彼女の気持ちは単語から Ⅰ

 自分で設定した覚えのない、目覚まし時計のような電子音が耳元で鳴り、僕は布団から飛び起きた。

 その正体は、冷蔵庫に貼り付いていたはずのキッチンタイマーだった。なぜ僕の枕元にこんなものがあり、起きる予定より三十分も前に朝を告げてくれたのか。

 寝ぼけた頭でも簡単に分かる。こんな悪戯を仕掛ける人物は妹以外にあり得ない。

 自分が部活動の朝練で早起きしている腹いせに、こんなことをしたのだろう。

 何にせよ、この上なく不快な目覚めである。うん不快だ。これは報復の方法についてを検討しなくてはならない。

 ただでさえ、エアコンが切れると暑苦しい季節だ。おやすみ運転が切れて久しいこの部屋は、モワッとした熱気に包まれて不快指数が高い。

 僕はヒヨコを象った可愛らしいキッチンタイマーを、強かに投げつけた。


 しばらくして行動を開始した僕は、涼しいリビングへと向かった。

 台所に置いてあった食パンを口にくわえながら、スマートフォンに目を遣る。

 メッセージが一通届いているようだ。

 アプリのアイコンをタップして内容を確認すると……おっと。これは難解。

 そこに表示されていたのは、たったの二文字。


『めん』


 めん? めんとは……食べ物の麺類だろうか、はたまた繊維の綿だろうか。

 もしくは勢いよく竹刀でも振り下ろそうとしているのだろうか。

 分からない、こんな単語では流石に分からない。

 こういった、否応なしに頭をぶんぶん回転させてくるメッセージの送り主は、彼女しかいない。塚瀬さんだ。

 塚瀬さんが朝からメッセージを送ってくる時には、その日に『何かしたい』という気持ちが表れている。まだ交際を始めて一か月ばかりではあるが、経験と実績に基づいた確かな情報だ。

 ということは『めん』とは本日の予定に何らかの形で帰結するということ。

 よし、朝から頭の体操の時間だ。


 『めん』とは予定に紐づく行動、そう考えれば一番妥当なのは……。

 なんと剣道の『面』なのかも知れない。

 剣道において『面』といえば防具のひとつを示す言葉ではあるが、同じように『相手の面を叩く掛け声』としても広く周知されている。つまり掛け声の場合の『めん』は、叩くことが想定されるため、動詞であると言える。

 塚瀬さん式ではあるが『行動』予定ならば、動詞を当てはめるのが自然だ。つまりこの場合の塚瀬さんの言いたいことを補完すると、こうなる。


『今日どっかのタイミングで、一発、面を打たせてもらっていいかな』


 ……ないな。

 まずそんな仕打ちを受ける心当たりがないし、塚瀬さんが防具一式を装着して竹刀を構えている姿も想像出来ない。ちょっと見てみたいくらいだ。

 あのモデルのようなスタイルからの、面を外したら現れる均整のとれたご尊顔。

 ……うん、これは金を生む。

 なんて。

 おふざけとものろけともとれる想像はこのあたりにしておこう。


 本題に戻る。

 僕が思いついた『めん』の候補、残るは『麺』か『綿』となる。

 行動に当てはめやすいのは『麺』かな。

 これを塚瀬さん式翻訳機能で補完するとこうなる。


『今日のお昼(もしくは放課後)に麺を食べよう』


 あるな。これはありそうだ。

 まずはこれが塚瀬さんの本意だと仮定して、ジャブを打ってみるのもいいだろう。


 本来であれば『めんって何? 詳しく言ってくれなきゃ分からないよ』というように返せばいいのかも知れない。

 しかし、そのように合理的な返信をされるのは塚瀬さんの望むところではないと思う。もっとも、これは僕なりの解釈だけど。

 そういった気遣いをせず、言葉足らずな自分でも受け入れてくれる相手として、きっと僕は選ばれたのだ。だから直接の答え合わせをしないのが、僕なりのプライドであり、僕らの間のちょっとした流儀だ。

