第10話:【正太】正太の世界

 ニーアの宿屋さんで。二人で使うには、ちょっとだけ狭く思えるベッド。寄り添ってというか、ぬいぐるみみたいに僕は抱えられた。


「僕は、お父さんとお母さんの家に住んでました」


 アーシェさんにも分かりやすいよう。順番に話そうと思った。だから家族のことを最初に言ったのだけど、彼女は唇をきゅっと引き締めた。

 その顔がとても悲しそうに見えて、僕はまたなにか間違ってしまったんだと理解する。


「うん。両親が揃ってたんだね、それで?」

「ええと。お父さんは広告のお仕事をしてました。お母さんは、学校の先生です」

「学校は、あんたが通ってたって所よね。先生は、師匠ってことかな。広告はなに?」


 ああ、そうか。こちらの世界には無いんだ。

 そのくらい、僕がハイリョして話さなきゃ。アーシェさんに、聞き返す手間をかけさせちゃいけない。


「僕もよく分かってないんですけど、広告はみんなにお知らせする仕事です。新しい物を買ってもらったりとかする為に」

「へえ、面白いね。酒場にチラシが貼ってあったりするけど、きっとそういうのかな」


 良かった、伝わった。あ、でも。もう一つ言わなきゃ。


「すっ、すみません」

「ええ?」

「僕のお父さんは、広告のお仕事をする会社の社長です。社長っていうのは、そのお仕事をする中で一番偉い人です」

「ああ、分かるよ。工房主とか、ギルド長みたいなものね。大丈夫、ゆっくり教えてくれればいいわ」


 間違えたのに、叱られない。アーシェさんは、いつもそうだ。大切な薬茶の入った壺を落としても、僕が怪我をしなかったかばかり気にしていた。

 変な人だ。


「ありがとうございます。次は先生ですけど、学校で勉強を教えてくれる人です。算数、じゃなくて数字の計算とか、言葉とか」

「なるほどね。学校は、学問所みたいなものなんだ。聞いてると、誰でも行けるみたいだけど?」

「そうです。小学校と中学校という所までは、行かないと罰があります。たしか」


 まだこの町をそれほど見たわけじゃないけど、僕と同じくらいの子どもも居た。

 言っては悪いけど、ボロボロの服を着ている子も多かった。たぶん彼らは、学校へ行っていない。


「うへえ、それもまたギスギスしてるね」

「そ、そうですか? あの、それで。お母さんは高校っていう所の先生です。僕より歳上の、十五歳から行く所です」

「うんうん。年齢で分かれてるんだ」

「そうなんです。男と女で分かれてることもあって、お母さんは女の子ばかりの学校だそうです」


 アーシェさんは広告や学校に興味が湧いたみたいで、細かく質問を繰り返した。

 テレビやスマホの動画。どうして制服なんてものがあるのか、なんてことが特に気になるらしい。


「あの。僕が気を遣う理由を話さないといけないんじゃ?」

「そうね。それももちろん聞かせてほしいけど、あんたの話が面白いんだもの」

「面白い? ああ、知らないことを知るのは楽しいですよね」


 図書室や図書館で。のめり込める本を見つけたときは、時間を忘れた。動画でも職人さんの仕事が紹介されるのは、息を止めて見てしまう。

 それと同じと思ったのだけど、アーシェさんは微妙に首を傾げた。


「うぅん、それもあるけど。あんたの話を聞くのが楽しいのよ」

「違うんですか?」

「うん、違う。同じ話をエトからだったら、あたしもう寝ちゃってるかも」


 ええ? それは僕の話が、つまらないってことでは。むしろアーシェさんが、気を遣って聞いてくれていることになる。

 あ、でも。それは今日までの、僕の接し方が間違ってなかったってことなのか。

 いつでも明るく。ネガティブなことを口に出さない。お父さんとお母さんと、二人ともが同じように言っていた。


「ええと……面白くないなら、聞いてもらうのが悪いので」

「なに言ってるの? 面白いって言ったでしょ」

「あ、そうでした」


 妙な勘違いをした。それなのにアーシェさんは「あははっ」と笑う。人の話をちゃんと聞けって、どうして叱らないんだろう。

 もちろんこの半年ほどで、彼女がそういうことに拘らないのは十分に知ったけど。


「じゃあまあ、本題から先にしようか。面白い話も、また後で教えてもらうけど」

「わ、分かりました」


 本題。僕が他人に気を遣う理由。

 ものすごく単純に言ってしまえば、そうしないと僕自身が気持ち悪いからだ。そうするのが当たり前で、出来ないと不安になる。


「お父さんとお母さんに言われてるんです。なにも努力せず、会社を継げるとか思うなって。努力というのは、大人になっても役に立つ友だちを作るとか、初めて会う人とも仲良くなれる接し方を知るとかです。学校の勉強が出来るのは、当たり前すぎて努力にも入らないです」


