15th Chart:古狸の思惑


「この度は、誠にありがとうございました。殿下」

「そうかしこまるな、爺の気まぐれと言うわけではないのだから」


 夜も更け、会合に参加した人々が席を辞して帰り支度を始めるころ。山口は宇垣と共に、既に別室に移っていた最上位者の元を訪れ、改めて謝意を示していた。

 破顔し二人を招き入れた面長の老提督――伏美宮中将は、椅子に深く腰掛けながら、皇族と言うよりも帝国海軍軍人らしいさっぱりとした態度で鷹揚に手を振って見せる。

 定型文じみたやり取りを2,3交わした後、伏美宮は茶で口を湿らせて本題を切り出した。


「それで、どうだね山口君。――航空の専門家として、A-801は航空機に対抗できると思うか?無論、忌憚のない意見を頼む」


 そら、来た。

 内心で一応積み上げてきていた予想が的中し、うすぼんやりとした疑問が山口の中でゆっくりと晴れていく。

 航空主兵派として認知されている自分が、こうして大艦巨砲主義者たちの根城に招かれる事になったのは、やはり目の前の老将の意向だったようだ。

 これを見越して会合中に試案を巡らせていたため、既に回答は出来ている。後は、好々爺然とした態度を崩さない伏美宮に「私は技術屋ではありませんが」と前置きして言葉を続けるだけだ。


「完成すれば強力かつ、極めて沈みにくい艦であると評価できますが――――航空機の支配を引っ繰り返すことはできない。と考えます」


 一息に言い切った自分に、宇垣が「やはりか」と静かに呟き、伏美宮が微かに目を鋭くした。部屋の中であるのに肌寒さを感じたのは、季節が冬に片足を突っ込んでいる事だけが理由ではあるまい。

 確かにこの場での問いかけであれば、適当に絶賛して席を辞した方が禍根を残すことが無いのは明らかだ。組織人として立場を保持しようとするのであれば、今の様な相手の神経を逆なでするような言葉は不適当にも甚だしいことは、十分理解している。

 けれど、だからと言って気の利いたセリフを言うだけならば、別に自分がここに来る必要はない。

 伏美宮中将の意向を受けた宇垣が、自分をここに呼んだ理由を考えれば、上の顔色を窺って日和るなど言語道断だろう。


「――まだ不足かね?」

「不足、と呼ぶよりも方向性の違いと言えます」


 試すような皇族軍人の言葉に「誤解するな」という意志を多分に込めた訂正を述べる。


「広範囲に施された水中弾対応型の対水雷多重隔壁液層防御、電探と連動した豊富な防空火器による空域制圧能力、新型機関を利用した機動性。仮に現状の二航戦がこの艦に戦いを挑むとなれば、正直に申し上げて、それこそ全滅覚悟で突っ込むほかありません。現段階でも、敵に回したくない艦であることは確かです」


 その上、この艦の艦長が”あの報告書”を作成した特急士官であったならば。と想像しそうになり、無駄な思考だと即座に切り捨てる。

 ド旧式の標的艦で一航戦の空襲を切り抜けた者に預けてしまえば、鬼に金棒どころの話ではない。良い意味で、考えるだけ無駄だろう。


「しかし、A-801はあくまでも戦艦です。脅威を与えられるのは半径30㎞の領域が精々であることに変わりはありません。局所的な優位は取れるでしょうが――帝国海軍が活動する海面は非常に広大です」


 北は樺太から南は沖縄まで。ただでさえ長大な日本の国土は、これからの作戦によって更に広がろうとしている。

 そうなった場合、艦艇の機動性ではどこかに無理が来る。どれほど強力な戦艦であろうと、必要な時に、必要な場所に居なければ、床の間の置物と変わらない。

 その点を考えれば、この組織が推進している八八艦隊計画に賛同する事も、その根幹として成立しようとしている艦を手放しに誉めることは出来なかった。


「新型戦艦16隻と、大型航空母艦16隻ならば、後者の方がより多くの手札を持つことができます。空母の汎用性、機動性を戦艦が代替することはできません」


 航空主兵主義者が大艦巨砲主義者たちを嘲笑う常套句の一つだが、真実でもある。

 戦艦は極論してしまえば艦隊決戦以外に出番はない。しかし、空母は搭載する航空機の種類や比率によって、哨戒から艦隊決戦、対地爆撃、制空任務など多種多様な役割を一隻で担うことができる。

