イマジナリ・フリート

クレイドル501

1st Chart 盧溝諸島海戦

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「合戦用意!」


 鋭い号令が艦内を駆け巡ると、作業服姿の乗員たちが我先にと狭い通路を走り抜け、急角度のラッタルを駆け上がり各々の持ち場に取り付いていく。艦橋と機関室で増速を知らせるエンジンテレグラフのベルが鳴り響けば、艦内の奥底に据えられたロ号艦本式缶が唸り、蒸気タービンが金切り声を上げた。速度が上がるにつれ、海面上から鋭く切り立った艦首が白波を一層に蹴飛ばし、砕かれた飛沫が前部甲板と主砲を濡らしていった。

 艦の前方に位置する航海艦橋では、双眼鏡を構えた海軍少将が視線の先に現われつつある”敵”の姿を確認し、嘆息する。手持ちの戦隊だけであれば腕を振るって蹴散らしにかかる相手だが、今は敵の撃沈よりも優先すべきものたちを率いている。戦いを避けられるのであれば避けたいのが正直な感想だった。


「遊覧とは行かぬな」


 ぼそりと勇猛果敢な海軍軍人らしからぬボヤキを口にしてしまい、自分も随分とこちらに染まったようだと海軍少将――鮫島知重サメジマ トモシゲは自嘲気味の苦笑いを浮かべる。


「敵艦隊、右三○度!距離二三○(23000m)!進路三〇〇、並びは巡1、駆5!」

「もう一度確認しろ、旗は無いな?」

「はい!ありません!【旗無しフラグレス】です!」


 見張り員の返答に一つ頷き、最後の希望を後方へと流れ去っていく波濤の中へと捨て去る。

 射撃指揮所に備え付けられた双眼鏡の光景――腰に帯びた軍刀を介して、艦隊司令も艦長以下各科長と同様に艦の装備と意識を同調させることができた――からも解る通り、今まさにこちらに襲い掛かろうとしている6隻の戦闘艦のマストには、本来翻るべき戦闘旗が存在しなかった。彼らには通信も警告も役に立たず、意味を持つのは鉄火を持っての応酬のみ。

 太古の昔より事あるごとに海上に姿を現し、乗員は有らずとも意志を持つように人類の艦を片端から沈めていく敵性存在。人の艦艇史に追従するようにその姿を変え、未だに多くが謎に包まれた鋼鉄の”幽霊船”――フラグレスだ。

 バクー油田から日本へ向けて原油を輸送するロ72船団の高速油槽船8隻と、それらを護衛する鮫島少将指揮の第一海上護衛隊、第12護衛戦隊に所属する9隻は、安全海域である日本海を目前にして不倶戴天の敵と遭遇してしまったのだった。

 目の前に現れた6隻の艦は、一応友好国であるソビエト連邦海軍の艦艇に酷似している。全体の数では勝っているが、油断ならない相手であることは間違いない。そもそも、第12護衛隊は2列縦隊を組んだ油槽船を取り囲むように布陣しているため、右舷側に現れた敵に即応できるのは先頭を進む旗艦を含め5隻だけだった。


『砲術長より艦橋、先頭艦はキーロフ級と認む』

「ロシアの新型巡洋艦だな。奴らめ、もう模倣しよったか」


 伝声管を通じて送られてきた年若い青年の報告に隣で感嘆の声を上げたのは、彼が将旗を掲げる護衛巡洋艦『荒瀬』艦長、木村正福キムラ マサトミ大佐だった。見事なカイゼル髭をトレードマークとする男で、温和な人柄から「ショーフク」と親しまれている。


「左舷見張りより艦橋、ロ72船団、各船左回頭、退避に移ります」

第103駆逐隊103駆に通達【好機ヲ見出シ敵艦隊右舷ヨリ攻撃セヨ】」


 まず飛び出したのはざっくばらんな命令ではあるが、第103駆逐隊を率いる田中頼蔵タナカライゾウ大佐は砲術畑を歩んだ鮫島とは異なり、木村と同じく水雷戦の専門家だ。門外漢にも等しい自分が強引に掌握するよりも、餅は餅屋に任せるのが適当だと判断した。


「右砲雷戦用意、新針路一二〇、第三戦速。104駆に通達【我二続ケ】」

「右砲雷戦用意!面舵一杯、新針路一二〇!両舷第三戦速!司令、砲戦開始距離はいかがしますか?」

「駆逐隊の砲戦開始距離は一二〇。本艦は……奴に任せる」


 一瞬頭上を見上げた後でニヤリと鮫島の頬が歪み、意図するところを悟った木村も「それがいいですな」とカイゼル髭の下で笑みを浮かべる。自らが乗艦する艦の砲術長の腕に呆れ混じりの信頼を寄せている証拠だった。


