18th Chart:不穏な忠告

 11月17日 呉市内


 ちらほらと店じまいが始まりつつある通りを、一台の小型自動車が駆け抜けていく。街灯に浮かび上がる曲線を多用した車体は、どことなくテントウムシを感じさせる愛嬌を持っていた。しかし、カーキに塗装されたボンネットから響く騒々しい駆動音は、この車両が富裕層向けに製造される代物の対角に位置する事を声高に主張しつづけている。


「これも、殿下のご厚意と言う事か」

「貴様の想像にまかせるよ」


 後ろに流れていく街並みを眺めながら零された有瀬の言葉に、ハンドルを握る几帳面そうな海軍中尉からは、素っ気ない声が返ってきた。

 同時に道路の段差がダイレクトに尻に響き、こういった乗り物になれていない特急将校は思わず顔を顰める。元は陸軍向けの小型四輪駆動車と言う事で開発がスタートし、量産寸前まで行っただけの事もあって走行自体に問題は無い。が、如何せん乗り心地は最悪の一言に尽きた。

 陸軍の予算不足で不採用となり、甲鉄会がいくらか引き取った内の一台らしいが、帰りは元の予定通り自力で帰ろうかという気すらしてくる有様だった。

 縦に長いドアミラーから呉鎮守府の正門が消え失せてから、もう何分たっただろうか。

 首尾よく送別会を抜け出して正門を潜った直後に待ち構えていたのが、この九五式小型乗用車くろがね四起の出来損ないとも言える小型自動車と、運転手の三船中尉だ。怪訝な顔をする自分に「早く乗れ」と顎をしゃくった三船だったが、少なくとも栗栖中佐の差し金では無いと断言できる。

 実の所、有瀬と三船はこれが初対面ではなかった。

 もともと海軍兵学校で同じ釜の飯を食った同期の桜の一人であり、少尉任官時に別れを済ませた後は音信不通となっていた男だった。

 それが伏美宮殿下の従兵の様な立ち位置で色々と動き回っているというのを知ったのは、有瀬が甲鉄会に入った後の事だ。甲鉄会の会合には必ずと言っていい程顔を出し佐官・尉官クラスの話に耳を傾けている、潮気を感じさせない若手将校。あの魔窟から派遣される佐官・尉官級に対する『耳』であることは想像に難くない。 

 しかし、奇異の視線の集中砲火を受けながら、小柄な少女に首根っこを掴まれ、度々魔窟へと引きずられていく有瀬にとっては、呆れた目を送られつつも色眼鏡無しで付き合える数少ない友人と呼べる人物だった。


「で、何か要望はあるか?」

「藪から棒になんだ。貴様に返してもらう借りは無かったはずだが?」

「そうだな。逆に、道連れを探していた永倉技師から匿ってやったのが2回ほどあるが。それはまたキッチリ取り立てるとしてだ」


 思い出したくない現実を突きつけられ、「そこは忘れとけよ……」とシートからずり落ちかける有瀬に、言葉を続ける。


「殿下の御指示だよ。貴様が出払っている時に、甲鉄会側で何か出来ることは有るか聞いてこいとさ」


 胡乱気な視線が、無愛想な運転手の顔へと向けられた。



 同日 呉鎮守府


 呉鎮守府の各所で行われている壮行会は、酣となりつつあった。

 フィリピン攻略に赴く第五艦隊上層部に割り当てられた会場もその例にもれず、また参加者の多くが何らかの形で甲鉄会に参加していたこともあってか、他所よりも騒がしいとすら言えた。

 正面では軽巡洋艦『酒匂』水雷長の音頭で第四水雷戦隊の水雷長達による腕相撲大会が始まり、向こうのテーブルでは第10戦隊の『神通』と『加茂』の航海長が激論を交わしている。かと思えば壁際では水上機母艦『瑞穂』、特設水上機母艦『君川丸』、戦艦『山城』の機関長が静かに盃を傾けていたりする。

