第28話:【正太】忍び寄る悪意─1
よく眠れなかった。
岩を持ち上げ、叩きつけるアーシェさん。剣や鎧を持ちながら、為す術もない兵士。ベスさんに聞いた話が、頭の中で勝手に映画化されて。
ようやく眠れそうと目を瞑った次の瞬間、世界を照らすのが太陽に代わっていた。
すぐに起きて客室を見回ると、ゲオルグさんたちは居ない。だから四人分の食事を作る。ユリアさんは、なにも食べなくて大丈夫なんだろうか。
「朝の散歩に行こうか」
いつもアーシェさんの寝覚めは、あまり良くない。機嫌が悪いのではないけど、ぼんやり宙を眺める時間が長い。
なのに今日は食卓へ着くなり、外へ出ようと言った。焼いたパンと薬茶を、至って普通に食べながら。
「なにかあるんですか?」
「なにかってほどじゃないわ。でも昨夜の連中が、車輪を取られた気がするって言ってたから」
「それは危ないですね。さすがアーシェさん、僕と結婚してください」
「断る」
やはり兵士には、人たちでなく、連中と。乱暴な呼び方をする。表情がいつも通りに優しそうで、逆に気味が悪い。
でも気に入らない相手の言い分から、道の様子を見に行くのはどういう心持ちだろう? 決まり文句を言ってみても、僕への態度は変わらない。
朝食は二人きりだった。
ベスさんの部屋にはアーシェさんが、ヨルンさんの部屋へは僕が。僕たちが食べたのと同じメニューを運ぶ。
「眠れないんですか」
ノックするとすぐさま、沈んだ声が返った。扉を開けるとユリアさんの眠るベッドの脇で、床に座り込むヨルンさんの姿があった。
大丈夫とアーシェさんは言ったけど、目覚めるまでは心配に違いない。
「一年やそこら眠らなくても、問題ないんだ」
「そう、ですか。でも無理はしないでくださいね」
「ああ、ありがとう。それはユリアの食事かい?」
あっ。
ヨルンさんは人間の食べ物では、お腹が膨れないんだった。ちゃんと聞いたのに、うっかりしていた。
問うても僕がすぐ返事をしないので、「どうした?」と不思議そうに首が傾く。
「ええと、その。ヨルンさんのなんです。食べ物のこと、忘れてて」
ユリアの食事か。と聞かれたのだから、起きたら食べさせてと言うことは出来た。でも、それはしない。
「はっ、君は正直だな。人間とは、どうでもいいことまでごまかす種と思っていたが」
褒められているらしい。僕、個人が。ぼんやり淀んでいたヨルンさんの顔が、失笑とは言え笑みに崩れる。
「だって。そう言ってしまうと、これから毎食を持って来ることになります」
「なるほど、それはそうだ。食料を無駄にしてしまうな」
「あっ、いえ。そうじゃなくて」
失敗をして褒められるのは、居心地が悪かった。しかし、もったいないからと思われるのも違う。
慌てて否定に手を振り、危うくトレイを落とすところだ。
「うん?」
「ヨルンさんが窮屈に感じると思って。早くユリアさんを目覚めさせなきゃと、重荷に感じるって言うか」
きょとんと。ヨルンさんの顔から、「なにを言ってるんだ?」と読み取った。たしかにこんな、僕の思い込みを言ってどうする。
「すみません、変なこと言って。食事でもなんでも、用があったら遠慮なく呼んでくださいね」
恥ずかしくて、顔やら手やら熱くなる。後ろ手に扉を開け、いそいそ部屋を出ようとした僕を、ヨルンさんは呼び止めた。
「待ってくれ。その食事、ありがたく食べさせてもらおう」
「ええ? でも」
「当然、代金は加算して構わない。食べたいんだよ。なに、食べて害があるわけじゃない。君が運んでくれるなら、気分転換になるしな」
ニヤリ。大人の男という感じの笑み。伸ばされた両手が、受け取る気で満々だ。
「じゃあ、どうぞ。無理に食べないでくださいね? 悪いですから」
「本当に食べたいんだよ。うん、うまい」
まずは薬茶を飲んで、満足げに頷いた。続いてパンを、豪快に齧り付く。よく噛んで飲み込み、「夜も頼む」と。
「君の言う通り、昼間は居眠りしているかもだ」
「居眠りじゃなく、ちゃんと寝てください」
「はっはっ。分かった」
トレイを膝に置き、視線がユリアさんに戻る。邪魔をしないよう、僕はそっと部屋を出た。
そのまま一階へ下りて、アーシェさんを待つ。てっきり待たせたと思ったのに、まだだった。
結局「お待たせ」と声がかかったのは、三十分くらい経ってから。
「ベスさんも?」
「お邪魔ですかしら?」
「いえそんな、聞いてみただけなんです。気を悪くさせたらごめんなさい」
