第16話:【アーシェ】幸せの少女─2

「私、ご主人さまの傍へ居る為に買われたの」


 とりあえず、もう少し事情を聞かせてと頼んだ。すると出てきた平坦な声に、ショタァは眉根を寄せる。


「アーシェさん。この国には奴隷があるんですか?」

「ん? あるよ。ドレスを着た奴隷っていうのは、聞いたこと無いけど」


 ヘルミーナが本当に捨てられたか、知る方法はある。でも彼女に知られず、とはいかない。

 なにを調べたのか。結果はどうだったのか。答え方次第でこの子がどうなるものか、良くない未来ばかりが思い浮かぶ。


「私、ご主人さま大好き。ご主人さまも言ってた、ずっと一緒って」

「じゃ、じゃあ。捨てられたなんて」


 咄嗟に否定を口にしたショタァは、しまったという顔であたしを見上げる。

 邪魔なんかじゃない。「大丈夫」と頭を撫でたものの、捨てられていないとも言えなかった。


「どうして捨てられたと思うの?」

「私、楽しかった。毎日、毎日、ご主人さまとお喋りした。髪を梳いてくれて、着替えさせてくれて、一緒に眠るの」


 たくさんの想い出があるらしい。いつもハンナに一番近い所が、彼女の居場所だった。馬車にも乗って、どんな遠くへだって連れて行かれたと。

 ずっと表情を動かさないヘルミーナがこのときだけ、ツンと鼻を上向かせた。


「でも最後。馬車で知らない所、行った。知らない人、居たの。私、その人の物って。ご主人さま、私だけ置いて居なくなったの」


 捨てられたというか、譲られたようだ。信頼する主人に、不要と示された事実は同じだけど。


「じゃあ新しい持ち主が居るのね。その人の所から逃げてきたの?」


 もしかするとハンナの側に、彼女を持っていられない事情が出来たのかも。ただ捨てるよりは、大切にしてくれる誰かへ譲る選択をしたのかも。

 というストーリーを期待してみたけれど、あまりに楽観が過ぎる。なによりすぐさま、ヘルミーナが首を横に振った。


「その人も、私要らなかった。銀貨と交換」

「売られたのね、乱暴なことされなかっただけ良かったわ。そういえば、ハンナと別れたのはいつごろ?」


 木のトレイが床へ落ちる。抱えていたショタァが、慌てて拾い上げた。

 言いにくいことをはっきりと言う、とでも感じたんだろう。あたしにもデリカシーくらいはあると信じたいけど、そればかりでは相談が解決しない。


「分からない」

「分からないって。ああ、時間の感覚が曖昧なのかな。だいたいでいいから、夜が何回来たかとか覚えてない?」

「十回が三回くらい」


 するとハンナと別れたのが、およそ三十日前。この子の足で、どれだけ歩いたんだろう。ニーアからなら、十日以上。王都ならその二倍。

 どうであれヘルミーナを譲られた相手は、さほどの時間も待たずに売り払ったことになる。


「あの、アーシェさん」

「なあに?」

「ヘルミーナさんに、なにか食べる物をあげてもいいですか」


 それほど土地勘の無いショタァも、歩くにはとんでもない距離と気付いたらしい。銀貨で売られるような子が、まともな食事を出来るはずが無いとも。


「いいよ。でもヘルミーナ、ご飯って食べられる? パンとか肉とか」

「私、パン食べない。お肉も要らない」

「遠慮しないで。お腹が空いてるはずですよ」


 たぶん遠慮ではないけど、ショタァは食い下がった。お皿からなにか掻き込む動作をしたり、手に持った物を齧る真似をしたり。「なんでも用意しますよ」と、笑みを作る。


 これが同情とか共感とか、彼自身の気持ちに根付くものか。それとも親に焼き印された気遣いによるものか、区別はつかない。それこそ魔法を使っても。


「大丈夫。お茶って、初めて飲んだの。私、きっとおいしい」


 ヘルミーナの顔に感情が浮かぶことは無い。しかし頷いて、ちょっと首を傾げた彼女は笑っていたと思う。


