思い出という名のリグレット Ⅵ
僕の独演会のようになってしまった塚瀬家のリビング。
そんな混乱から一時間程度が経過して、なぜか僕はリビングに席を設けられて、塚瀬家と食卓を囲んでいた。
隣には塚瀬さんが座り、その正面にはお父さんが座る。きっとこの光景だけでも、昨日までは想像出来ないような状況だったのだろう。塚瀬家の皆さんは皆ホクホク顔で、お父さんご自慢のイタリアンに舌鼓を打っている。
先日の塚瀬家のカレーの味を鑑みるに、確実に美味しいことは明らかなのだが、緊張もあって全く食べた気がしないし、味も入ってこない。
「しっかし、家にあがり込んで来たときは、何者かと思ったぜ」
お父さんは、目の前のジョッキでビールを飲みながら豪快に言った。
僕は身を小さくして頭を下げる。
「すみません……勢いで来てしまって……」
「どうやって、うちが分かったの?」
今度はお姉さんが不思議そうに首を傾げる。
「あ、塚瀬さんの小学校からの同級生に武田君っていう人がいて、彼なら知ってるんじゃないかと思って訊いたんです」
「そう……武田君なら、知ってるかも」
塚瀬さんも内心不思議に思っていたのか、納得した様子で頷いた。
心なしか、塚瀬さんの表情も明るい気がする。というか塚瀬家全体的に表情も柔らかく、和やかな雰囲気だ。表面的にはだが。
表面的にはとした理由は、この中に一人、内心穏やかではない人がいる。少なくとも僕にはそう思える。
でもその人は、家族が円満になったことで、その感情を押し殺している。だから僕もその意思を尊重して、事を荒らげないようにしたいと思っている。
何となくいたたまれない気持ちになった僕は、せっかくの家族円満を邪魔するのも悪いと思ったので、ここいらで退散することにした。
「急にお邪魔して、本当に申し訳ありませんでした。それと、ごちそうさまでした」
「もっとゆっくりしていってもいいのよ、ねえ岬」
「……うん」
お母さんと塚瀬さんは残念そうにしているが、今はこうする他ないんだ。
奥からお父さんの声がする。
「葉山君、また来い! あとイタリアに来てくれたら御馳走するぞ!」
「あ……ありがとうございます!」
「イタリアなんて無理だーって突っ込んでいいんだよ?」
お姉さんが笑いながらそう言った。その後はたと我に返る。
「ところで葉山少年、今日は何で来たの?」
「徒歩ですよ」
「よし、じゃあお姉さんが送って行ってあげよう!」
そう言うと、人差し指で車のキーをクルクルと回して見せた。
*****
今、僕とお姉さんは車に揺られている。
以前と異なるのは、僕が助手席に乗っていることと、塚瀬さんが不在だということだ。塚瀬さんはお父さんに気を遣ったのか、一緒には来なかった。
「これで……良かったんですか」
僕の方から切り出した。お姉さんは運転しながら、口元だけを緩ませた。
「良かったに決まってるでしょ。見たでしょ、みんなの明るい表情」
「そうじゃなくて、お姉さんの気持ちです」
「……いいのよ、もう私はガキじゃないんだから」
塚瀬さんに話した、お父さんの愛情の籠った店名の話。
あれは裏を返せば、お姉さんの名前がどこにも使われていないことを示している。
それに気が付いた時、僕は不思議に思ったのだ。なぜお姉さんは、僕をけしかけて塚瀬さんとお父さんの仲を取り持たせるようなことをしたのかと。
行動を見る限り、お父さんとお姉さんの関係は悪くないように見える。
でもそれはあくまでも今はだ。もしかすると、お父さんが店名に付ける程に塚瀬さんを溺愛している時期があったとして、その時のお姉さんとお父さんの関係は今よりも淡白だったのではないだろうか。
よく言う、手のかかる子ほど可愛いというやつだ。面倒見良くしっかりしたお姉さんより、どこか儚くて言葉少なな下の子を可愛がってしまってもおかしくはない。
だから、お姉さんからすれば、塚瀬さんとお父さんとが仲違いしている状態というのは、『やっと私がお父さんと仲良くできる番が来た』とも言える。
それなのにお姉さんは、関係の改善に尽力した。
お姉さんからのヒントがなければ、僕は決して解決には至れなかっただろう。
ダ・カーポだって、うっさいハゲだって、あの日お姉さんに聞くまでは全く知らなかった話だ。そもそも水曜日にお父さんが帰ってくるなんて知る由もない。
結果的には、お姉さんの望んだとおりに家族関係は修復された。
でもこれじゃあまた、お姉さんは縁の下の力持ちであって、スポットライトは解決した僕や仲直りの当事者達に当たってしまう。
「この二年間、パパと自然に話せて、楽しかったんだ」
お姉さんが、僕が訊くよりも先に話し始めた。
「岬を陰ながら守れっていう任務とか、何気ない愚痴の電話とかね。この二年間で私には、パパからの役割が持てたのよ」
「……そうだったんですね」
「それで私も気を良くしてね、ファッションの世界に飛び込んだ。ほら、ファッションの本場と言えばイタリアって感じしない?