 一言で言って混沌カオスに肩口まで突っ込んだ惨状ではあるが、第五艦隊の作戦目標とその後の予定を鑑みれば無理もない。

 こうして盃を酌み交わし、他愛のない話や、バカ騒ぎをしている将校の内、一体どれだけの人間が内地の土を再び踏めるのだろうか。

 そんなことを考えながら一人壁際で盃を傾けるのは、戦艦『山城』艦長、西村ニシムラ正治ショウジ海軍大佐だった。

 本来ならば、既に将官になっていてもおかしくは無かったが、諸事情により進級は遅れ気味になっている。しかし本人は自分の進級の遅さに頓着する事もなく、『見張りの神様』と謳われた視線で会場を静かに睥睨していた。

 良く知っている者、挨拶程度は交わしたことがある者、顔見知り程度の者、書類上の文字としか認識できない者。一望することでなんとなく振り分けられる軍人達にも、自分と同じかそれ以上の人生がある。その重さを、一個人にすぎない自分が正しく把握するなど、どだい無理な話だ。

 彼らが何を想い、何を信じてこの場に立つに至ったのか。この時を最後に、二度と顔を合わすことすらなくなるかもしれない戦友たちを理解するには、遺された時間は余りにも少なすぎる。


「いかんな……」


 妙に後ろ向きな考えを、ぬるくなり始めたビールで流し込む。

 最終的に自分が生き残る側に立てるか、今考えたところで詮無きことだ。しかし、だからと言って、この先命を預け合うことになる男達の歩みを理解しようともせず、戦地に赴いて良いわけがない。

 数年か、数か月か、数週間か、数日か、数時間か、数分か。僅かでも長く、斃れた戦友より自分が長く生きる可能性が残っているのであれば。僅かでも多く、後の世に戦友の存在を伝える可能性があるのであれば、無駄ではない。

 例え口伝であろうとも、それらは彼らと自分が生きた証だ。

 旧式艦を寄せ集めた艦隊に所属し、フィリピンと言う要衝の攻略に赴いた将兵が、斃れてもなお、後世に遺すことができる物だ。何時かその末席に加わるであろう自分は、少なくともそう信じている。

 そう言えば4年前の夏、第一海上護衛隊で旗艦の砲術長をしていた若造は何処に行ったのであろうか。

 あの後、砲術学校と標的艦を経由して第五艦隊旗艦『扶桑』の砲術長に任ぜられ、この壮行会にも参加しているはずだ。顔を合わせておくのも悪くない――よくよく考えてみると、何かの旗艦と縁のある男だ。

 暗い色の第一種軍装の群れの中に、仏頂面の青年の姿を探そうとした時、不意に掛けられた声に振り向いた。


「よう、しばらくぶりだな西村大佐」

「これは、渋木大佐」


 後ろに現われた枯れ木の様な老人――『扶桑』艦長、渋木護に思わず居住まいを正す。

 どちらかと言えば、自分はこの会場の中でもベテランの部類に入るが、目の前の人物にはかなわない。もしも、この人物が特急士官では無かったら、航空が幅を利かせている現在であったとしても”提督”と呼ばれる側の人間だっただろう。

 既にかなりの高齢のはずだが、相変わらず矍鑠かくしゃくとしている。軍服があまり似合っていないのもいつも通りだ。


「しばらくと言っても、前の艦長会議で顔を合わせたではないですか」

「呵々!なぁに、常套句と言うやつよ。――当てが外れたな、西村」


 一つ冗談を笑い飛ばした渋木の目が僅かに細くなる。対して、西村は「やれやれですよ」と困ったように肩を竦めた。


「まさか、本当に戦艦の艦長のまま戦になるとは思ってませんでした。これでも、自分は水雷屋として通っているはずなんですが」

「己の適性を恨むことだな」

「なまじ、豪勢な物をぶら下げていると悪目立ちするというのは、適正も装飾品も変わりませんな」


 本当に儘ならないものだと、頭のどこかで自分の運命を嗤う。それが自身の才能や思想と一致していれば最高だが、現実はそうも言ってられない。戦艦を操ることができる甲種適正の希少価値も、その重要性も重々承知しているつもりではあるが、水雷を志した人間としては歯痒さを感じずにはいられない。


「やあやあここにいましたか!お二方!」


 汽笛のように良く通る声が飛んできたのは、そんな時だった。耳朶を打ったその声の主を理解し、口から思わずため息が漏れた。いったいなんだって、この場所にこの男が居るのだろうか。

