第18話:【アーシェ】幸せの少女─4
その日のうち、あたしたちはハンナの住む町へ赴いた。街道を東に、ニーアへ行くよりも少し近い。
なだらかな丘の四つ連ねた先。街道の伸びるさまを遠く見下ろせる高台だ。大きな湖を抱え、桟橋や浜には人と漁船がひしめいた。
街のほぼ中央に、その屋敷はある。周囲の家を五軒分。貴族の家にしては慎ましい。敷地をぐるり囲ってこそいるものの、格子なので中は丸見え。
「宝石商? すると遠方まで仕入れに行く行商人か」
「ええ。きっと見たことのない品物をお見せ出来ます」
開けっ放しの門を守る男に、取り次ぎを頼む。貧乏貴族と言え、いきなり令嬢を出してくれはしない。
だから宝石売りなのだけど、ショタァは眉尻を下げて見上げた。
「要らないって言われたら、どうするんですか?」
「言われないから大丈夫。王都から離れた貴族は、いつも情報を求めてるものよ」
「ああ。それで仕入れのことを」
石が売れるかは問題でない。テーブルを前に、商品を広げさせてくれればいい。ショタァの背負ったリュックに、きちんと収めた売り物を。
「お会いになるそうだ。入ってくれ」
持ち場を離れたたった一人の門番が、意向を聞いて戻った。男は朗らかに、そのまま客室への案内役になる。
「閣下はすぐにお出でになる」
門番と連絡役と案内係と、三役を務めた男は最初の任務に戻る。とびきり愛想が良いわけでないけど、威圧感も無かった。
どうにか布で体裁を整えた椅子が六脚。使い込まれて黒ずんだテーブルが一つ。それらがまあ、どうにか入りましたという大きさの部屋。
壁には飾り物はおろか、その台となる調度さえ無い。倹約に努めているらしいけど、門番の身なりはそれなりに整っていたように思う。
「ハンナさんが返してと言っても、ご両親が認めないと言ったらどうしましょう」
「そうね――」
リュックを膝に抱えたショタァは、覆いの布を開けたり閉めたり。中身があるか覗きこんだのも、もう両手で利かない。
あたしも同じことがしたかった。いやリュックでなく、ショタァを膝に乗せて。開けたり閉めたりしたい。どこを? とか、細かいことはどうでもいい。
「ああ、お待たせした」
男爵がやって来たのは、本当にすぐだった。糊の効いたシャツを着た、三十過ぎくらいの男。
後ろへ同年代の女性が続く。奥さんだろう。すとんと飾り気のない水色のワンピースを着て、足下に女の子を纏わりつかす。
「私が当主のヘルマン。それに妻のヒルデと、娘のハンナだ。宝石はこの二人に、土産話は私に頼む」
女二人を先に座らせ、最後に家長席へ。立って迎えたあたしも、こちらの紹介をしなければいけない。
「石を商い、あちこちうろついています。あたしはアーシェ、この子はショタァ。本日は西の方面から来ました」
「西と言うと、ニーアに足を止めたかな?」
「もちろん。先にベッドで眠ったのは、ニーアが最後です」
早く商品を見せたいのに、男爵は「ふむ」と顎を撫でる。妻はというと、よそ行きの笑みで感情が読めない。娘は母親の腕に抱きつき、テーブルの木目を数えた。
「ならば。人攫いがはやっていると噂に聞く。なにか見聞きしたかな?」
「そうですね、飯屋で誰ぞの話すのがすぐに聞こえました。ひと月に一人二人というくらいで、兵士に言わせれば自分で行方をくらましたのだ、とか」
そうか。と、男爵は椅子を座り直した。幾分険しかった眉も、元へ戻る。
盗賊団などが大規模に行う事件なら、じきにこの町へも被害が及ぶかもしれない。だが違うらしい、と判断したんだろう。
「しかし若い女ばかりとは。うちの若い者などは、魔女の生け贄ではと言っている。戯れにだがね」
「まさか。二百年前の大戦以降、ぱったりと姿を消したそうじゃないですか。あたしが聞くのも、お伽噺のような噂ばかりです」
ね? と娘に視線を向ける。が、顔も上げてくれなかった。
今では魔女の存在を信じるなんて、子どもたちくらい。多少は興味を示してくれるかと思ったのに。
「すまないな。娘はこのところ、機嫌が悪いのだ。いや私が勝手をやらかしたせいなのだがね」
「あらあら。お父さんに意地悪されたの?」
はっきり質問の形にすると、ハンナは目を合わせてくれた。
ヘルミーナよりも儚げな、細い銀髪。ベスと友だちになれそうな、フリルだらけの赤いワンピース。
湖の水を注いだような、澄んだ青い瞳が潤んでいる。
「お父さまは悪くないの。私、本当は離れたくなかったのに。もう大人だからって言われて、大切なお友だちを譲ってしまったの」
唇を噛みながら、ハンナは答えた。貴族の娘らしく、ひと言ずつを力強く。
