6th Chart:異端者たちの晩餐


「いただきます」と二人分の声が居間に響き、それに続く様に風鈴が鳴った。


「さあ遠慮せずに食え、お代わりもあるぞ」


 ぐいと前に突き出された肉じゃがの盛られた大皿から、取り皿に幾らか取り出して口に運ぶ。柔らかく煮こまれた馬鈴薯には甘辛く味付けされた汁が良くしみ込んでおり、『摂津』の料理長の腕に勝るとも劣らないだろう。堅くなりがちな質の悪い牛肉も、ホロホロと砕けて口に残らない。


「美味いな」

「ん、そうか。玲も喜ぶだろう」


 有瀬の正直な感想に、少し視線を逸らした永雫が若干ぎこちなく頷く。

 何か含みのある様子だが、口元に浮かんだ微かな笑みから、深く考察するほどの事でもないと判断を投げ、直観で得た感想をそのまま自分の中の結論とする。というよりも、食卓に乗った料理の量から誰が作ったかなど容易に判別がつくのだが、黙っているのが吉だろう。

 山盛りの肉じゃが、常識的な量のアジの南蛮漬け、山盛りの筑前煮、常識的な量のサラダその他もろもろ。調理者基準で製造された献立の数々に、いちいちツッコミを入れるのももはや過去の事だ。これだけの量が、どうやってあの華奢な体に吸い込まれていくのか。

 米軍の戦車だってもう少し燃費がいいだろうに。


「んむ?どうした?」

「いや、何も。いつも通りで安心しただけだ」


 具材過多により、もはやあっさり目の味噌煮と言うべきレベルの豚汁をワシワシと口に運んでいた永雫が、怪訝な視線を向ける。その視線から逃れる様に、具材の塔が倒壊しないよう注意しながら自分も豚汁を啜った。

 量はともかく、彼女の大量生産な定食屋系メニューの腕は相当なものだ、美味い。真正面から誉めると面倒になるから、迂闊に口にはできないが。


「王さんは一緒に食べないんだな」

「……まあ、誘いはしたが。私一人の時はともかく、貴様が居るのであれば辞退する。だとさ」


 永雫は若干不機嫌そうに眉を顰め、彼が帰ってくる前の会話を要約して伝える。

 本来は、その後意味深な顔で「好機ですよ、お嬢様」とグッと拳を握る王を追い掛け回したのだが、それをこの男に伝える必要は無いだろうと胸の中へ閉まった。


「お義父様は返ってこないんだな?」

「ああ、今日は帰らないそうだ。連合艦隊参謀長ともなると、やはり多忙なのだろうね」


 有瀬は呉鎮守府の正門で顔を合わせた、厳格な顔付の海軍少将――宇垣纒ウガキマトイの姿を思い出す。

 早馬のような力のある人だと思ってはいたが、どうにもやり辛そうな雰囲気が微かに滲んでいた。今月頭に着任した連合艦隊の空気に未だに慣れていないのか、それとも周りとの齟齬があるのか。

 親友であった永倉造船大佐が奥方と共に事故でこの世を去った後、後に残された永倉永雫を引き取り、ついでにその家に転がり込んでいた自分の後見人にもなった人だ。しばらくして、世間的には永雫は彼の御仁の養女であり、自分は下宿人という立ち位置に収まった。この家の門に2つ表札が有るのはそう言う事だ。

 考えてみれば、この家に関連する者達は中々奇妙な関係性だ。

 誰一人血は繋がっていないのに、家族の様に振る舞う共同体。宇垣少将が永雫に永倉姓を名乗らせているのは、無き親友を忍んでの事だろうか。


「連合艦隊、か。このところ妙に殺気立っていると噂は届いているが」

「訓練をしようにも油の割り当てが少ないからな。航空燃料も重油も軽油も、海上護衛総隊と商船隊の順位が最上位だ。旧式化した補助艦を流用した護衛艦の消耗もバカにならない。」

