大地の魔女と使い魔の少年
須能 雪羽
第一章:魔女と少年
第1話:【正太】二人の関係─1
橙色の髪が、お尻の辺りまで。束ねる群青の布は、頭から足先まですっぽりと被れるローブの切れ端。同じ形のレース編みを重ねて着るのは、飾り気の無さを補う為だろうか。
でも、そんな気遣いをしなくとも。テーブルに並べた、きらびやかな石を身に着けるつもりがなくとも。
すらと背の高いアーシェさんを、とても綺麗だと僕は思う。
「お願いします。僕と結婚してください」
「断る」
収集している石を数えるのが、彼女の日課だ。きりりとしたいつもの表情が、にへらんと崩れる。
その愛情を、石だけにほんのひと欠片でも向けてくれないものか。アーシェさんは視線を少しも動かさず、僕の求婚を断った。
「どっ、どうしてですか!?」
「どうして、ねえ……」
断られるとは、全く予想に無かった。驚愕が、さすがのアーシェさんにも伝わったらしい。彼女は小さくため息を吐き、摘んでいた石をそっとテーブルへ置く。
「ショタァ。あんたには、記憶する力がないの? 昨日も、一昨日も、その前も。毎日、毎日、何度言われたか数えるのも諦めるくらいだけど。あたしはその全てを断ってるよね?」
僕の本当の名前は
なんでもこなせる万能の人みたいなイメージもあるのだけど、僕だけが知るとても可愛らしい一面といったところだ。
「もちろん覚えてますよ。でも今日は受けてもらえるかもしれないじゃないですか」
「はあ――その前向きさは、見習うべきなんだろうかね」
「いえ僕は前向きじゃなく、いつもアーシェさんに向いてます」
ベッドの代わりにもなりそうな、一枚の板で出来たダイニングテーブル。向かい合うと、長い辺の反対へ座ることになる。
それでも僕は、アーシェさんの顔を見ていたい。いつでも、どんな時も。
「うるさいよ」
「それはケトルのことですね。すみません、すぐに」
炉にかけていた湯が沸いたらしい。アーシェさんの顔が見られなくなるのは寂しいが、彼女のお世話をするのが僕の役目だ。
「ねえショタァ。その半ズボン、なんの服って言ったっけ」
アーシェさんの視線が、身長百二十センチの僕の背中へ注がれているらしい。振り返りたいのを必死に堪え、お茶の準備を進める。
「僕の通ってた、小学校の制服ですよ。このシャツもです」
濃紺の半ズボンに、半袖の白いワイシャツ。日本の小学生なら、たぶん珍しい格好ではないと思う。
アーシェさんの住むこちらの世界には存在しない素材で、学校という物も無いらしいけど。
「そうね。それはたしか、随分と若い人間ばかりが行く所って聞いたように思うんだけど?」
「そうですよ、六歳から十二歳だったかな。僕は九歳で、四年生です。早生まれなので」
「うんうん」
疑問が解消されて、アーシェさんは頷く。満足そうな表情が、僕も嬉しい。
「それでね、もう一つ確認だけど」
「はい、なんでも」
「そのショウガッコウって所の子どもはみんな、あんたみたいなの?」
僕みたい。とは、どういう意味だろう。日本の小学校では、アーシェさんの隣へ並ぶのが相応しい、僕のような好青年――好少年ばかりが居るのかってことだろうか。
「うぅん、残念ですけどそれはないです。僕みたいにアーシェさんを気遣えるのは、千人に一人も居ないでしょう」
「……そうじゃなくて。あんたみたいな子どもが、うら若き八百歳の女を捕まえて結婚をねだるのかって聞いてんの」
ああ、なるほど。僕としたことが、彼女の心持ちを察せていなかった。用意の済んだトレイを手に、アーシェさんの下へ戻る。就寝前のお茶を出すより先に、謝らなくてはいけない。
「すみません、アーシェさん。年齢の差なんて、問題にならないと聞いたことがあります。僕もそう思います。だから気にしないでください」
「だからそうじゃない。あたしが幾つだろうと、見た目にいい大人なの。それがあんたみたいのを夫とか言ってたら、なにを言われるか分かったもんじゃないの」
日本ではお構いなしなのか、と。それはもちろん違う。
僕の若さを思い遣ってくれただけで、僕が嫌なわけじゃない。遠回しに伝えてくれる優しさに感謝しつつ、問いにはきちんと答える。
「日本だと、ええと十八歳? 結婚できる歳が法律で決まってました」
「おかしな常識の世界から来たんじゃなくて、ほっとしたわ」
眠気が増したのか、アーシェさんはテーブルへ突っ伏した。
「ダメですよ、寝る前には薬茶を飲まないといけないんでしょ」
「そう思うならくだらないこと言ってないで、早く淹れてよ」
話す間が、ちょうど茶葉を開かせただろう。アーシェさんが調合しただけに、葉っぱだけでなく土も入っているらしいけど。
土を焼いたカップに注ぐと、赤い絵の具を溶かしたような色が満ちる。急須や茶漉しは日本のと似ていて使いやすい。
「おいで。おいで。我が友、大地の槍」
だらしなく伸びたまま、アーシェさんの指が艶かしく動く。なんとなく向く先は、厨房の壁一面の棚だ。
無数と呼びたくなるほどの引き出しが一つ、独りでに開く。その中から、薄い水色の塊がひょっこり顔を出した。
白く濁って、透明感もある。水晶みたいにも見える、握りこぶし大の岩塩。アーシェさんの魔法の言葉と指の動きに合わせ、ふわふわと宙を舞う。
彼女はほんの少し、お茶に入れるのが好みだ。
「はい、おろし金です」
「ありがと」
集めた石には、勝手に触れてはいけないと言われている。でもお茶に入れる為の道具なら、用意してあげられる。
でも本当は、なにもかも僕がやってあげたい。そう出来ないことを申しわけなく思う。
「どうしたの?」
「いえ、魔法を使わせちゃって」
「それも忘れたの? 魔法も使わなきゃ鈍るんだよ、だから必要なことなの」
「覚えてますけど。なんとなく、悪いなあって」
僕が落ち込んだことに、すぐ気付いてくれる。それもまた悪いと思うけど、嬉しくもある。
「しょんぼりしながらニヤニヤしないでよ」
「アーシェさんに慰められるなんて、幸せですから」
どんな顔をしていたやら、自分では分からない。でも眉間を押さえつつ、そっぽを向いたアーシェさんを見るに、まんざらでも無かったと思おう。
「やれやれ。なんでこんな使い魔になっちゃったかな」
「ん、それはあれですよ。隠し箱のお爺さんとお婆さんです」
ずずずっと。冷ます手間を省略して、アーシェさんはお茶を啜った。
僕なんかの淹れたものを、疑わずに飲んでくれる。それがとても嬉しくて、僕の声は弾んだ。
忘れるはずもない。アーシェさんへの気持ちに気付かせてもらった日のことを。
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