 さらに言えば、空母は航空機を新鋭機に変えることで全体的な能力の向上が容易だ。無論、機体の大型化による滑走距離の増加や飛行甲板の補強などの問題も在るが、戦艦の様に遺産工廠に入渠して装備を入れ替えるほどの大騒ぎをする必要が無い。

 戦艦の主戦場である艦隊決戦の場においても、空母は戦艦の射程外から一方的な打撃を与えることができる。多少の航空機の損害は避けられないだろうが、高価な艦隊を、敵弾どころか敵の目にすら晒すことなく、作戦を遂行する事すら可能だった。

 総合的に判断して、費用対効果の高さで、空母は戦艦に勝る――それが現在の連合艦隊の通説だった。

 自分の歯に衣を着せなかったモノ言いに、どのような怒声が返ってくるかを身構えた山口だったが、意外にも伏美宮は、冷笑ともとれる微笑を浮かべたまま軽く頷いて見せた。


「――その通り。戦艦に空母の変わりは務まるまいよ」


 アッサリと言ってのけた皇族軍人に、今度は山口の目が細くなる。

 いったい、この御仁は何が目的なのだろうか、と疑問が頭をもたげ、思わずまじまじと目の前の皇族を眺めてしまう。

 ずいぶん昔に航空主兵派が海軍の実権を握った際、病を名目に軍令部総長では無く軍事参議官へと追いやられた老提督。既に閑職となって久しい役職であるはずなのに、いたるところで見かけるからか、色々と後ろ暗い噂は絶えない。

 帝国最大の海軍工廠である呉海軍工廠を牛耳り、幾つかの幽霊会社や貿易会社を経由して莫大な資金を運用している等と、尾鰭どころか四〇センチ砲まで搭載しているような、荒唐無稽な都市伝説すら出てくる有様だ。

 だが少なくとも、中央から追放された大艦巨砲主義者を集めて、このような会合を何度となく開き、戦艦と共に再び軍に介入しようとしているのは事実だ。そんな怪しげな男の口から、敗北を認めるような言葉が出てくるのが意外だった。


「山口君、君はすこし考え違いをしておるようだ」


 その言葉の中には、誤った答案を提出した学生を諭すような響きが含まれている。


「我々は別に、空母全てを破棄してでも戦艦を作れと言っとるわけではない。あくまでも適材適所、我が国が今後南方を含む制海権を確保しつづけるのに、戦艦が最も有用と判断しただけの事だ。――そもそもの話、制海権とは何のことだ?」

「海上を経済的、軍事的に支配すること、それが可能な武力の事です。また、今後においては制海権の維持には、制空権の維持が絶対条件になっていくと予想できます」

「結構。――確かに、制海権の維持に制空権は必要不可欠なモノになりつつある。だが、航空機のみで制海・制空権を保持しようとする場合、航空機や搭乗員の大損耗は避けられまい」


 痛いところを突かれた山口の眉が微かに震えた。

 航空戦はその性質上、如何しても消耗戦になりがちだ。

 工場での大量生産品とはいえ、それらは全て航空力学に基づいて作られた精密な工芸品とも呼べる。数発の機銃弾の直撃で容易に性能を低下させ、搭乗員一人の死傷が戦力の永久喪失を容易に招く。諸刃、もとい脆刃の刃と言えるだろう。


「十一航艦の大西君や、航空本部長の井上君が音頭をとっている空軍独立論が、基地航空隊の中で大きくなりつつあるのも、それが原因だ。大規模な航空撃滅戦が発生してしまえば、リソースを集中し効率化を図る必要が在る。そして、最小の犠牲で最大の戦果を得るには、先も言ったように適材適所が重要だ」

