MEETS A EATS Ⅰ

 日曜日だった。

 目覚まし無しで身体からだの欲するがままに睡眠をとり、時計などに目もくれずに朝食のパンをかじり、再び自室の布団へと戻って来た。

 期末テストが目前に迫っている自覚はあったが、別に勉強をするでもなく、何となく気になった動画でも眺めて時間を浪費する。

 気付けばもう十一時だ。何もしていない時間というのは、かくも早く過ぎるか。


 そんな時スマートフォンが新着メッセージを告げた。


『暇』


 漢字一文字にして、現在の状況を伝える手段として最高の効率を誇るであろうメッセージ。もちろん相手は塚瀬つかせさん。流石の一言だ。

 塚瀬さんも僕と同様に高校一年生の限られた時間を無駄に費やしているということだろう。これは奇異な話だ。交際している男女が互いに暇を持て余しているなんて、あってはいけないことではなかろうか。僕は指を走らせる。


『僕も退屈してたんだ。図書館でも行かない?』


 そうメッセージを送ると、すぐに返信があった。


『十一時半に』


 うん、了解ってことだよな、これは。

 どの図書館とか言ってないけど大丈夫なのかな?


 ……最近思う。

 塚瀬さん、交際してから時間が経てば経つほど、なぜか反比例してメッセージも会話もどんどんスリム化されちゃってる気がするのだが。普通逆じゃないか。

 これ以上効率化されて、真意にたどり着けなくなったら一大事。そうなる前に何か手を打たないと。


 それはそうと、図書館に三十分後となれば僕も速やかに準備をする必要がある。

 彼女と会うのに左半分が逆立ったパンクな髪型ではまずいだろうし。


 *****


 最低限の身なりを整えた僕は、自転車に跨がって家を出た。

 交際してから分かったことだが、僕と塚瀬さんの家はそう離れていない。

 同じ市内なのはもちろん、同じ久川地区ひさかわちくに住んでいる。久川南ひさかわみなみに僕、久川北ひさかわきたに塚瀬さん。使っている駅こそひとつ違うが、距離的には大して離れていないし、出身中学だって隣同士だ。探せば共通の知人くらいはいるんじゃないだろうか。


 そんな訳で、地元民たる僕と塚瀬さんが『図書館』と言えば、基本的に<市立久川図書館しりつひさかわとしょかん>になると考えるのが自然だ。塚瀬さんが図書館について確認をとらなかったのも、その前提があるゆえなのだろう。

 久川北と南は県道五号線によって隔てられているが、図書館は県道五号線の北側の車線に面して建てられているので、住所の上では久川北となる。

 そのためほんの少しだが塚瀬さん寄りだ。僕の家からなら自転車で十分といったところかな。でも今日は暑いし十五分くらい見ておいた方がいいかも知れない。


 図書館前の県道五号線は、真っすぐに久川中央駅ひさかわちゅうおうえきの方向に伸びている。この駅は塚瀬さんが普段利用している駅で、図書館からは歩いて十分程度というところだ。

 久川中央の駅前に行けばそれなりに栄えていて、目抜き通りには飲食店も多く立ち並ぶ。そこから図書館の方に進むにつれて、次第に住宅街の色が濃くなる。

 最近では優に十階を超えるようなマンションもちらほら建っており、図書館を利用する人も増えている。相対的に図書館の存在価値も高まったと言えそうだ。


 *****


 僕はブレーキを握りしめて、図書館前の歩道に乗り付ける。

 額から流れた汗が輪郭をなぞるようにして顎先から垂れた。あっつい。

 秋口には銀杏ぎんなんの実と悪臭をまき散らす街路樹のイチョウに、今日だけは全力でお礼を言いたい。君の日影という回復エリアがなければ、僕は溶けていた。


「イチョウ、助かったよ」

「こんにちは」


 僕が愛おしそうに木と触れ合っていたその時、背後から声がした。

 こんな時に限って、はきはきとした口調で。


「あ、やあ、こんにちは。いや、中で待ってるかと思ったよ」

「私も、今来たの」


 当然相手は塚瀬さんだった。

 不意を突かれてどぎまぎした僕を見て、ちょっと嬉しそうだ。

 汗が光る僕とは対照的に、なんとも涼し気な出で立ちである。

 後ろで一つにまとめた髪、シンプルな白いTシャツ、デニムのショートパンツ、そして黄色いサンダル。特段着飾った訳ではなさそうなのにドキッとするほど洒落て見えるのは、塚瀬さんのスタイルが為せるわざだろう。このまま都会だって歩けそうだ。

