思い出という名のリグレット Ⅰ

 塚瀬さんと気まずい雰囲気で過ごしてしまった、参組男子会後の散歩時間。僕は自戒の念で悶々とした夏の日を過ごしていた。

 そして、あの散歩から二日後の朝に、突然このようなメッセージが届いたことで事態は急展開を見せるのである。


『カレー』


 ほう。カレーとな。

 これは流石に作りかけで送ってしまった文章だと思いたい。だってこれもうただの食品じゃないか。ここからの推測は困難だ。取りようによってはこれからインドにでも行こうと言われているんじゃないかとも考えられてしまう。

 僕がスマートフォンを睨みながら首を捻っていると、追撃が来る。


『お姉ちゃん』


 お姉ちゃん? さっきのと合わせると『カレーお姉ちゃん』か。

 それは新しいキャラクターか何かなのかな?

 小学生の頃、稀に校内放送で流れていた『コンピュータおばあちゃん』に通ずるものがある響きだ。今回は本当に謎が深い。

 ギブアップだ。そう送ろうとしていると、更に追加メッセージを受信する。


『いいかな?』


 いや何が? 分からない。考えが及ばない世界だ。

 結合すると『カレー お姉ちゃん いいかな?』となる。

 まあ塚瀬さんがいつもの調子に戻っていることに幾らか安心した気もするけれど。

 このままお手上げってのも微妙なので、少し頭を使ってみるとする。


 分かり易いところで行くと、お姉ちゃん。これはきっと塚瀬さんのお姉ちゃんなのだろう。確か名前は……のぞみさんだったかな? 三つ上だと言っていたから、二十歳に近い年齢のはずだ。


 次にカレーか。

 よく考えれば、これは前に話したことがあったような。そう、火起こしをするのにキャンプ場かなんかへ行こうという会話の中で、何を作るかの話題になった。そこで定番として挙がったのがカレーだった。つまりは、キャンプ場でのカレーをそろそろやろうというお誘いなのかも知れない。


 ……待てよ。

 じゃあ『お姉ちゃん』+『いいかな』の式にも一応の繋がりが出てきてしまうのではないだろうか。要するに、『火起こしからカレーを作る件、お姉ちゃんも一緒でもいいかな?』みたいな文章になりはしないだろうか?

 これはやはり、ギブアップとかではなく、しっかり確認した方がいい。推測を間違えたら、僕と塚瀬さんの間だけでは済まない問題が起こりかねない。


 僕は塚瀬さんとのメッセージ欄から、通話アイコンをタップすると、スマートフォンを耳に押し当ててコール音を聞く。

 数回同じメロディが繰り返されたところで、塚瀬さんが電話に出た。


『……はい』

「あ、塚瀬さん、ちょっとさっきのメッセージについての確認なんだけど……」


 僕がそう言っている最中、突然相手側の電話口がガサゴソと音を立てて、女性が揉めているような音声が遠巻きに聞こえた。と思ったら今度は女性の声の一つが急激に近付いて来る。


『――もしもーし、お電話変わりまして、岬の姉でーす!』

「……はい?」

『どうも、初めまして! 葉山君でしょ? 岬の姉の望です!』


 僕は困惑してうまく言葉が出ずに硬直してしまった。塚瀬さんのお姉さんがデートに出張ってくる可能性までは推測出来たが、まさか電話口に現れるとは思ってもみなかったからだ。我に返った僕はとっさに返す。


「あ、あのどうも、葉山緑と申します、その、あの、いつもお世話になって……」


 自分でもパニック丸出しである自覚があったが、それも仕方がないと客観的に思える変な冷静さもあって、尚の事混乱した。そんな僕の様子に電話口のお姉さんは快活な笑い声をあげる。


『アハハ、そんなに構えないでよ、私だって十代の女の子だし』

「いや、はい、それは、そうなんでしょうけど……」

『あのね、岬が暗号みたいな文章ばっか送ってるから代理で伝えるけどいいかな』


 ぐうの音も出ない程の正論を言われ、塚瀬さんは今どんな顔をしているのか気になったが、僕は取り合えず返事をする。


「あの、はい、お願いします」

『キミ達、今度キャンプ場行ってカレー作ろうって計画してるんだって?』

「はい、そうですね」

『泊り?』

「いやいやいや! そんな訳ないじゃないですか!!!」


 どんな剛速球放ってくるんだこのお姉さんは。僕は焦って即否定を返すとまたお姉さんの笑い声が響いた。


『アハハ! そのうぶな反応を見るに大丈夫そうだけど、一応は岬も女の子だからね。よく知らない男と遠出させるのは、姉として許せないんだよ』

「は、はい。そうですよね」

『てなわけで提案なんだけど、そのカレー作り、私も参加していいかな?