「艦長より砲術長、【砲撃開始時期は一任する、当たると思ったら撃て】」





「めっちゃくちゃな命令だな、おい。――――って待て、誰だ妥当な命令とかほざいた奴は」


『荒瀬』の甲板から聳え立つ、三脚式マストの頂上に設けられた鳥籠のような構造物。射撃指揮所にて大型の双眼鏡を敵に向けていた砲術長は、眼下から届けられた”命令”に呆れた様な声を零し、直後に背後から聞こえて来た聞き捨てならない言葉に振り返った。

 年のころは二十台前半と言ったところか。精悍さの中にもまだあどけなさの残る顔立ちであり、切れ長の目も相まってどこか眠たげにも見える。角度によっては赤黒く見える瞳は、不用意な一言を発した方位盤射手のベテラン兵曹長に向けられていた。

 濃紺の第一種軍装の襟で鈍く輝くのは、二本の太い金線に一輪の銀の桜――海軍少佐の階級章。もっとも、金線の下から覗くのは艦底色を思わせる暗い赤で、ともすれば陸軍の階級章にも見えてしまう。特異な徽章は、一般的な感覚からして歳不相応の階級章をぶら下げる彼の立場を端的に表していた。


「さて、空耳では?」

「幻聴が聞こえるほど疲労しているのならば指揮なんぞできんな。一服してきていいか?」

「煙草盆を出すのは火の粉を払ってから存分にどうぞ。一仕事した方が美味いでしょう」


 肩を竦めた兵曹長に砲術長が口をへの字に曲げ、周りに詰めた砲術科の乗員たちが笑みを噛み殺す。護衛巡洋艦『荒瀬』の戦闘前の何時もの風景だ。

 日本本土とバクー油田を結ぶ、シルク洋航路の海上護衛を担当する『荒瀬』に乗り組みを命ぜられてからおよそ2年。彼らは自身の息子ほども年の離れたの指示に良く従ってくれてはいるが、戦闘直前まで軽口を叩く空気は最後まで拭い去れないらしい。

 堅苦しいよりはマシだが、『荒瀬』竣工当初から射撃指揮所の主として君臨してきた川田兵曹長には口で勝てた試しがないのは、なんとも情けない様な気もしてくる。

 何時もの通り弄られ役になっていると艦首が右に振られ、最上部に位置する射撃指揮所は大きく左へと揺らいだ。煙突から湧き上がる黒煙越しには、滑らかなカーブを描く白い航跡。艦尾に備えられた2基のスクリュープロペラは常備排水量5480tの艦体を最大速力の33.2ktへ向けて徐々に加速させつつある。

 さらにその彼方には後続する駆逐隊と、踵を返して避退に移る高速タンカーの姿が見えた。


「『もみ』面舵!『かや』『にれ』『くり』、104駆の各艦後続します!」


 【我ニ続ケ】の旗流信号を靡かせながら回頭する『荒瀬』に、二等駆逐艦に分類されている樅型駆逐艦の4隻が小鴨の様に追従する。

 常備排水量850トンそこそこの艦体に、45口径12㎝単装砲3基3門と53㎝連装発射管2基4門を備える駆逐艦で、十二分に旧式と呼べる艦だ。かつては栄えある第一艦隊の直衛についていた彼女らではあったが、優秀な後継の出現と共に一線を退き、海上護衛総隊の屋台骨と言ってよい100番台の駆逐隊を形作っていた。

 決戦の為に温存された時代よりも、老いて海上護衛戦に投入された現在の方が実戦経験も戦果も挙げている点については皮肉と言うべきほかない。もっとも、それは帝国海軍のほぼすべての艦に言えることではあろうが。


「敵先頭艦との距離二〇〇!」

「右砲戦用意、距離一八〇にて砲撃開始」


 見張り員の報告にブスくれている暇は無いなとため息を吐いた砲術長――有瀬一春アリセカズトキ少佐は腰に帯びた軍刀を介して照準器と射撃方位盤、艦の各所に配置された50口径14㎝砲に意識を伸ばし掌握した。

 途端に、各観測装置から得られる外界の情報や薬室に装填された砲弾の重さ、砲の周りに取り付いた砲員たちの息づかい、艦の動揺によって絶えず揺られる砲身の感覚がなだれ込んでくる。


「射撃管制、同調良し」


 艦の底に安置された感応金属S‐メタルの結晶で構築された正八面体と各科長が帯びた軍刀、感応金属が含有された鋼材によって形作られる艦体が同調する事により、艦全体を文字通り手足の様に扱うことができた。この海において戦闘艦の主となるためには必須の素質であるが、だからと言って艦長一人で戦争ができるわけでもない。

