第11話:【正太】傾いた愛情─1
エルゼさんと話した後。アーシェさんは、おいしい野菜スープを出す店に連れて行ってくれた。たっぷりの具を味わいつつ、依頼が終わったならすぐに帰るのか聞いてみる。彼女は、あと一日か二日くらい居よう、と答えた。
「来ようと思えば、すぐに来れるけどね。たびたび何度も来たいとは思わないから」
「人が多いのは嫌いですか?」
東京都心の人出とは比べものにならないけど、ニーアの町には朝から大勢の人が出歩いた。
大広場を中心にして、四方八方へ散らかった通り。大きな通りには、そこかしこへ露店が見えた。小さな通りでは洗濯物を干したり、野菜を洗う水場があったり。目の前の道を一日誰も通らない、アーシェさんの家とは違う。
「嫌いじゃないけど、苦手かな」
「ええっと、どう違うんでしょう」
「うぅん、そうねえ」
店の中から表の通りを振り返って、アーシェさんは皮肉っぽく笑う。
「前には見つけられなかった、なにかを見つけられると楽しいよ」
「だから間を空けるってことですか。それなら――いえ、なんでも」
「もう、最後まで言ってよ。正直に聞いてくれたほうが、あたしは嬉しいんだから」
来る楽しみがあるなら、それは好きってことじゃないのか。僕ならたとえば、ゴーヤの出るときの給食は嫌だ。それはプリンがあっても、きなこパンがあっても帳消しにならない。
なんて考えたのを見透かしたように、彼女は「そうよ」と微笑んだ。
「嫌いなわけじゃない。でもね、いつまでも探し物が見つからないと、億劫になっちゃうの」
「捜し物、ですか。それって、僕でもお手伝い出来ますか?」
アーシェさんが困っているなら、どうにかしてあげたい。使い魔だからとか、結婚してほしいとかは関係なく。
きっと僕は、彼女が好きだから。いや結婚してもらえるなら、もちろんしたいけど。
「さあ、どうだろ。あたしにも分からないの。なにを探してるのか探してる、ってとこ」
「難しいんですね」
「うん、難しいの」
わざとらしくおどけた声で「へへっ」と。笑い飛ばしたアーシェさんは、残りのスープを一気に飲み干した。
店を出るみたいなので、僕も慌てて掻き込む。皿の底に溜まった具が濃い緑色で、嫌な予感がしたけど間に合わない。やはりそれはゴーヤに良く似た味で、とても苦かった。
「買い物ですか?」
「うん、そう。自分で探すより、買ったほうが安くて簡単な物はね」
スープの店を出て、夕方まで。街じゅうを歩き回った。この辺りでは採れないという香辛料や、なめした革。それに鉱石のお店へ、長く居たと思う。
「うへへへ」
「アーシェさん、涎が垂れてます」
「ち、違うわ。
「スープの鍋にでも浸かったんですか」
最後に立ち寄った店には、布地ばかりがたくさんあった。棚に並べられるでもなく、文字通り山積みに。
「ショタァは何色が好き?」
「え、僕のですか」
「そう。フード付きのコートを作ってあげようと思って」
言われて察した。こちらの世界で傘は見たことがなく、アーシェさんもローブのフードを使うだけだ。おかげで昨日、僕に付き合って彼女もずぶ濡れになった。
それを言うのに、どうして嬉しそうなのかは分からないけど。
「色ですか。色、色?」
「そんなに迷う?」
「すみません。自分が使う物の色なんて、気にしたことがなくて」
というのは事実で、それがおかしなこととも思っていない。うちの子に相応しいのはこれ、とお母さんが買ってくれた物を着るだけだったから。
「そっか。じゃあ、どうしようかな」
なんでもないように答えたアーシェさんの眉間に、一瞬の皺が寄る。いやたぶん実際には寄っていないけど、僕の目にはそう見えた。
「あ、あの。その、僕、アーシェさんと同じがいいです!」
「あたしと?」
「アーシェさんの着てる青色が好きです。それにコートじゃなくて、僕もローブがいいです」
焦って答えた思いつきだけれど、いいアイデアだ。アーシェさんはローブの上にレース編みを重ねているので、まるきりお揃いともならない。
「同じか。いいね、そうしよ。おじさん、生の生地をちょうだい!」