 僕はスマートフォンの画面上で指を滑らせて、こう返信した。


『お昼ごはんだよね、じゃあ何か麺類を買っていくよ』


 正直、麺類の種類までは断定出来ないので、そこの特定は今後の展開を鑑みるしかないだろう。塚瀬さんからの返信はすぐに届いた。


『二つあるから』


 そしてこのメッセージの直後に、何かの動画のURLが送られてきた。

 ……謎が謎を生む展開。どうしたものか。

 とりあえずひとつずつクリアしていこう。

 まずは、送られてきたURLをタップする。リンク押下に反応して動画アプリが起動され、動画が再生される。どうやらバンドのミュージックビデオのようだ。

 うん? でもこれは日本人じゃないな、洋楽みたいだ。

 バンド名は<WITH LOVERウィズラヴァー>、楽曲名が<BONFIREバンフファイア>というらしい。

 スマートフォン横の音量ボタンを連打してサウンドを鳴らしてみると、中々にゴリゴリとしたロックサウンドである。のっけからサビなのか、テンションが高い。当然歌詞は英語のようだから、何を言っているのかは分からない。

 楽曲の情報をまとめると、こうだ。


 0:00~ のっけからサビ、テンション最高潮でスタート。

 1:00~ AメロからBメロへのパート

 2:00~ 大サビ、ラストの間奏へ


 という具合で、動画は三分きっかりで終了した。最後の最後まで激しくギターがかき鳴らされ、ドラムのバシンという破裂音と同時に動画が終了する。疾走感のある楽曲だった。

 再生数は一万弱なので、超有名バンドという事はなさそうだし、実際僕も初めてお目にかかった。


 さてと。

 これらの情報から、僕は塚瀬さんの本意を探らなくてはならない。

 一見して難しいような謎解きだが、意外と事実を並べていくと答えは見えてくる。


 まずは『二つあるから』の文面について考えるとする。

 これは僕が『何か麺類を買っていく』と言った事に対する、制止である。

 つまりは、塚瀬さんは僕の分まで二つ持っているから、買って来なくていいよ、と言いたいのだと考えられる。

 そして『二つある』という表現からして、既に塚瀬さんが持っているものなのだろう。これから買うなら二つ買うと言うだろうし、数が断定出来ている言い方なのは、既に手元にあるからだと思う。

 となれば学食でラーメンなどという可能性もなく、通学中にコンビニで買う弁当系の麺というものでもないのだと想定される。

 コンビニ麺を二つ手元に持っているという可能性はあるが、今が暑い季節であるという事実から、その可能性は排除してもいいだろう。

 そういったことを考慮した上で思いつく麺は一つ。


 カップ麺だ。

 塚瀬さんは今日、カップ麺を二つ持参する予定なのだと推測される。


 そして送られてきた動画のある特色が、その裏付けとなる。

 僕は何となく冷蔵庫に目を遣る。やはり、あのヒヨコのキッチンタイマーがなくなっていた。まあ分かってはいたけど、妹が犯人であることはもはや確実だ。

 しかしながら、塚瀬さんの動画の謎を解くのに、あのヒヨコがヒントをくれたことも否めない。


 そう、あの動画はカップ麺用のタイマーなのではないだろうか。

 定番のカップ麺の待ち時間と言えば三分である。この楽曲も三分きっかり。

 開始早々にサビで幕開け、そして終わるまでの三分間音楽が流れ続ける。つまりはお湯を入れて動画を再生、音が止んだら食べ頃なのだ。

 最後のドラムと一緒に割り箸でも割ってやればより気持ちが良さそうだ。


 そして更に、僕なりの使い方も思い浮かんだ。

 僕はカップ麺を少し早めに、硬麺で食べたい時がある。その場合は二回目のサビが始まったあたり、つまりは二分のところで食べればいい塩梅だと思われる。これは中々に便利な動画なのかも知れない。


 ただ一つ気がかりな点がある。

 何故、この動画なのか。無名のバンドでなくても、およそ三分の動画などいくらでもありそうなものだ。

 そもそもタイマー機能なんて昨今どのスマートフォンにも備わっている。


 ……ここで思い浮かぶのは、あまり当たってほしくはない推測だ。

 動画の曲名<BONFIRE>に着目してみる。もちろん知っている単語ではないが、翻訳機にかけてみれば特殊ではない英単語なのだと分かった。

 和訳すると<焚き火>になるらしい。

 もしかすると塚瀬さんは、カップ麺のお湯をアウトドア的な火おこしから始める気なのかも知れない。まったく、この予想だけは心底外れてほしい。

 何はともあれ、僕は塚瀬さんにメッセージを送る。


『僕の分までありがとう』


 すぐに既読マークが表示され、返信が来る。


『いっぱいあるから』


 うん、嚙み合っている。

 この文章から、カップ麺で正解なことはほぼ確認出来たと言えるだろう。

 焚き火するか否かは……いまは有耶無耶でもいい。嫌な予感はするけれど。


 僕は、大きく伸びをすると、学校へ向かうための準備を始めた。


 ―――Ⅱへ つづく―――

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