 面倒臭げに振り返る自分とは対照的に、渋木艦長は「おう、貴様も居たか」と鷹揚に闖入者を迎え入れてしまう。ニコニコと相貌を崩した海軍大佐が、歩み寄ってきた。


「そりゃ居ますとも。何せ、第五艦隊は我々の同胞と言ってよいですからな!」


 綺麗に七三に分けられた頭髪に、几帳面に整えられた口髭。身なりは整っているが、どことなく胡乱な狂気を孕んだような雰囲気を醸し出す男。神出鬼没、奇々怪々。神さん神懸かりとも称される、海上護衛総隊の名物参謀――神重則大佐だ。

 言動と言うよりも存在が喧しいというべき男ではあるが、能力と行動力は本物だ。海上護衛総隊に移った直後からシーレーン防衛の大家とされるイギリス海軍との交流を大幅に拡大し、見様見真似の猿真似だった”島流し艦隊”をここまで育て上げた立役者の一人とも言える。


「それでどうしたんだ、神大佐。水杯の一つでもやりに来たのか?」

「ハァッハッハッ!またまた御冗談を。後30年は船乗りやる気満々のお方が何を弱気な事を言っとるのですか。いや、実はですねマニラに派遣した伊号潜から興味深い情報が届きまして」


 マニラの名を聞いた二人の将校が互いに目配せを送る。

 言うまでもなくフィリピン作戦の焦点の一つだ。かつてのフィリピンの首都であり、現在は夥しい数のレヴィオンに占拠された町。陸軍部隊の援護の為に、第五艦隊の湾内突入作戦も用意されている、決戦の地とも言える。

「ほう?蟲共が要塞砲でもぶっ放して来たか?」と冗談めかした渋木の言葉には探る様な響きが含まれていたが、神は難しい顔をして首を横に振って見せた。


「場合によっては、それよりも厄介かもしれません。――コレヒドール島は御存じですね?」


 それから数分の内に神から語られた内容は、地質学者ではない二人にとっても俄かには信じがたいものだった。「そんな馬鹿な」と西村が反射的に訝し気な半目を向けてしまうのも無理はない。


「島が育つわけが無いだろう。『伊169』の誤認では無いのか?」

「『伊169』の乗員には戦前にマニラを訪れた事のある者が居ます。その者の言によれば、コレヒドール島は此処まで背が高くなかったと。また、『伊169』から送られてきた数値と手持ちの資料を比べましたが、確かに島の標高が高くなっていることを示しています」

「では、前大戦後のフィリピンを失った時から、今に至る20年の間に変化は起きた。と言う事じゃな?」

「現状ではそうとしか考えられません。航空偵察は何度も行っては来ましたが、湾上空、ましてや湾内にまで降下することは無かったので」


 前大戦後、帝国海軍は九七式大型飛行艇などの優秀な水上機を使用し各所の偵察に明け暮れていたが、敵地を遠距離の高空から偵察することは有っても、必要以上に接近することは無かった。

 最大の関心ごとである敵艦の有無は其れで充分であったし、護衛機も無しに鈍重な機体を危険に晒すことは厳に戒められていたこともあったためだった。


「となると、コレヒドール島の装備が何かしら増強されていると考えねばならんな。レヴィオンやフラグレスが要塞砲を活用したという話は未だ聞いたことが無いが、いざとなったら、『扶桑』と『山城』五戦隊の主砲でここを叩いてから突っ込んだ方が賢明か」

「いえ、逆です。西村大佐」

「何?」


 不可解なモノは可能な限り徹底的に叩いておくに限る。という軍人として至極尤もな意見を真正面から否定――しかも、指揮系統が異なる海上護衛総隊の参謀から――され、西村の視線が鋭くなる。

 海上護衛総隊の作戦を司る男は、並みの人間であれば居竦まる視線を真正面から受け止め「おそらく今頃、近藤長官にも話が行っていると思われますが」と前置きして断言した。


「第五艦隊はコレヒドール島に過大な火力を向けてはなりません」







同時刻、戦艦『扶桑』作戦室


「理由を聞かせていただいても良いでしょうか?」


 舷側に小波が打ち寄せ、砕かれていく音の中で、第五艦隊司令長官――近藤信武は努めて穏やかに、自分の周りに集った五艦隊司令部の意見を代表して、目の前の男に問いかけた。


