11th Chart:勝利無き戦

 結論から言えば、大日本帝国はバクー油田以外の輸入先――アメリカからの助力を取り付けることができなかった。

 突発的な石油危機に見舞われた欧州の混乱を収め、元々増大しつつあった影響力を伸ばす好機を新大陸の巨大国家が見逃すはずもなく、余剰の油をそちらに回すという、白い家の住人達の決定を覆すことは出来なかったのだ。

 無論、帝国の窮状を訴え、様々な手段で働きかけては見た物の『無い袖は振れぬ』と軽くあしらわれる結論は揺るがなかった。唯一の戦果と言えば「米政府は1912年にフィリピンの放棄を宣言している為、フィリピンは関知しない」という言質だが、既にフィリピンの再植民地化を放棄し、何やら蠢動しているアメリカからしてみれば体の良い厄介払いにすぎない。

 アメリカ以外に日本の石油消費を支えられるほどの油を産出する国が存在しない以上、今となっては生存の為に新たな資源地帯を得る以外に方法が無くなってしまう。

 そこで大本営は南方資源地帯を制圧する一連の計画の策定を指示した。

 とはいっても、計画の骨子自体は以前から連合艦隊司令部内で不気味とすら思えるほどの執念の元で作り上げられており、小規模な手直しの後に、程なく計画は日の目を見ることとなる。

 そうして出来上がったのが”あ号作戦”と呼称される作戦計画であり、帝国の命運を握る大博打だった。

 まず、開戦劈頭に空母機動部隊を中心とした艦隊で西太平洋一帯を支配するフラグレスの一大根拠地となっているトラック環礁を奇襲し、南方進出において脅威となる主力艦群を軒並み壊滅させる。

 フラグレスの西太平洋艦隊は、巡洋艦以下の艦艇は各所を遊弋していることが多いが、戦艦クラスの大型艦はよほどのことが無い限り根拠地から出てくることはない。トラック環礁には10隻以上の戦艦が常時駐留し、その中にはレガシー・ナインを模した強力な艦艇も控えている。連合艦隊が東南アジアへの侵攻を開始すれば、打って出てくるのは自明だった。

 いち早く資源地帯を占領し輸送路を確立するため、停泊中を叩いてその実力を発揮する前に沈めてしまい、フラグレスの出鼻を挫く算段だった。

 この作戦の要とも言えるトラック奇襲を行う機動部隊――第一航空艦隊は、第一から第五航空戦隊の空母10隻を中核としている、前代未聞の大艦隊となる。

 中核戦力として、第一航空戦隊『金剛』『榛名』、第二航空戦隊『蒼龍』『飛龍』、第三航空戦隊『比叡』『霧島』、第四航空戦隊『雲龍』『白龍』、第五航空戦隊『瑞鶴』『翔鶴』が編成される。

 金剛型空母は元々巡洋戦艦であった金剛型戦艦を改造したもので、連合艦隊の主力艦の中では最古参であるものの、その分練度は高い。ニ、四航戦に配備された蒼龍型航空母艦は、帝国海軍が初めて建造した実用的な中型航空母艦であり、空母としての完成度は金剛型に勝る。

 そして第五航空戦隊に配備された『翔鶴』『瑞鶴』は、現時点での帝国海軍空母技術の粋を集めた艦であり、カタログスペック上では最優秀であるが、竣工してから日が浅く練度にやや不安を抱えていた。

 常用機だけでも、その数は実に五七六機にも上る。これほどの艦上機が単一の戦闘に投入されるのは、他に類を見なかった。

 また、連合艦隊直卒の第一戦隊『伊勢』『日向』。第三戦隊の高雄型巡洋艦4隻。第四戦隊の妙高型巡洋艦4隻。二○センチ主砲を下ろし、長砲身一○センチ連装砲を六基装備した、古鷹型と青葉型で構成される防空戦隊。新鋭の阿賀野型巡洋艦が率いる水雷戦隊など、空母以外の戦力も充実していた。

 これらの水上砲戦部隊は、機動部隊の徹底した反復攻撃の後、頃合いを見計らって泊地に突入。残敵の掃討を行うと共に、後続する陸軍部隊のトラック環礁上陸を支援する。

 東南アジアと太平洋に同時に睨みを聞かせることができる艦隊泊地に適した巨大な環礁は、あ号作戦の成否のみならず、この戦争自体の帰趨に関わる西太平洋における重要拠点であり、是が非でも獲得せねばならなかった。