「……戦艦に、今更適所が有るとは思えませんが」

「いやいや、君もついさっき言っていただろう?”A-801を二航戦で相手にしたくない”と」


 本音とはいえ失言だったか、と過去の言動を内心で悔いた直後、冷笑を浮かべる伏美宮の目が怪しく光ったような気がした。


「【航空機グー】で【戦艦チョキ】を沈める、確かに正道だ。すでに連合艦隊内部で通説となっておるし、トラック奇襲後は海軍関係者全体の常識となるだろう。だが、A-801の様に石すら砕くボルトカッター染みたチョキが現れた時、グーしか持たぬ軍はどうなる?」

「……殿下は、A-801の様な戦艦が今後フラグレスとして出現すると?」

「我々人類が動力式飛行機を手に入れたのは、1903年12月17日のキティホーク。対して、実用的な蒸気船の登場は1807年8月17日のハドソン川。飛行機と艦が積み上げて来た歴史の差は大きい。【戦艦では絶対に勝てない航空機】と【航空機では絶対に勝てない戦艦】。一足早く空を手にした我々に対抗するには、彼らにとってどちらが現実的だろうか。そして今まさに、航空機を主力にしようと試みる我々にとっては、どちらがより最悪だろうか」

「しかし、航空機の進化は日進月歩です。零戦、九七艦攻、九九艦爆、その全ての後継機の開発は順調に行われています。航空機の歴史は確かに艦より浅いですが、歩む速度は比ではありません」


 現に、三菱では零戦の出力向上型や、艦攻、艦爆の新鋭機が急ピッチで開発されていた。特に艦上爆撃機については、急降下時の空中分解問題の解決に目途が立ち、量産開始まで秒読みと聞いている。

 今はA-801クラスの化物を仕留めきれない機体しかないが、もう数年もすれば十分対抗できる機材が揃う見込みは十分あるはずだった。


「うむ。まあ、そこは世代交代の速さもあるだろうな。一隻作れば何十年と使える艦と、数年で使い物にならなくなる航空機。代替わりが早ければ早いほど、次へ歩む足も軽くなる。――それは、敵も同じことよ」


 伏美宮の言わんとすることを察知し、口の中の水分が一度に奪われたような錯覚に陥る。

 あり得ない、と瞬間的に脳内に反響した声は、理性か、はたまた見たい物しか見たくないと言う幼稚な己のモノか。

 酷く滑稽な話ではあるが、この【不愉快な予想】を何よりも恐れているのは自分たち航空主兵主義者に他ならなかった。


「――――フラグレスが、航空機を持つと?」

「相手はこの星の半分を手に入れた、米国すら凌ぐ史上最強の海軍だ。無敵の戦艦と、我々と同程度の航空機、奴らがどちらか片方のみ手にすると考えるのは、楽観的ではないかな?」


 シン、と一瞬空気に静寂が戻る。

 人類が航空機を手に入れてから現代にいたるまで、フラグレス勢力と思われる航空兵器は確認されていない。甲板上には模倣した艦と同様の対空火器を備えているモノの、発砲を受けたという報告は未だ入っておらず、第十一航空艦隊に代表される基地航空隊の陸上攻撃機は、悠々と爆雷撃を繰り返している。

 欧米各国の諜報結果からも、フラグレス航空機の出現を示唆する兆候はない。

 だが、それらはあくまで状況証拠にすぎない。フラグレスが航空機を持つことを不可能と断じる決定的な証拠は、未だ誰も握っていないのだ。


「甲鉄会は、フラグレスが近い将来に航空機を持つことを前提に動いている。だからこそ、A-801はあれ程までに、航空機に対して厳重な防御機能を要求するようになった」

「お言葉ですが、連合艦隊でもフラグレスの航空機に対する備えは怠っておりません」


 思わず伏美宮に食って掛かる。このまま引き下がっては、航空派の自分が甲鉄会を勢いづかせることになりかねない。


「常用機体の三分の一を艦上戦闘機に当てることで、必要な能力は確保しています。仮に、敵が空母を持つようになっても、攻撃隊を肉薄させることが可能です」


 第一航空艦隊の主力艦上戦闘機である零戦は、既に初期生産型の二一型から二二型に移りつつある。これはエンジンを離昇出力940馬力の栄一二型から、二速過給機を装備し離昇出力を1130馬力に向上させた栄二一型に換装した型であり、全般的な能力の向上に成功している。

