
6秒から7秒ごとに吐き出されていく砲弾の間隙を縫うように、艦橋に詰めた鮫島司令と木村艦長の言葉が飛び交う。
『荒瀬』の所属する第12護衛戦隊を初めて率いる鮫島の言葉には噂通り、いやそれ以上という驚きが。木村の言葉にはここ2年ほど共に『荒瀬』を操ってきた戦友にして教え子に対する誇らしさが込められていた。
敵キーロフ級は絶えず降り注ぐ十四センチ砲弾の中でも果敢に反撃を繰り出そうとするが、夾叉どころか至近弾すら得られていない。砲性能に勝る敵を相手取る場合、被弾損傷は免れないが、挨拶代わりの致命的な一撃が彼我の性能差を一瞬にして逆転させていた。
幾ら強力な六○口径十八センチ三連装砲を備えていたとしても、当たらなければ巨大なガラクタにすぎない。
そして、自慢の主砲はその真価を発揮する前に絶え間なく降り注ぐ十四センチ砲弾に晒され、真のガラクタへとその姿を変えつつあった。
艦首に突き刺さった砲弾が炸裂すれば錨が不協和音を奏でながら吹き飛ばされ、左舷側に命中した1弾が端艇をデリッククレーンごと爆砕する。一番砲塔の基部に相次いで命中した砲弾は装甲板を歪ませ、艦橋を直撃した砲弾は航海艦橋の防弾ガラスを破砕し廃墟へと変える。命中弾が集中した前部甲板に張られていた板材は、焼け焦げた木片となって僅かにこびり付くばかりであり、人一人が容易に通り抜けられる被弾孔からは絶え間なく黒煙が噴出し、空を汚し始める。
滅多打ちとはまさにこの事だった。敵一番艦に砲弾が降り注ぐたびに、艦体のどこかが爆ぜ、倒壊し、新たな黒煙が立ち上る。
遂に『荒瀬』の情け容赦ない連続斉射に耐えかねたのか、正対するキーロフ級は不意に面舵を切って艦首を左へと振り始めた。回頭中の敵艦には流石の有瀬でも命中弾を送り込むことはできない。間髪入れずに木村艦長の『打ち方止め』の命令が艦内を走り、連続斉射を浴びせていた主砲塔が一度沈黙した。
「敵一番艦面舵!後続艦続きます!」
右舷前方から接近する途中で面舵を切ってこちらに左舷側を見せることで、前後3基の主砲塔を向けると共に、後続の駆逐艦の火砲も『荒瀬』に集中する腹積もりだろう。そうなれば『荒瀬』は前部の連装砲と単装砲各1門しか使えなくなる上に、後続する駆逐艦もT字を描いた敵艦隊によって1隻ずつ始末される。
無論、「そうはいくか」と鮫島が獰猛に嗤った。砲術畑出身の彼は敵にT字を描かれる危険性も、それに対する対処法も良く理解していた。
「戦隊針路〇三○!同航戦に移る」
「取り舵一杯、新針路〇三○!」
慌ただしく舵輪が回され、眼前で右回頭を始めたキーロフ級に追従するように『荒瀬』以下5隻も次々取り舵を切って同航戦へと移っていく。
正面右寄りに見えていた敵の姿が右舷側へと滑っていき、前後の煙突が離れたキーロフ級の姿が良く見える様になっていく。既に前艦橋から前方の甲板は殆ど黒煙に包まれており、そこから棚引いたどす黒い煙が、艦後部を燻すように後方へと流れている。もし乗員が居たとすれば、戦闘能力の低下は避けられないだろう。
『荒瀬』が回頭を完了した直後の彼我距離は凡そ一五○。針路の関係上同航戦とはいえじりじりと接近しつつあったが、両軍の駆逐艦の艦砲ではまだ間合いが遠い。必然的に先頭を走る巡洋艦同士の砲撃音のみが引き続き戦場を支配することとなる。
一足早く回頭を完了したキーロフ級が艦の前後に備えた9門の主砲を一斉に咆哮させた。