 またトラック環礁の西太平洋艦隊の無力化と前後して、南方地帯攻略に赴く2個艦隊を、上陸部隊と共に集結地点である沖縄の金武湾より進発させる。

 海南島、仏印の沿岸部、マレー半島攻略を担当する第三艦隊は、帝国海軍最強の戦艦である長門型2隻を擁する第二戦隊、『祥鳳』『瑞鳳』『龍驤』を基幹とする第六航空戦隊を中心に据えた艦隊だ。直衛には最上型巡洋艦4隻を擁する第六戦隊。利根型巡洋艦2隻からなる第八戦隊。阿賀野型3番艦『矢矧』率いる第三水雷戦隊に、新鋭の秋月型駆逐艦4隻で編成された第三防空戦隊等が加わる。

 マレー半島先端に位置するシンガポールには、レガシー・ナインの1角であるコンステレーション級巡洋戦艦の存在が確認されている。世界最大、最速の巡洋戦艦であるコンステレーション級を模したフラグレスの脅威を除かない限り、マレー方面作戦の成功は無い。

 虎の子の四○センチ砲搭載艦である『長門』と『陸奥』、そして小型空母ばかりではあるが三隻もの空母を投入する点に、連合艦隊司令部の本気が垣間見えた。

 資源地帯の占領後は直ちに海上護衛総隊主導での輸送作戦が開始され、この一連の作戦で消費される莫大な資源の補充に取り掛かる。前大戦において、フラグレスの陸上使役種と目されるレヴィオンは人のみを駆除し、撤退時に設備を破壊するなどの焦土作戦を取ることは無かったことから、以前より存在した採掘所・油田施設の確保は十分可能と見積もられていた。

 また、資源採掘や運搬に掛かる労働力は、人を輸送するのではなく現地のワーカーをそのまま活用することとされていた。

 正式にはレヴィオン・ワーカーと呼ばれるその種は、一見すると小型自動車サイズのサソリモドキの様な生命体であり、陸上の様々な資源を採掘し一か所――大抵は遺産工廠や港湾倉庫――に集積する役割を果たしていた。レヴィオンに制圧された遺産工廠から現れる彼らは、同族とは似ても似つかないほど大人しく、自らの生命の危険を感じない限りは愚直に仕事を続ける性質を持っていた。

 手足を持たないフラグレスが、陸上の資源を利用するために揃えた生体作業機械。というのが各国の見方ではあるが、その真相には未だ多くの謎に包まれている。

 数少ない既知の性質と言えば、レヴィオンとは異なり、ワーカーは遺産工廠での生産も可能らしいと言う事だ。レヴィオンに占領された遺産工廠から、ワーカーが吐き出されたという複数の報告も存在する。無論、遺産工廠がない土地にはレヴィオンと同じように船舶での輸送も行われているようだ。

 なお、前大戦中に幾つかの国家研究機関がレヴィオンやワーカーの解剖を試みたようだが、詳しい結果は公表されていなかった。

 一方、台湾、フィリピン攻略を担当する第五艦隊は『扶桑』『山城』からなる第五戦隊を中心とし、『酒匂』率いる第四水雷戦隊、5500トン級軽巡最後の生き残りである『神通』『加茂』の第十戦隊、水上機母艦『瑞穂』と特設水上機母艦『君川丸』の第ニ一戦隊等が編成される。

 第五艦隊に預けられた戦力が他の2艦隊に比べ著しく小さいが、これはそもそも台湾、フィリピン方面において有力な艦艇が確認されていない事。またトラックを制圧した第一航空艦隊が、場合によっては空母を分派し、第五艦隊の支援に回る事が可能であるため、単独での戦闘能力がそれほど求められなかったことに起因する。

 第三、第五艦隊によるマレー、フィリピン攻略が完了した段階で、残存戦力はシンガポールに進出した第三艦隊に合流、補給を終えた第一航空艦隊と共同して蘭印の攻略を開始する。

 敵の抵抗や損害の度合いなどにより幾つかのプランは考えられているが、全体的な作戦の流れとしてはこのような形になる。

 しかし2隻の扶桑型戦艦は、その損害の度合いに関わらずこの蘭印作戦に参加せず、フィリピン攻略後は港湾の守備を行う警備艦、早い話が浮き砲台として転用されることが決まっていた。表向きは、フィリピンに構築した拠点に対するレヴィオンの反攻を、艦砲射撃により破砕する為とされていたが、その実態は「使えぬ老朽戦艦に回す油は一滴もない」という航空派の意向だった。

 とはいえ、宇垣や甲鉄会を始めとする鉄砲屋達も、『扶桑』と『山城』の有効な活用法を見出しているわけではない。むしろ、艦の現状に対する理解度は航空派よりも高かった。故に、彼女らの限界もよく知っている。


