第44話:【正太】想いを問う─1

 怒れる魔女が、僕を救いにやって来た。

 アーシェさんは会うなり抱き締め、窒息させようとした。とても嬉しいのに、とても悲しい。

 これほど想ってくれる人に、僕という人間は迷惑でしかないことが。同時に、やはり怖いと思うことが。


「ショタァ、息を止めて!」


 怒濤という言葉は、水の押し寄せる音そのままと感じた。アーシェさんの作った通路が暗く濁ったと思うと、視界が真っ暗になってぐるぐる回った。


 細くとも鍛えられた白い手が、僕の口と鼻を塞ぐ。もう一方の手は、離れないよう引き寄せる。

 僕は抵抗しなかった。でも、協力もしなかった。離れまいとする力、離そうとする力。それぞれの為すがまま、振り回されるのに任せた。


「先示す標。光れアイオライト」


 十分近くも水に呑まれていた気がする。いやそれなら死んでいるだろうから、本当はずっと短いと思うけど。

 薬売りの。ベスさんの点けた蝋燭はもちろん消えて、アーシェさんの魔法が青白く照らす。

 抱き上げられた腕の中で、自分の体重にぐったりと疲れた。大量の水は消え、ベスさんも居ない。


「ショタァ? ねえショタァ。あたしのこと嫌いでもいいから、返事だけはしてよ。じゃなきゃあんたが苦しくても、知りようが無いよ」


 ああ、よく言われたな。黙っていたら分からない。不満があるなら言ってみろ、と。

 それで口を聞いたら、うるさい黙れ、文句ばかり言うなって叱られる。あれはどうするのが正解だったのかな。


「大丈夫、です。生きてます」


 自分がなにか言えと言ったくせに、アーシェさんは目を見開いた。それが暑苦しいような眩しいような感じで、僕は目を逸らす。

 すると頬に、なんだか冷たい感触がした。つららでも当てられたみたいだったけど、段々と温かくなっていく。


「ごめんねショタァ。あたしのせいで、なんだかベスが」


 またアーシェさんの声が聞こえると、柔らかい温もりは消えた。

 彼女の勘違いを聞き流すのが息苦しい。水中に居るよりも。約束を破ったのが見付からないよう、そっと首を横に振る。


「許してくれるの? ありがとショタァ」


 僕の額にくっつく喉。目の前の胸が息を荒くして、激しく動いた。お互いびしょびしょで寒いのに、触れ合った箇所だけが燃えるように熱い。

 また勘違いをしていると伝えたくなったのは、きっとそのせいだ。


「そ、そうじゃなくて。ベスさんが恨んでいるのは僕です」

「……ショタァを? どうしてそう思うの」


 彼女の声があるには、少し間があった。僕の視界は豊かな胸で占められ、表情を見ることが出来ない。


「理由は分かりません。でも、言われたんです。どうしてそこに居るのかって。図々しく、当たり前の顔で。必要ないから、元の世界へ帰れって」


 アーシェさんは返事をしなかった。うん、と聞こえた気はするけど、たぶん僕に言ったわけじゃない。

 しばらく。アーシェさんの息が普段に戻るくらいまで、お互いに声を発しなかった。LEDにも似た魔法の光の中、頭上からのガリガリという音だけが続く。


「あたしね。誰か一人を特別に想ったことなんてないの」

「え――?」

「魔女も人間も、結婚したいとか思ったことないし。友だちとか仲間とか、一人だけを特別に感じたことないの」


 結婚と言うからには、僕もそうだという意味らしい。八百年の間に、何人と出会ったのか。その全員が、平等だと。

 するとアーシェさんの嫌う、兵士たちとも同じになる。ゲオルグさんに向けられた、蔑む態度。

 表に出すか出さないか。切り替えがあるだけは、ましと喜ぶべきのようだ。


「あたしは別に、誰のことも好きじゃなかった。でもね、頼ってきてくれるみんなのことが大好きだったよ」

「ん、ええ? どういうことですか、好きじゃないけど大好きって」


 薬売りの言った通りだ。と、納得出来たのに。いきなり前言が覆された。

 いや、覆ったのか? 長いミニスカートみたいな、ゲシュタルト崩壊していないだろうか。


