第33話:【アーシェ】行き違う心─2
翌朝。朝食を食べてすぐ、リリーとその息子は家路に就いた。死人の兵士たちの襲撃も、あたしが薙ぎ倒したことにも気付いた様子はなく。
もちろん死体は、夜のうちに丘の向こうへ放り投げておいたけど。物音は届かなかったんだろうか。馬車を出すのに裏へ回った息子が、「畑が踏み荒らされてるな」と同情したくらいだった。
「お姉さま。もう一日、私も居りましょうか?」
「仕事があるでしょ」
「そのくらい、表の張り紙を直せばいいだけです」
「うん、大丈夫。その気持ちだけで十分」
続いてベスも、ニーアへ戻っていった。大した襲撃でなかったと理解したうえで、心配をしてくれた。いつも息抜きにさえ、確たる基準を設けて臨む彼女に珍しい。
それだけ正体不明な相手と伝わっているんだろう。あたしにも相手がなにを考えているのかさっぱりだ。今のところ嫌がらせ以外に、しっくりと来る目的が思い付かない。
「アーシェさん。レオナルトさんは問題ないんですか?」
昨夜、ショタァは怯えていた。たった九歳の男の子だもの、仕方ないと思う。あたしには鬱陶しいだけでも、彼には悪魔の軍勢に見えたかもしれない。
ただ、我を忘れた自分のミスはさておき。これからも一緒に過ごすなら、慣れておく必要もある。でも段階を踏むべきだった。だから頭を撫でるなり、抱きしめるなりしたいのだけど。
あれからショタァは、触れさせてくれない。
「うん。平気、とは言えないけど。存在が揺らいでるのを戻せばね」
「アーシェさんがそう言うなら、安心しました」
今朝。目覚めて食堂へ行くと、もう彼は朝食の準備を始めていた。あたしより早く起きるのはいつもだけど、火を扱うのは必ずひと声かけてからだったのに。
今もそう。存在が揺らいでいるなんて、人間には分からない感覚のはず。これまでも、しつこく説明を求めたりはしなかった。しかし分からないことは分からないと、表情や態度、言葉ではっきり示してくれた。
この夜が、ショタァのなにかを変えてしまった。
「大地の本能、見つめる者よ。偽りを暴く黒い縞石。意思ある魂を、あるべき姿に。虚ろを取り除いて、想いの形を取り戻しなさい」
小袋からブラックオニキスを取り出し、椅子の台座へ置いた。そこは昨夜、レオナルトの座っていた場所。今は歪んで燻る、白い炎の燃える場所。あたしにも、あのお人好しな老人の姿は見えなくなっていた。
「……お、おお。とうとうお迎えかと思うたが、儂もしぶといものよ」
「悪かったわね。この家にちょっかいをかけてくる奴が居てね、巻き添えを食わせたわ」
「なんのなんの。もう少しだけ妻を見守っていたいと、この時間はどなたかの温情によるもの。いつ終わったとて、それが運命と思うておるよ」
椅子に座った格好で、レオナルトの姿は戻った。居眠りでもしていたように、ぼんやりと目をしばたたかせる。ついでに伸びをして、あくびまで。
この男がこの世に留まっているのは、誰かの温情ではないとあたしには言える。神とか悪魔とか、魂をどうこう出来る者の影響が見えないから。
それならどうして。となると、そこは想像になる。でもきっと、物忘れを激しくさせたリリーが心配なのだろう。温情と言うなら、レオナルト自身の温情だ。
「家族の居る前で起こすわけにもいかなくてね。先に帰してしまったけど、送りましょうか?」
「いやいや、こう見えて年季が入っとる。のんびり歩けば、すぐに追いつくて」
「そう。気をつけて」
いわゆる幽霊の老人に、距離は大した問題でない。空腹などは無いのだから、言うままのんびり行っても追いつける。それにたぶん、レオナルトはもっと早く動けるはずだ。
危険がないとは言えないけど、そこまでいちいち面倒もみられない。言葉通りの意味で無事を願い、手を振った。
「ああ、ありがとう。しかし一つ、この子に用がある」
「ショタァに?」