そうすることで、パパと肩を並べたかったのかもね」
「それで、服飾の専門に」
「……そう。でもね、パパは私が服飾の道に進んでも、それをイタリアとは、自分とは結びつけてはくれなかった。完全に一人相撲よ」
お姉さんは前方の赤信号に合わせてブレーキを踏んだ。その反動には大きすぎる程の動作で、お姉さんは下を向いた。
「その時にね、なーんか虚しくなった。この二年間の楽しい思い出よりも、日に日に自分への軽蔑と、罪の意識で、後悔の念が強くなったの」
罪の意識、後悔の念。その言葉が出るという事は、やっぱり――。
「……塚瀬さんに『うっさい、ハゲ』と言わせたのは、お姉さんなんですね」
お姉さんは暗く沈んだような瞳で、自嘲気味に口角を釣り上げた。
「……君はすごいね。どこかで私、そんな事言ったかな……」
「いえ、言ってません。でもそう聞こえたって言ったのはお姉さんだけでした」
「そっか。そんなところから私の気持ちに気付くんだね、君は」
そう。お姉さんはきっと、スタイ・アテントを聞き取れていた。
少なくとも『うっさい、ハゲ』なんて言っていないことは分かっていた。
でも、そう聞こえたことにしたのだ。
「とっさにね、思いついたの。パパの頭を見ていたらね。あれ、これってハゲって言った事に出来るんじゃないかって。
それでわざと騒いだのよ『うっさいハゲって、あんた何言ってんの!?』ってね」
「……気持ちは分かります……でも」
「そう、事は思いのほか大きくなっちゃった」
青信号に合わせて、今度はアクセルを踏みながら、目つきを鋭くする。
「はじめは良かった。岬からパパを奪えた気持ちよね。ああ咄嗟にあんなこと言えた私天才、ってな感じでね」
「……お姉さんは、そんなに悪い人じゃないですよ」
「そうなのかな。いや、私は性格悪いよ」
「でも今、こうして解決させることが出来たじゃないですか」
「……これもね、自分のためなの。楽しい思い出と後悔とをふるいにかけた結果なのよ。これ以上の思い出は、ただ後悔を大きくするだけだって……」
お姉さんの目から、一筋の涙が流れ落ちた。
「それでも僕は、お姉さんは良い人だって思いますよ」
「……やめてよ」
「本当です。妹やその彼氏のために、キャンプ場やその周りを調べてくれたり、気を遣ってくれたり。少なくとも僕にとっては、すごく素敵な人です」
お姉さんは袖で涙を拭いながら笑顔を見せる。
「……いいなあ、岬は。何も言わなくても勝手に分かってくれる人がいて」
「そんなこと、ないです……」
「パパにも見習わせたいくらいだよ」
そう言って笑顔を見せると、それっきりお姉さんは黙っていた。
でも何て言うか、嫌な沈黙ではなかったんだ。心地よい沈黙、丁度塚瀬さんと一緒にいるときのような雰囲気だ。
お姉さんは自分でも言う通り、きっと後悔を抱えていたんだ。
思い出という名の後悔。
それは抱えていた本人にしか分からないものだろう。
それから解放されて、僕なんかだけど事情を知る人間もいる。
お姉さんのような慎ましい人にとっては、それだけでも充分だったのかも知れない。
しかしまったく、塚瀬さんにしてもお姉さんにしても、肝心なところで言葉が足りないって言うか、ベクトルの違う口下手なんだよな。
―― 最終話 宛ての不明なラブレター Ⅳへ ――
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