シンキング Ⅱ

 塚瀬さんからのクイズが、妙な展開を見せ始めた。

 僕の渾身のボケに対し、塚瀬さんは『おしい』というようなニュアンスの反応をしたのである。これは奇異な事、そして単純に恥ずかしい。


「近いって……そんな訳ないでしょ……」

「ううん、近い」


 項垂れながら言った僕に対し、塚瀬さんは真っすぐな瞳で返した。

 この反応を見るに、本当におしい回答だったらしい。でも<塚瀬うどん>だぞ。

 パスタ屋に対して『うどん』がおしいというのは考えにくい。となればその対象は『塚瀬』の方ということになるのだが、塚瀬というのは僕の目の前に座る彼女から着想を得た、おふざけ回答である。


「塚瀬……っていうのが近いってことかな?」

「うん」


 そうなんだ。

 いやまったく分からん。

 塚瀬が近いということは、あるいは前の店名にも、オーナーの名字のような、人名が入っているという事が近いということだろうか。

 それならば。


「……じゃあ<葉山うどん>って、いうのは?」

「え……真面目に?」

「いや、ごめん。でも、これはおしくない?」

「それは全然、おしくない」


 まさか塚瀬さんが表情を曇らせてくるとは思いもよらなかったが、これではっきりしたことがある。『塚瀬』はおしいけど『葉山』はおしくない。これが分かっただけでも有益だった。

 要するに、単純な人名ということではない、塚瀬さん自体に何らかの関りがある可能性を示唆しているのだ。


「……塚瀬さん、お父さんのご職業は?」


 おひやのグラスを回して、動く氷を目で追っていた塚瀬さんの視線が、僕の言葉にはたと視線を上げた。そして僕の目を見据えて口を開く。


「……コックさん」


 お! これはビンゴじゃないか?

 『塚瀬』がおしくて、お父さんの職業がコックと来たら、これはもう、以前の店のオーナーが塚瀬さんの父親である可能性がグッと近付くではないか。

 これを解き明かしたところで店の名前は分からないが、それはそもそも推測する方法が無さすぎる。でも塚瀬さんとの関係を見破った時点で、このクイズには一応の結論は出るのではないだろうか。


 僕は導き出したその回答を口に出そうとする。

 ……が、咄嗟のところでそれを引っ込めた。

 なぜならば、これはあくまでもの話だからである。塚瀬さんのお父さんの、今の状況が分からないのだ。この店舗を追われ、路頭に迷っていたらどうしよう。もしくは他の場所に移転したとして、この場所に未練を抱えているような状況だったらどうしよう。僕の頭に、そんな考えがよぎった。

