彼女の気持ちは単語から Ⅱ
高校の最寄り駅の改札を出たところで、
別に一緒に行く約束をしたことはないけれど、どちらからともなく、最寄り駅で相手を待つのがルールみたいになっている。
幸いなことに、まだ付き合ってから互いに欠席をしたことがないから助かっているが、そろそろ欠席時の連絡など決めておいた方がいいのかも知れない。
「おはよう」
「……おはよ」
僕が声をかけると塚瀬さんは吐息のような挨拶を返しながら、横にすっと寄り添って歩き始めた。毎日の事ながら、この行動で待ち人は僕だったのだと安心する。
塚瀬さんは、いつもは持っていない大きめの紙袋を持っていた。中を悟られないためか目隠し用の布が被せてあるが、十中八九これがカップ麺だろう。にしては袋が大きいような気もするけれど。
そんな考察をしていると、塚瀬さんの瞳が僕の目を捉える。
僕は身長が百七十センチあるけれど、塚瀬さんと目線はほとんど変わらない。冬になってヒールの高いブーツでも履かれようものなら、僕の身長では危険区域に入るかも知れない。それくらい塚瀬さんはスタイルがいい。
ほぼ一直線に交わった目線の先の塚瀬さんは、口を小さく動かした。
「軍手……ある?」
珍しくシンプルかつ確信に迫る言葉を発するじゃないか。
いやいや、なんで軍手が必要なんだ。
本当に自然の力で水からお湯を入手しようって言うのか。
「……軍手いるの?」
「ないなら、ないで」
いいってことか。
良かった、必須ではないらしい。でもあったらいいな的なニュアンスだよな。
いや、もうこれ火起こし確定だろ。
*****
――四限目が終わった。
昼休み開始を告げるベルが鳴っている。
僕は教科書とノートを机に押し込んでから目線を上に戻すと、そこには既に塚瀬さんが立っていた。まるで音がしなかったのだが、彼女は隠密系の歩行スキルでも修めているのだろうか。
「めん、行こう」
人によっては『MEN! 行こう』に聞こえなくもなさそうだが、僕にはこれがしっかりと『お昼だよ、カップ麺を食べに行こう』に脳内変換されて聞こえてしまうから不思議だ。
席を立ち、滑るように移動する塚瀬さんの後をついて行く。
教室を出て、外履きに履き替えるとこまでは良かった。しかし塚瀬さんはずんずんと僕にとっての未開の地へと歩を進めていく。
教室のある新館を出て、高学年の入る旧館も超えて、部室棟のある建物の裏まで迷いなく進んで行くのだ。
「あの、塚瀬さん、どこまで行くの?」
「焼却炉……跡地」
怖いな、響きが。そんな場所、うちの高校にあったんだ。
一応明らかになった目的地に向け僕らは足を動かす。お腹も減ってきた。
そしてたどり着いたのは、部室棟の裏にある用具倉庫の裏。裏の裏だ。
でも確かにそこには、焼却炉があったと思しきコンクリの敷き詰められた一帯があり、コの字型の石壁が設置されていた。よく見ればコンクリにも石壁にも少し
「確かに焼却炉跡みたいだけど、いいのかな火なんて使って」
「ワンダーフォーゲル部……やってた」
いや、ワンゲル部は登山とか目指してる感じでしょ? 部活動という大義名分があってやってるんだろうけど、僕らの場合はカップ麺だからなぁ……。
僕がどうしたものかと考えていると、塚瀬さんは既にコンクリにしゃがみ込んで紙袋をひっくり返していた。
しゃがみ込むときにスカートを膝裏に畳み込む姿なんて、艶っぽくて品があるのに、紙袋をひっくり返す動作は三歳児のそれのようなガサツさだ。
中からはカップ麺二つと、割り箸の束。持ち手が折りたためるようになった金属製の小鍋。更には巨大なチョコレートみたいな『着火剤』と書かれた物。
……本気だ、塚瀬さんは本気で火を起こす気なんだ。
僕が顔を引き攣らせていると、塚瀬さんは僕の顔の前にずいとステンレス製の水筒を突き出す。この中の水を沸かすんだ、とでも言いたいのだろうか。塚瀬さんが上目遣いに呟く。
「お湯……」
沸かせって? まぁもともと火を扱っていた場所だし、部活動でやっていた形跡もあるようなので安全面で言えば大丈夫なんだろうけど、先生に見つかったら結構な処分を受けそうだよな。どうかバレませんように……。
半分悟りを開きかけていた僕に対し、塚瀬さんは未だつぶらな瞳を向けていた。
「お湯……」
お湯? はいはい、さっさと沸かせっていうのかい。
そうだな、まずは着火剤を並べて、その上に多めに持って来られている割り箸で
「火は持ってきた? ライターとかあるの?」
「え……」
真剣に火起こしと向き合い始めた僕を見て、塚瀬さんは申し訳なさそうに眉を八の字に歪める。そして口元を隠すように手で覆った。
「……ない。見つかったら、大変」
高校生+ライターなんて喫煙を疑えと言ってるのと同義だし。
でもさ、火種が無けりゃ火起こしなんて出来っこないじゃないか。
……ていうか何故、塚瀬さんがちょっと引いている感じになっているんだろうか。
そこでふと塚瀬さんの持っている水筒に目が行った。
そう言えばさっきから、塚瀬さんは水筒を僕に突き出しながら何て言ってたっけ?