「フィリピンを抑え、太平洋に対する防壁とするにはマニラを抑えぬことには話は進みません。しかし、レヴィオンの軍勢に対し陸軍は数と言う面において大きく劣っています。だからこそ、リンガエン湾では無くマニラ湾からの上陸作戦を取らざるを得なかったのです」


 そもそもの話、大日本帝国は完全な海軍国だ。

 列島内で群雄が割拠していた戦国時代ならいざ知らず、天皇の元に一つにまとまったこの国が持つ軍備は当然の様に海軍に偏っていた。もし仮に帝国の西に巨大な大陸があったのならば、それ相応の陸軍を持っていたのかもしれないが、現状では極端な海主陸従の軍隊だった。

 無論前大戦以降、渡洋侵攻による反攻作戦も考えられては来たものの、艦隊の整備や航空を主力とする大転換の煽りをモロに喰らっていた。結果的に陸軍の増強は、員数はともかく、辛うじて近代化が進んでいるという程度のモノだった。陸軍中枢は頭数の不足を少数精鋭主義で補おうとしているが、内外共に焼け石に水と言った評価が根強い。

 一方、レヴィオンの戦術は数に任せた力押しが主だ。

 注目すべき行動様式として、人間の軍隊やワーカーの様に平時から集団行動を行っているわけではないことが上げられる。基本的には個体ごとに縄張りと定めた地域に留まっているが、他の個体の縄張りに外敵が侵入したのを契機に、近くの個体は遮二無二突撃し、距離のある個体は合流を繰り返しながら戦場へと雪崩れ込む性質を持っていた。ある学者は、たとえ其処が制圧直後の土地であっても、遠方にまで即座に情報を伝達し迎撃態勢を整える彼らの習性を、【運動する領地】と表現している。

 そうして集結したレヴィオンは文字通り「死ぬまで」戦い続ける。火力を先鋒へと集中し、津波の様な突撃を破砕すれば追い散らすことはできるが、しばらくしたら増援と共に再び襲い掛かってくる。之まで人類は幾度となく干戈を交えてきたが、撤退はあっても戦意喪失は見られた試しが無かった。

 一方、リンガエン湾からマニラ市内まで、直線距離にして約170㎞。投入される陸軍は精強ではあるが、ひっきりなしに襲撃を掛けてくるレヴィオンを蹴散らしながら行軍し、確実に短期間でマニラを落とせるかどうかと問われれば、首を縦に振ることはできない。

 そこで考えられたのが、投機的とすら思える要衝への一撃だった。

 マニラは天然の良港となっており、確保さえできれば武器装備などの補給品から補充部隊まで容易に陸揚げする事が可能だ。レヴィオンが乗用車並みの体格を持つ故に、市街地では人の方が優位に立てる場合があることは、これまでの戦いで証明が済んでいる。かつての在比米軍も、コレヒドール島司令部が陥落したにも関わらず、市街地ではかなり長い間抵抗を続けていた節があった。

 ここを早期に落とし、堅固な防衛陣地を敷くことができれば、これ以上ない橋頭保になるはずだ。

またマニラ湾に第五艦隊を突入させれば、二隻の戦艦によって半径30㎞圏内へ陸軍の重砲とは比較にならない強力な砲撃を送り込むことができる。上陸初期には無くてはならない、火焔の傘としての役割が期待されていた。

 海軍の援護の下で奪取したマニラ市を足掛かりに、国内で編成された増援の進出を待って、陸軍は最終的にルソン島全土の平定に取りかかる。

 第五艦隊はマニラの制圧を確認後、太平洋への偵察基地となるレイテ島タクロバン、南方作戦完遂への足掛かりとなるミンダナオ島ダバオの制圧に向かう事となっていた。マニラ制圧はフィリピン戦における絶対条件に他ならなかった。