 きっと難しい顔をしていただろう僕に、塚瀬さんが声をかける。


「……葉山君、何か、分かってそう」


 両の手で頬杖をつきながら僕の顔を覗き込む塚瀬さん顔は、クイズ番組を見ている子供のように笑っていた。

 僕はそれを見て、自分の考えが杞憂であったと思いなおす。


 そうだ。

 そもそも、塚瀬さんのお父さんが店を不本意な形で去っていたならば、塚瀬さんがこの店を愛用するはずないではないか。

 更に、それをクイズにだなんて微塵も思わないはずだ。こんな簡単な事に気付かないなんて、ちょっと情けない。

 僕は、気を取り直して、自分のたどり着いた回答を述べることにした。


「ごめん、お店の名前は分からなかった。でも塚瀬さんのお父さんが経営していたパスタ屋さんが、ここにあったんじゃないかと思う」

「うん……正解」

「あと、これは想像だけど、今、塚瀬さんのお父さんは立地的にここよりも良い場所でお店を開いているんじゃない?」

「それも正解……なのかな」


 そう答えた塚瀬さんは、窓の外、いやそのもっと奥だろうか。遠くの方に目を彷徨わせた。何と言うか、歯切れの悪い口ぶりだ。

 正解ならばもっと良い反応があってもいいような気がするのだけれど。

 目をこちらに向けないまま、塚瀬さんは口を動かした。


「このお店、昔は<Capoカーポ>っていう名前のお店だったの。お父さんのお店」

「カーポ?」

「うん……イタリア語で、ボスとか、首領とかって、意味みたい」


 ボス……首領……。なんか物々しいけど、パスタ界で頂点とってやるって気持ちの表れなのだろうか。何にせよ、塚瀬さんのキャラクターとは合っていない感じだ。


「なんか強そうだね」

「……うん、なんか、お父さんらしい」


 んだ。それはそれは。

 いつかお会いする可能性があると思うと、僕も心構えが出来て非常に嬉しいよ……。娘を溺愛していたらと思うと、身震いしてくるなあ。


「それで、今はどこでお店をやっているの?」

「……イタリアの、ボローニャ」

「イタリア!?」


 なんと、立地が良いとかいう問題ではなく、本場に渡ってお店を経営している方のようだ。もしかして調べれば出てくるような本格派なのではないだろうか。


「それじゃあ、普段は一緒に暮らしてないんだ?」

「……うん。多分二年くらい、会ってない」

「二年!?」


 さっきから、塚瀬さんの言葉ごとにいいリアクションを取ってしまって恥ずかしい。まるで舞台のサクラみたいだなと、我ながらに笑えてくる。


「そんなに、帰って来られないんだ……」

「……そんなこともない……けど」


 やはり塚瀬さんは伏し目がちに歯切れ悪くそう言った。

 何と言うか、父親の話題になってからの塚瀬さんからは、今までと違った雰囲気を感じた。いつもの塚瀬さんは、謎を生む言動をしながらも、どこか『分かってほしい』というような空気は醸し出していた気がする。だから僕だって、遠慮なく踏み込むことが出来ていたのだ。

 でも今の塚瀬さんからは『これ以上踏み込んでくれるな、謎を解いてくれるな』というような、閉鎖的なオーラを感じてしまう。僕もその不慣れな状況に、次の言葉を上手く紡ぎ出すことが出来なかった。


 それを察した訳ではないだろうけれど、丁度そのタイミングで僕達のオーダーしたパスタが届けられた。とりあえず食事、という雰囲気になったことに救われた。


 何も無かったように、嬉々として明太子のカルボナーラをフォークに巻き付ける姿からは、先程のような重々しい雰囲気は感じれられない。

 初めて聞いた塚瀬さんの家族の話。ある意味一歩距離は縮まったようにも思えるのだが、何やら踏み込んではいけない部分が垣間見えたような気もした。でもそんなことを全部ひっくるめても、何でだろう、嬉しい気持ちが残った。


