参組男子会~夏の陣~ Ⅳ

 僕は何となくの予測だけで、いつものパスタ屋<パストロング>の前で待つことにした。既に駅前の駐輪場に自転車は移してあるし、散歩の準備は万端だ。

 時計は五時前を刻んでいるが、外気は暑いしまだまだ明るい。蝉の声も昼間よりは自重気味に感じられ、何となく夏らしい夕暮れを迎えている。


 その姿は予想外の方向から現れた。階段を下り駅構内から余所行きの服装で。

 僕はてっきり塚瀬さんは自宅にいるものとばかり考えていたが、この時間まで何か予定があったようだ。こう言っちゃなんだが、僕と会う時よりめかし込んでいる気がする。誰と会っていたのだろう。僕は挨拶より先に口に出す。


「どこか、行ってたの?」

「うん……花井さんと、買い物」


 なるほど、噂の花井さんとか。そんなに仲良かったんだ。これは後で聞こうと思っている内容についても、確証が得られる可能性が高そうだ。相手を知って安心した僕は、ようやく言うべきことを思い出した。


「あ、ごめんね、今日は急に呼んじゃって。花井さんとまだ遊ぶ予定だった?」


 塚瀬さんは、小さくかぶりを振った。


「ううん、逆に、この時間まで、付き合ってもらったくらい」

「そっか、変な時間で花井さんにも悪かったね」

「大丈夫」

「うん……よし、じゃあ行こうか。寄りたいところがあるんだけど、いい?」

「いい」


 僕は塚瀬さんが横に並ぶのを待って、歩き出した。散歩と言った手前、やはり少しは歩いた方がいいだろう。ここで立ち話というのもなんだし。僕は歩きながら、今日知った情報をもとに会話を紡ぎ出す。


「武田君に聞いたんだけど、武田君と塚瀬さん、小学校から一緒なんだってね」

「うん」

「今日は<五十貝いそがい>で男子会をやったんだけど、あのお店って武田君のお母さんが働いているんだね」

「うん、中学の頃、クラス会やったことある」

「そうなんだ、何か今日、僕は知らないことだらけだったよ」


 口をついて出たその言葉に自分自身困惑する。知らないことだらけなんて、なんかちょっと、嫌味っぽくないか。塚瀬さんから情報を聞き出せていないのは、僕がその内容について聞いていないというだけの事なのに。僕は話題を切り替える。


「そういえば、塚瀬さんのお父さんも前は駅前でお店やってたんだよね。<五十貝>みたいにクラス会やったりしたことはないの?」

「……ある。小学校の……頃」

「そうなんだ! いいな、僕も行ってみたかった」


 ……また余計なことを言っている気がする。どうしたんだ僕は。いらぬ一言が耐えられないというか何というか。無理なことを言っても仕方がないと分かっているのに。塚瀬さんは困ったように小さく発する。


「……イタリア」

「……だよね」


 そう。もうお父さんのお店<Capoカーポ>は駅前に、むしろ日本に存在しないのだ。食べたかったなどと宣うのは嫌味ととられかねない。もう昔話系はやめた方がいいかも知れない。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、塚瀬さんが口を開く。


「……今から、どこ行くの?」

「ああ、ちょっと<ビッグマイク>にね」


 塚瀬さんは怪談話でも聞いたかのように身体を強張らせる。


「……カラオケ……苦手」

「いや、歌う訳じゃないんだよ、ちょっと訊きたいことがあってさ」

「あ……そうなんだ」


 塚瀬さんは安堵したように口元を緩めた。確かに逆の立場で塚瀬さんの口から突然『……カラオケ』なんて飛び出したら僕も焦るだろうな。ここは強い否定をしておくべきだろう。


「ちなみに僕もカラオケ苦手だから、今後も誘うことはないと思うよ」

「……うん」


 塚瀬さんはまだ会って幾ばくも無いが、現時点で今日一の笑顔を見せた。

 そうこうしている間に、<ビッグマイク>のビルが見えてきた。

 この店舗は小型のビル全体が<ビッグマイク>となっており、一階が受付で上の階以降が個々のカラオケルームという作りだ。この辺りでは一番大きいカラオケ店であり、部屋数も多く利用者も多い。そして当然、店員も多いはずだ。


 僕と塚瀬さんが自動ドアの前に立つとすぐさまドアが開いて迎え入れる。店内は眩しいくらいの照明と、あちらこちらにあるモニターで、目がチカチカとしてくる。僕と塚瀬さんが目をしばたたかせていると、カウンター越しに店員が声を掛けてくる。


「いらっしゃいませ、二名様でよろしいですか?」


 塚瀬さんが隣で強かに首を振っているので、慌てて僕が否定の言葉を返す。


「いえ、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」

「あ、はいはい、なんでしょう」


 客ではないと知ったためか、幾分トーンダウンした店員が訊き返す。バーテンダーのような服装に身を包み、シルバーっぽい髪色の若い男性店員だ。カラオケ店だから気にはならないが、きっと普通のアルバイトならば即日却下されてしまいそうな出で立ちである。


