第5話:【アーシェ】使い魔の召喚─2

「ごめんね、急にわけの分からないこと言って。呼び出した相手が言葉の通じる相手だったら、きちんと説明することになってるの」


 あたしが喋ると、さっとショタァの視線がこちらを向く。まるであたしの唇と、糸で繋がってでもいるみたいに。

 そして彼は、事も無げに言った。彼の人生に関わるひと言を。


「分かりました、使い魔になります」

「だよね、そんないきなり――え?」


 たぶん笑顔なんだろう。まるきり真剣な真顔でなく、さっきまでの不安もほとんど見えない。意識的に上げた口角が、表情を感じさせない素直な眼と相反する。

 意思に反していたあたしの涎も、すすっと引っ込んだ。


「いやいや、待って。そんな簡単でいいの? 使い魔だよ、ずっとあたしと一緒に居て、命令に逆らえないんだよ。あたしが言うのもなんだけど、奴隷みたいなもんだよ」

「はい。アーシェさんと一緒に、ここへ住めってことですよね?」


 あたしの家に視線を走らせ、ショタァは頷いた。事情を理解する力に問題は無さそうだ。

 でもこの年ごろなら、親が恋しいものじゃないのか。住み慣れた場所、馴染んだ友人なんかがなによりの宝物と、心から思える時期じゃないのか。

 自分がどうだったか思い出すには、さすがに遠すぎた。なにかイメージ出来ても、きっとあたしの創作になってしまう。


「ええっとね。本当にあんたには悪いんだけど、あたしが呼びたかったのはフクロウとか戦馬とかなの。それを置いても、あたしみたいのがあんたを囲ってたら、妙な勘違いをされかねない。あんまり目立ちたくないのよ」