 そんな度し難い感情を湧きあがらせていた僕は、なぜそうしたかは分からないけれど、気付くとパスタそっちのけで口を動かしていた。


「塚瀬さん。僕には中学生の妹がいて、名前はあいっていいます。父親はごく普通の会社員で、母親は近くのスーパーでパートをしています」


 そこまでつらつらと話してから、僕はハッとして補足する。


「ごめん、あの、塚瀬さんからお父さんの話を聞けて、なんか嬉しかったから……僕も家族のことを、話してみたんだ……と思う」


 頭を掻きながら、自分の衝動的な行動に戸惑っていると、塚瀬さんは、パスタを食べる手を止めて、微笑んでくれた。


「……ありがとう」

「……いや、こちらこそ」


 塚瀬さんはスプーンとフォークを皿の上に置き、太腿のあたりに両手を重ねた。そして改まった様に小さく喉を鳴らしてから、控え目に言葉を発する。


「……私には、三つ上の姉がいます。名前はのぞみです。お父さんは……さっき言った通りです。お母さんは主婦をしています」


 それを聞いて、僕は思わず吹き出してしまった。

 別に塚瀬さんが面白かった訳ではない。まあ確かに、こんなに長いこと話している塚瀬さんは初めて見たから、少しは面白くもあったけど。

 怪訝そうに首を傾げる塚瀬さんに、僕は釈明する。


「ごめん、塚瀬さんに笑ったんじゃなくて、なんか、お見合いみたいになっちゃったなって」

「あ……確かに」


 塚瀬さんも、口元に手を当てて、小さくだけど笑った。

 すごく唐突な形ではあったけど、僕たちは互いのことを少しだけ知ることが出来たのだ。ほんのちょっとだけれど、今日の目標を果たせたような気がした。


 僕もようやくとフォークに手を伸ばして、パスタを巻き付ける。でもそこで、ふと思い立った。少しずつでも、自分を出していこうかな、と。

 そこで僕はフォークを置き、割り箸の方に手を伸ばす。


「……本当はさ、箸で食べたい派なんだ」

「……私も、和風なら、そうかも」


 僕らは再び笑い合うと、そのまま食事を進めた。

 前回よりも緊張感なくパスタを平らげることが出来た。これは箸による効果なのか、以前の冷製パスタより美味しかったからなのか、その辺りは分からない。


 お会計を済ませて外に出た僕らは、外気の暑さに少しうんざりしながらも、そのまま歩いて図書館へ向かうことにした。以前にも一緒に行った図書館だが、今回は駅から一緒に向かうという点で差異がある。


 道すがら、僕は会話そっちのけで頭を回転させていた。普通の恋人は十分じっぷんばかりの徒歩移動の時、何をするかということを考えていたのだ。

 さりげなく彼女を歩道側にしてとか、手をつなぐだとか、そういうことを。

 ただ経験不足の僕は、この汗ばんだ手を差し出す勇気に恵まれていないし、歩道側に彼女かばおうにも、脇を走る県道は、そもそも車道と歩道がガードレールで仕切られているので、その効果は薄い。

 かといって何もしないというのもなあ、なんて自己嫌悪。このループだ。


「……ごめんね」


 僕が脳内で思っていたことを口に出したのは、塚瀬さんの方だった。


「いろいろ、考えて、くれてるんだよね」


 塚瀬さんは立ち止まると、申し訳なさそうな笑顔を向けた。横の県道を走り抜けたオープンカーの風が、彼女のワンピースの裾をはためかせた。僕は首を横に振る。


「いや、違うんだよ、僕の方こそ、こういう経験がなくて、男のくせに、うまくリードとか出来なくて……」


 今度は塚瀬さんがかぶりをふった。そして僕の方まで歩み寄る。


「わたし、話が、上手くないから……」

「そんなことないよ。塚瀬さんといるの楽しいし」


 塚瀬さんはそんなことないとでも言いたげに、先程より大きく首を振る。


「今日だって、もっと、葉山君を、楽しませたかった」


 楽しませたかった? なぜに過去形なんだろうか。

 塚瀬さん的に、今日僕になにか楽しみを与えようとしていたということかな。

 もしかして、あのクイズのこと?


