彼女のらしいパスワード Ⅰ

 高校生のみならず、学生の夏季休暇と言えば宿題だ。もちろん僕達の高校でもそのご多分に漏れず、課題が提示された。

 しかしそこは流石、義務教育を抜けた高等学校。そして近年の環境意識と電子媒体の進歩。この夏の課題は、プリントや教材で配布されるのではなく、データ形式で配布されるとのお達しがあった。


 期末テストの結果はあまりふるわなかったが、終わってしまえばこちらのもの。さっさと宿題を終わらせて、悠々自適に夏の休暇を楽しませてもらおう。


 今日を入れて夏休みまでの登校は残り三回。

 そして本日は課題の配布日となっていた。前述の通り課題の配布は電子データによって行われた。

 予めアナウンスされていた通り、僕は自宅からUSBメモリを持参し、配られた手順のプリント通りに事を進めて問題なく課題を入手出来た。

 ただ学校も不慣れなのか、事前のアナウンスも手順のプリントも曖昧な表現が多く、機械に疎い方々は『記憶媒体』という言葉に悩まされたり、ログインの仕方が分からなかったりなど、ホームルームの時間を使った配布作業は難航した。


葉山はやまちゃんもう終わったの!? ちょっと助けてくんない!?」


 用を済ませ、個人用のノートパソコンを前にボケっとしていると、武田たけだ君が困った顔ですがり付いて来た。面倒だなと思いつつも、夏休み接近による心のゆとりからか、僕は愛想の良い笑顔でそれに応じた。

 武田君に哀願されるがままに席までついていくと、配布物ページのログイン画面で止まっているようだった。


「どこが分からないの?」

「とりあえずさ、このUSBメモリは使えるよね!?」


 差し出されたそれは何の変哲もないシンプルなものだった。容量も16GBと記載されているし、よっぽど既存データに圧迫されていなければ問題ないはずだ。

 まあ最悪、学校に予備もあるらしいし、それについては心配には及ばない。


「うん、大丈夫だと思うよ」

「よかった! んでさ、この『ユーザー』ってのが分かんなくて」

「ここはね、年と組と出席番号を繋げた数字がユーザー番号になるんだよ」

「それ! それの意味が分かんないんだって!!!」


 なんでだろう。配られたプリントに手順が書いてあるのだけれど。

 うちは一年三組だ。だから『0103』まではクラス共通になる。それに出席番号を付け加えればいいだけだ。


「えっと、武田君の出席番号は?」

「十三番!」

「じゃあユーザは『010313』でいいはずだよ」

「オッケーそういうことか! それでこのパスワードってのは?」

「六月くらいにノートパソコン配られた時に、配布物ページ用のパスワードっていうのを決めたじゃない? あれだよ」


 武田君は眉をしかめる。あ、忘れたなこの人。


「……もしかして、忘れちゃった?」

「いや! 待って!!! 俺って大体どっちかのパターンしかないから!」

「じゃあちょっと打ってみたら? どっちか思い出すかもよ?」


 僕は標準ソフトのメモ帳を開いて、武田君に場所を空けた。

 パスワード欄で打つと伏字の『●』になってしまうので、打ち間違いとの判別がつかなくなる。だからあえて可視のメモ帳に書いてもらうことにした。


「えーっと……これか、これか……な……」


 まごついた手つきだが、武田君はパスワード候補をキーボード入力していく。

 一つ目は『takedashingen』二つ目は『taketaketake0813』。

 どちらもセキュリティ上あまりお勧めできるものではないなあ。武田君って八月生まれなのかなと、パスワード候補から推測出来てしまう。

 武田君は、思い出したように手をついた。


「うん、信玄じゃない方のタケ・テイク・タケの方だな! 多分!」

「真ん中だけテイクなんだ」


 文字的には同じだけどね。面白い人だ。


「じゃあそれコピーして、パスワードのところに貼り付けたらいいよ」

「コピー?」

「マウスでパスワードを選択してる状態で、コントロールキーとCキーを一緒に押すとコピー出来るよ」

「……葉山ちゃん、そういう専門的なの、分かんないんだってば!」


 わざとらしく怒ったぞというポーズで腕組みする武田君。

 いや専門的でもないと思うんだけど。

 ……でもこういうのって、分かってる感を出すと相手は鼻につくって言うし、ここは話を合わせておくか。

 代わりにやっちゃってもいいんだけど、自尊心を傷つけないために共同作業という形をとった方がいいかもな。


「ごめんごめん、パスワードはもう選択されてるね、僕がコントロールキー押すから、武田君はCを押してくれる?」

「C……C……」

「その平仮名の『そ』が書かれているとこ」

「あ、これね、押したよ!」


 やっとのことでコピーされたパスワードを、所定のダイアログに貼り付けペーストする。そして念願のログインボタンをクリックした。

 すると『武田瀬那せな』という名前で配布ページが開かれた。ミッション完遂。

 ていうか名前カッコいいな、知らなかったよ。瀬那というネーミングセンスは、何となく武田君のキャラと合っていて、親御さんのキャラクターも見えてくるような気がした。


「あとは、この夏季課題ってリンクを押すと、ダウンロードが始まるから、終わったらUSB差してコピーして終わりだよ」

「サンキュー! ここまで来れば大丈夫そうだわ!

 さっすが葉山ちゃん、頼りになるぅー! やっぱ彼女持ちは違うねぇ!」

「やめてよ、でも役に立てたなら良かった。じゃあ戻るね」


 僕は照れながら会釈し、席に戻ろうときびすを返す。しかし――。


「おう葉山! こっちも助けてくれ!」


 今度は木田きだ君に呼び止められる。下駄箱最上段組はパソコンに弱いのか?

 まあ安藤あんどうはそんなことないはずだけど。

 僕は仕方なく方向転換して、木田君の席の方へと歩を進めていった。


 塚瀬さんの方を一瞥いちべつすると、既にノートパソコンを閉じて頬杖をつきながら、外を眺めている。パソコンに弱いタイプではなさそうだし、首尾よく終えたんだろうな。

 この時は、そんな風に思っていた。


 

 しかし、その二日後の終業式の日、問題が発生した。

 

 終業式は午前中に実施され、ホームルームで夏季休暇中の心得なんかを担任から諭された後、昼食なしでお開きとなった。

 いよいよ夏休みである。

 ……のはずだったのだが、僕は美化係なるものに所属していたがために、お弁当持参で校内の草抜き作業をさせられる羽目になっていた。

 終業式の日がいいか、夏季休暇中がいいか、始業式の日がいいかという悪魔の三択を迫られた末、僕は嫌なことを先に済ませることにしたのだ。


 部活動でもないのに、放課後ジャージ姿で弁当を食べ、大した知り合いもいないなかで割り振られた箇所の雑草を抜く。やたら天気が良いのが憎たらしい。

 内容を見ずに係なんてなるもんじゃないなあ。来年は気を付けよう。

 塚瀬さんはもう家に着いているだろうか。エアコンの効いた室内で、テレビを聞き流しながら、そうめんでも食べているのではなかろうか。はあ、いいなあ。


 そんなことを考えている僕の右ポケットのスマートフォンが震える。

 何となく塚瀬さんな気がした。僕は軍手を外し、ポケットからスマートフォンを取り出すと未読マーク付きのメッセージアプリを開く。やはり塚瀬さんからだ。


『おねがいがあるの』


 お願い? こっちが雑草除去の救援依頼を出したいくらいなんだけど。

 何にせよ今は取り込み中だから、出来ることと出来ないことがある。

 でもこの作業が決まったのは一週間前だし、そのことは塚瀬さんにも連絡済みだ。

 つまり分かったうえでの連絡を寄越したということになる。

 急を要する、ってことか。


『どうしたの?』


 即時既読になり、返信が来る。


『宿題のデータをとってきてほしい』


 あれ? 塚瀬さんしっかりやっていたと思ったんだけど。

 何かしくじってしまったんだろうか。珍しいこともある。

 まあ幸い僕は学校にいるし、ノートパソコンくらいは職員室に行けば使わせてくれるだろうから、別に問題はない。わざわざ取りに来させるのも可哀想だし。


『いいよ、美化係が終わったら職員室に行ってみる』

『ありがとう。010365でns@lnxg』


 実に塚瀬さんらしい、無駄のないメッセージだ。

 ユーザー番号とパスワードの添え方が、なんとも

 女子の出席番号は五十から始まるから十五番の塚瀬さんは六十五だし、パスワードも記号交じりで規則性のない英字である。欲を言えば数字を混ぜて欲しかったが、学校で使うパスワードとしてはセキュリティレベルは充分だろう。


『了解。じゃあ無事に取れたら連絡するよ』

『ごめんね』


 そんな一往復を終えた僕は、自らを奮い立てて軍手を装着する。

 さっきよりもやる気が出たのはなんでだろう。先立つものがあると、人間活力が湧くものものなのかも知れない。

 目の前の名前も知らない草を、僕はしたたかに引っこ抜いた。


――Ⅱへ つづく――






 

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