……お湯……。
あ、そうか。僕は肩の力が抜けた。
「……もしかして塚瀬さん、水筒にお湯、作ってきたの?」
塚瀬さんは口元を覆っていた手を下す。その表情が明らかになると、なんともコケティッシュな笑みを浮かべていた。そして小さくこくりと頷いた。
なんだよ、お湯あるんかい。
じゃあさ、この是が非でも火を起こしたそうなセットは一体何だって言うんだ。
朝だって軍手の有無を確認してたし、本気かと思ったじゃないか。
「……火、起こすと思った?」
「そりゃ思うよ」
「……ごめんね」
ごめんねと言いつつも、その顔には笑みを湛えている。上手く引っ掛かったことが嬉しいということなのかな。最初からドッキリ的な意味でこんなに道具を持ってきたってことか。その労力には敬意を表する。
「いやいいよ、火起こしせずに済んで助かったし」
僕がそう言うと、何故だか一瞬笑みを凍らせた塚瀬さんだったが、すぐにその手を動かし始めた。白い指でカップ麺の包装されたビニールを破る。
カップ麺は最もポピュラーなタイプのものだ。味はシーフード。
当然、待ち時間も三分。
カップ麺の蓋を半分まで開け、今度は水筒の蓋をひねる。そこで一度上目遣いに僕の方を見る。なんだよ。いいよ沸かしたお湯なんかじゃなくて。
塚瀬さんは少し微笑むと、トクトクとお湯を注ぎ始めた。朝沸かしたのものなのだろうが、今現在でも確実に火傷を負うだろう温度であることが、立ち上る湯気の勢いから容易に想像出来る。
二つ目のカップ麺にお湯を注いだ塚瀬さんは、いつの間にやら準備していたスマートフォンをポケットから出して地面に置き、これまた既に準備が整っている動画アプリ内の、再生ボタンをタップした。
<
僕は純粋な疑問投げかけた。
「この曲、どこで知ったの?」
問われた塚瀬さんは、スマートフォンの画面を見つめたまま、目をまん丸くした。そして頬を赤らめている。いつもよりも更に、まごまごと答える。
「……検索してたの……そしたら、たまたま……」
「何を検索してたら、再生数一万程度のこのバンドに行きつくの?」
「……別に……」
塚瀬さんは口ごもった。何を検索していたかは気になったが、深く詮索するのも器が小さいと思われるかも知れない。ここらで引こう。
こう見えて塚瀬さんは調べたりする能力が高い。この間も僕が探していた書籍を、海外の通販サイトから見つけてきてくれたことがあった。日本語で検索しても通常価格で取引されているものが無かったのに、書籍名を英訳したタイトルで調べると、意外とヒットするものがあったらしい。
だから何を調べていたにせよ、塚瀬さんがマイナーな洋楽に行き当たったのはそんなに不思議な事ではないのだ。
そうこうしている間に<BONFIRE>が大サビで二分経過を教えてくれた。
僕は『頂きます』と塚瀬さんに目顔で示し、カップ麺に手を伸ばす。
「……硬麺?」
「そうだね、日によるけど」
「……そう」
塚瀬さんはそう言うと、自分もカップ麺に手をかけた。意外と硬麺派だったのかも知れない。僕らはほぼ同時にカップ麺の蓋を全開にする。
「じゃあ、いただきます」
「……いただきます」
二人で手を合わせて、同時に食べ始めた。
軽くまぜてから、束にして麺を口に運ぶ。
うーん……やはり熱湯とまではいかなかったからか、いつもの硬めの麵よりも、さらに硬い感じがした。しまったな、その点を考慮して普通に三分で良かったのかも。
僕が塚瀬さんをチラッと見ると、塚瀬さんも同時に僕を見た。