「ふふっ」


 真面目に聞いたのに、アーシェさんは笑った。思わず噴き出したという風だったけど、たしかに。


「笑わないでください」

「ごめんごめん。今のはちょっと、ショタァっぽいなと思って」

「そんなこと、ありますか?」


 どこが。と思ったけど、そうかもしれない。僕はいつも、アーシェさんに質問してばかりだった。

 彼女はそれを、必ず答えてくれた。真面目にだったり、ふざけてだったり、ごまかしたり。

 正解でないことも多かったけど、無視することは無かった。そんなの知らないと、撥ね付けられることも無かった。


「どうっ、て。説明しようとすると難しいね。ええと頼ってくれる人は、あたしを頼りにしてくれるんだもの。好きだったよ」


 説明になってませんよと言いたい。けど、分かってしまう。


「頼ってこない人は、まだ会ってない人だもの。好きとか嫌いとか以前のお話でしょ?」

「ええと? 好きな人と、会ってない人と居て……ああ、そういう。知ってる人はみんな好きだから、その中に好きも嫌いも無いってことですか」


 ぎゅうっと、胸が押し付けられる。今日はどうも、酸素に困る日のようだ。堪えていたけど苦しくなって、もがもがと暴れた。


「そうそう。さすがショタァね、あたしのこと分かってくれてる」

「いえ、僕なんか全然」

「いいの。あたしがそう思ったらそうなの。あたしのショタァを、勝手にバカにしないでくれる?」


 どうしたんだろう、普段のアーシェさんらしくない。子ども、いや駄々っ子っぽい。


「あたしのって。なんだか変ですよ」

「変じゃないもん。あたし、ショタァに嫌われたと思ったら寂しくて。あんたが頼りなのに、居なくなったらどうしようって困っただけ」


 そんな風に思ってくれたんだ。とても強い、大地の魔女が。くっついた頭、頬、胸、腕、脚。アーシェさんの声が、あらゆる場所を伝わってくる。


「頼りにはなりませんよ」

「だから、いいの。それはあたしが勝手に思うことなの」

「そうですか、勝手なら仕方ないですね」

「そうよ、諦めなさい」


 頭を撫でられた後、僕の足が土に触れた。いつの間にか、縛られたロープは切られている。

 それでもふらふらとして、アーシェさんに抱きついた。


「あたしね、後悔してるって気付いたの」

「なにをでしょう」

「二百年前。どうしてあたしを殺そうとしたのか、聞かなかった」

「それは、戦争に負けそうで」


 自分だけは死にたくないという、単なる裏切り。死んでも国を守るぞと言われるより、感情的には理解しやすい。

 アーシェさんも「たぶんね」と頷く。


「そうなんだけど、聞かなかったなって。あたしとなにを比べたのかきちんと聞いてたら、もっとスッキリしたかなって思う。結果が同じだとしてもね」


 そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。僕には判断の材料が無くて、どうとも答えられなかった。


「だから、ベスの理由も聞きたいの。そうしたら引っ叩いて済ますか、粉微塵にしてあげるか、程度も決められるでしょ」

「穏便にはならないんですね」

「穏便よ。いちばんに迷惑をかけたショタァに、悪いなって思うくらいね」


 どうしてなのか、理由を聞く。当たり前に思えるけど、とても難しいように思う。

 いいことでも悪いことでも、しつこく問うな、拘るなと言う人は居る。僕の体験でも、学校の先生がそうだった。


「僕には、アーシェさんが納得出来るのがいいとしか言えません」

「――もう。いい男っぽいこと言ってくれるわね」


 土を引っ掻く音が、そろそろただごとでなくなった。いい男と褒められたと思うのに、よく聞き取れなかった。

 その代わり「お客さまよ」という、耳に馴染んだ店主の声はよく聞こえる。土砂と一緒に死体が落ちてきても、それがカクカクと機敏に動いても。 

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