「すみません、今このお店では、店員さんが何人くらい働いていますか?」

「店員? バイトと社員合わせてってことでいいかい?」

「はい、それで結構です」

「んー夏休み中だからちょっと多くて、全員は把握出来ないけど、八人は入ってんじゃないかなあ」

「八人……そうですよね、四人ってことはないですよね?」

「それはないねー。そもそもうちは最低でもキッチンとホールとで五人はいるよ。暇で仕方ない平日の昼間でもね」

「そうですか、分かりました、ありがとうございます」


 話しているうちにどんどんフランクになっていった店員は、カウンターに肘をついて身を乗り出した。


「てゆーかさ、なんでそんなこと聞くの? もしかして、うちでバイト希望?」

「いえ、そういう訳では……」

「そっかー残念。今人減っててさ、入ってくれると助かるんだけど」

「いやあの、すみません……それでは失礼しました」


 踵を返した後、背中に『歌っていかない?』などと言葉を浴びた気がするが、僕と塚瀬さんは立ち止まらずに、そそくさと店を後にした。

 少し離れたところまで止まらずに進むと、塚瀬さんがふーっと息を吐いて立ち止まる。緊張から解放されたといった表情だ。


「……何を、知りたかったの?」

「いやちょっと、店員さんの数をね」

「どうして?」

「木田君の言葉が疑わしくって」

「……木田君?」


 僕は近くに見える建物と建物の間の、小さな公園のベンチを指差した。座ろうと目顔で示すと塚瀬さんも納得したように歩き始める。

 ベンチに腰掛けると、僕は今日の男子会の大まかな流れを話した。そして、内容は木田君のカラオケ店の予約の話に及ぶ。


「木田君は言ったんだ、『店員が四人しかしないから十人は無理だ』と言って予約を断られたって」

「うん」

「でもさ、十人いようが何だろうが、別に店員の数なんて関係ないと思うんだよね」

「……さっきも」

「うん、さっきの店員さんも言っていた通り、今も十人に満たない店員で、あのビル全体を回しているみたいだった」


 塚瀬さんは小さく頷いた後に、目を宙に向けながら小首を傾げる。


「でも、断られた……」

「そうなんだ。でもさ、実際そんなに混んでるように見えなかったよね。それに木田君の電話の内容でも『部屋は空いている』って話があったらしい」

「……わかんない」


 塚瀬さんは眉間にしわを寄せて下を向く。人には期せずして結構な謎を吹っ掛ける塚瀬さんも、人からの謎かけには難色を示すらしい。僕はなるべく早口にならないように、話をまとめにかかる。


「数字を含めてを話を整理するとこうなるんだ。

 こちらは十名で予約を取ろうとした、そして店員さんは部屋は空いているけど、店員が四名しかいないから無理だと断った。もちろんこれは、木田君の話を信用した場合だけれど」

「うん」

「そしてさっき<ビッグマイク>の店員さんは、今日は店員が八人はいると言った。この時点でもう食い違う。どちらかが嘘をついている可能性を除けば、どこかでどちらかの勘違いが発生していると思うんだ」

「あ、そうか……」


 なにか閃いた様子の塚瀬さんは、切れ長の目をカッと見開いた。

 そう、今回の件は単純な『聞き違い』で片付けられる話なのだ。

 その内容は『定員』と『店員』だ。


「きっと木田君はこう言われたと思うんだよね。『部屋は空いているんですが、が四人なんですよね』ってな感じの事を」

「……それで、が、四人……」

「そう、要するに十人が入る部屋は無かった、けれど定員が四人の部屋なら空いていると言われたんだと思う。なんだけど、堪え性がない木田君は断られたと思ってさっさと切ってしまったんじゃないかな」

「……それを、確かめたかったの?」

「うん、まあ」


 塚瀬さんは小さく笑い声を立てながら言う。


「葉山君、らしいね」

「そうかなあ」


 僕はそんなに気になったり謎解きが好きだったりする訳ではないと思うんだけれど。僕は彼女が塚瀬さんだから、どうしても謎を解く必要が発生してしまうだけだと、自分では思っている。

 けれど安藤も塚瀬さんも、どうにも僕が謎に挑む体質であるかのように感じているらしい。誤解も甚だしい。


「まあでも、この件で聞き違いや言い違い、気を付けないといけないなって改めて感じたのは確かだね」

「……うん」

「特にさ『定員』と『店員』なんて、かなり紛らわしいよ。口の動きだけならほとんど同じようなものだしね」

「……そう……だね」


 返事をしながら、塚瀬さんが表情を曇らせた。何か思い当たる節でもあるのだろうか。まあ確かに塚瀬さんは、一言二言で内容を伝えようとする傾向があるし、一つの聞き違いがクリティカルヒットとなる可能性を孕んでいる。こういった実例を目の前にして真摯に受け止めてしまう気持ちも分からんでもない。