「――あの2隻はもう限界だ。外見は何とか取り繕ってはいるが、機関は不調が続き、装甲の劣化は危険な範囲にまで及んでいる」


 妙に詳し気な宇垣の言葉に「貴様の娘の受け売りか?」と山口が片眉を上げる。かつて同じ釜の飯を食った級友は「まさか」と薄く笑った。


「工廠の報告だ。アレが言うには、無理に直して実戦で使うより、記念艦にして入場料を取った方が役に立つとさ」

「身も蓋もないな」


 才色兼備という言葉が良く当てはまる令嬢が、真顔で宣いそうなことだと素直な感想が頭をもたげる。この男が養子を、それも友人の娘を引き取ったと聞かされた時には驚いたが、顔を見る限り親子関係は悪くなさそうだった。


「第五艦隊に配属された扶桑型の仕事は上陸前の地均しだ。マニラ湾内の艦艇は、精々巡洋艦や駆逐艦程度。旧式とはいえ扶桑型は三十六センチ砲を備えた戦艦だ。護衛の四水戦もいる、負けることはあるまい」


 さらに、第五艦隊には索敵用の水上機母艦が編成されている。水上偵察機で緻密な索敵を張り巡らし、敵艦隊の存在をいち早く察知し対応策を取ることが可能だ。仮に敵戦力が多く攻略に手間取ったとしても、トラックを制圧した第一航空艦隊の支援を待てば良い。

 そして宇垣自身、第五艦隊によるフィリピン攻略は順調に進むと予想している。

 先の大戦ではフラグレスの物量に圧倒されたと多くの書籍は語っているが、実際の所、正面に展開される戦力に人とフラグレスの間に大きな差があるわけではない。

 フラグレスの恐ろしい点はその回復能力だ。

 彼らも遺産工廠を利用していると考えられる以上、壊滅した艦隊を再建するのに半年あれば十分だが、それは人の側にも言える。真に脅威とすべきは、フラグレスが乗員を必要としない、いわゆる幽霊船であるという部分だ。

 人の場合、艦を造った後その性能を十全に発揮させるためには、艦の適性に合った艦長と乗員を用意し、訓練を施す必要が在る。

 一方、乗員の居ないフラグレスはそれが要らない。極端な話をするのならば、竣工し遺産工廠から出渠、即戦闘開始という芸当も可能だった。

 一例として前大戦では、フランス海軍がアルジェリアのメルス・エル・ケビールの奪還を試みた際、土壇場になって工廠から英海軍の最新鋭艦リヴェンジ級を模したフラグレス2隻が出現した。

 そこに至るまでに、メルス・エル・ケビール駐留艦隊を壊滅させ、相応の被害を受けていたフランス海軍にこの最悪の強敵を打倒す余力は残っておらず。中破したノルマンディー級戦艦2隻が絶望的な撤退戦の末全滅するという悲劇が引き起こされる結果となった。

 前大戦以前の情報では、主要な目標となるマニラ湾を含むフィリピンに遺産工廠は存在しない。後方からフィリピンに輸送されたワーカーたちが、フィリピンの資源を何処に集積しているのかは謎のままだが、フラグレスの大型輸送船らしい船舶がマニラ湾を頻繁に出入りしていることから、シンガポールやトラックに持ち去っているのだろうと考えられていた。


「練習艦として使ってる扶桑型が帰ってこないとなると、鉄砲屋の育成に支障が生じるが、もはや戦艦を作る予定が無い以上、大口径砲の取り扱いを学ぶ必要は無くなる。大本営は『長門』と『陸奥』の退役と共に、帝国海軍の戦艦史に幕を引く腹積もりだろう」

「戦艦滅びて空母あり、か。――――極端に走りすぎるのも考え物の様な気がするが」

「なんだ、鉄砲屋に宗旨替えか?」


 宇垣の揶揄いを含んだ意外そうな視線に「バカ言え」と鼻を鳴らす。


「今後の主力が航空機になることは最早疑いようがない。しかしな、だからと言って他を疎かにしてよいわけではない。これほどまでに科学が発展した現在においても、航空機の夜間行動はかなり限定される。艦艇だって30ノットで飛ばせば、一夜にして240海里約450㎞を楽に駆け抜けられるんだ。機動部隊が敵の夜戦部隊に補足される危険性は未だ存在する。水上艦艇を疎かにするわけにはいかん」

「その万一の時の為に、巡洋艦と水雷戦隊は揃えているがな」

「どれほど腕を磨いても、夜戦の魚雷なんぞ早々当たるもんじゃない。九三式を用いたとしてもそれは変わらんよ。夜陰や悪天候に乗じて高速戦艦に突入されたら、水雷戦隊は相打ち覚悟で突っ込むしか方法が無い。全滅とは流石に行かんだろうが、一度の海戦で壊滅的な打撃を受けるのは目に見えている」


