宛ての不明なラブレター Ⅰ
僕には自覚がある。自分が何事にも普通であるという自覚が。
身長百七十センチ、体重は六十キロ、通っている高校の偏差値は五十五。
どれをとっても褒められはしないまでも、卑下されるようなこともない、嫌味も面白味もない数字が並んでいる。
だがこれは素晴らしいことだ。とある識者だって普通であることの難しさを説いている。だから僕は普通であることを愛し、受け入れて日々生活をしている。
クラスでも目立つことはないが、かといって隅っこでお絵かきという訳でもない。
跳ねもしないが沈みもしない安定こそが肝要である。僕はそんな平凡な、純然たる十六歳男子だ。
しかしながら今朝登校して下駄箱を開けた時、この安寧に亀裂が入る。
高校入学後初めてのテストを終えて、段々と梅雨の足音が聞こえ始めた今日この頃。連日の曇天に引きずられて、何となく陰鬱な気持ちで家を出た。
今日もテスト期間中からの癖で、通常の登校時間より早く家を出た。この時間だと、最寄り駅から学校までの道も校門の周辺も、まだ活気が無い。正門前の警備員に会釈しながら入門すると、真っすぐに新校舎、一年生の下駄箱へ。
そして、鉄製の下駄箱最上段。顔の高さほどの位置にある、自分の名の入った鉄扉を開けた。薄板で上下段に隔てられた上段側に、僕はいつも上履きを置いている。
いつもの如く下段側に革靴をしまい込み、上履きを取らんと上段に手を伸ばした時、その存在に気付いた。
薄いオレンジ色の二つ折りされた紙。僕は上履きと同時にそれを手に取って読む。
『
おいおい、マジかこれは。
何と単刀直入、そして綺麗な楷書体。
これは古典的なラブレターというやつではなかろうか。
え、僕に? 隣のロッカーの
いや、でも葉山君という名前が刻まれている以上、相手は僕だ。
うそだろ。
少しにやけながら手紙を裏返すが、ここで問題が発覚する。差出人が不明なのだ。
舐めるように様々な角度から見たが、名前は見つからない。そして困ったことに返事は直接言えなどと指示されているのである。
僕は頭を回転させる。そしてごく自然に、その回答に思い至る。
これはイタズラなんじゃないか。
だとすれば――。
僕は素早く振り返り、周囲に目を走らせる。
僕の目が捉えたのは三人。
つまり僕を監視することが出来たのもこの三人のみということになる。
イタズラならば、一番の見物は手紙を発見した時の反応だ。となればその瞬間を観察するはず。だから僕はこの手紙の主の候補者を、この三人に絞った。さすがに監視カメラなんてないだろうし。
ただ困ったことに、候補者三人は全員女子であり、僕にイタズラをしそうな人物でもなかった。となればイタズラと恋文、双方の可能性で考えていくしかない。
もしこれがイタズラでもラブレターでも、同様に僕を見張るはず。前者なら楽しむため、後者ならば受け取ったことを確認するため。
さて、候補者について考えていこう。
一人目は同じクラスの
二人目もクラスメイトである
最後の三人目は隣のクラスの
うん……どの線も薄い。残念な事に。
でもより可能性が低いのは、イタズラとして考える方だろう。される覚えがないし、誰もがそういった人物ではないのだ。
……
そう好意的に考えれば、これはとてもありがたい展開。
なぜなら三人は、それぞれに魅力的な女性なのである。
例えば花井さんは、容姿も性格も含めて、模範的なパンフレットに載せたいタイプの優等生。もし付き合えたら、すぐにでも親に会わせられる逸材、個人的にはイチオシだ。
次に塚瀬さん。寡黙だが、スラっと長身のモデル体型。キツネ顔とも形容できる釣り目で、何となく妖艶な雰囲気を醸し出す。均整の取れたルックスの持ち主だ。
そして野木さんは前述の通り、相手には事欠かないだろう人気者。塚瀬さんと対照的な、愛らしいタヌキ顔とでも言えばいいだろうか。親しみやすいキャラもいい。
うーん悩ましい。嬉しい悩みとは、かくも辛いのか。
……おっと、違う違う。
誰か分からなきゃ仕方がないじゃないか。落ち着け、僕よ。
調子に乗って浮かれている男子の見苦しいことよ。
先日だってクラスメイトが、ラブレターを貰って「どうしたらいいと思う!?」だのと騒いでいたじゃないか。僕はそれを見て大層怪訝な顔をしたものだ。当事者になってどうする。
ここは落ち着いて思考を巡らせよう。
……と言いつつ、実は答えは出ていたりする。
これは簡単な問題だ。消去法で方が付く。
まずは残念だが、イチオシの花井さんを消す。
なぜなら彼女は責任感のある人物。差出人の分からない手紙など書かないしだろうし、告白なら面と向かって言いそうな、真っすぐなタイプでもある。
次に野木さんも消える。
名前の書き忘れくらいはしそうなタイプだが、身長がネックだ。
最上段に位置する下駄箱の、それもわざわざ上段側に手紙を置くとは考えにくい。
誰かに置いてもらった可能性もあるが、入っているか覗き込めないような場所に入れるようお願いするだろうか。合理的じゃないように感じる。
ならば答えは塚瀬さん一択だ。
手紙に託す想い、単語レベルの文面、僕の下駄箱も見渡せる身長、
彼女であるならば事実と矛盾がない。
――よし、塚瀬さんだ。
僕は廊下を歩く塚瀬さんの背に向け、満を持して走り出す。
「塚瀬さん!!!」
背後から声を掛ける。彼女は驚いた様子もなくゆっくりと足を止め、振り返る。
「……なに?」
僕はラブレターを胸の前に掲げる。
「これ、手紙、ありがとう。僕なんかで……いいのかな?」
塚瀬さんは恥ずかしそうに、はにかみながらコクリと頷く。
「うん……いいの。出したの、私だって、分かってくれた人だから」
良かった。
やはり塚瀬さんで正解だった。晴れて僕にも素敵な恋人が出来るのか。
……ん? ちょっと待てよ。何か引っかかる。
その「分かってくれた人」という言い回しはいかがなものか。それだと差出人不明であることが、ミスではなく必然だったみたいじゃないか。
「私」
塚瀬さんが続ける。
「……口下手なの。だから、いろいろ、察してくれる人じゃないと、ダメなの」
ぶつ切りの言葉、独特の静かなトーン。
でもそんなことより、気になることがある。
……さっきから、塚瀬さんは僕の名前を言わない。
「人」という抽象的な表現でしか意中であるはずの相手を論じていない。
なるほど。
分かってしまった。つまりはこういうことなのだ。
「塚瀬さん、あのラブレター出したの、僕で何人目?」
塚瀬さんは少しばかり目を見張ったが、すぐに口元を緩めた。
僕にはそれが、不敵に映った。
「……葉山君で、四人目。でも私に声を掛けてくれた人……葉山君だけ……」
なんとまあ。
差出人不明のラブレターは、宛先さえも不明瞭なものであったらしい。
さあて、どうしたものかな。
この場ですぐにお願いします、というのはちょっと難しいところだ。
だってさ、ある意味で、誰でもよかったって言われたようなものだろう。
―――Ⅱへ つづく―――
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