 にしても塚瀬さんが思いのほかドヨンとした重い空気を纏ってしまったので、僕は話を変えることにした。


「あの、気になったことがあるんだけど、訊いてもいい?」

「……どうぞ」


 どうぞって。本当にテンションが下がっているな、塚瀬さん。


「あの……今日さ、男子会のことを『なつのじん』って書いたじゃない? あれって誰から訊いた言葉なのかな? 僕は言っていないと思うんだ」

「……今日、花井さんが、そう言ってた」


 ビンゴだ。

 これは武田君と花井さんというビッグカップルが成立していることの裏付けになるのではないだろうか。問題は、それを塚瀬さんが知っているのか否か。そして、もしそうだとして、花井さんがそれを包み隠す理由だ。


「……花井さんってさ、彼氏いるのかな?」

「なんで?」


 塚瀬さんは、釣り目が最大限に活かされた角度で僕に鋭い目線を送る。正直言って知らない人だったらかなり怖いだろう目だ。僕は怯んで少し身を引く。


「あ、いや、今日の男子会でね、花井さんは人気があって、皆が気にしてたんだよ、彼氏いるのかなって」

「ああ……そう」


 殺気を静めた様子にホッとしていると、塚瀬さんは続けた。


「……いるんじゃないかな……」

「え、そうなんだ。そりゃあクラスの男子が悲しむね」


 幾分芝居がかっていたかも知れない僕に対し、塚瀬さんは付け足した。


「でも、本人からは聞いてない。何となく、そう思うだけ」


 女の勘ってやつなのかな。でもきっとそれは正しいのだと思う。

 ただ単に『夏の陣』と『男子会』というフレーズから沸き上がった連想。たったのそれだけのことなのだけれど、事実の糸を辿ってい行くと、武田君と花井さんには何らかの関係はあるのだろう。

 今のところ、この話はここらで止めておいた方が良さそうな気がする。当人達が隠していることだし。


 僕は表情を伺おうと、塚瀬さんの方を向いた。

 ベンチに腰かけている塚瀬さんは、デニムスカートを太腿の内側に、手甲ごと押し込みながら座りなおした。白い膝が見えて、よく見ればドキッとする格好だ。

 せっかく向けた目線を、僕は再び正面に戻した。


「……夏休み、どこか、行くの?」


 何の前触れもなく塚瀬さんが訊いてくる。

 これは恐らく、家族行事的な事を訊いているのだろう。儀礼的関心然とした質問に対し、僕も同様に応じた。


「今年はその予定はないよ。塚瀬さんは、お父さんのところ……イタリアに行ったりとかするの?」

「それは、ない」


 はっきりと否定される。

 塚瀬さんは、お父さんの話題を何となく嫌がっているような気がした。そう感じたのに、僕は質問を続けてしまった。


「お父さんが、こっちに戻ってきたりはしないの?」

「……知らない」


 知らない……訳ないよな。

 その言い方だと、否定ではない。つまりはお父さんは戻ってくるのかも知れない。でもそれをはっきり言わないというのは、その事柄についての拒絶なのだろう。


「二年くらい、会っていないんだっけ?」

「……この話、やめて」


 僕の言葉をそう切り捨てて、塚瀬さんはスッと立ち上がった。

 こんなに明確に拒否をされたのは初めてかも知れない。この後の散歩などのプラン、手を繋いで歩きたいだとか、出来れば夕飯を共にしたいだとか、そう言った考えを提案することが憚られる程、明確な拒絶を受けた。


 これが『聞き違い』ならばどんなに良かったことか。でもこれは間違いではない。僕ははっきりと、『やめて』と言われた。

 僕自身に無駄な好奇心なのか、世話焼き心なのか、独善的な考えがあったことは否定できない。もしくは、皆が知らない塚瀬さんを、踏み込んで知りたかったという気持ちもあったのかも知れない。

 後悔は先に立ってはくれないから、後悔なんだ。僕はそれを痛感した。余計なことに首を突っ込むべきではなかった。


「……行こう」

 

 塚瀬さんはそう呟いた。夕日が隠して見えない顔は、どんな表情なのかな。

 その声音から大体の想像はつくけれど。

 なんだか、今日をどう過ごしていいか分からなくなったが、とにかく不要な詮索と会話は避けて、当たり障りのない話でやり過ごすしかない。


 そんなことを考えていると、今日一日の疲れがどっと体に押し寄せて、なんだかベンチから立ち上がるのも、億劫に感じられた。


 ―― つづく ――

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