老人を気にしていた割りに、ショタァは自分からなにを言おうともしなかった。あたしの後ろに控えて、あたしと同じに手を振っていた。
それをレオナルトが、くしゃっと微笑みかける。ようやく彼も「僕ですか?」と、声を上げて自分を指さした。
「儂の勘違いかと思うたが。そうか、やはり君の名前はショタァだったな」
「え、ええ。そう呼ばれています」
あたしの前に、一歩。踏み出た少年と、膝を折って目線を合わせる老人。
ショタァは一本の棒みたいに、緊張で硬く直立する。レオナルトはそれをほぐすように、肩から脚までを何度も撫でおろす。
「魔女と暮らすのは楽しいかい?」
唐突になにを聞くのか。驚いて、どこを見ればいいか迷う。ほんの一瞬、老人を見下ろした。でもすぐに、食堂の入り口へ目を向ける。ヨルンはどうしているか、みたいな演技をする自分がバカバカしい。
「楽しいです」
「昨夜のようなことがあっても?」
死人の兵士たちは、どこかから操られていた。靄のように見えたのが、相手の魔力だ。だから死人に近いヨルンと、レオナルトは影響を受けてしまった。前者は頭痛という形で、後者は存在を吹き飛ばされかけた。
その意味では、かなり強力な仕掛けと言える。さすが幽霊としての年季を誇る老人は、自分に起こったことをなんとなく理解しているようだ。
「それは怖かったです。でもほかに居られる所はありません」
「なるほどそれは――いや、やめておこう」
重ねてなにを聞こうとしたのか。あたしとしては、とても聞きたいことがある。
ほかに居られる所があるとしたら、ショタァはどうしたいのかと。至近での聞こえないふりにも限界がある。
「前に言ったと思うが、儂は魔女が好きだ。叶うなら、君と同じように魔女の手伝いをして生きたかった。彼女らほど頭が良く、強く、優しい者は類が無いでな」
「どうして」
魔女を褒められるのは、くすぐったい。実際に身体をくすぐられるのと同じで、笑えてしまうだけでなく、心地悪さも感じる。
あたしの使い魔は、間髪入れずに声を発した。でも次の言葉が出てこない。あたしに遠慮をしているのか、聞かせたくないのか。どちらにしても、邪魔者はあたしだ。
分かってる。ショタァの怯えは、あたしに向いたものと。今朝から気持ちが悪いくらいに物分かりがいいのは、彼が両親から得たスキルを存分に発揮している。
「ええと、あたし」
「どうして、そうしなかったんですか。魔女と一緒に居られない理由が出来たんですか。レオナルトさんは、魔女と友だちだったんでしょ?」
向こうに行ってる、と言おうとした。けど、同時にショタァも声を発した。たぶん、あたしの声は聞こえなかったんだろう。聞こえていれば、彼は必ず遠慮する。撫でられるまま、だらんと下がるだけだった両腕に力の籠ったのが証左と思う。
「そいつを答えるのは、ちょいと照れ臭い。だがまあ、君になら答えよう。リリーに出逢ったからだ。これも前に言ったと思うが、本当に好きな相手ってのは代えがたい。魔女とか人間とかいう違いなんか、問題にもならん」
「分かりました。答えてくれてありがとうございます」
おそらく彼の居た世界の、感謝を示す動作。直立から深く頭を下げる。レオナルトは初めて見たはずだけど、「これはこれは」と真似て頭を下げた。
「さて、ここからが本題だ。なぜこんな話をしたかと言えば、君のことが気になった」
「どうしてですか?」
「昨夜ここは、誰かに狙われたのだろう? 儂のようなのまで、操ろうと手が伸びたよ。いや、目には見えなんだがな」
やっぱりと納得するのと共に、疑問を覚える。そこまで明確に影響を感じ取って、なおショタァが気になるとはどういうことか。
それはまるで……。
「儂はその力に負けて消えかけたが、そのときの言葉がな。憎い、と聞こえた」
「憎い――?」
「そうだ。憎い、ショタァとな」
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