宛ての不明なラブレター Ⅳ
訊かない方が、幸せだろうか。
僕達は今、うまくいっているのだから。塚瀬さんだってお父さんとの仲も復活して、まさに順風満帆と言っていい状態だ。水を差す理由が無い。
でも気付いてしまった以上、訊かない訳にはいかないんだ。
そう仕向けたのは塚瀬さんなんだから。あの日、ラブレターをもらった時から始まっていた物語に、ここで一つのピリオドを打たなければならない。
――あの塚瀬家乱入から数日が経過した日。
僕は図書館の前に塚瀬さんを呼び出した。丁度<タツノコタッツー>を返却するという上手い口実があったから、ごく自然に塚瀬さんを呼ぶことが出来た。
図書館の入口の日陰に立って、その姿を待つ。
もう夏休みも半分以上が経過してしまった。けれども、それを感じさせないくらいに外は暑いし、蝉も雲も、まだまだ夏仕様といった雰囲気だ。
それは塚瀬さんも同様らしい。駐車場の方から歩み寄ってくるその服装も、実に夏らしく爽やかだ。黄緑色のワンピースに身を包んだ姿を見るに、これにはお姉さんの意向も取り入れられていそうだ。僕は片手をあげて挨拶した。
「やあ、ちょっとぶりだね」
「……うん、ちょっとぶり」
「お父さんは、もうイタリアへ?」
「うん、昨日見送った。初めて、見送りに行った」
塚瀬さんは恥ずかしそうに下を向きながらも、時折目線を上げて僕を
「葉山君の、おかげ」
その子供のような笑顔からは幸福感すら伝わってきて、こちらもつられて笑顔になってしまう。
「それは、よかったよ」
……何も言わないというのも、やはり選択肢だ。
このままでいい、その考えもある。
シェイクスピアの作品内での有名な文句として『生きるか死ぬか、それが問題だ』というのがある。あくまでも翻訳後の意味なので、実際には『実行する・しない』という二択を迫られた葛藤の言葉であるらしい。
要するに人間は、かの昔から二択を迫られて苦悩し、その姿に共感してきたということなのだろう。ちなみにハムレットは『実行する』方を選んだ。まあ主人公なのだから当然と言えば当然だ。何もしなければお話にならない。
ならば僕の人生の主人公は僕なのだし、ここはハムレット王子にあやかって、僕だって実行すべきなのだろう。
「塚瀬さんの望み通りになったんだよね」
「……望みって?」
「お父さんとの誤解を解くことだよ」
塚瀬さんは顎に指をあてて考えるような仕草をする。
「はじめから、それが目的だったんでしょ?
宛ての不明なラブレターを出した理由は、そのオーディションみたいなものだったんでしょ?」
ここでようやく、僕の言いたいことを把握したのか、塚瀬さんは目を見張る。
「お姉さんに聞いたよ。お父さんがこの夏に帰ってくることは、今年の初めには分かっていたことだったみたいじゃないか」
「……うん」
「だから探していたんだよね?
この夏に、自分とお父さんとの誤解を解いてくれる人物を」
僕は少し前に出て、振り返った。まだ日は高くて気温が高いけど、立ち止まったままじゃあ話せそうもない。
「少し、歩かない?」
塚瀬さんが僕の横に並んだのを合図にして、僕は持論の展開を開始する。
「オーディションの最終選考者は、僕と武田君ってところでしょ」
「……」
まだ何も言わないか。
「武田君はあれで中々鋭いところがあるよね。特に人の感情の機微を探るのなんか、抜群に上手いと思うんだ」
「……そうね」
「だから塚瀬さんはまず、武田君に期待をした。小中高と一緒だしその特徴は分かっていたからだろうね。だから武田君へのラブレターにもしっかり宛名はあったんでしょ?」