 形の良い眉がいつもより目立つのも、爽やかさを引き立てている。


「バスで来た?」

「ううん。お母さんが、車で」


 送ってくれたのか。それで強気の三十分後指定、そしてサンダルで来られた訳だ。

 僕はポケットから出したハンドタオルで額の汗を拭う。そして自転車のスタンドを蹴り上げた。


「行こうか。とりあえず自転車置いてくるから、先に入ってて」


 塚瀬さんが小さく頷いたのを確認して、僕は本館脇の駐輪場へと漕ぎ出した。

 駐輪場で発行された領収書に時間が刻まれていた。十一時二十五分。二人とも待ち合わせ五分前に着くとは優秀じゃないか。


 駐輪場側の入口から図書館に入る。

 自動ドアが開くや否や、涼しいを超えた冷たい空気のお出迎え。

 思わず恍惚として目が閉じる。毛穴が驚いて塞がっていくのが分かるようだ。


「……行ける?」


 目を開くと塚瀬さんが、少しはにかんだ顔で覗き込んでいた。今日は僕の隙を突くのが抜群に上手い。というか僕に隙が多いのか。


「行け……ます」

「じゃあ、行こ」


 今日はやけにリードしてくるな。僕の隙を連続して突けていることでご機嫌なのかも知れない。反対に僕はいつもより言葉少なだ。

 前を歩く塚瀬さんは、海外の小説棚を突っ切り、国内作家の棚を突っ切り、子供たちが嬉々として本を選んでいるコーナーで足を止める。

 白い足を曲げてしゃがみ込むと、一冊の絵本を人差し指で引き出した。


「なつかしい……」

「何の本?」


 僕も隣にしゃがみ込む。

 塚瀬さんは表紙が見えるようにして、僕の眼前に本を突き出す。

 タイトルは<タツノコタッツー>という本だった。表紙にでかでかとタツノオトシゴが描かれているから、主人公はコイツなのだろう。デフォルメされた絵は実物よりも幾分可愛らしいので、塚瀬さんのような女の子にも抵抗はなさそうだ。


「可愛いね、どんな本なの?」

「タッツーが、おなかで卵を守りながら、育てる話」

「へえ。好きだったの」

「……うん」


 実際の生態に則した話なのか、意外とためになりそうな絵本だ。

 他にもっとウサギやらクマやらがモチーフの、可愛らしい絵本もありそうなものだが、そこでタツノオトシゴにいくあたり、流石というか塚瀬さんらしくて面白い。


 どうやら塚瀬さんは絵本が好きらしい。

 どの本もキラキラした眼差しで、時に手に取って、楽しんでいるようだ。

 絵本というのは短い言葉で大きな意味を包含するようなものがあるし、考えてみれば塚瀬さんの言動と親和性があるのかも知れない。


 本棚の中央に位置するソファーに腰かけ、そんな塚瀬さんを微笑ましく眺めていた。保護者か僕は。

 しかし次の瞬間、塚瀬さんはふと何かを思い出したようにしてこちらに目を向け、すたすたと歩み寄ってくる。なんだ、どうした。


「……そろそろ、行こう」

「あ、うん」


 しまった。

 図書館に来たのはいいが、その後のことを全く考えていなかった。

 まだここへ来て三十分程度だが、どうやらそろそろ別のどこかへ行きたいということらしい。意外と早いな、どうしたものか。


 とりあえず、僕達は外に出てみることにした。

 並んで自動ドアの前に立つと、すぐにドアが開く。

 途端に、モワッとした熱気が身体中を包み、今が夏なのだと細胞レベルで思い出させてくるようだ。外あっつ。

 だるような暑さとはこのことかなどと考えていると、ふと目の前の県道沿いの道を、一台の自転車が横切った。

 運転者の身体よりも厚みのある、黒く四角いリュックを背負っている。そのリュックには<タクハEATSイーツ>と、でかでかと刻まれていた。

 最近よく見るデリバリーの配達員らしい。この暑いのにご苦労様です。

 何の気なしに、塚瀬さんもそれを目で追っていたようだった。


 あの手のデリバリーというのは、特定の飲食店に属している訳ではなく、その近隣の人が注文したものを代わりに店に出向いて購入し、届けるという仕事らしい。

 いまいちそのメカニズムは分からないが、利用する側にとっては便利なものなのだろう。


 そうだ!

 僕は閃いた。ノープランでここまで来てしまったが、塚瀬さんとちょっとしたゲームで勝負するというのはどうだろうか。

 名付けて『<タクハEATS>に出会いまSHOW』とでもするか。やめよう。


「塚瀬さん、ゲームを考えたんだけど、勝負してみない?」

「え……」


 乗り気ではない。伏し目がちに僕を見る。

 ええい、内容を聞いてからその顔をしてほしいものだ。


「今見た<タクハEATS>の配達員いるでしょ?

 今から三十分で、それを多く見た方が勝ちってゲームをしよう!」

「……勝ったら?」


 顔は相変わらず覇気を示していないが、勝者のアドバンテージを気にしている辺り、乗り気じゃないという訳でもないのだろう。

 勝者の利点か、どうしようかな。


「負けた方が勝った方に、お昼ご飯をご馳走するっていうのは?」

「いいよ」


 塚瀬さんは、はっきりと、むしろ食い気味にそう返した。珍しい。

 まるで「さっさと始めようぜ!」と言わんばかりの表情である。

 僕はあまり予算を持っていないのだが、塚瀬さんは大丈夫なのだろうか。

 勢いで始めてしまったが、塚瀬さんとこう敵対するというのは初めてなんじゃないだろうか。僕は勝負師としての塚瀬さんを知らない。やる気を出したと思しきその表情を見ると、少し怖くもある。


 しかし僕だって、甘んじて昼食代を持つつもりはない。

 この勝負、負けることは出来ない――。


 ―――Ⅱへ つづく―――

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