「……冗談とかも、もっと、上手に、言えたらよかった」


 冗談を言った? 塚瀬さんが? そんな記憶はないんだけど。

 でも、塚瀬さんの真剣な表情を見るに、決してふざけているようには見えないし、それこそさっきの僕のような、自責の念も滲ませている。


「もっと楽しませたかったのは僕の方だよ」

「ううん、葉山君は、楽しませようとしてくれた」

「え?」

「<塚瀬うどん>とか……」

「……ああ」


 失敗作をほじくり返してくる来るとは塚瀬さんやるな。忘れてくれよ。

 でも僕がいつもと違う事をしたことに、塚瀬さんは気付いてくれたということなんだろうな。僕はあえていつもと違う対応をした。その機微に塚瀬さんは反応したということだ。

 それに比べて、僕はどうだろう。塚瀬さんの言ったという冗談にも気付いてあげられていないじゃないか。


 ――いや。待て。

 あった。あったよ。

 塚瀬さんもいつもと違うような言葉を発していたことが。僕はその情景を思い出しながら、口を開く。


「塚瀬さんだって、パスタもう一つ頼もうとしたり、冗談言ってくれたでしょ」

「……あ、うん」


 やっぱりあれはそうだったのか。ということは……。


「僕の和風パスタをおいしそうって言いながら、カルボナーラ頼んだり」

「……うん」

「クイズにして、お父さんのことも教えてくれた」

「それは、葉山君だって……」


 いや違う。僕なんて全然だ。塚瀬さんに乗っかっただけなんだ。

 思い返せば塚瀬さんは、一生懸命いつもと違うことを、恋人然とした砕けた会話を望んで、それを実践していたんだ。そう努めていたんだ。

 僕はそうしなきゃと思うあまり、ぎこちなくて、アンテナも鈍くて、そんな塚瀬さんのちょっとした冗談も拾ってあげられなかった。

 夏季課題のSDカードもそうだ、塚瀬さんは一生懸命に、僕にそういった気持ちを伝えようとしてくれていたんだ。口下手なりに、必死に。


 ……本当、僕にはもったいないくらい、可愛い人だよ、塚瀬さんは。

 せめて僕は、素直な言葉を口にしたい。そう思った。


「僕は、もっと塚瀬さんと仲良くなりたい」

「……うん」

「でもそう思うと、ぎこちなくなっちゃうんだ」

「……うん、それは私も……」


 そう、ぎこちなくなる。だから、下手な小細工はいらないんだ。


「僕は、今日、冗談を言ってくれた塚瀬さんが、好きだよ」

「え?」


 塚瀬さんは目をまん丸くして僕を見た。僕は構わず続ける。


「でも、いつもの塚瀬さんも好きだよ」

「……あの」


 塚瀬さんは下を向き、ワンピースの裾をつかんでもじもじしている。

 もうここまで言ったんだ、最後まで気持ちを伝えよう。


「要するに、僕は、塚瀬さんが好きだよ」

「……うん」

「だから、その、上手く言えないんだけど――」


 僕は意を決して、塚瀬さんの手を取った。


「一緒に、歩こう」

「……うん」


 ああ!

 なんか色々言ってしまった。そして手を握ってしまった。すっごい勢いで。

 そして手を取ったのはいいけれど、正面を向いて手を取ったから、握手みたいになってしまっている。このまま手を繋いで歩きたいんだけど、このままじゃなんかいびつだよな。


 すると、僕の手からすっと塚瀬さんの手が離されて、次の瞬間僕の反対の手を少しひんやりとした手が掴んだ。

 僕も反射的にその手を握り返す。そして、今度はしっかりと横に並んで、僕達は歩き始めた。


 今日の気温なんか知る由もないけど、僕の体温は三十七度を下らないのではないだろうか。そして心拍だって百は余裕な気がする。

 そんな風邪みたいな症状なのに、こんなに幸せな気持ちなのはなんでだろう。


 ずっと考えていた。

 『塚瀬さん』と『葉山君』の関係でいいのか。どうしていくことが一般的なのか。

 でももういいや。

 僕と塚瀬さんの関係が、一般的でなくてはならないなんてことはない。

 というか、一般的って言うのは、どこの誰が選んだ指標なんだ。僕と塚瀬さんにとっては、このくらいの関係が心地よい、それでいいじゃないか。

 僕の手を掴んで離さない塚瀬さんの手が、それを応援してくれているように感じた。図書館まではあと少しだけど、もう少しこのまま、歩いていたい気分だ。


「次会うときは、何をしようか」

「……火起こし」

「ああ、そうだったね。それで何を作る?」

「やっぱり……定番、カレーとか」

「ああ、カレー。でもああいうのって、二人分って逆に難しくない?」

「……大丈夫、私、いっぱい食べるから」


 塚瀬さんのこの言葉が冗談なのか本気なのか。

 今の僕には分からないけど、そんなことを言う塚瀬さんを、愛おしいなと思った。


――シンキング おわり――

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