「……いつ、分かったの」
やっぱりそうなのか。
そうだ、僕は勘違いしていた。初めから武田君は『宛てが無かった』なんてニュアンスのことは言っていなかった。それどころか、自分が三人目であることも把握している様子だったのだ。
『どうせテキトーなロッカーにポンポンポン! っと入れてんだろう』
宛名には触れていないし、擬音が三個なのも自分が三人目なのを把握していたからだろう。本人は僕が三人目だと言ってとぼけていたが、それは言い出さない安藤を
実際男子会の時には、僕が言うより先に安藤にもラブレターが届いたことを話していた。安藤は誰にも言っていないはずなのに。
なぜとぼけていたはずが、男子会の日にはそれを言えたのか。
それはあのラブレター事件が、僕へのラブレターで完結したことを分かっているからだ。そう、要するに武田君は塚瀬さんが差出人であることまで、分かっているのだと思う。
「武田君は塚瀬さんの誘いに乗らなかった。もしくは、僕が先に乗った。そのどっちかだったんだと思う。武田君も『葉山ちゃんのおかげで』みたいな意味深な事を言っていたから、後者なのかな」
塚瀬さんは、黙って横を歩いている。
「それで僕は舞い上がって、僕だけに宛名があると勘違いして突っ走った。塚瀬さんがはっきりと『葉山君だけに宛名がある』と言わなかったのは、それが事実とは違ったからだ。塚瀬さんは基本的に嘘は言わないからね」
「……うん」
ここまではいい、ここから先なんだ、言うのが怖いのは。
「……そして見事に誘いに乗った僕を、塚瀬さんは鍛えたんだ。
言葉足らずなメッセージを送ったり、わざと宿題を持って帰らなかったり、その内容は本当、感心するくらい多岐にわたる。もちろん、全部が全部という訳ではなかったとは思うけど」
塚瀬さんは立ち止まって、首を横に振る。
「……違うの」
違う訳ないだろ。事実を並べていくと、そうなるんだよ塚瀬さん。
塚瀬さんに歩くよう促して、僕は続ける。
「そして端々で、僕にヒントを掴ませた。塚瀬さんに翻訳をする能力があること、そしてお父さんのお店が<
「……タッツーは、たまたま」
ほら。タッツーは、だってさ。
「そうして僕は、塚瀬さんの謎を解くことに楽しさを感じ始めた。だって好きな人のことを理解出来ることを嬉しく思うのは当然じゃないか。
そして僕は次第に『知的好奇心』というもの自体にも目覚めてしまった」
僕は塚瀬さんを横目で睨む。
「……いや、目覚める必要があったんだ」
塚瀬さんは何も言い返さずに、ただ隣を歩いている。
「なぜなら最後の最後は、塚瀬さん以外の、具体的に言えばお姉さんの謎にも、僕は感心を抱き、そして気付く必要があったから。
そう、例のお姉さんがわざと『うっさい、ハゲ』と聞き間違えたことにね。
そもそも塚瀬さんがなぜ自分の口で、お父さんに誤解だと言わなかったのか、それはお姉さんに気を遣ってのことだと思う。店名のこともお姉さんの気持ちも何となく察していたんだろう。だから自分の口から誤解を解くことが出来なかったんだ」
僕は少し語気を強める。
「……きっと僕なら、そのお姉さんの気持ちにも気付いて、事を荒らげないと分かっていたんだ。だから、僕にその役をやらせたんだ。誤解の解消役を……!」
歩く足を止め、僕は横に合ったガードレールを拳で小突く。
「僕が塚瀬さん以外の謎に挑み始めた時、そうだな、あのカラオケ店での木田君の聞き間違えの時かな。あの時は嬉しかったでしょ?
だって僕が自発的に疑問を抱いて、自発的に調査に向かったんだから!
しっかり知的好奇心を育めているなと、安心したんじゃないか!?