 山口正成という男は、今でこそ第二航空戦隊の長を務め、特筆した機動部隊指揮官として注目されているが、水雷学校高等科を修了しているなどその経歴としては水雷士官としての趣が強い。だからこそ、帝国海軍が着々と築き上げてきた水雷戦術の長所も短所も把握していた。


「打撃を受ければ、補充がいる。遺産工廠さえあれば、艦と魚雷は揃えられるだろうが、勇猛果敢な水雷屋職人はそう簡単には揃わん。海上護衛総隊から人員を割けば頭数は足りるだろうが、そんな愚挙を選んでしまえば護衛隊の稼働率が落ち、今度はシーレーンが寸断される。亡国までそう時間はかかるまいよ」

「同感だ。だが、それは空母、いや航空機にも大いに言えることだ。井上本部長も、随分苦心したと聞くが、搭乗員の養成は捗々しくない」

「問題は其処だな。ワシントン条約以降、工業化が進むにあたり後方の重要性に対する認識は随分好転したが、まだまだ不十分だ。箱だけ揃えれば、後は何とかなると思ってる連中が多すぎる。高性能な飛行機を1000機揃えたとて、搭乗員が10人しかいないならば10機しか使えん」

「どれほど武器が進化しても、戦をやるのは結局人間だということだ」


 何と無しに前を見やれば、午後の日差しの中に停泊する2隻の巨艦が目に入ってくる。

 違法建築の如く聳え立った艦橋と、甲板にズラリと並んだ6基の主砲塔。【戦艦】という言葉を体現したかの様な姿。その隣に錨を下ろしたのっぺりとした最新鋭艦――翔鶴型航空母艦2番艦『瑞鶴』が、一見頼りなく見えてしまうほどだ。しかし、この両者の戦闘能力は隔絶していると言って良い。世代交代、その残酷な一言がこの二人の将官の意識に滲んだ。


「だが、我々がやろうとしているのは人相手の戦争ではない。人同士の戦争であれば、落としどころが有るだろうが、フラグレスには其れが無い。一旦攻め込んだら、後は敵の攻撃に耐え続けねばならん」

「フィリピンを放棄する気の米国と、こちらを利用する気の英国を除いても。仏と白は、我々の南方進出に神経を尖らせている。場合によってはこの二国と事を構える覚悟もしておかねばな」


「即座に開戦とは来ないだろうが、頭の痛い問題だ」と山口は頭を掻く。

 あ号作戦では帝国海軍の主力のほぼすべてが南方に展開され、本土の守りは一時的に基地航空隊を頼みとする他ない。作戦完了後には、欧州への対処やフラグレスの報復に備えるため、初戦の様な全力出撃は難しくなるだろう。


「残念ながら――この戦において、我が国に敗北は有ってもは無い」


 ぼそりと、しかしハッキリとした口調で齎された言葉に、微かに細められた猛将の視線が参謀長へと突き刺さった。


「連合艦隊参謀長にあるまじき、腰の抜けた宣言だな」

「もしこの状況で勝利に持っていける奴がいるのであれば、喜んで椅子を譲ってやるさ。――山口、一つだけ覚えておいてくれ」


 隣に立つ旧友に顔を向け、言葉を続ける。その眼は戦友を案じているようにも、この先の未来を憂いている様にも見えた。


「重要なのは、勝つことよりも負けない事だ。たった一人でも、無駄に、無為に死なせるな。艦も飛行機も陛下からお預かりしたものだが、将兵は陛下の赤子だ。一人死ぬごとに、帝国の寿命がそれだけ縮まると認識しておけ。無論、その中には貴様も含まれている」


 宇垣の言葉に「らしくないが、貴様らしいな」と苦笑がこぼれる。この台詞を配下将兵相手に吐いてやれば、”黄金仮面”なんて渾名もつかず、もう少し評判が良くなっただろうに。真面目過ぎるのも考え物だ。


「無資源国家である我が国が、唯一世界に誇れる資源だ。上手く使え、二航戦司令官」

「承知した、参謀長」


 踵を合わせて敬礼をしてやれば、この男にしては珍しく見事な敬礼が返ってくる。

 誰もいない連合艦隊旗艦の後部で交わされた、小さな命令。根底にある思いを確固たるものへと変え、未曽有の国難に立ち向かおうとする将官の覚悟を問うかのように、遠方で雷渦巻く入道雲が立ち上がりつつあった。


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