1発当たり90㎏を超える十八センチ砲弾が放物線を描いて飛翔し、大気を揺るがせながら『荒瀬』の眼前に盛大な水柱を噴き上げた。距離が近づいたためか精度はこれ迄よりも良くなり、1発は至近弾と呼べる位置――艦首の直ぐ前方に水柱を噴き上げた。
「撃ち方始め!」
鋭角的な艦首が前方に屹立した水柱を強引に押し潰した直後、木村艦長の裂帛の号令が艦橋を貫き、間髪入れずに至近距離で砲声が轟く。
同航戦となった結果、後部の5番砲塔も使用可能となった『荒瀬』は6発の砲弾を反撃として打ち出し、先ほどの初弾命中が偶然では無いことを証明するかのように、キーロフ級の艦上で命中の閃光を4つ迸らせた。
紅蓮と共に黒焦げとなった鋼材が紙吹雪の様に舞い、第1煙突に命中した1発が幅の広い煙突をくの字にへし曲げる。カタパルトが爆炎にのって空に打ち上げられ、ぐるんと回転しながら反対舷側へと飛沫を上げて消えた。舷側に命中した砲弾は主要装甲帯を凹ませリベットを飛ばし、艦首と艦尾の非装甲部では容赦なく舷側を抉って浸水を発生させる。
キーロフ級も負けじと9門の主砲を咆えたたせ艦上に纏わりつく黒煙を引き千切るが、威勢よく飛び出した十八センチ砲弾は見当違いの方向へと飛び去ってしまい、空しく水柱を噴き上げるだけだった。
射撃管制装置を破壊された上、浸水によって艦の縦傾斜が狂いつつある中では、正確な砲撃は至難を極める。先手を取られた戦闘艦の末路は、見る者に憐みすらも覚えさせるほど無残なモノだった。
「敵との距離は?」
「一三○!」
「司令!104駆より通信!【我、コレヨリ突撃ス】」
電文綴りを携えた通信手の報告を聞きながら双眼鏡を前方へと向ける。敵の前方から一群の駆逐隊――――司令駆逐艦『梨』と『竹』『
本来ならば104駆をその主砲を以て迎撃しなければならないキーロフ級は『荒瀬』によって青息吐息の状態だ。生粋の水雷屋率いる4隻の駆逐艦の突撃を阻む手立てはない。
チラリと隣に立つ木村艦長へと視線を向ける。温厚さの中に水雷屋としての激しさを併せ持つ男は、鮫島が発しようとしている命令に対し首肯することでその正しさを保証した。
勝った――
その確信と共に鮫島が、敵を挟撃すべく配下の103駆ともども突撃命令を下そうとした時だった。
「左舷後方より爆音!味方の陸攻です!」
「ッ!突撃中止!103駆にも伝えろ!」
「撃ち方止め!」
苦々し気に顔をゆがめた鮫島の絶叫を覆い隠すように、『荒瀬』の甲板に巨大な影が落ちる。マストの頂上に陣取った有瀬も、自分とほぼ同高度を左舷側から右舷側へとフライパスしていく双発陸上攻撃機に苦々しい目を向けた。
夏の山々を連想させる新緑色の背に陽光を反射させ、我が物顔で超低空に降りていく12機の陸攻。気が付けば敵艦隊の向こうにも12の怪鳥が獲物を見定めたハゲワシの様にゆったりと高度を落としていくのが見える。
寸詰まりなイルカの頭部を思わせる機首からすらりと伸びる胴体と、最後尾に設けられた垂直双尾翼。僅かに上反角が付けられた主翼には離昇出力1,075馬力を誇る金星四二型発動機を1基ずつ搭載し、胴体の真下に黒光りする航空魚雷を吊り下げている。
三菱九六式陸上攻撃機二一型、天津から飛来した第十一航空艦隊所属の機体だろう。まとまった数をいきなり叩き付けるあたり、目の前の敵を既に確認していたに違いない。
合計24機の九六陸攻は海面から立ち上がる波を時折プロペラで叩きながら、這うような高度で突撃に移った。深緑色の機体は、ワイヤーで繋がれているかのように整然と敵めがけて進んでいく。
