18頁 黒龍神の伝説
《サクラ》
いつもは晴れ渡った青空は灰色となり、限りのない水滴を流す。その滝のような雨の中には雷が混ざりこんでいた。
サルト国に8日ぶりの雨が豪雨となって降ってきた。時々雷鳴の音に驚きつつも、私は王宮の中で平和に過ごしていた。いつも通りの変わらない日々だけど、自然の中の驚異を知り、死の覚悟を体感した私にとってはこの16年間、誰よりも安全で優雅な生活を送っていたのだと気づく。
いつものように図書室の隅で本を読んで調べていると、誰かの声が聞こえた。聞き慣れた声とそうでない声。4人いる。
「それにしてもどうしたんスか先輩? 俺ら軍人がこんな本だらけのとこに来たって何にもならないと思うっス」
この国では珍しい、オレンジに帯びた髪の若い兵が、上司らしい人に話しかけているところを見る。髭を生やした角刈り頭の大きくて怖そうな人だ。よく気軽に話せるなと思う。
「おまえが勝手についてきたんだろ」とあきれ声。「用があるってだけの話だ。なぁレイン」
「ええ、その通りですね」
やっぱりレインの声だ。敬語使ってることに少し吹き出しそうになったが、ここは堪える。
「先輩、用ってどんな用っスか?」
「ある龍について調べようとな」
「へぇー! 先輩が竜について気になるとはちょっと意外っスねー。で、ある竜ってのは何っスか?」
「ベルフ、少しは解せろよ」
レインが言った「ベルフ」があのオレンジ頭の人か。流石に私より年上だろうな。
「レイン先輩はわかるんスか?」
「ああ、災龍のことだろ。そうですよね、ケプト大佐」
角刈り頭の怖そうな人がケプト大佐。それじゃあもう一人いる、金髪を一つ結いしたやさしそうな顔をしている男は誰なのだろう。
「そうだ」とケプト大佐は一言返す。
「へぇ~、お前が神話を信じるなんてらしくないねぇ」
やっと金髪の男が話した。大人びいた見た目とは異なり、口調が軽い。その男にケプト大佐が眉を潜めながら話す。やっぱり怖い。
「ああ、俺もびっくりしてるよ。だがな、脅威というのは神話より突飛で容赦がない。似たようなやつがこの国を襲いに来たらどうする? あの『災龍』のようにな。万が一の対策をせねば、一瞬で国が滅ぶこともある。それに、生物だけではないだろう。他国の兵器が来ることもあるかもしれんからな。少しはわかったかカルダス」
「はいはいわかりましたよ、というかしっかり理由あんじゃねぇか」と肩をすくめる。
「さっすが先輩! 考えることが違うっス!」
ベルフという人はぴょんぴょんと体を跳ねては声を爛々とさせている。尊敬のまなざしを向けていることだろう。
「それに、王女様も調べてるそうじゃないか。あんなにお若いのに、この国のことをしっかり考えてなさっているんだ、俺たちも国の為にそういう対策を考えねばならん」
突然私の事が挙げられてびっくりする。そんな大層なことじゃないのですが……。
「だけどなぁケプト。そういう心掛けはいいが、杞憂だと思うぞ」とカルダスさん。
「俺がどう思おうと勝手だ。とにかく気になった、それでいいじゃねぇか」
「野生の勘ってやつっすね!」
「ベルフだけ明日の訓練に特別メニューを追加するとしよう」
「えええ!? なんでっすかぁ!?」
「それこそ解せろって話だ」
「そんなぁ」
そんなやりとりをして、笑い合う彼ら。それがなんだか羨ましく思えた。
「……あれ、サクラ……王女?」
もっと聞いていたいと思ったのか、ちょっとだけ身を乗り出していた。
そこをレインが見つけ、呟くように私の名前を言ったのが聞こえた。びくっとした私は、ごまかすように思わず目を泳がせる。
「あ、あれーレインじゃない。奇遇だねーここにいるなんて気付かなかったよー」
「棒読みですよ、王女。最初から俺らがいることわかってましたよね?」
「え? ま、まさか、ね~」
「レイン! 図が高ぇぞ!」
ケプト大佐が怒鳴りかけたところで、私の全身が強張った。思わず閉じた目を開いたとき、4人とも私に跪こうとしていた。
「わーっ! いいです大丈夫ですそういうことしなくていいですから!」
「いえ、挨拶どころかご勉学のところ気づきもせず私語を交わしてしまい、なんとお詫びすればよいか」
「そ、そんなとんでもないです! 堅苦しいのも過剰な礼儀も苦手だからふつうにしてていいですよ! あと、えっと、4人の楽しそうな会話を聞いて嬉しい気持ちになりましたから」
「は、はぁ……?」
口をまくしたてたのがうまくいったのか、怖そうな顔のケプト大佐をはじめ、3人は意外そうな表情をして地面につけた膝を離した。レインはとっくに立ち上がっていた。正直、こういう縦社会は苦手だ。