てっきり青い布を買うと思ったのに、店の人が出してきたのはベージュっぽい色だった。
「これ、間違いじゃないんですか?」
「いいの、任せて」
尋ねても、詳しくは教えてもらえない。出来上がってのお楽しみらしい。
それから大広場を経由して、宿へ戻る道を歩いた。遠目に見たエトヴィンさんが、エルゼさんとどうなったかは、当然に分からない。
「あれ。そう言えば、ベスさんが来ませんでしたね。昨日、後で来ると言ってましたよね」
「そうね。でも急な仕事が入りでもしたんでしょ」
ベスさんと出会った辺りで思い出した。でもアーシェさんは、気にした様子でない。
「そういうお仕事なんですか」
「うん、そんなのばかりじゃないかな。ベスの家に行ってみる?」
「お邪魔になりませんか」
「平気だと思うよ。手伝わされるかもしれないけど」
宿を通り過ぎ、だいぶん歩いた。方角で言うと、南らしい。川から引いているという用水が、僕なんかはすっぽり嵌りそうな深さで沿う。
やがて向かう先に建物が見えなくなった。町の外の草原と、そのまた向こうに小麦畑が広がる。
しっかりと煉瓦を組まれていた用水も、この辺りではだらしなく地面を這った。ちょっとした湿地みたいになった反対へ、一軒だけぽつんと小屋が建つ。
「あそこよ」
「なんだか他の家と離れて建ってますね」
アーシェさんは振り返らず「うん」とだけ答えて小屋に向かう。申しわけ程度に架かった木の橋が、彼女一人の体重に軋む。
僕も慎重に渡り、小屋の入り口を眺めた。古いけれど、すぐにも壊れそうということはない。
ただ扉の横に立てかけられた物体だけは、無視できない違和感があった。
大人の人間よりも一回り大きな木箱。縁に少しばかりの装飾が彫られ、蓋には名前でも書くようなプレートが付く。
「あの、これってもしかして。棺桶ですか」
「うん、正解。ベスの仕事は
優雅に二回。アーシェさんの指が、扉をノックする。少しの間を置いて、もう一度。でもやはり、ベスさんは出てこない。
「居ないみたいね。墓場にでも行ってるのかな」
「急なお仕事ばかりって、こういうことだったんですね」
アーシェさんは答えず、町の外へ目を向けた。草原の一部へ不自然に、茂みを寄せ集めたような場所がある。たぶんそこが墓場なんだろう。
「人間はさ、色々と持て余すでしょ。糞尿から始まって、自分の身体、病、争い、妬み、嫉み。昔から魔女は、そういうのを背負って生きてるの」
もう満腹という風にお腹を叩いて、彼女は呟く。顔は墓場を見たままで、感情がよく分からない。
「ベスは偉いよ。あたしと違って、人間から逃げないで町に居る。本当に偉い」
「そんな。アーシェさんだって、困りごとを聞いてるじゃないですか」
人間から逃げる。それはどうして、なんの為に。なんだか想像もつかないような重みを感じたけど、僕の主が逃げてるなんてことはない。
「ありがと。宿に帰ろっか」
自分のことは、今はいい。暗にそう言われた気がして、僕は頷いた。そうでなくとも、言うべき言葉を見つけられなかったけど。
夕食は宿の奥さんに振る舞ってもらった。昨日なにも食べなかったのに気付いて、今朝出掛けに誘われたのだ。
アーシェさんの料理とも、もちろん僕が作るのとも違って、とてもおいしかった。一番に違うのは、宿のご主人と僕よりも小さな男の子と、大勢で食べたこと。家族の食卓なんて、僕には初めての経験だ。
「明日もう一度ベスの所へ行って、会えなかったら家に帰ろうか」
食事を終え、アーシェさんは買い足した鉱石をテーブルに並べた。ランプの灯りに透かしながら、にやあと表情を溶かす。
などと言う僕も、床に店を広げていた。とは、買ったなめし革や生地を荷物に纏め直していたのだけど。
「分かりました。いつでも出られるようにしておきます」
僕たちの部屋を誰かがノックしたのは、そんな時だ。
「ねえ。居るんでしょ、開けて」
返事も待たず、呼びかけるのは女性。しかしその声はベスさんでもエルゼさんでも、宿の奥さんでもない。
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