 人間一人の処理能力には無論限度があり、それらを補うのが機関長を始めとする各科長であり、科員だ。

 軍艦をハードウェアとするならば、艦長がOSの役割を果たし、各科長以下がアプリケーションとして働くと言えるだろう。また火砲の装填補助や対空火器の使用、艦の維持整備や応急修理には乗員が必要であるため、極端な省力化は行われていない。予備を用意しない軍隊など存在するはずもなかった。


「目標、キーロフ級と思しき敵先頭艦、測的開始」


 再び双眼鏡を覗きこんだ有瀬の号令と共に、『荒瀬』の甲板に据えられた複数の砲塔が次々と旋回し、かつては戦艦の副砲の役割を果たしていた長大な砲身が鎌首をもたげる。

 黒瀬型護衛巡洋艦の一隻である『荒瀬』には、50口径十四センチ単装高角砲3基3門と同連装砲2基4門の合計7門が搭載されている。艦の後方には次発装填装置付きの六一センチ4連装魚雷発射管が搭載されており、護衛の名を冠してはいるがかつて第一線で水雷戦隊の指揮を取っていた5500トン型軽巡と同等の戦闘能力を保有していた。

『荒瀬』を先頭に単縦陣で突き進む5隻の戦闘艦は敵艦の針路を斜めに横切り、右前方から迫る敵の右舷側から反航戦の形へと持ち込んでいく。相対速度は50ktを超えており、見る見る間に先頭艦のひょろりとした三脚檣と前部甲板に背負い式に据えられた特徴的な三連装砲塔が露になってきた。

 間違いない、一昨年竣工したばかりのキーロフ級巡洋艦を模したフラグレスだ。


「ったく、お前が出てくるのは早くても来年だろうに」

「何かおっしゃいましたか?」


 機関音と風音に薙ぎ払われるはずの独り言、それを運悪く聞いたらしい見張り員に「何も」ととぼける。説明したところで、今以上に狂人扱いされるのがオチだった。

 彼に対し不審な目が向けられそうになった瞬間、その見張り員の意識を現実に引き戻すかのように敵艦の艦上で紅蓮に縁どられた黒褐色の華が膨れ上がり、同時に待ちに待った報告が届く。


「敵艦発砲!」

「距離一八〇!」

「主砲、一斉打ち方。打ち方始め!」


 見張り員の悲鳴交じりの絶叫と共に、頃合い良しと見て引き金を引き絞る。撃鉄が落とされるイメージが脳裏を過り、右舷前方を指向した連装砲1基と単装砲2基から閃光が迸ると4発の十四センチ砲弾が吐き出された。140mを超える『荒瀬』の艦体を主砲斉射の衝撃が走り抜け、細長い艦体が微かにのけぞったようにも思える。右舷側を覆う砲煙が艦の前進により後方へと流れていく中、第一斉射の遮断が落下する前に砲弾の再装填を終えた4門が、間髪入れずに再び火炎を噴き出した。


 それは各国の海軍関係者が見れば嘲笑の的になる様な砲術だった。

 本来の艦砲射撃は、最初に交互打ち方――連装砲なら砲塔1基あたり1門ずつ交互の発射する打ち方――を用い弾着の水柱を見て徐々に射撃諸元を修正し、命中弾ないし夾叉して――弾着の水柱が敵を囲んでから初めて全ての砲を一時に発射する斉射に移行する。今の『荒瀬』の様に、最初から斉射、なおかつ初弾の弾着を待たずに次弾を発砲するなど、帝国海軍どころかどこの国の教本にも存在しない。

 しかし、彼の指揮に射撃指揮所はおろか艦橋に詰めた艦長や司令から叱責が飛ぶことは無かった。皆一様に、右舷前方から接近する巡洋艦を食い入るように見つめている。

 接近する2つの艦隊の間で4発の十四センチ砲弾と6発の十八センチ砲弾がすれ違い、轟音を叩き付け合いながら互いの獲物へと飛翔する。

 最初に飛来したのは敵巡洋艦の砲弾だった。

 大気を切り裂いて襲い掛かった6発の砲弾は『荒瀬』の頭上を飛び越えて左舷側後方の遥か彼方に水飛沫を噴き上げる。水中衝撃波が艦底を突きあげることもなく、はじけ飛んだ弾片が甲板上の砲員を切り刻むことも無い。

 キーロフ級の主砲は重量97.5㎏の十八センチ砲弾を37800m先に叩きこめる優秀な砲ではあるが、艦体は新鋭であっても、他の大多数のフラグレス同様、命中精度や練度は人類側艦艇の比ではないようだ。

 対して数瞬遅れて到達した『荒瀬』の砲弾は、最初の2発が敵キーロフ級の艦首を挟みこむように着弾し水柱を噴き上げた直後、甲板上で命中の閃光を輝かせた。



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