第三章:気遣う関係

第27話:【正太】秘密の話

 お客さんが居るのに、僕はなにを。ゲオルグさんの仲間がまだ来ると知っていて、自分の部屋へ逃げ込んでしまった。

 理由は分かる。敵意が剥き出しのアーシェさんを、怖いと思った。原因があるんだろうと思うものの、冷たい言葉や態度が僕にも向いたように感じてしまう。


 窓際で月を眺めていると、彼女が出て来た。畑の傍で、なにかやっている。

 魔法の言葉。答える石と、降り注ぐ魔力の光。その中心にある魔女は、とても綺麗だ。

 力強いけど、決して押し付ける雰囲気が無い。石たちにも意思があって、喜んで従っているように見える。いつも「ほうっ」と、息を止めて見惚れる。

 でも今は「はあっ」と淀んだため息しか出ない。


 ぶるぶると頭を振り、窓から離れる。ベッドに潜り込み、シーツを被った。

 月の光が、秘密基地の中を暴き出す。しかし真っ暗になれば、イメージしてしまうかもしれない。苛立った、アーシェさんの顔を。思い出したくない人たちの顔を。

 だから明るくて良かったのかも。僕はシーツを出て、窓越しに空を見上げる。ベッドからなら、余計な物はなにも見えなかった。


「眠れないな」


 どれくらい経ったろう。高窓にちょうど月が挟まった。どこかへ行っていたアーシェさんも、少し前に戻ってきたと思う。

 細い雲が長く棚引く。高窓からはみ出した行方を追って、腰高の窓へ視線を戻す。と、そこに誰かの顔があった。


「わっ!」


 この世界のガラスは透明だけど、ぼやけて見える。そのうえ陰になって分かりにくい。

 けど、よく見ればベスさんだ。唇に指を当て、静かにと。それからガラスを叩き、開けてと言っている。


「まだ起きていらしたのね」

「え、ええ。どうしてこんな所から?」


 僕の部屋は二階の裏側にあり、食堂を通ってしか入れない。例外は、隣にあるアーシェさんの部屋だけ。

 それをベスさんは、箒で窓から侵入した。アーシェさんとかなり親しいようだし、入れない選択肢は無かったけど。


「お姉さまの態度に、驚いていたようだから。説明くらいしておこうかなと、お節介ですわ」

「は、はあ」


 取り繕ったつもりだったのに、ばれていた。アーシェさんの苛つきがなにか、教えてくれるらしい。

 でも当人の居ないところで、聞いていいものか。悩む気持ちが、首を縦と横と曖昧に振らせた。


「二百年くらい前。大きな戦争があったのはご存知でしょ?」

「あったってことだけは」


 さっさっと、ベスさんは部屋の真ん中に進む。くるり、スカートが朝顔みたいに広がった。

 壁際の机から椅子を引き寄せ、勢い良く腰掛けた。すすっと脚を組み替えるのが、ちょっと格好良くもある。


「ここからずっと北。大陸でも、一番寒い辺り。そこには、と言いますか。その頃には、魔女がたくさん居ましたの。大陸じゅうに」

「今は隠さないといけないんですよね」


 この世界へ来て最初のころ。魔女なのは秘密、と釘を刺された。質問しても「理由は色々よ」としか答えてもらえない。

 ベスさんは困ったものだと言うように、眉を上げた。「そうですの」と、両手を広げもする。


「あっ、すみません」

「あなたが謝ることでないですわ。それでその前から、お姉さまは有名でしたの。北に住む魔女と言えば、ほか大勢の誰でもなくお姉さまのこと」


 二百年前と言うと、アーシェさんは六百歳くらい。周りの魔女は、いくつだったんだろう。

 よく知っているみたいだけど、ベスさんも。魔女は人間の感覚では、年齢の見当がつかない。


「魔女の仕事はご存知?」

「なんとなくは。人間の嫌がる物を片付けていたって」

「そう。魔女が居なければ街は汚泥塗れ、死体は放ったらかし、ちょっとした揉め事もすぐ戦にするのが人間というもの」


 最近は人間なりに魔女の真似をして、うまくやっている部分もある。と、ベスさんは鼻を上向かせた。人間を褒めるのと同時に、やはり魔女のおかげと誇っているようだ。


「まあ、それはいいんですの。問題は二百年前。北は小さな国が五十も並ぶ土地。幾つかほどほどの国を隔てて、南は強力に支配された大国。その皇帝が、北への侵略を始めたんですわ」

「戦争に、アーシェさんも?」


 戦争が問題と言うからには、駆り出されたはず。そう思ったのだけど、ベスさんは顎に指を当てて悩む。


「うぅん。最後には、ですわね。小国同士の纏めた軍隊に誘われたのですけど、断ったんです。魔女がみんな出払っては、日常暮らす人が困るからと」

「アーシェさんらしい、気がします」

「当然ですわ。お姉さまは誰より誇り高い、至高の魔女ですもの」


 自分がそう。と言うように、ベスさんは胸を張った。本当に、心からアーシェさんを慕っているのが伝わる。

 僕みたいに、たまたま出会ったんじゃなく。強い絆があるに違いない。


「小国の結束は固く、魔女の数も幾分か多かったようで、帝国は攻めあぐねたそうですわ。でもじりじりと、追い詰められた。小国の中では大きな、中心的な国。その領地の間際までも」


