第25話:【アーシェ】招かれざる客─3

 当人が読めと言うのだから、躊躇う理由は無い。丁寧にナイフで切られた口から、中身を取り出す。ほんのりと黒い漉き返しの紙が、たった一枚。


 書き出しは当たり前に、我が友へ。末筆に目を滑らせれば、ギュンターと署名があった。むさ苦しくも男友だちかららしい。ゲオルグが兵長に昇進したのはつい最近のようで、祝う言葉が最初に続いた。


 その後、ギュンター自身の近況が綴られている。町を守る自警団ブーガビアを組織し、忙しいと。

 最後は「ゲオルグのさらなる栄達を故郷の空より祈る」と、そう結ばれた。


「幼馴染かしら。友情に泣けてくるわね」


 友人同士、似たような仕事を選んだものだ。とは言え守り手は必要で、ギュンターは権力の手先でない。その分、万倍もましだけど。


「でも、これのどこに争いの気配があるって言うの」


 しばらく連絡を取り合っていないんだろう。その上で、よくある近況報告にしか思えない。

 ゲオルグは、言葉を迷うように口をもごもごとさせた。数拍も続け、故郷の空とやらへ視線が上向く。


「十七年前だ、俺が町を出たのは。十六の時だった。ギュンターとは三軒隣で、同い年で。他に同年と言ったら、広場の向こうにしか居ない」


 どうして昔話を始めるのか。面倒に思うあたしとは違い、衛兵の若人は熱心な目を向けた。

 十六の時とか三軒隣とか、要点を言う直前に頷く辺り、既に聞いた話のようだけど。


「親同士も仲が良くて。うちの仕事が忙しいときは、あいつが手伝いに来た。あっちの仕事が忙しけりゃ、俺が。なにをやるにも、俺のほうが呑み込みは早かった。だが最後には、ギュンターのほうが上手くなる」


