第22話:【正太】非ざる者─4
アーシェさんが戻ったのは、その直後。と言うか家の裏で、ドタバタと大きな音がし始めた。
「あっ、帰ったみたいです」
「うん。悪いね、勝手に君を利用して」
「利用?」
「私の憂さ晴らしにだよ」
ありがとうと言われても、僕はなにもしていない。お迎えへ行くにも行けず、「はあ」としか言えなかった。
「さあさあ。鍋は見とくから、手伝いに行って来なよ」
手を引かれ、僕は厨房から引きずり出された。そのまま背中をぐいぐい押され、食堂からも。
もう一度「ありがとうね」と言った顔は、さっきまでより幼く感じた。
それから獲物の解体を手伝い、サンダルみたいな肉を四つ焼き上げる。思った通り、太陽は真上を過ぎた。
楽な姿勢でいいと言ったのだけど、ヨルンさんはテーブルで食べると言い張った。仕方なく、食堂に四人分の食事を用意する。
「おいしい。これ、なんの肉なの?」
食事専用のナイフは、この世界に無いらしい。料理に使える物をそれぞれ持ち、切り分けたのを口へ運ぶ。頬を突き破りそうに尖ったフォークが、また怖い。
「レーよ。あなたたちの国にも居たと思うわ」
「ならば少年の腕だな。ユリアは塩以外に味付けを知らない」
「うるさい。ガツガツ食べるくせに」
「うまいからな」
落として上げるテクニックなのか。不意に褒められたユリアさんは、フォークを咥えて固まる。
とは言え僕も、特段にだ。見た目にインパラみたいな、鹿の仲間だった。大きさはヘラジカかと思ったけど。たしかに焼いたのは僕。でもアーシェさんが用意している、乾燥ハーブを揉みこんだだけ。
「ところであんたたち、どうしてここへ? 答えたくなければ、それでもいいけど」
顔を顰めながらも、ヨルンさんが皿を空にしたころ。半分くらいをユリアさんが食べ進めたころ。唐突にアーシェさんは問う。
ユリアさんに聞いた話は、解体をしながら概ね伝えてある。盗賊とか怪我とかに、全く驚かなかった。
「私、盗賊なの。町を仕切る奴らに顔を通さず、ずっと仕事をしてたんだけど。バレちゃって」
「盗賊の町、か。無傷で逃げられるなんて、奇跡的ね」
「いや、うん、まあ」
ヨルンさんの表情を横目に盗みつつ、ユリアさんだけが返答をする。ゆっくりとお茶を飲むばかりで、参考にはなっていない。
「逃げる方向を決めたのは?」
「それはヨルンが」
「どうして? そんな身体で山を越えるより、川を下るほうが楽で確実だったはずよ」
あちらの国は川が多く、発達した交通手段になっているらしい。利用する人も多く、向かう人の皆無な山へ行くのとは天地の差とアーシェさんは言う。
いつもの柔らかい微笑みで、責める空気はない。しかし内容が内容で、どうしても追求の雰囲気が漂う。
ユリアさんは食事の手を止めず、僅かな苦笑で答える。
「ごめん、迷惑だよね。食べ終わったら出て行くから」
「追っ手は片付けてきたみたいだし、迷惑ではないわ。ただ不思議に思ってるだけ。あと、彼の空腹を心配してる」
「……ええと。ヨルンは泳げなくて、舟はちょっとね。空腹って?」
だから怪我をしたのか。平地より山を選ぶ理由も分かる。僕は納得したのだけど、アーシェさんは「ふうん」と首を傾げた。
一つ。食事をする最中、空腹の心配とはなんのことやら。そこはユリアさんと同じ疑問が僕にも残る。
「いや、違う。川を嫌うのもあるが、それ以上にこちらへ来なければいけない気がした」
「ええ? なにそれ、私聞いてないよ」
「すまない、言えなかった」
ユリアさんはまた、なにそれと笑った。「言わなかった」のなら、なんでやねんとツッコミも出来るのだけど。僕なら笑うなんて無理だ。
「この抗い難い呼び声は、お嬢さんの仕業かな?」
「呼び声って、そんなの聞こえないけど」
「声ではないかもしれんが。これがなんだか、俺にも分からん。だが呼ばれているのだけは間違いない」
唐突になんの話か。ユリアさんもわけが分からないと両手で口を覆う。
しかし、思い当たった。アーシェさんの言っていた、妙な仕掛けのことと。
「へえ、そんなのが聞こえるのね」
「君が呼んだのではないのか。今の俺では、到底逆らえない。
「違うわ。両方ともね」
今も聞こえるようで、ヨルンさんは耳を押さえた。音源を求めるように辺りを見回し、疎ましげに眉根を寄せる。
「あたしはただ、お節介をしたいだけよ。このままだと、依頼を果たせなくなるから」
「依頼? そんなのしてない」
いつの間にか、ユリアさんから笑顔が消えていた。焦りか不安か、おどおどと額に皺を寄せている。