 日本とは違う、異世界の夜。機械の音はどこまでもしなくて、自然の葉や沢のざわめきだけが耳に届く。そんな中で、月明かりだけを頼りに。ベスさんの話は、とても心を惹かれた。

 映画を見て悲痛に心動くのは、こんな気持ちなのかな。僕はもう、相槌を打つしか出来ない。


「お姉さまが住むのも、その国。それでも戦いは他の魔女に任せて、戦わない住人たちの為に動いたんですわ。地母神に準えて、大地の魔女と呼ばれたころ」


 アーシェさんを語るときには、うっとりと笑む。戦争を説明するには、眉が顰められる。


「ある日、町から近い銅山が崩れましたの。お姉さまは、もちろん駆けつけました。でもそれが」


 きゅっと奥歯が鳴る。アーシェさんも、最後には戦争に関わった。それがきっと、この先にある。

 

「それが?」

「嘘だったんですの」

「嘘って、崩れていなかったんですか。なぜそんなことを」


 両目を閉じていかにも厭そうに、ベスさんは息を吐いた。続けさすのが申しわけなくあるけど、僕が収まらない。


「坑夫たちは、至って普通に仕事をしておりましたわ。お姉さまは、どこが崩れたか問いながら奥へ奥へ。でも誰も、地響きや音さえ聞いていなかった」

「まさか……」


「そのまさかですわ。坑道に水が引き入れられ、坑夫たちは溺れ死んだ。それこそ落盤が起きて、お姉さまも閉じ込められましたの」


 敵がスパイみたいなものを送り込んだ。推測はすぐにつくものの、酷いことをすると言葉にならない。ベスさんが言い淀むのも無理はない。

 しかし、まだ続きがあった。


「地下深くから外へ出るには四、五日かかったそうですわ。戻ったお姉さまが目にしたのは、焼き尽くされた街。それからすぐに帝国軍の後を追い、次の国を攻める背中へ襲い掛かった」

「怒り――ますよね。それは、うん。僕には想像もつかない感情ですけど」


 なぜか。瞑ったままだった目を見開き、ベスさんは首を横に振る。

 間違えた? 振り返っても、違う結論を出すことが出来ない。


「お姉さまが最初に魔法を打ち付けたのは、焼かれた町の兵士ですわ」

「え?」


 突然、別の世界の言葉に変わったかと思った。だって、意味が分からない。アーシェさんの住んだ町は滅びて。彼女が追ったのは、滅ぼした敵と聞いたはず。


「分かりませんの? お姉さまが誅したのは、坑道に水を入れた兵士たちですわ。敵に寝返り、最大の脅威を消そうとした。お姉さまもそうと気付いた時は、我が目を疑ったでしょうけれどね」

「それで兵士を目の敵に……。あ、でも。戦いに参加してなかったのに、どうして」


 そう思われるだけの名声は、既にあったんだろう。しかしどんな名刀でも、鞘から抜かなきゃ切れはしない。

 単純と思って聞いたのだけど、ベスさんは耳の後ろを掻いて鼻から息を吐く。


「いくらお姉さまだって、自分の住む場所を守る為なら戦うに決まっていますわ。坑夫を道連れにされ、街が焼かれていなければ、そこまでお怒りにもならなかったでしょうけど」

「そんなにですか」


 先を聞くのが怖い。でも聞かなければ、ありとあらゆる妄想をしそうで怖い。そうなれば偏見でアーシェさんを見て、根拠の無いことに自分が疲れてしまう。


「お姉さまは、帝国の軍隊を全滅させましたの。協力していた魔女もろとも。そして、それだけでなく。小国の側の兵士たちも」


 なんと言えばいいか。それ以前に、声が出そうもない。唾を飲み込むだけが精いっぱいだ。「ご理解いただいたようですわね」とベスさんの問いにも、ぎこちなく首を下ろす。


「その後お姉さまは、姿を隠されましたわ。周辺の国は荒廃しましたが、また数年のうちに大きな国が興っていった。やがて魔女狩りが始まり、お姉さまのお怒りは増すばかり」


 ですわ。と言い終えるのと、話し疲れたらしい息が重なる。

 理由を理解するのに、十分だった。ただ、他の小国の兵士たちや魔女までも。それに今生きている兵士には関係がない。

 そう思うと、ぶると震えた。首すじから踵までを、氷の馬が駆け抜ける。


「ふふっ。知らないものは仕方がないですけど。これからは覚悟したほうが良いかもしれませんわね。お姉さまは、優しいだけの魔女ではありませんもの」


 僕の怯えを察したらしく、ベスさんは近寄って肩を叩いてくれた。励ますように、二回。


「では、おやすみなさいませ」


 そのまま箒に跨り、窓から出て行く。僕はしばらく立ち上がれず、冷たい風に吹かれ続けた。

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