対して『荒瀬』より更に質の悪い海鷲に狙われた敵艦隊は身をよじるように舵を切り始めるが、世界に先駆けて航空優先の軍備を推し進めてきた帝国海軍航空隊のパイロットの目には、悪あがきに以上には映らなかった。敵の主砲は接近する陸攻に対し怯えた様に沈黙し、幾らか搭載しているはずの対空火器は沈黙を保っている。
長大な主翼がしなり海面上に優美な弧を描いた雷撃隊は、敵の必死の回避機動をあざ笑うように射点へと到達し、次々と腹に抱えてきた魚雷を海面に投下しはじめた。1本当たり784㎏に達する九一式航空魚雷改一は飛沫を上げて海中に潜り込み、白い航跡と共に突進を始める。
至近距離と呼んでもいい位置から左右同時に投げられた投網を回避する術は、もはや残っていなかった。
まず最初に最後尾を進んでいた駆逐艦の右舷に水柱が吹き上がると、細長い艦体は真っ二つに叩き割られ瞬時に海面から姿を消した。続いて、3番艦の位置を進んでいた1隻の艦尾が海面下から持ち上がった白杭に貫かれるように消し飛び、しばらく惰性でのたうち回ったのち崩れ落ちる様に停止する。
陸攻に向けて急転舵し、艦首を向けることで被弾面積を局限しようとしていた2番艦は、至近距離から投下された魚雷を真正面に受けてしまう。30kt以上を発揮していた船速は衝突事故を起こしたように急減し、同時に艦首部から雪崩れ込んだ大量の海水によって浮力を根こそぎ失い、急速に海面下へと没し始めた。
そして『荒瀬』によって散々痛めつけられつつも、なおも戦闘能力を失っていなかったキーロフ級にも最後の時が訪れる。
まず最初に、2本の煙突の中間部左舷側に白い飛沫が吹き上がった。
『荒瀬』に散々砲弾を撃ち込まれズタズタにされていた主要装甲部が捻じ切れて弾け飛び、爆砕された舷側から渦を巻いた海水が缶室に流れ込んで機能を停止させる。ついで左舷最後部に白い飛沫が吹き上がると、細長い艦尾甲板が直下から迸った紅蓮の槍に刺し貫かれ、スクリューや舵の破片を舞いあげながら黒煙に飲み込まれる。
そして最後に、右舷側の第二砲塔直下に命中した1本が止めを刺した。
舷側を食い破った魚雷の炸裂が弾薬庫を誘爆させると、真っ赤な火炎の柱が旋回不能に陥っていた第二砲塔を、半壊した艦橋の2倍ほどの高さにまで打ち上げる。艦内を駆け抜けた爆風が舷窓を割り砕きなが外へと噴出し、艦体を構成していた鋼材が重低音の悲鳴を上げて引き裂かれた。キーロフの艦体は艦橋の直前で二つに分断され、それらの艦体をかろうじてつないでいたコードや配管をねじ切るように、逆方向に回転し転覆していった。
後に残った2隻の駆逐艦は多勢に無勢と見て、第12護衛戦隊に背を向けて一目散に逃走を始めた。
北緯39度50分56秒、東経116度12分46秒。一般に盧溝諸島と呼ばれる群島海域での遭遇戦の幕切れは、酷くあっけないものだった。
一時退避していた船団と合流した『荒瀬』の艦橋には、何とも言えない空気が横たわっていた。味方に損害らしい損害が出なかったのは喜ぶべきことだが、目前の勝利をかっさらわれた形になったのは変わらない。しばらくは憮然とした面持ちの鮫島だったが、ややあって胸中の遣る瀬無さを溜息と共に吐き出した。
「まあ――――手間が省けたと思う事にしよう。味方の損害は皆無だしな」
「ですな。あのまま突撃を行っていれば駆逐艦の被弾は免れなかったでしょう。
今回の事態に対し「獲物を譲るのは何時もの事ですよ」と落ち着いている木村の声に、「確かにそうだ」と鮫島が頷く。