「そ、そうですか。それは良かったです。でもお腹が空いたら、言ってくださいね」

「ありがとう。私、嬉しい」


 同年代と言っていいのか悩むけれど、女の子とまともに話すのは初めてに違いない。トレイで隠した顔を、間近で見たい衝動を押さえきれるか不安だ。


 ――あ、そうか。

 不意に思い付いた。あたしが問えば、どんな質問も解決の方角へ向かわざるを得ない。でもショタァとの世間話なら、全くのムダ話に終わったとしてそれはそれだ。


 残酷な事実が判明したとして、ヘルミーナの気持ちが耐えられるのか。その見極めには、もう少し彼女の観察が必要だった。


「ねえヘルミーナ。あんたの頼みを叶える方法があるか、考える時間が欲しいの。その間、うちのショタァと待っててくれる?」

「分かった。私、待ってる。だから教えて、ご主人さまの所へ戻っていいのか」

「うん、考えてみる」


 素直なもんだ。こういう子たちばかりなら、あたしも町へ住んでいいんだろうに。

 腰の小袋から手探りで、タイガーアイを取り出す。金と黒が朧に縞模様を描く、球体に磨いた石を。


「あの。僕、どうすれば」

「聞いた通りよ、ヘルミーナの話し相手になってあげて。ご主人さまがどんな人かとか、聞いてあげればいいんじゃない?」

「それは――」


 捨てられたという相手のことを聞くなんて、なかなかに高難度だ。でも他に思い付く手段も無く、声を細らせるショタァに任せようと決めた。


「ショタァ、お願いね」


 一瞬、タイガーアイを示して彼の手に握らせる。するとショタァは感触をたしかめるように手を動かし、ぎゅっと眉を引き締めた。


「分かりました、ハンナさんのことですね」


 凛々しい声を背に聞きつつ、「後でね」と手を振る。二階の食堂へ上がり、なにも置かれていないテーブルに急ぐ。我ながら過保護だなと自嘲するのも、魔力を紡ぎながら。


「大地の隙間。真実の奥を見通す者。その眼に映した物を、響いた音を、あたしに見せなさい」


 対で磨いたタイガーアイを、テーブルに転がす。と、一階の様子が宙へ浮かぶ。手を翳し、ヘルミーナがよく見えるように像を動かした。もちろん彼女は椅子に着いたままで、ショタァは対面に座っていた。


「ええと、ハンナさんでしたっけ。女の人ですよね、何歳なんですか?」


 おっと。初手から女の年齢を聞くとは、意気込み過ぎな気もする。でもヘルミーナなら、失敬なとお茶をぶち撒けることもないか。


「ご主人さま、十二歳って言ってた」

「あ、若いんですね。ご主人さまなんて言うから、もっと上かと思ってました。ちなみにヘルミーナさんは?」

「私、分からない」


 まあ知らないだろう。ハンナの歳を知っていたのも、どちらかと言うと意外だった。

 それくらいにあたしは感じるのだけど、ショタァは苦しげに奥歯を噛む。


「あっ、変なことを聞いてすみません。一瞬に居るって、どれくらいかと思って」

「変じゃない。ご主人さま、三歳のとき。パーティーで、初めて会ったの」

「九年前ですか。じゃあ二人とも、とても小さかったんですね。そんなのを覚えてるなんて凄いです」


 うんうん、上手く話せてる。「ありがとう」と答えるヘルミーナが見た目通りの人間なら、友だちになれるはず。

 しかし彼女に残された時間は、たぶんさほどの余裕が無い。その前に主人の下へ帰るのか、別の結末を考えるのか、決めさせてあげたい。


「そうまでして会いたいって。ハンナさんのこと、本当に好きなんですね」


 泥に塗れ、その下はおそらく傷だらけの足。擦り切れてしまったスカートの裾。そんな様子を眺めて、ショタァは声を絞り出した。

 それこそあたしの問いたいことで、思わず身を乗り出してしまう。

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