「そのくらいで機嫌を壊したりしませんわ」
僕の主の後ろを、ベスさんが着いてくる。なるほど朝食を食べ終わるまで待っていたらしい。
アーシェさんは気にした素振りもなく、納屋から鍬を持ち出した。穴でもあれば、埋めなきゃと。
靄の消えた街道を、女性二人が歩く。楽しそうに、昔話に花を咲かせて。僕は鍬を受け取り、その後ろを黙々と歩いた。
「奴らの跡しか残ってないわね」
「他の馬車が通るとしても、これからでしょう。お姉さま」
荷車の故障した場所を、探す様子は無かった。来てみればはっきりと、固まった地面から外れる車輪の跡が見えたけど。
削れたのを戻せばいいのかな。鍬は大人用で大きいけど、土を集めるくらいなら出来る。びくびくしながら動かした。
「あらショタァ、やってくれるの? ありがとう」
「これくらいしか出来ないので」
「さすが使い魔、ですわね」
前に言った通り、アーシェさんはちょっとしたことにもお礼を言ってくれる。
ベスさんも褒めてくれたんだろう。間違っていないと分かって、ほっとする。
アーシェさんはなにをしているのか、僕にはどうとも見えない街道外の凹みや、近くに生えた茂みなんかを覗き込んだ。そのまま段々、ニーアへ戻る方向に離れて行く。
それに着いてベスさんも歩いていたけど、少し経つと戻ってきた。
「お邪魔をしてはいけませんもの。あ、この辺りも直したほうが良くてよ」
まずは街道の外へ投げ出された土を集めていた。だいたい終わったので、今度は踏み固めないといけない。
そう思っていた所へ、ベスさんが道の真ん中辺りを指す。車輪が最初になにかを引っ掛けた箇所らしく、小さいけど深い窪みが出来ている。
「はい、やります」
「頼みますわ。踏み固めるのは、私にお任せあれ」
「すみません、ありがとうございます」
立つ位置を交代して、抉れて放り出された土を窪みに寄せていく。ベスさんはなにやら楽しげに「ほらそこも」と、柔らかい土の在り処を教えてくれた。
「あれ?」
「ほらほら、なにをしていますの。お姉さまが戻る前に終わらせれば、格好いいですわ」
「えっ。あ、そうですね。でも……」
僕のような歳の男の子は、格好いいという言葉に弱い。クラスメイトはみんなそうだったし、僕も違うとは言えない。惑わされないよう、気を付けてはいたけど。
気分良くさせてくれるベスさんの気持ちはありがたい。しかし手を止めざるを得なかった。
窪みから五歩くらい離れた位置に、今度は浅い別の窪みを見つけた。いやアスファルト舗装ではないので、細かな凹凸は無限にある。
でもその窪みは、他と違った。明らかに足跡だ。僕の足の二倍近い、大きな物。
「足跡があるんですけど、アーシェさんが調べてることと関係あったらまずいですよね」
「なにか獣のでしょう? そんな物、そこらじゅうにありますわ」
「たしかにそうです、けど」
草地の合間なら、トカゲやウサギの足跡だって付く。しかしここは、カチカチの街道だ。薄っすらとならともかく、やけにくっきりとしている。
気付かなければ、いつか鍬で削っていただろう。アーシェさんも予想していたろうから、問題はないように思う。
「でも気になります。アーシェさぁん!」
いつの間にか、五十メートルくらい離れていた。叫んで呼べば、「なぁにぃ?」とのんびりした声が返る。彼女はその場できょろきょろと見回し、やがてこちらへ戻る。
「どうしたの?」
「これ、消していいのかなと思って」
「これ?」
足跡を示すと、アーシェさんは「んん?」と唸った。慎重に近付き、しゃがみ込む。
ゆっくり、そっと触れたり。鼻を近付けて臭いを嗅いだり。少なくとも調べる価値はあったようだ。
「ねえベス。もしもあんたなら、獣を操って荷車を押し出せる?」
「
右に、左に。大地の魔女が地面を見つめ、首を傾げ続ける。ベスさんの答えに一旦は「うん」と応じ、すぐに「ううん」と否定した。
「そういうのじゃなく、ずるっと。自然に滑った感じで。足跡も
「そんなことをさせれば、獣もただでは済みませんわ。ですから無理です。使い魔ならともかく、獣をそこまで服従させる魔法は知りません」
なにやら重大な発見をした。と思ったのに、アーシェさんは「そうよね」と立ち上がる。あっけらかんと笑いながら。
「手がかりなし。あたしの考え過ぎね」
「なんですの?」
二人の魔女はまた並んで、家へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます