シンキング Ⅰ

 昔々あるところに、塚瀬岬つかせみさきという少女がいたそうな。

 少女は<パストロング>というパスタ屋さんの前で、酷暑の中、身じろぎもせず涼し気な表情で立っていたそうな。


 後世、こんな風に語られるのではないかと思うほど、駅前の雑踏に紛れて立っている塚瀬さんの姿は目立っていた。少なくとも僕にはそんな風に見えた。セピアの映像の中で一点だけをカラーにさせる手法のように。


 まだ待ち合わせ時間には早いというのに、あの様子だと結構前から待っていそうだな。真面目だ、僕も塚瀬さんも。

 すぐに駆け寄ってお待たせと言いたい。だけど、先日のパスワードの謎を解いてしまった結果、『距離を縮めなくては』という使命感というかプレッシャーが、何となく圧し掛かってきており、どう接していいものかいまいち結論が出ないのだ。


 しかし、ここで尻込みしていても仕方がない。

 普通に、普通に。自然に接すればいいのだ。それだけだ。

 

 今日の僕は手ぶらではない。

 かといって花束持参という訳ではないけれど、ある意味プレゼントを持っていることは確かだ。塚瀬さんの夏季課題のデータが入ったSDカードを持っている。

 これを渡すことが本日の目的、もとい口実である。

 本題はこれをきっかけにして、次に会う約束をすることだ。そして願わくばその約束の内容が、塚瀬さんを喜ばせるものであることが望ましい。

 今日は会話の中から、そんな塚瀬さんの機微を探っていきたいというのが、僕の裏目標だったりする。


「お待たせ」

「ううん、待ってない」

「どうする、少し早いけど、暑いしお店入っちゃおうか」

「うん」


 少しぎこちない会話を挟んで、僕達は<パストロング>店内へと歩を進めた。

 まだ十一時を回っていないからか、以前来た時よりも客足は少なく見える。店員もお好きな席をどうぞといったスタンスで通してくれた。

 僕らはどちらともなく、前回同様窓際のテーブル席に陣取る。

 店員が水のグラスを置いたのを合図にして、僕が口を開く。


「まだお昼にはちょっと早いけど、何か頼む?」

「……うん、食べたい」


 食べるんだ。

 塚瀬さんって結構食べることが好きそうだよな。一緒に行動するときは結構食べ物絡みが多い気がする。


「そっか……僕は朝食が遅かったからどうしようかな」

「何時?」

「九時半くらいかな」

「私も……そのくらい」


 ええ……どうしたらいいんだろう。なんかこれ頼まないと小食感でちゃうし、女の子だけ食事するみたいな変な感じになるよな……。


「……塚瀬さん、パスタ、頼むの?」

「……うん」

「結構食べるね」

「ダメ……かな」


 失言だ。完全に失言だ。

 我ながら、なんてデリカシーのない発言をしてしまったのか。どうしよう、何か、何かフォローしないと……!


「いや、ダメじゃないよ! むしろ、全然食べない子より、気持ちよくいっぱい食べる子の方が、僕は好きだよ」

「そう……なんだ」

「うん、そう! 絶対そう!」


 なんか勢いに任せて色々言ってしまった気がするが、大丈夫かな。

 でも別に嘘ではない。小物入れみたいな弁当箱を持ってきてチビチビ食べている子よりも、重箱持ってきて気持ちよく食べてくれる子の方が、見ていて気持ちがいいし、好感が持てる。それは事実だ。

 しかし、ここへきて僕は飲み物だけってのはちょっとな。よし。


「なんか僕も食べたくなってきたな……パスタ頼もうかな」

「うん」


 食べられる、大丈夫。何かさっぱりしたものなら大丈夫。男らしく食してやるさ。

 どのパスタがいいか……正直冷製パスタってやつは前回食べてあんまりだったから、なにか味付けの軽いものにしたらいいかな。


「僕は……大葉とシラスの和風パスタにしようかな」

「おいしそう」

「だよね、さっぱりしてて」

「じゃあ私は……明太子のカルボナーラ」


 『じゃあ』ってなんだ。結構対極に位置しそうなオーダーだけど。

 いや美味しそうだよ、空腹ならばね。


「あ、じゃあ、店員さん呼ぼうか」

「あの……」

「うん? なに?」

「……もう一つ、食べた方が、いい?」

「え?」


 なぜそんなことを?

 ……ああ、そうか。

 さっきいっぱい食べる方が好きだと言ったからかな。素直というか不器用というか、塚瀬さんらしくて良いんだけど、無理はしてほしくない。


「いや、そんな無理しなくても……」

「あ……うん、じゃあ、一つにする」


 そう発すると、塚瀬さんは呼び出しボタンに手を伸ばした。

 その表情、むしろ残念そうに見えるのは気のせいだろうか。本当は塚瀬さんは大容量の胃袋を持つフードファイターなんじゃなかろうか。そういう人ほど、細身だったりするって言うし。


 程なくして店員が現れたので、僕達は予告通りのオーダーを済ませた。

 すると、何がきっかけかよく分からない静寂が訪れる。

 まずい。何か話を繋がなければ。


「こ、このお店、美味しいよね」

「うん」

「前から知ってたの? 僕は知ったの最近なんだ」

「ううん、このお店、まだ新しいから」

「そうなんだ」

「……」


 そしてまた沈黙。どうしよう、なんか今日はいつにも増して僕達はぎこちない気がするんだけど。僕が頭の中で次の話題を画策していると、なんと塚瀬さんの方から口を開いた。


「このお店ができる前も、ここ、パスタ屋さんだったの」

「え……? ああ、確かにそうだったかも」

「前のお店の名前……知ってる?」

「いや、それはちょっと覚えてないな」

「……当てて」

「え?」

「お店の名前」

「え、クイズ的なこと?」

「そう」


 突如始まった塚瀬クイズに僕は面食らう。初めての展開だ。

 塚瀬さんが謎を生むのは珍しいことじゃない。でも塚瀬さんの口からはっきりと謎を謎だと提示されるのは初めての経験なのだ。

 これは難しい。だってそうだろ、僕は『覚えていない』という答えを出した。にも関わらず『当てて』と来たものだ。

 こういった場合、二つの可能性が考えられる。

 ひとつ目は、所謂いわゆる『ボケて』という意味。分からないことに対して、何か笑えるような回答を期待している場合が考えられる。正直苦しい。

 ふたつ目はストレートに、単純に答えを導き出してほしい場合。

 一見簡単そうだが、これはこれで苦しいのだ。今回の問題に関して言えば、ヒントが無さすぎる。つまりは少しずつ塚瀬さんからヒントを頂戴し、答えにたどり着く必要がある。


 どうすべきか……考えろ。


 ……よし、決めた。

 柄ではないけれど僕はひとつ目を選択する。だって距離を縮めたいという考えがあるんだ、いつも通りの素直な考えでは何も進まない。だからあえて、僕がしなそうな『ボケる』を選ぶことにする。

 僕は生唾を音が出る程に飲み込んで、口を開く。


「……じゃあ<塚瀬うどん>、とか?」

「……え?」


 きつい。そのリアクションは厳しい。分かり易くボケたよ、これでも。

 パスタ屋って知った上でのうどん、そしてまさかの塚瀬さん登場、僕にとっさに出来るボケなんてこんなもんだよ。


「結構……近いかも」

「え!?」


 ボケ返しなのか? 近いわけないだろ、絶対。

 うどんだよ? 塚瀬だよ? 絶対近くないって。

 このクイズ、一筋縄ではいかないな。困ったことになった。


――Ⅱへ つづく――

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