「コレヒドール島はマニラ湾にとっての”蓋”です。もしここに敵が居るのであれば、後続する陸軍部隊を乗せた輸送船を見逃すはずがありません」

「お言葉ですが、砲撃するには危険が大きすぎるのです、近藤長官」


 柔らかくは有るが断固たる姿勢を崩さない近藤に、第五艦隊司令部を『扶桑』作戦室に呼び出した男の一人――連合艦隊参謀長、宇垣纒は苦々しく頭を振った。


「『伊169』の報告には続きがあります。同艦はマニラ湾への侵入に敵輸送船団を利用したそうですが、貨物を満載した敵の船団はカビテ軍港や湾内の港に入港することなく、カビテ半島北部で回頭し西進、コレヒドール島の北へ消えていったと言う事です」


 不可解且つ初耳の報告に五艦隊司令部の面々がおもわず顔を見合わせた。

 これまでの定説として、フラグレスは東南アジアで得られた鉄鋼や油をオーストラリアやサモアなどの南方へと送っていると考えられていた。

 事実、長躯進出した潜水艦の報告によれば、北上する輸送船より南進する輸送船の方が喫水が深い場合が多く、より多くの積み荷を積んでいる事がうかがえた。

 しかし、『伊169』の報告はまるで逆だ。南から来た輸送船はたっぷりと貨物を積み込んでおり、それをマニラに降ろすでもなくUターンし、コレヒドール島の北に消えた。常識的に考えれば、コレヒドール周辺に張り巡らされた機雷網を回避して、物資を届けたと言う事になる。


「しかし、コレヒドール島には十分な港湾設備は無かったと考えますが」


 第五艦隊参謀長――志摩清秀シマ キヨヒデ少将が首をひねった。

 コレヒドール島を上空から見ると、西へ向かって泳ぐオタマジャクシのような形状をしており、港は尾の付け根に当たる南北二か所に設けられている。しかし、これらの港は単なる船着き場としての側面が強く、クレーンすら存在しない。沖に向けて伸びる、簡素な桟橋があるだけだ。

 今回確認されたフラグレスが模したのはC2型貨物船だ。載貨重量トン数は9000t近い。6隻合わせれば5万トンは優に超えるだろう。

 そもそも、レヴィオンは自給自足を旨とする存在で、補給線の概念があるかどうかすら怪しい。ワーカーは資源を港に集めるばかりで、港に持ち込んだ資源を各地のレヴィオンに分配している様子は見られなかった。だからこそ、陸上での行軍速度は人間のソレを優に超えてくるのだ。

 五艦隊司令部の面々が志摩参謀長に賛同する中、静かな声が作戦室にいる全員の耳朶を打った。


「志摩君、『伊169』は、”輸送船はコレヒドール島に貨物を下ろした”では無く”消えた”と報告してきた」


 誰もが、丸い舷窓から月夜の海を眺める老提督へと注がれる。

 盛大な壮行会の最中、第五艦隊司令部――甲鉄会の面々を旗艦『扶桑』の作戦室に呼び出し、あろうことか連合艦隊参謀長まで引き連れて乗り込んできた怪物は、ゆっくりと面長な顔を振り向かせた。


「肝心な部分はこの点だ。ほれ、君らもよく知っているだろう?資源を港で降ろすより、しまった方が手っ取り早い施設があることを」

「殿下……それは、いえ、そんなことが」


 喘ぐような声と共に、近藤中将の額に汗が浮かぶ。声を出さなかった第五艦隊司令部の面々も、伏美宮の言葉を理解した者から順に血の気が引いていく。

 外れてくれと、誰もが己の中に沸いた不愉快な予想を忌避した。もしもこれが真実であるのならば、第五艦隊は狸寝入りしている虎の横を通ることになる。


「可能性があるだけで、十分にコレヒドールへの砲撃を避ける理由になる。――君らも、第二のハリファックスに、なりたくなかろう?」


 薄く笑う伏美宮に、誰もが息を飲んだ。

 当たってほしくない予想は悉く当たる物。今まで、自分を慰めるように使ってきた常套句ではあるが、今回ばかりは何の慰めにもならない。未だ憶測の――それも、突拍子もない――域にすぎないが、だからと言って、戯言だと一笑に伏し、三十六センチ砲弾を叩きこむには危険な賭けに過ぎた。