海上護衛の指揮官に任命されたときは、鉄砲屋に対する左遷人事が遂に自分に回ってきたかと頭を抱えたモノだったが、この航海でそれが間違いであることをまざまざと見せつけられた気分だった。
最前線で来るかどうかも定かではない南方のフラグレス艦隊を待ち受けるより、よほど重要で忍耐の要る任務だ。海軍の中枢と連合艦隊を航空派の将校が占めて久しいが、国防と言う観点からするならば重点を置くべきは南のフラグレス掃討よりもこちらだろう。「連合艦隊よりもしんどい」と、着任直後に木村艦長からもたらされた忠告は全くその通りだった。
「しかし、そうなると。砲術長――有瀬少佐を引き抜かれるのはつらいな、艦長」
「はい。来るべきものが来たと言う事でしょうが、両腕をもがれるようなものですな。ですが、楽しみでもあります」
心底楽し気にカイゼル髭を撫でつける木村に、鮫島の眉が興味深げに上がる。
「ほう?」
「砲術学校を出た彼に『扶桑』、いや『長門』あたりを預けてやればどれほどの戦果を叩き出すのかは非常に興味があるところです。空母以外の艦艇は全て、空母の弾避け程度に認識している航空屋の度肝を抜いてくれるでしょうな」
護衛艦としての役割を期待できる水雷戦隊――最も、彼らも夜戦を主軸とする従来の編成から変わりつつある――はまだいいとしても、空母を主軸と据えた連合艦隊における戦艦隊の立ち位置は酷く不安定だ。
帝国海軍が保有する4隻の純粋な戦艦――『長門』『陸奥』『扶桑』『山城』――そのいずれもが速力の関係上機動部隊に追従できないため、連合艦隊司令部から戦力として見放されつつある。
一応は帝国海軍唯一の戦艦隊、第一戦隊として連合艦隊に所属してはいるが、長門型はともかく扶桑型は予備艦にしてしまおうという動きもチラホラと鮫島の耳に届いていた。
――航空機の発達により戦艦同士の砲戦はもはや生起しない。いわんや、航空機を持たぬフラグレスとの戦いに戦艦の出る幕は無い
大艦巨砲主義者にとっては侮辱に等しい極論が、連合艦隊の大勢を占めているのが現状だ。だからこそ、それらを真正面から打ち破りそうな男には知らずと期待をかけてしまう。
「確かにな。私も砲術を志して長いが、この航海で初めて天才と言う言葉の意味を理解した気がするよ。有瀬少佐を艦長に据えた戦艦の戦隊で、是非艦隊決戦をやってみたいものだ」
「そのためには、特急士官とはいえ早いうちに経験を積ませんといけませんな。砲術の腕は天下一品ですが、操艦術はまだまだ甘いので」
人の悪い笑みを浮かべた木村が伝声管に近づいた。
突然の命令に戦後の一服を邪魔された上、否な予感に頬を引くつかせた年若い少佐が艦橋に入り、艦長から艦の航行に関わる全てを委任されたのはその後すぐの事だった。
「木村艦長、自分は砲術長なのですが」
「なに、何事も練習だ。このまま呉まで任せる」
「盧溝橋諸島を抜けた後も天津列島とか、下関とか難所ばかりなんですが」
「だから任せるんじゃないか。私と鮫島司令が後ろで見ていてやるから、どーんとやってみろ」
「何なら護衛隊全部率いてみるか?103駆の田中大佐も、104駆の西村大佐もベテランだ。貴様のミスを無視する判断力はあるさ」
「勘弁してください司令……」
軽い笑いに包まれる艦橋で、「なーんでこっちでも弄られ役なんだよ僕は」と肩を落とす砲術長の姿が有った。
時は1937年7月7日、戦雲は未だ遠く。されど、確実に迫りつつあった。
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