「したじゃない、病人を休ませろって。病人が死人になったら、料金がもらえないわ」
「死人にって――」
ヨルンさんの出した金貨を、アーシェさんはテーブルに置く。添えた指で、財布の持ち主に突き戻した。
その意味は、言ったままなんだろう。ユリアさんは愕然と口を開け、繰り返しに二人を見た。
「あたしの見立てでは二、三日のうちね」
示した日数がなにか、勘違いの余地はない。この場に居る病人が、死人になるまでの期限。
それはつまり、三日くらいでヨルンさんが死ぬ。
「ちょっと待ってよ!」
テーブルを叩き、ユリアさんは立ち上がる。転がった椅子が、壁にまで届く。並べた皿は、もうほとんど中身が無くて良かった。
「ヨルンが死ぬ? 今までどんな怪我をしても、すぐに治った。たしかに今回は酷かったけど、もう消えちゃったのよ!」
「だから言ってるでしょ。彼が死ぬのは、毒やナイフのせいじゃない。空腹だって」
ユリアさんの肉は、まだ少し残っている。ヨルンさんは三倍くらいを既に平らげた。険しい目で見下ろした次のセリフは、予想通りでもっともだ。
「悪い冗談ね」
テーブルの端を握り潰す気か。そう思わすほど、筋肉と血管が浮かび上がる。
それでもアーシェさんに、動じた様子はない。他人の死を口にし、その為に怒る人を目の前にしてなお。
ただ。薄く橙に塗られた唇がきゅっと結ばれ、すぐに笑みの形へ戻った。そこにどんな想いが通り過ぎたのか、僕に察せるはずもない。
「冗談ではないよ」
争いに終止符を打ったのは、ヨルンさん。当人が肯定すれば、ユリアさんも文句の付けようがない。力いっぱいに瞼を閉じ、吸い込んだ息を細く吐き出す。
「俺は
「吸血鬼――だからか」
目を閉じたまま、ユリアさんは二度頷いた。汗を拭うように額へ手を擦り付け、また大きくため息を吐く。
その格好で、しばらく動かなくなった。もちろん声を出しもしない。震えた息遣いだけが、対角線の僕の耳にもはっきりと聞こえる。
「食事って、血よね」
沈黙の間、アーシェさんだけが食事を続けた。肉とスープを片付け、僕に頼んだお茶を飲み終え、ようやくユリアさんは次の言葉を見つけたらしい。
「そうだ。人間の女でなければいけない」
「じゃあ変よ。あんた、女の所へ行くって出かけてたじゃない」
「代わりに獣の血を吸っていた。腹を膨らませた気になっても、食事にはならなかったようだが」
胸に手を当て「私は大丈夫」と。自分に言い聞かせながら、椅子に座る。ユリアさんはテーブルの真ん中を見つめ、誰とも目を合わせようとしない。
「どうしてよ。死ぬくらいなら、血を吸えばいいじゃない」
「吸血鬼にとって、食事と生殖行為は極めて近しい。ユリアを置いて、他の血を吸うことは出来なかった」
椅子の背もたれが、ヨルンさんの背には小さすぎる。よりかかっても支えにならず、顰めた顔が天を仰いだ。
「じゃあ私のを吸いなさいよ。そんなに気に入らないの? 私じゃ、餌にもならないほど。そんなに嫌いなの?」
餌と言う直前に、ほんの少しの間があった。たぶん食事と言おうとしたのに、わざわざ言い直した。
「逆だ。正体を明かして、嫌われるのが怖かった。ユリアには、死ぬまで傍へ居てほしかった」
「……私に会う前の女は遊びってこと?」
「フッ。人間の言い分を借りれば、そうなるな」
ヨルンさんの声から、みるみる力が失せていく。お腹の筋肉で絞り出すように、やっとで話しているようだ。
「そっか。私、信用されてなかったんだね。あんたが愛してくれなくても、傍に居られれば幸せだったのに」
「惚れた弱みだ」
ユリアさんの鼻が、じゅるっと音を立てる。苛々した手つきで乱暴に、フォークを肉へ突き立てた。
欠片を一つ切り分け、自分の口へ。啜ったばかりの鼻を、また啜る。
「今は? 今からでも、私の血を吸えばいいんでしょ」
「いや、腹を空かせ過ぎた。今吸えば、抑えが利かん。お前の血を吸い尽くしてしまう」
ははは、と。自嘲が薄っぺらい。胸や腹を撫でるのは、強がりなのか無意識なのか。
「分かった。あんたとはここでお別れよ」
「そうか」
二人が静かに。声も、動作もだ。ユリアさんはフォークをテーブルへ置き、口の中の肉を飲み込む。
次にはナイフをテーブルへ――
「ユリア!」
ヨルンさんの叫び。かすれていても、彼の驚愕を十分に物語った。色を失った筋肉質の手が、ナイフを握る華奢な腕に伸びる。
でも、届かない。空腹でなければ間に合ったかもしれないけれど。ユリアさんの手は、自身の喉を切り裂いた。
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