 私が車出して現場まで連れてってあげるからさ。もちろん、それなりに二人の時間も作ってあ・げ・る。どう?』

「え、いや、その……」


 お姉さんのあまりの勢いと提案に、僕が返事をしあぐねていると、今度は雑音の後に塚瀬さんの声が聞こえてくる。どうやらお姉さんからスマートフォンを奪い返したらしい。


『あの……ごめんなさい、お姉ちゃんが勝手に……』

「いや、いいんだ、ごめん僕の方こそ、上手く話せなくて……」

『お姉ちゃん、心配性で……お父さんもいないから、お姉ちゃんが変に私に厳しくて……』


 なるほど、お姉さんは父に代わって塚瀬さんの保護・観察という立場を自任しているのか。だったらしっかり説得するか、もしくは同行を許容するかしかなさそうだ。前者は中々骨の折れる作業になりそうだし、嫌は嫌だけど、今回はお姉さん同伴という形にするしか、落としどころはなさそうだ。


「僕はいいよ、お姉さんが一緒でも」

『……え、いいの……?』

「そりゃ……ちょっとは思うところもあるけど、どの道お姉さんに会って、信用してもらわないと、この先も難しそうだし……」

『そう……だね。ごめんね、ありがとう』


 塚瀬さんのその言葉を合図にしたかのように、また雑音と共に声の主が入れ替わるイベントが発生する。


『よーし! どうやら話はまとまったみたいだね! じゃあ葉山少年、日時は追って岬から連絡するので、しばし待っていて! それじゃあ!』


 その声を最後に、通話終了の音が一方的に流れる。まさに嵐のような出来事に、しばし電話を耳に押し当てたまま放心していた。


 冷静に考えると、何かすごい約束をしたんじゃなかろうか。塚瀬さんと塚瀬さんのお姉さんの運転で、どこぞのキャンプ場にカレーを作りに行く。

 何だこのイベントは。安藤に言っても武田君に言っても困惑されるだろう。木田君だけは何となく『いいな!』で済ませてしまいそうだけど。今はその豪快な性格を少し羨ましく感じる。


 ぼうっとしたまま昼までを過ごした僕は、そうめんを啜りながら甲子園を見ていた。自分とは全く関係のない他県同士の争いだというのに、点差が拮抗していると、どうにも目が離せなくなってしまうのだからすごいものだ。同じ高校生として、真剣勝負で全国を熱狂させる彼らを誇りに思う。

 でもな、僕も何やらすごいイベントに巻き込まれそうなんだよ。君達とは違ってごく小規模な、ごく小市民的なイベントなのだけれど。


 啜ったそうめんに、溶けていなかったワサビの塊が混入してむせそうになっていたその時、僕のスマートフォンがメッセージの受信を告げる。

 相手はもちろん塚瀬さん……ではない?

 表示名は塚瀬さんなのだが、文章があからさまに別人なのだ。


『〇月×日 小野井渓谷キャンプ場 カレー作り

 集合:午前七時半。久川中央駅前ロータリー。

 ※解散は十八時頃を予定

 服装:夏らしいもの。念のため長袖長ズボンを用意。

 持物:遊び道具など。食品等は現地調達

 ※親御さんにも行先等しっかり伝えてくること!』


 これは、またお姉さんがスマートフォンを奪って打ったに違いない文章である。

 何と言うか、学校行事のような細かさに、いささかデートという感じではない。

 もういっそのこと、妹も連れて行ってやろうか。そんな気持ちにすらなる。


 今夏で一番のドキドキイベントとなるはずが、別の意味で心臓が刺激されるものになりそうだ。そして指定の日は、もうすぐそこに迫っている。心の準備が追い付くかどうか、少し考えてみるかな。


 ―― Ⅱへつづく ――

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