 よし、これはうまく纏めて言えた。まだ言葉が足らないけど、これから付け足して説明したほうが分かりやすい。

 そう思うのに、アーシェさんの眉間へ皺が寄った。ぎゅうっと、怒るというより痛みに耐えるような表情で。


「ふうん……続きがあるんでしょ? 続けて」

「は、はい。大人と接するのも子どもと接するのも、考えることは同じと教えてもらいました。相手がなにを知っていて、なにを知らないか。ハイリョして動けないようでは、人間関係は作れないって」

「配慮、ね。たとえばこんな風に、とは教わらなかったの?」


 細かく聞きたくなるのは、その話が面白いから。ついさっき、アーシェさんはそんなことを言った。

 これも同じなのか。と考える僕を、そんなはずないだろ、と別の僕がバカにする。


「知っている場所なら、先導して歩いたり。自由に出来る場所ならお茶を出したりして、おもてなししなさいと。それを心地よく感じてもらうには、おいしいお茶の淹れ方を知らないといけないし、自分を清潔に保つなんてことも当然です」

「そりゃあ出来ないよりは、出来たほうがいいだろうけど。ショタァと同じくらいの子は、みんなそうなの?」


 僕は首を横に振る。お話をしている部屋への入り方やお茶の出し方をクラスメイトが知っているか、僕は知らなかったから。


「分かりません。でも、違うと思います。自分の知っていることを相手が知らなければ、それは弱点だ。だからなんでも知っているほうが偉い、とお父さんが言ってました」


 お仕事で必要な専門的なことは、後からでも学べる。でも人との距離の取り方は、長年の経験で違ったものになる。

 だから味方の増やし方を覚えろと、お父さんもお母さんもいつも言っていた。


「だから相手の態度や言葉に神経を研ぎ澄ませて、不愉快にさせないようにするってこと? 誰からも話しかけられないレオナルトに、声をかけたみたいに。依頼を断られたエトを慰めたみたいに」

「――そう、ですね。それでアーシェさんに迷惑をかけたら、意味が無いですけど」


 お父さん、お母さんの教えを、僕はまだ全然出来ていない。「すみません」と謝ろうとした僕の顔は、柔らかい肉塊に埋められた。


「迷惑なんかじゃないよ」

「うっ。ううっ、苦しいです」


 アーシェさんには珍しく、加減を誤ったらしい。少し緩められたけど、解放はしてもらえなかった。


「ねえショタァ。あんたそうやって、友だちを作るっていうのは出来たの?」

「……出来ませんでした」


 クラスメイトに同じことを押し付けた覚えは無い。でも何度か遊ぶうち、みんな距離が遠くなった。

 回りまわった噂によると、僕と居るのは息苦しいらしい。


「なんでも知っておけ。なんでもやってみろ。そんなことを言う父親と母親は、一度でも実行したことがあるの? あんたと一緒に、よ」

「……無かった気がします」


 僕を抱きしめ続けるアーシェさんの顔は見えない。だからどんな表情で、感情で言ったか分からない。

 一つ間違い無いのは、この次に発した声が酷く震えていたこと。


「気がするなんて。嘘、吐かないでよ」


 そんなつもりは無かった。戸惑う僕の背中で、もう一人の僕が言う。「分かってるだろ」と。

 お父さんとお母さんの言い分は、おかしい。僕の為でも、僕自身が寂しい。だからアーシェさんに結婚しようなんて言うんだろ、と。

 そうすれば、他人でも家族になれるから。あの、老夫婦みたいに。


「あんたの淹れるお茶は、たしかにおいしいよ。だから、もう淹れないでとは言わない。でもあたしは、必ずありがとうって言う」

「言わなくても、アーシェさんが喜んでくれてるのは分かります」


 アーシェさんの背中を、ぎゅっと引き寄せた。そうしたら百倍くらいの力強さで、また窒息させられそうになる。


「ねえショタァ。あんたお茶の他に、なにが出来るの? 教えてよ」

「改まって聞かれると困りますね、この世界でも出来るのはええと……」


 僕は今まで、アーシェさんを優しそうだと思っていた。でもこの日からは、優しいと思える。

 今夜の眠気は、僕の生きてきた中で最大の敵になった。

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