 絶句する第五艦隊司令部の面々に対し凶報を持ちこんで来た皇族軍人は、逆に愉快そうに笑みを深めて見せた。これこそが千載一遇の好機だと言わんばかりに。


「甲鉄会の呉工廠への影響力は未だ十分あるが、海軍上層部の意見は無視できぬ。だが、この推測が正しく、コレヒドールに未確認の遺産工廠があった場合。我らの悲願は思いの外早く実現するかもしれん」

「で、殿下……まだ、工廠があると決まったわけでは」

「無ければ無いで結構、時間はかかるが以前の様にやっていけばよい。だが、同地はあのアメリカが要塞化し、死守しようとした島だ。司令部を置くのにちょうどよい立地だったというのが定説ではあるが、不可解なことに積極的に港を拡張しようとした記録はない。外から持ち込む必要は無いとでも言う様に、な」


 アメリカやスペインが、コレヒドール島に遺産工廠があることを発表した記録はなく、無論帝国が詳細な調査を行ったこともない。

 遺産工廠の有無を確定させるには、あまりにも情報が少なかった。

 だからこそ、このような賭けが成立するように見えてしまう。


「仮に、それが存在した時、その管理はフィリピン作戦後に同地域の防衛にあたる、諸君ら第五艦隊が受け持つことになろう」


 フィリピン作戦後の第五艦隊の役割はこの時点で既に決まっていた。

 第五艦隊に所属する『扶桑』、『山城』はフィリピン戦後に警備艦となり、同地の防衛を行う第五艦隊司令部の指揮の下、沈むまで防衛する事になる。そのために、後発する船団は国内に残るありったけの三十六センチ砲身や予備の部品、さらに旧式とは言えクレーン船を伴う手はずとなっている。

 また、それらを含めた現地の港湾施設の運営も、主力艦を失った第五艦隊司令部が行う事に成っていた。


「条件が揃わぬ場合は何食わぬ顔で運営してしまえば良いのだ、近藤君。工廠があり、そこにフラグレスが着々と資源をため込んでいれば、事情は少々変わってくるが、な?」


 遺産工廠に格納できる量は膨大で底が見えない。一説には、格納された資源は工廠直下の大深度地下に保管されていると言われているが、その領域は当然の様に立ち入りが禁じられた聖域であり、真偽のほどは解らなかった。

 仮にフラグレスが20年近い歳月をかけて資源をため込んでいたのだとしたら、それはまさしく帝国に栄華をもたらす埋蔵金に外ならない。


「だが、フラグレスがこの工廠を利用している疑いが有る以上、場合によっては、メルス・エル・ケビールの再来となるかもしれん。用心する事だ、近藤長官」


 舷窓から漏れる月光を踏み恰幅の良い提督へと近づいた伏美宮は、そんな忠告と共に喉の奥から小さな笑い声を漏らした。





永倉邸前


 三船中尉に「すぐ戻る」と声をかけ車を降りた有瀬は、観念したように門の前で待ち構えていた女性に何時ものように敬礼を送る他無かった。

 本当に突発的だったはずの来訪に、慌てる様子を見せないまま普段通り出迎えて見せる姿に、今日ばかりは微かな不気味さを覚えてしまう。頬を軽く引きつらせた自分に対し、門の前で出迎えた自称美人使用人は「おかえりなさいませ」と何でもないように、優雅にお辞儀をして見せるのだから尚更だった。


「あー。王さん、今日は」

「中佐。せっかくですから中へどうぞ、お嬢様がお待ちです」


 軽くあしらって車に乗り込もうと思っていたところに、思いきり期先を制されてしまい言葉に詰まる。門の照明に浮かび上がる整った顔には柔らかい微笑が浮かんでいるが、目は全くと言っていい程笑っていない。

 無念ではあるが、正門前で副長の言葉を反芻し家人に気づかれる前に帰艦するという計画は、最初から躓くどころか盛大に轟沈してしまったらしい。

 ここで強引に踵を返すことは物理的には可能だが、それでは副長の好意を仇で返すに等しく、そもそも目の前の使用人が許すとも思えない。


「有瀬中佐、私の事はお気になさらないでください。車内で待機しています」


 余所行きの言葉遣いに戻してはいるものの、言外に「早く行け」という意味が多分に含まれた止めに背を押されるように、観念して門を潜ったのだった。


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