 あいつは頭がいい。と言った苦笑は、苦の分量が大きかった。どうもゲオルグの考える争いとは、幼馴染の苦境らしい。


「俺が兵士になると決めてから、王都へ向かう馬車に乗るまで。ギュンターは姿を見せなかった。最後に会ったとき、約束したからだ」

「約束ってなによ」


 人間の語る昔話は、どこか魔女と感性が違う。だから聞くことは嫌いでないのに、なぜこの男は兵士なんだろう。

 普段なら、その先は? と妄想も捗るところが、勿体つけないでと苛立ってしまう。


「俺はあいつに。あいつは俺に。誇れるようになったら、また会おうってな。会おうぜって、先に誘ったほうの勝ちだ。分かるかい?」

「くだらない」


 明確な基準が無く、騙ろうと思えば幾らでも騙れる。たとえば衛兵の総隊長と、王公認の守護隊長と。同時に到達したら、どっちが勝ちなのか。

 その答えはどちらでも良く、最初から競うものでない。そんなことで貴賤を問うから、人間には争いが絶えない。


「ああ、くだらん。でもまあ、そんな勝負でも預けとかなきゃ、懐かしいとか言うのが恥ずかしいのさ。現にギュンターは、この手紙以外に連絡を寄越したことが無い」


 ゲオルグの言わんとするところが、なんとなく見えた。頑なに無言を貫いていた相手に、なんの心変わりがあったか。


「へえ? あなたはどうなの」

「俺も直接は無い。年に何度か、親に手紙を出す。その中へ、ギュンターによろしくってくらいだ」


 故郷を向いていた目が、振り返る。微かに届く鉄を打つ音に、床を鳴らすリズムが速まった。


「話は分かったけど、そんな大仰な格好をする理由にはならないわね。単に寂しくなっただけかもしれない」

「だな、こいつらもそう言うんだ」


 勇んでいるのは無作法な若人でなく、ゲオルグ当人とは驚いた。親指で示され、「いやそんな」と答えるものの、違うとは言わない。


「どうして止めないの」

「そりゃあ、ゲオルグ兵長の言うことだ。行ってみて違ったら、酒と飯でも奢ってもらえば済む」


 あたしにはやはり、半分睨みつけた視線が向く。しかし答えは、十分に意味が分かる。全幅の信頼がこの上下関係にはあるのだと、青臭い主張が。


「バカバカしい。何人来てるのか知らないけど、みんな仕事を放ったらかしでしょ。ただクビになるだけじゃ済まないわよね」


 荷車で移動していること。遠く見えた松明の動きや数。その辺りで考えれば、一行は七、八人。

 これからどこの町へ行くにしても、数日は帰れない。いくらニーアが大きな町でも、衛兵の数にそこまでの余裕は無いはず。


「じゃあお前は、敬愛する上司が悩んでいても放っておくのか。ゲオルグ兵長は俺たちの素晴らしい先輩で、同僚で、戦友だ」

「――あたしはその戦友ってのが、大っ嫌いなのよ」


 人間が理屈でないところを感じ取り、補い合う。それはとても美しいと同時に、最悪に醜い。

 嫌と言うほど。身を以て関わったあたしには、どうしても受け入れられない。


「あっ、あのっ!」


 若人の荒ぶる視線を、真っ向から跳ね返した。もう少し続けば、相手はまた何らかの行動に出ただろう。

 それを止めたのは、横合いから発せられた健気な叫び声。


「ショタァ、どうしたの?」

「お話が弾んでるみたいで、どうしようかと思ったんですけど。シチューが出来たので食べてください」


 山羊ツィーガの乳で作った、野菜たっぷりの。すりおろした芋のとろみが、湯気にまで及んだようにゆったりと立ち昇る。

 可愛い使い魔は、てきぱきと皿を並べた。あたしとベスの分までも。


「これは堪らんな。交代もしてやらねばならん、早速いただこう」

「私もいただいて良いのですかしら」


 どうぞと答える前に、ゲオルグと若人は掻き込み始めた。ベスはきちんと返事を待って、優雅に口へ運ぶ。


「ショタァは食べないの?」

「ぼ、僕はさっき食べたので満腹なので」


 衛兵たちがやって来た時、あたしたちは夕食の最中だった。まだその皿が並んでいる別のテーブルを指さし、ショタァは「片付けてきますね」と頭を下げた。


「まだ残ってるじゃない。大丈夫?」

「ええ。本当にお腹がいっぱいになっちゃったんです」


 後片付けは手慣れたものだ。残飯を発酵壺へ落とし、皿を拭き取り、拭いた布を洗って干す。

 いつも通り、のはずなのだけど。どこがとは言えない違和感に、彼の背中を目で追った。


「じゃあ、済んだので。僕、先に休ませてもらいますね。ちょっと疲れちゃいました」

「うん。色々ありがとう」


 俯き加減であたしの前へ来て、そそくさと去った。彼の部屋へ通じる扉を静かに開け、閉じるのは音もしなかった。

 ああ、そうか。目を合わせてくれないんだ。全くではないけれど、向き合ったと思ったらすぐに逃げて行く。


「良い子だな」

「ええ。あたしには勿体ないくらい」


 この僅かな時間で、ゲオルグはシチューを空にしていた。すっかり冷えた薬茶を啜り、やはりショタァの去った扉を眺める。


「君もあの子に何かあれば、ちょっとしたことでも察するだろう? 他の者には、なんでもないことからな」

「……さあ」


 あたしに、使えるんだろうか。ゲオルグの言うような魔法を。

 と言うか。この男にも出来ているか、少なくともあたしは信じていない。たしかめてみたくなった。


「ねえベス。食べ終わってからでいいんだけど、お願いを聞いてくれる?」

「お姉さまがお願いなんて。やれと言って下されば良いのですわ」


 慕ってくれる後輩に、そんな横柄な口を利けない。でも獣の扱いは彼女のほうが得意なので、そっと耳打ちをする。


「分かりました、お安い御用ですわ。この時間なら、そこらじゅうに居ますもの」


 言って、席を立つ。テーブルに置いたベスの皿は、舐め取ったように綺麗になっていた。

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