「だから、とっとと丁型を作れと言うのだ。何のために私が図面を引いたと思ってる」


 彼女の言葉の中には憤慨、というよりも呆れが多分に含まれていた。

 丁型駆逐艦、要するに【記録】の中でも同様の名を付けられていた松型駆逐艦だ。

 【記録】では今から2年後の登場となるが、この艦は艦政本部に居た永雫によって昨年の内に図面上では完成していた。もっとも、搭載機関の選定や予算不足、永雫と艦政本部の喧嘩別れとそれに続く退役により、闇の中へ葬られてしまっていたが。


「ガラクタ寸前の老朽艦を3隻用意するより、真面な二等駆逐艦1隻の方が戦力になるし、コストも安く済むというのに」

「海上護衛は数、と言うのが連合艦隊の言い分だ。それに新型艦はまず連合艦隊に周り、老朽艦を護衛総隊が受け取るという慣例もある。黒瀬型は唯一の例外だよ」

「そんな慣例、艦政本部ごと東京湾に沈めてしまえ」


 吐き捨てる様な永雫を見る有瀬に、苦笑いが浮かぶ。この人物の連合艦隊と艦政本部嫌いは相当だ。もし仮に、艦政本部第四部への誘いが再び来ても今の彼女であれば鼻で笑うだろう。


「次の会合には、あの図面をもって顔を出すのか?」

「ああ。宮様がとりあえず見てみたいと聞かなくてな。まだまだ彼方此方手直しはしたのだが、盟主の言葉には逆らえん」


「仕方のない御仁だが、一人で悩み続けるのも考え物さ」と肩を竦める。

 会合とは、ある組織が定期的に開く意見交換会だった。

 元々は航空主兵の台頭により、病気療養と言う体で第一線から身を引くこととなった大艦巨砲主義者の皇族軍人、帝国海軍中将伏美宮康博フシミノミヤヤスヒロ王の個人的な勉強会を前身とする。

 そこに、軍の主流から次々弾き飛ばされた大艦巨砲主義の高級将校、さらに海上護衛総隊へ飛ばされた砲術畑や水雷畑の将校が加わり、現在の形となった。

 組織の名は甲鉄会。目的は大艦巨砲主義の復権と航空主兵偏重の現状の是正、すなわち帝国海軍における戦艦艦隊の復活だ。航空機の性能と利点を理解しつつも、だからと言って全面的に頼り切ることを良しとしなかった人々が集まり、新しい時代における戦艦が為すべき役割を模索し続けている。

 その中に、この二人の名前もあった。有瀬は海兵に入った後に、ある教官から。永雫は宇垣からこの会合の存在を知り、参加していた。

 特に、鬼才とも呼べる永雫の立ち位置は重要であり、強力な戦艦を装備品ごと単独で設計可能な技術者は甲鉄会にとって希望に等しかった。故に、甲鉄会から永雫への援助は非常に太いモノとなっている。個人の邸宅にすぎないこの家に、オーパーツとも言える電子製図板が有るのもその一環だ。

 可能かどうかはともかく、今の内から設計を進め、何れ航空派が衰退した時にいつでも新型戦艦の建造に移れる体制を整えるつもりらしい。


「ま、とにかく。艦政本部にいる時よりは楽しくやれているよ。馬鹿なことを言う上司と顔を合わせず済むし、嶋田長官も呉工廠の皆も良くしてくれているからな」


 反応しづらい言葉に、苦笑いしか浮かばない。

 友鶴と第四艦隊の悲劇を正確に言い当てた彼女は、今から3年前に伏美宮の指示を受けた豊田中将の手引きによって、特例で造船を司る艦政本部第四部に出仕する事になった。

 時代的背景や本人の希望もあり、民間協力者と言う体で艦政本部に努めること約2年。大量生産可能な帝国海軍版リバティ船とも呼ぶべき船の設計で功績を立てた彼女は、海上護衛総隊向けの二等駆逐艦の設計を任されることとなる。