「自分の気持ちもちゃんと言えないなんて、私ダメな子なの。私のせいで、ヘルミーナにつらい思いをさせているの」
それだけを言うのに息を切らせたハンナは、母親に頭を撫でてもらう。この様子だと、既に売り払われたことも知っている。
「というわけでだ。娘に似合う宝石などあるだろうか」
「どうでしょう。気に入ってもらえれば、出来るだけをしますが」
ようやくショタァの出番が来た。「見せてあげて」と告げると、彼はリュックの中身を一つずつ取り出す。
最初は平べったい、木製の宝石箱。指輪やネックレスなんかにはなっていない、磨かれたままの石がたくさん入っている。
二つ目を出すと、妻のヒルデが「まだあるの?」と声を一つ高くした。
石に関して、あたしより品揃えのいい商人なんか居るはずがない。目的とは関係ないと自重しても、うっかり口元が綻ぶ。
「あれ、取れない」
「まさか三つ目が?」
三つ目を取り出そうとしたショタァを見て、ヒルデの声はいよいよ悲鳴じみた。もちろん本当にあるけれど、本命は違う。
「どうしたの?」
「引っかかってしまって」
「もう。だから一緒に入れないでって言ったのに」
焦った「すみません」の声は、優れた演技と信じる。リュックの内側を摘んでみせての、なにか引っかかったふりも素晴らしい。
「男爵さま。商品ではないのですが、テーブルを拝借してもよろしいですか」
「構わないよ。こんな小さな子が頑張るのを、どうして邪魔立てしようものか」
お許しがもらえたわ、と。あたしも早口に、恐縮を演出する。頷いて、ショタァは宝石箱以外の中身をテーブルに置いた。
「申しわけありません。ニーアの路地裏で拾った物なのですが、この子がかわいそうと言うもので」
「……ヘルミーナ」
沈黙が、どれほどあったか。乾いた目が五度ほども、まばたきを要求したころ。徐々に開いたハンナの口から、大切な親友の名が零れ落ちる。
「ヘルミーナ。ヘルミーナよ。お母さま、ヘルミーナだわ!」
テーブルの上で倒れないよう、ショタァが支える。我が家へやって来たよりもずっと小さく、両手でちょうど抱えられる背丈の彼女を。
本来の姿に戻ったヘルミーナは、ガラスの瞳を持った人形だった。頭と手足は木で作られ、真っ白な肌に塗られている。水色の目が、ハンナの深い青とよく似合う。
ショタァは人形を支えたまま、顔を床に向けた。
「この人形を拾った? なんと、なんと。神の導きとしか思えん!」
男爵は驚愕に頭を掻き毟り、ヒルデは娘の頬へ繰り返しキスを見舞う。
娘もまた、現実を受け止められないのか。叫んだきり、ヘルミーナとにらめっこを続ける。
「き、君! 宝石より先に、この人形を譲ってもらえまいか! これは娘の宝物なのだ!」
「え、ええ?」
すぐに「喜んで」と言えないのがまだるこしい。あるはずのない偶然を、こちらも戸惑わなければ不自然だ。
しかし、ほどほどで良いだろう。よく分かりませんがどうぞ、と言おうとしたとき。ハンナは、すくと椅子を立つ。
「待ってお父さま。ヘルミーナのこと、きちんとしたいの」
「――そうかい? じゃあ任せよう」
僅かな微笑みで男爵は頷き、答えたハンナがあたしを見据える。
「アーシェさん。どうか私に、この子を譲ってください」
「あたしは構わないわ。あたしはね」
余計だったかもしれない。でもハンナの紅潮した頬を見ていると、こう言わなきゃいけない気がした。
「あなたが見つけてくれたの?」
ハンナは断るべき相手を、ショタァと理解したらしい。見るからに感情を持て余し、下を向いたままの彼を。
「お願い。もう二度と、この子を悲しませないと誓うから。どうか私を、ヘルミーナの友だちに戻らせて」
あたしが言うべき言葉は無かった。男爵もヒルデも、固く口を結んで見守った。次になにか言うべきは、ショタァ以外に居ない。誰もが沈黙する中、しかし彼にも声が無い。
それはそうだ。ハンナの贖罪に答えを出せるのは、ヘルミーナだけだから。ショタァは他の誰より、自分が答えるわけにいかないと困っているはず。
「お願い」
しばらく。ケトルの湯が三度も湧くくらい。待ちかねたハンナはもう一度、声を絞り出した。
助け舟を出すべきかな。と思ったのだけど、どうやら必要なかった。ショタァの支える人形は、首を縦に振る。
「ありがとう、ショタァ。あなたのおかげよ」
じっと待つ手から、迎えようと伸ばされる手へ。ヘルミーナは飛び込んでいった。
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