 ショタァの可愛さは、たしかに稀有だ。もともと小さな子どもが好きだけど、中でも群を抜いて。

 でもあたしは自分が特別な存在になることの、恐ろしさを知っている。その恐怖を踏み越えてまでとは思えない。


「ええっ、そうだったんですね。そっか、使い魔って普通そうですよね。僕が知ってるのはお話だから、本物は違うのかと思ったんだけど」


 とても早口で、弁解が紡ぎだされる。彼は本物の魔女を知らないようだ。でもそれは、なにも悪くない。あたしの知ってる人間も、あたしを魔女だとは知らない。

 なのにショタァは、頭を下げた。彼の世界ではきっと、謝罪を示す動作なんだろう。歯を食いしばり、頬をかちこちにして、泣きそうな目をぎゅっと絞る。


「ごめんなさい! 僕、勘違いして。僕なんかが残ったら迷惑なんですね。だったらいいです、帰ります。すぐに帰してください、お手数かけてすみませんけど」

「すまなくないよ!」


 せっかく一人で立っていたのに。こちらの都合通り、帰ると言ってくれたのに。

 あたしはまた、小さくて細い身体を抱き締めた。彼の足が追いつかないほど、勢い良く引き寄せて。


「あ、アーシェさん?」


 戸惑う声の割りに、逃れようと暴れたりしない。かと言って身を任せるでもなく、ショタァの全身は強張った。


「あんた、帰りたくないの?」


 耳元で囁くと、彼はいっそう固くなる。返事はおろか、息さえも止めた。反応を示さないよう、自身を縛り付けているみたいだ。


「どうしてここに居たいと思うの?」

「…………アーシェさんが優しそうだから」


 まさか。

 抱き締めたまま、彼の背中を捲った。けど、想像したような傷は無い。この子は奴隷の身分なのかと思ったのに。

 町に住む子どもたちより、よほど清潔でもある。ショタァの髪や首すじからは、なんだかやたらいい匂いがした。


「分かった、でももう一つだけ聞かせて。答えてくれたら、二度と聞かないから。あんたが居なくなって悲しむ人、向こうには居ないの?」


 声を出さないよう、彼は息を止める。もちろん苦しくなって、こっそりと吸う。それを五度ほど繰り返すまで待った。

 しかし遂に、ショタァは答えない。その態度こそが、なによりの返事なのだけれど。


「いいよ、契約しよう。あんた、あたしの使い魔になりなさい」

「なります」


 狭まった喉を通った声が、どうにか耳に届く程度発せられた。あたしはもう一度、腕にぎゅうぅと力を篭める。





「それ、宝石ですか?」

「そうね。お金で買おうとすれば、たぶんまあまあするんじゃないかな」


 契約の指輪に刻む言葉をなんにしよう。食堂のテーブルで、彫刻に使うペンを咥えて考えた。ショタァが聞いたのは、ペンの材質だ。


「すごく青が深くて、綺麗です。アーシェさんみたい」

「そう? ありがと。あたしもサファイアは好きだよ。魔女としても、違えぬ約束を示す石だしね」


 手に持たせてあげると「へえぇ」なんて、光に透かしてみたりしている。

 チキショウ、舐め回したい。


「あ、そうだ。アーシェさん、そこの鍋にお湯が沸いてるみたいですね。使って良かったら、お茶を淹れてもいいですか?」

「えっ、そんなことしてくれるの? いいよいいよ、願ってもないよ」


 きっちり「ありがとうございました」とペンを返し、ショタァは厨房に入った。

 戸棚を開けてもいいか、引き出しのスプーンを使っていいか、いちいち確認が飛ぶ。どういう教育をしたら、あんな行き届いた子が育つんだろう。

 いい意味と悪い意味で。


「ほんと、あんな子をもったいない」


 ぼそっと独り言を溢し、ひらめいた。青く透き通ったペンを握り、純銀の指輪にかけた護りを解く。

 ゆっくりと契約の言葉を彫り終えたところで、ショタァが戻ってきた。


「お待たせしました」

「わあ、あたしがやるより上手いんじゃない?」

「図書館のパソコンで、動画を見たんです」

「なにそれ?」


 自分で調合した薬茶なのに、用意した舌とは別の味がする。見ていたけど、彼が特別になにか加えたわけじゃない。

 せっかく沸かしたお湯をちょっと冷ましたり、注いですぐにぐるぐる掻き混ぜたりしなかった。


「じゃあこれ、指に嵌めて」

「どの指にですか?」

「どれでもいいよ、好きなので」

「うぅん」


 散々悩んで、彼は左手の薬指を通した。なにやらほっぺの赤みが増していたけど、なぜだか分からない。

 ショタァの華奢な指に少し大きかったので、収縮の魔法を。さらに再び、護りもかけておく。


「これで僕は使い魔になったんですか?」

「ええと。いや、まだかな」


 まだ。とは、あたしが迷っているせいだ。使い魔になれば、「死ね」とあたしが言えば疑いなく死んでしまう。

 そんな存在に、この子をしていいのかと。


 じゃあ今までの使い魔たちを、虐げてきたのか。そう問われたとしたら、違うと言い切れる。

 当人たちがどう思っていたか、本心は分からないけど。あたしは彼らを愛していた。


「あのね、指輪に血を塗りつけないといけないの。これでチクッとやってくれる?」

「ま、魔女っぽいですね」


 針を受け取ったショタァは、初めて嫌そうな顔を浮かべた。それは誰だって、痛いのは嫌いなはず。

 でも、彼はすぐに針先を反対の手に向けた。「行きますよ」と自分を奮い立たせ、ふんと息を吐いて突き刺す。

 まあ本当に、ぷくっと血が浮き出る程度だけど。


「あっ、光りました!」

「黄金色だね、珍しいよ」


 ショタァの血が、使い魔の契約に応じて指輪を光らせる。ほんの一瞬、目の眩むくらい。

 これがフクロウなら、たぶん黄色とか緑のはず。悪魔なら真っ黒だ。


「さあ。これであんたは、あたしの使い魔になったよ。これからよろしくね」

「これで? なにも変わった気がしませんけど、そうなんですね」


 喜ぶ顔が、年相応の無邪気なものだった。もちろん比較の意味では、ずば抜けて可愛いけれども。

 彼がどうしてここへ居たがるのか、いつか問える日も来るだろう。そのときまで、あたしが守りたいと思った。

 だから指輪に彫った言葉は、あたしの宝物。


「僕、ここに居てもいいんですね」

「うっ」


 無防備な歓喜の笑み。ぎゃあ可愛い、などと叫びそうになったのを咄嗟に堪える。


「う?」

「な、なんでもないよ。好きなだけ居ていいんだよ」


 それまであたしの理性が持つのか、別の苦労もありそうだ。

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