 程なくして完成した設計を提出するが、ここで大問題が発生した。

 彼女はこの新型艦に航続距離と燃費の問題を解決するため、自ら設計した新型ディーゼルの搭載を盛り込んだが、機関を司る第五部と直属の第四部から猛反発を受けた。

 第五部にしてみれば彼女の機関を認めれば自分たちの立場が無く、第四部部長も以前から永雫に対してよい感情を受けていなかったためこれ幸いと敵に回ったのだ。

 しかし、永雫は彼らに対して真正面から立ち向かった。

 実際の所、カタログスペック上や設計上で彼女の機関に問題が見当たらなかったこともあり、議論は平行線となり連日連夜続いた。そうしてついに、痺れを切らした第四部長の言い放った言葉が永雫の逆鱗に触れたのだった。


 ――宮様に股を開いた女の機関なんぞ信用できるか!


 その後の事は、彼女曰くよく覚えていないらしい。

 風の噂によれば、「無礼者」と一喝し第四部部長を投げ飛ばした後、その足で辞表を叩き付けて呉へ帰ったそうだ。

 彼女と第四部・第五部の軋轢の情報が、隠蔽を目論んだ彼ら自身の手によって上がってこなかった豊田中将には寝耳に水の話だった。甲鉄会の一員として何とか味方に引き入れたというのに、こんな馬鹿馬鹿しいトラブルで彼女を失うわけにはいかない。

 しかし、時すでに遅く、何とか事態を収拾し呉の嶋田中将に連絡を入れ、呉海軍工廠の非常勤技師として雇い、海軍――甲鉄会との繋がりを保全することで精一杯だった。

 上官に暴行を加えるなど言語道断ではあるが、引き金となったのは皇族まで累が及ぶ低俗な暴言が起因であり、彼女の存在を公にしたくなかった上層部の意向もあって、事の始末は関係者に緘口令が敷かれただけに終わった。

 余談ではあるが、事の次第を知って怒髪天を突く勢いとなった豊田本部長は、原因となった連中に苛烈な処分を下しそこねて歯噛みしたという。

 なお本来は部外者である有瀬の耳には入らない事だったが、呉へ突然戻ってきた永雫から話を聞いた王により「私に指図できるのは旦那様だけですので」と言う詭弁と共に伝えられていた。

 そして、暴言の件になった時に「お嬢様ほど一途で潔癖で愛が重、ヤンデ、もとい誠実な方はいらっしゃいませんのに。的外れもいい所ですね」と笑っていた彼女の目は、背筋が凍るような色を帯びていたことはよく覚えている。

 当時、謎の自称美人使用人以外の情報が無かった彼女に、絶対に怒らせてはいけない人と言う有難い属性が付け加わった出来事だった。


「それならいいんだがな」

「そうだ、何も心配は要らない。……と、御代わりは要るな?」


「ん」と延ばされた細い手に「そんなに盛るなよ」と念を押しながら茶碗を手渡す。指先が振れ合い、白い陶磁器が食卓の向こうへと消えていく。


「まったく、体が資本の帝国海軍将校が何を言うか。しっかり食える時に喰っとくものだろう」

「それは全く同感だが、いい加減君は自分が大喰らいだという自覚を」

「特盛にしてやろうか?」

「嘘ですごめんなさい一杯食べる君が好き」

「ッ!……ん、んんっ!ま、まあ解れば良い。将校たるもの紳士的振る舞いを忘れるな」


 有瀬のなりふり構わない全面降伏に、一瞬固まった永雫が湯気の立つ茶碗を突き返す。

 耳が主に染まった彼女に対し、有瀬は彼女の茶碗のような山脈が自分の椀に形成されていない事に胸を撫でおろした。


「それでだな。実は一つ悩んでいることが有る」

「悩み?」


 仕切り直すように、アジの南蛮漬けを小骨ごとかみ砕きながら「うむ」と頷く。筑前煮の良く味が染みた椎茸を咀嚼しながら、目の前の技師から相談が来るとはいつ以来だろうかと一瞬過去に思いを馳せる。