 また、搭乗員達も艦爆や艦攻に負けないどころかそれ以上の猛訓練に励んでおり、昨年中華諸島連合の航空隊と演習を行った際には、旧式の九六式艦上戦闘機を駆った上で、一機の犠牲も出さず対抗部隊を全滅させる離れ業をやってのけるほどだった。

 米軍のF4Fワイルドキャットや英軍のスピットファイア等、欧米の最新鋭機の精鋭との手合わせは実現してはいないが、あのプライドの高い英軍が「極東最強」と称するほどの練度を誇るのだ。そうそう負けはしない自信はある。


「たとえフラグレスが零戦に匹敵する機体を配備したとしても、練度で劣ることはありません」

「実に頼もしい言葉だが、その練度が一体どれほどの期間維持できるのかが問題だ」


 肩を竦めて、老提督は机の上に置かれていた茶で口を湿らせる。微かに顔を顰めたのは、冷え切っている事だけが理由では無いだろう。


「フラグレスの航空機が艦と同等の性質を持つのであれば、と言う事になる。

 対して、我々は機体と共に優秀な搭乗員を備えなければならない。母艦航空隊では、発着艦の経験と列機として編隊空戦が出来る程度の技量に至るまで、凡そ800から1000時間の飛行時間を必要とする。本質的な意味での終戦を望めない今後の戦において、一体どれほどの撃墜対被撃墜比率キルレシオが必要になると思う?」


 初めて山口が言葉に詰まった。

 その考えは、自身が常々抱いていた恐れ其の物であり、ことあるごとに航空関係の部署に警鐘を鳴らしていた点であったからだ。

 どれ程神業的な技量を持っていたとしても、落とされる時は落とされるのが実戦。陸上での航空戦とは異なり、母艦航空隊が戦うのは艦隊から遠く離れた広大な海の上だ。運よく脱出できたからと言って、生還し敗者復活戦に臨めるほど甘い世界ではない。驚異的な撃墜対被撃墜比を出したところで、帝国の現状を鑑みるに、息切れまでの時間が僅かに伸びる程度に違いない。


「フラグレスが航空機の有用性に気が付き、十八番のデタラメな補充能力を盾にした反攻が始まれば、一航戦の航空隊、いや帝国軍の航空隊は巨大なおろし金に掛けられることになる。――めでたく、連合艦隊は敵の土俵物量戦で力比べをすることになるのさ」


一つ言葉を区切り「だからこそ、戦艦が居る。それも、不沈戦艦が」と続ける。


「空母は防空と対潜哨戒を主任務とし、艦上機の比率もそれに習う。艦隊周辺での防空戦闘であるのならば、救助もしやすく搭乗員の損耗も抑えられる。対して、水上打撃艦は積極的に前進し、敵艦隊と拠点を艦砲射撃と雷撃で駆逐する。勝つべき個所にリソースを集中し、痛み分けでも、判定勝ちでもなく、一方的な勝利を希求し続ける」


 夢物語の様な構想だと、理性が叫び声をあげ、続いて『伊勢』艦上で宇垣から零された言葉が脳内に反響する。

 ああ、改めて考えてみれば当然の結論だろう。連合艦隊は強力な鉾であり盾であるが、それを振りかざす国力は相応とは言い難い。大枚を叩いて用意した武器を失えば、後に待つのは惨めな討ち死にだけだ。

――張り子の虎、そんな感想が頭に浮かんだ。だが自分たちはこれから、この張り子の虎を頼りに戦う他無い。あの黄金仮面がボヤクのも無理はなかった。


「負けない戦いとは、そう言う事だ」


 常勝不敗の軍勢など、今時御伽噺でもあり得ないのだから。


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