実際お姉さんと僕とを引き合わせたのもそのすぐ後だった。頃合いかなとでも思ったんでしょ!?」
そしてまんまと、僕とお姉さんは踊った訳だ。カレー作りのちょっとした会話の中のちょっとした情報共有で。
塚瀬さんは武田君にも引けを取らないくらい、感情をくみ取ることに長けているのだと思う。
だから、お姉さんの自責の念にもしっかり気付いていただろうから、僕と引き合わせれば、お姉さんの方から解決の糸口を示すことが分かっていたんだ。
「……塚瀬さんは嘘をつかない。それは確かだと思うんだ。
でもね、それは『真実を言わない』って方法を使っているだけで、やられた方としては同じような気持ちだよ!」
ついに塚瀬さんは両手を顔で抑えて、声を出して泣き始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝らないでよ……否定を、してよ……」
泣きたいのは僕の方だよ。
「入口は……入口は、葉山君の言う通り」
「なんだよ、入口はって……」
「でもね……どんどん変わっていった。私の、私なんかのために、頑張ってくれる葉山君のことが、どんどん、好きになっていったの……」
塚瀬さんは嘘をつかない……。
それを信じていいのなら、これも信じていいのかな。
もう僕には分からないんだよ。
「お父さんのこと、私が思っていたよりもずっと、素敵な解決を、してくれた。
お姉ちゃんのことも、救ってくれた……だから」
塚瀬さんは顔を上げ、涙にぬれた瞳で僕を見据えた。
「私は、本当に葉山君を尊敬してるし、そんな葉山君が、大好き……」
「信じていいのか分からないよ。僕だって、塚瀬さんのことは好きだよ……」
「今日も、すごかった。私のことも、救ってくれた」
「救ってないさ。むしろ傷つけに来たようなものだよ」
塚瀬さんはぶんぶんと首を横に振る。
「私も、お姉ちゃんと同じなの、自分のしたことに、葉山君を傷つけていることに、押しつぶされそうだったの。それを全部、葉山君が暴いてくれた。葉山君は傷ついてしまったけど、それは、私を救ってくれたの」
こんなにたくさんの言葉を紡ぐ塚瀬さんを僕は知らない。それだけ必死だということなのだろう。
そうか、思い出という名の後悔。僕と塚瀬さんにも、楽しい思い出がたくさんあるんだよな。その思い出が、自分の目的のために為されているなんていう事実は、塚瀬さんに重くのしかかったのかも知れない。
でもさ、それは自分のせいじゃないか。
それで僕のことが好きだとか何とか言うのは、勝手だよ。
「私は……本当に、口下手なのは、本当なの」
「それは知ってるよ」
「もう絶対に、葉山君の気持ちを、利用したりしない」
「……うん」
「だからね、私はこれからも、葉山君と、一緒にいたい……!」
そう言うと、塚瀬さんは僕の胸に飛び込んできた。
幸せに感じるはずの彼女の柔らかい感触。僕は今、何を思っている?
それは一つだけだ。塚瀬さんはやっぱりずるい。
僕だって、塚瀬さんが好きだ。利用されていたのだとしても。
一緒にいて楽しいし、時折見せる表情の一つ一つが、演技だったとは思わない。
何よりこの数か月間の充実っぷりは、人生を思い返しても今までになかった。
塚瀬さんが彼女で、その彼女から提示される謎を解くことが楽しくて。
それが何より幸せで。何よりもそれが誇りだった。
どうでもいい日々の中で、ただ一つ僕に特別な事を与えてくれた人間は、塚瀬さん一人だけだった。
「僕だって……失いたくない。
塚瀬さんと、もっと一緒にいたい……!」
僕は胸の中の塚瀬さんをぎゅっと抱きしめた。
もういい、自分の感情に正直で良い。
利用されていた? どこまでが本音? そんなのどうでもいい!
自分の気持ちを大切にしたい。塚瀬さんが好きだという気持ちを。
塚瀬さんは、申し訳なさそうに、そして照れくさそうに、顔を上げた。
至近距離に恋人の顔がある。僕は今、何をすべきなのだろう。
「どこか、行きたいところある?」
それじゃないだろう。今発するべき台詞はそれじゃないだろう。
我ながらに思う。しかも今はちょっと優位に立てているような状態だぞ。
ここでがつんといけなくて、何が男なんだ。と心では思える。
「……当てて」
ほう。この期に及んで僕に謎を吹っ掛けるとは、塚瀬さんはやはり強い。
僕の答えはこうだ。
僕は塚瀬さんの唇に、自分の唇を寄せた。
「……んっ」
塚瀬さんは驚いたように、声にならない声を発した。でも僕はその唇を離したりはしなかった。ようやく恋人らしいことが出来たんだ。少しこのままでいたい。
どちらからともなく、唇が離れて、互いに顔がもとの角度に戻る。
「あの、当ててっていうから、唇と唇を、当ててみた」
「……うん、そういう意味じゃ、なかったんだけど……」
塚瀬さんは、頬を赤らめてこう言った。
「今までで、一番、嬉しかった」
二人のファーストキスを、冗談めかして言ったのに。
塚瀬さんはすごく喜んだ。
当てての回答を無視した回答でも、塚瀬さんは満足するらしい。
本来、そうあるべきなのかも知れない。
相手の思う事なんて、分からなくたっていい。
相手が喜んでくれることを、ただ一つ、見つけられればそれで良いのだ。
更に塚瀬さんは口下手と来ている。
謎が謎を生み、だけどその分だけ、喜んでくれる可能性もある。
だから僕は推理する。彼女の一番を更新し続けたいから。
これからも、口下手な彼女と付き合う僕には、推理スキルが要求される。
―― END ――
口下手な彼女と付き合う僕には、推理スキルが要求される。 比呂 @h-shikayama
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