第21話:【正太】非ざる者─3
「私が初めて他人の物を盗んだのは、今の君と同じくらいだったよ。母親が死んでね、一人になって、料理なんて知らないバカな子どもだった」
なぜこんな話をするんだろう。見ず知らずの、ただの子どもに。
料理の出来ないことがバカなのか、盗むことがどうして悪いのか。そんなことも判断のつかない僕なんかに。
「知ってる? この山の向こうにはね、盗賊の町ってのがあるの。本当の名前は別にあるのに、もう誰も呼ばない」
自分たちの歩いて来た方向を、ユリアさんは指さす。
街道に沿って、近くの街しか僕は知らない。だから目を合わせ、首を横へ振った。
「知らないって、強いよ。私もそう。運良く捕まらなかったから、盗みを続けられた。でもそれが、いつまでもとはいかない。見つかって、盗賊の町へ逃げ込んだの」
「捕まったら、どうなってたんですか」
知らないことが強い、と僕には思えない。やってみろと言われたとき、知らないと答えてはいけなかった。
次になにが必要か、自分で予測するのも技能のうち。そう言ったのは、たしかお父さんだ。
「盗みで捕まったら、二度と盗めないように両手を切り落とされるよ」
「死んじゃうじゃないですか」
「そうだね。だからみんな怖れて、罪を犯さないようにするの」
救急車も病院も、手術も無い。そんな世界で両手を失い、万が一生き残っても、やはり餓死してしまう。
単純で分かりやすい恐怖に、背中がぶるっと震えた。
「ああ、ごめん。こっちの国は、牢獄に入るんだったと思うよ。パンを一つくらいなら、百叩きかな」
「どっちにしても、僕はそうならないようにします」
言ってから「あっ」と、後悔の声を漏らす。当の盗賊を目の前にしては、皮肉でしかないと気付いた。
予想される怒声に、首が勝手に竦む。
「うん、それがいいよ。この店を手伝って、ちょっと畑なんか作って。いい生活だよね」
お行儀悪く、ガタガタと椅子を揺らす。あははっと、ユリアさんは声をあげて笑ってくれた。
「ほんとだよ。これは嫌味とかじゃなくて、私もこういう生き方がしてみたかった。でもまあヨルンと出会って、それはそれで面白いけどね」
「ええと、恋人なんでしょうか。それとももう結婚を?」
どちらかで間違いないと思ったのに、返答は「うぅん?」と悩んだ。
また間違えた。だからと叱る人は、幸いに居ない。でも居ないという事実が、また罪悪感を呼ぶ。
「どうだろ? 私は恋人のつもりなんだけど。ヨルンは見ての通り、取っ替え引っ替えだよ。あ、ショタァみたいな子に、まだ早い話だったかな」
まあいいよねと笑い飛ばす。ユリアさんと話していると、僕にまで元気が流れ込む感じがした。
比べると、アーシェさんはそういうタイプでない。ではどういうタイプなのか、すぐには言葉にならないけど。
「もう七年前か。十五のとき、盗賊の町へ入ったはいいけど、女が一人じゃ危なくて。隠れ家を探してたら、町外れに棄てられた古い砦があったの。ヨルンはそこの先客」
「じゃあヨルンさんも盗賊なんですね」
当然にそうなるはず。だけどユリアさんは、「ううん」と否定に首を振る。今日の僕はダメダメだ。
「カタギじゃないのはそうだろうけど、素性は知らない。夜になると、どこか出かけて。聞いたら女のところだって。それも毎日、違う女」
「ああ……」
男女の仲。という意味を、漠然とは知っている。今どき日本では、際どい表現の物が僕の目にも入った。
でもたぶん読者サービスという方向に傾いていて、実際とは違うのも分かる。場違いな妄想のほうが先に立って、頭から追い出すのに苦労した。
「ショタァ、意外といけるクチだね?」
「そっ、そんなこと。知りません!」
「あはは。まあそれでね、町を仕切ってる盗賊団とは無関係と分かって、居座ったのよ。でもあいつ、私には見向きもしないの。失礼でしょ?」
どことなく、アーシェさんと似ている。見た目も口調も違うのに、どこかが。
だからユリアさんも、僕にこんな話をしてくれている。と、願った。そうだったら嬉しい。
「いや、ええと。ユリアさん、綺麗だと思いますよ」
「あらら、一目惚れさせちゃった? 私と付き合っちゃう?」
「僕はアーシェさん一すじですっ」
これはユーモア。本気にしては白けてしまう、ノリというもの。わざとらしく、ないないと手を振った。すると「うふふっ」と、ユリアさんは上機嫌だ。
「あらら、振られちゃった。でもね、うん。私もそう、ヨルン以外と一緒に居るのは考えたくない」
「じゃあますます、体調が心配ですね」
「そうだね、でもたぶん大丈夫。昔受けた祝福があるとかで、傷の治りが早いんだって」
傷と言われて思い返したものの、そんな痕跡は無かった気がする。ズボンは脱いでいないけど、怪我を感じさせる歩き方という記憶もない。
「ん。変に思った? あれでも町から逃げる時には、背中に大きな傷があったの。毒のナイフから私を庇ってね」
「ええっ? 本当に大丈夫なんですか」
「見ての通り、傷なんか無かったでしょ。六日歩く間に、治っちゃったの。後は体力が戻るのを待つだけって言ってた」
そう言われても、僕にはすぐに信じられない。しかしユリアさんは、微笑んだ。
食堂で椅子に掛けてから、何度も大部屋へ視線を向けてはいる。でもそれだけで、居ても立ってもという空気は皆無だ。
「本当に平気としても……」
もしも僕が、ユリアさんの立場なら。壊れても元通りと言って、大切な物を壊されては堪らない。同じ意味で、自分を庇ってくれた傷に無関心では居られない。
そう思うと、この人の明るい振る舞いが異様なものに思えてくる。
「そうだよ、おかしいの。だって私、あいつに恋しちゃいけないんだ」
今にもけらけらと笑い出しそうな、満面の笑み。少なくとも僕には、不自然な所を見つけられない。
「ひと言でも、好きとか愛してるとか。あいつにそう感じさせたら終わり。姿を消すって言われてるんだもの」
言って、頷く。表情も相俟って、納得ずくの大満足という風に見える。
わけが分からない。僕の理解力が足らず、おかしな解釈をしているのかと。疑って、聞いた言葉を辿ってみても、やはり同じ結論にしか着かなかった。
「なんですか、それ。いやほら、ヨルンさんは愛してるって言ってたじゃないですか。だから大怪我してまで、ユリアさんを庇ったんでしょう?」
「あいつは誰にでも言うよ。私以外の女なら、どんな相手でもね。それなのになんであんなこと出来るのか、私が聞きたいくらい」
一瞬、声が震えた。しかし、すうっと大きく息を吸い、「ショタァには分かる?」と。続けて問う声は、また元通りに朗らかなものへ戻る。
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