どちらからともなく、笑みがこぼれた。きっと同じことを思っていたのだろう。
その時、丁度<BONFIRE>の演奏が終わりを告げた。
「今、だったかな」
「今……だったかも」
僕らは失敗した。でもそれは正解だったように思う。
こういう共通の失敗を重ねて、思い出というのは出来ていくのだと思うから。
何より、少し失敗したはずのカップ麺を満足そうに頬張る塚瀬さんの顔が、それを証明しているじゃないか。
満面の笑みという訳ではないけれど、そこはかとなく嬉しそう。
今の塚瀬さんを見ていると、先程の表情が気になってくる。
あの、検索した内容を問いかけた時の、どこか恥ずかしそうな顔が。
検索していたことがバレて、照れるようなもの、あるだろうか。
検索して調べる……そして<WITH LOVER>という無名バンド。
その<BONFIRE>という楽曲。
……そうか、塚瀬さんの調べ方を考えれば分かるのかも知れない。
僕はスマートフォンを取り出し、英和の翻訳アプリを呼び出した。
そしてこう打ち込む。
<BONFIRE WITH LOVER>
例のバンド名と楽曲名を繋げただけ。その翻訳結果はこうだ。
<恋人との焚き火>
これで分かった気がする。
塚瀬さんの真意。とっても分かりにくいけど。
初めから、カップ麺を食べること自体が目的では無かったのかも知れない。
塚瀬さんは、恋人との焚火、アウトドアなデートが憧れだったのかも知れない。
それで色々調べて、得意の英語で検索をした結果、たまたま見つけたバンドがカップ麺タイマーのあれだったのだ。
そう考えると、今日着火剤や小鍋を持ってきたことも、僕へのドッキリなんかじゃない。あれは塚瀬さんなりのアピールなんだ。憧れのアウトドアに向けて『道具は持っているよ』という意味の。
もしそうなのだとしたら、なんて不器用で、奥ゆかしい人なのだろう。
僕の勘ぐり過ぎなのかも知れないけれど、それが僕の仕事だ。それを見込まれて、今こうして二人でいるのだ。
だから僕が勝手に知恵働きをしているかどうか、決めるは僕じゃなく、塚瀬さんだ。今僕の発するべき言葉はこれしかない――。
「今度、キャンプ場かなんかに行ってさ、本当に火起こしからやろうよ」
塚瀬さんはカップ麺食べる手を止めて、目を見張った。
そして驚いたような表情で僕の顔を見る。
そして次の瞬間、僕は面食らってしまった。
「楽しみ。絶対しよう」
珍しくはっきりとそう言い、初めて満面の笑みを見せてくれたのだ。
のろけと言われてもいい、この笑顔を見たならば、誰もが彼女を恋人にしたいと思うだろう。そんな風に思った。
でもこの笑顔をこの瞬間見ることが出来たのは僕だけで、それは新種の生き物でも見つけたかのように、誇らしい。
「うん……夏、だしね」
本当は心臓が飛び出そうなほどバクバクと鳴っていたけれど、精一杯平静を
装った僕の言葉がこれだった。
僕が勘繰り過ぎかどうかなんて、どうでもよかった。
彼女の喜ぶこと、彼女の気持ちを満足させることに、たどり着くことが出来た、その結果が大切なんだ。
今朝『めん』の二文字から始まった謎解きは、たった今、完了した。
結果的には最初に思いついた内容が、正解だったのかも知れない。
なぜって?
だって僕は今、彼女の可愛すぎる笑顔に『面』食らったのだから。
――彼女の気持ちは単語から おわり――
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