「対空砲の事だ。とりあえず一号艦では、新型の四〇ミリ三連装機銃と九八式一〇センチ高角砲を積む予定なんだが、問題は近接防空火器でな。単装二十五ミリ機銃では火力不足で、撃墜どころか脅威を与えられるかすら怪しい。口径十二センチの二、三十連装ぐらいの噴進砲も考えたが、せいぜいコケ脅しな上に経戦能力が低い」


「何かいい案は無いか?」と真剣な瑠璃の瞳が自分を射る。

 正直言って、天才である彼女が手を上げた問題に自分が太刀打ちできるとは思えないが、久方振りに頼られたのもあって考えを巡らせてみることにした。


「んん。ニ十五ミリ機銃を四連装砲架に乗せるのはどうだ?連装機銃を縦に二つ積めば、重量もスペースも取らないだろう」

「それは考えたんだが、しょせんニ十五粍機銃だ。1発当たりの火力は四○ミリ機銃弾の4分の1程度で、敵の撃墜には単純に四倍の命中率が必要。四連装程度では間に合わん」

「じゃあ、逆に四○ミリ機銃の単装を乗せるのは?」

「それを乗せるスペースがあるのなら、構造を強化して素直に三連装を乗せた方が良い。単装砲を乗せたところで発射速度がな。上げることはできるが銃身冷却の問題が出てくる」


 思いついた提案をいくつか投げてみるが、当然の様にそれらの提案は既に検討された後だ。こちらが航空戦隊の爆撃をヒイコラ言いながら躱している最中にも、それらを撃退する槍を考え続けた頭脳だ。常識的な範囲は既に想定済みだろう。

 そうなると他には、と考えようとした時、【記録】の中からある兵器を思い出す。

 真っ白な門柱にも見える構造体の下部から突き出した物騒な砲身。本来ならば高度な電探と管制装置とセットの代物だが、その根幹となる発砲装置自体の機構は古いものだ。


「あ」

「んむ?何か思いついたか」


 麦飯をかき込んでいた彼女の目が、微かに鋭くなる。頬に米粒が付いていなければ絵になっただろうに。その点について指摘すべきかどうかの判断を棚の上に放り上げ「まあ、思いつきの類ではあるんだけどさ」と予防線を張ってから言葉を続ける。


多銃身機関砲ガトリングとかどうだ?」

「ガトリングぅ?ガトリングって、貴様な。世界大戦どころか南北戦争の兵器じゃないか。そんなものが使えるは……ず…………って、ちょっと待て」


 素っ頓狂な声と共に「冗談は止せ」と振られた手が空中でピタリと止まり、そのまま顎へと移った。顎に手を当て、僅かにうつむいたままブツブツと言葉の断片が漏れ出てくる。


「ガトリング…………ガトリングか。モーター駆動にしてやれば発射速度を一定に保てるし、そもそも艦載兵器だから移動は考えなくていい。電源は艦内から引っ張ってくればいいし、弾帯で給弾してやれば発射速度も確保できる。モノが大型化するのは避けられんが、発射速度が高ければ数を乗せる必要はない。銃身自体に角度をつけてやれば、敵の針路上に弾丸をバラまいて網を掛ける事もできる……か」


 ややあって上げられた赤い眼鏡の中には、好奇心で満たされた瑠璃が輝いていた。まだまだあどけなさが残る少女の顔に、満足げな微笑が生まれる。


「たまにとはいえ、本当に鋭いことを言うな、貴様は」

「誉めてるってことでいいんだよな」

「ああ、絶賛しているとも。貴様と居てよかったよ、本当」


 平然としたまま「光栄だね」と一つ頷いた有瀬に、微かに怒りの滲む瑠璃が向けられる。

 何かやっただろうかと己の行動を振り返りそうになり、こんな時に答えが出てきた試しが無かったことを思いなおす。

 理不尽な怒りの矛先が向けられることはままあるが、実害が有るのは稀なので今回も気にしなくていいだろう。


「フン、まあいい。さあ、冷めないうちに喰いきれ。箸が止まってるぞ」


 半ば自棄食いのように手当たり次第の総菜に箸を伸ばす永雫の姿に懐かしさを覚えつつ、有瀬もまた箸を伸ばすのだった。






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