……こんなこと言ってちゃ王女失格かな。
「サク……王女は今日も勉学に励んでいるのですか?」
レインが言う。ケプト大佐という人が私に話しかけようとする前に。レイン以外の3人は恐れ多くて話しかけられないように見えた。この反応が他の人にとって普通の反応だと思うと、なんだか気が重い。
「うん、まぁね。レインたちも災龍について調べに来たの?」
「ハッ」といつもと違う、兵士らしい返事をしては、
「ケプト大佐が仰るには、竜対策の防衛および有効な兵器の設計開発をご検討されているようで、我々もそれに協力しようと同行いたしました」
「へーそうなんだー。それができれば城壁際の街だけじゃなくて、外側の村の被害も抑えられそうだね。ケプト大佐、この国のためにありがとうございます。形になることを楽しみにしてます!」
「はっ! お褒め頂き、光栄の極みにあります!」
「そこまでいわなくても」と思ったけど、口には出さなかった。
「あ、あのっ」
歯切れ悪そうに申し出たのはベルフさん。
「はい?」
って言った途端にびくりとして視線がそれる。緊張しているのかな。見ているこっちまで緊張してきちゃう。
「え、えと、あ、あの、べ、勉学頑張ってくださいっス!」
「あ、うん! ありがとう」
「ベルフ、そんだけのことなら王女に話しかけんなよ。てか声裏返りすぎ。王女ドン引きだぞ」とレインが耳打ちする。レインの声は通りやすいから意外とこちらにも聞こえてくる。「別にドン引きではないよ」といったところで、レインの名前を呼んだ。
「ハッ」
「災龍は伝説上の神様だし、存在を信じる方が珍しいのに、なんで調べようと思ったの? もしかしてお父さんのご命令とか?」
「そうですね」とケプトの方へと目を向けるが、彼は頷いただけ。察したレインは口を開いた。
「実を言うと――」
そのとき、カルダスさんが金の髪をかき上げ、何か小型の機械の箱を持ちながら突然話し出す。確か遠くにいる人と会話ができる道具で、先進技術大国のプラトネルから輸入したとか。ただ、軍の人たちしか使えないからよくわからないけど。
「緊急要請だ。第1・3・6騎馬部隊と、第5・6龍騎部隊、第6から9重兵器部隊、直ちに王国第3ゲートの砦に集結。標的は――古の龍の
巨炭龍? あまり聞いたことない名前だな。
「っ!? それは本当か」と大佐。
「古の龍って、結構マズい奴っスよね……」
「結構マズい中でも一段とヤバい個体だ。中央大陸の軍は何やってたんだ」とレインは苦虫を嚙み潰したような顔になる。なにがなんだかという思いだが、相当の事態だということだけがわかった。
「王国の防衛兼討伐令が出た。現場に行くぞ」
3人は私に敬礼した後、駆け足で図書室を出ていった。先輩がその場にいなくなったためか、レインは踵を返し、言葉遣いがいつものように戻った。
「……というわけだ。ここのところやたらに大型の竜どころか、今みたいに古の龍までもがこの国を襲いに来る。きっと何かの前兆に違いないと思ってな。もしかしたら神話の災龍ってやつと関わりがあるんじゃないかって話だったんだよ。でも俺が思うに実際災龍じゃなくて――」
「レイン! 早く来い!」
ケプト大佐が図書室のドア越しでレインに怒鳴る。
「じゃ、俺行くわ」
「え、レイン!」
「心配すんなって。勉学頑張れよ」
そう笑顔で返され、何も言えなくなる。気を付けて、の一言さえも。
3人に追いつくくらいの速さで、友人は部屋を出ていった。
襲撃の件は耳にはしてたけど、まさか何度も竜がこの国を襲いに来るなんて。だからここのところ国軍が騒がしくて、レインとも会えなかったのか。
「災龍が関係……」
どこか引っかかる。いや、惹かれてしまっている。それに抗えないまま、しかし考えたところで何もわからない。
ちょっとウォークに聞いてみよう。
そんな結論に至った私は今頃大食堂を清掃しているであろうウォークのもとへ駆けつけた。
*
「……ええ、そうですね。確かに王女の仰る通り、軍は竜対策と同時に万が一、災龍又は災龍のような恐ろしい存在の対策を実行しようと、王族や政府は軍事政策を立てています」
王女室。ウォークは期待通り、てきぱきと説明してくれた。
「やっぱり! でも、どうしてたくさんの竜がこの国を襲おうとしているの?」
こういったことは、なぜか私の耳には届かない。王族だからこそ、知っておくべきことなのに。まだ子どもだと思われているのだろうかと少し胸が痛くなる。でも、それなら私にできる形でこの国のためになることをするまでだ。
ウォークは「んー」と、少し考えた後、話し始めた。
「私も本当のことはわからないのですが、おそらくこちらに来る竜は襲っているのではなく、逃げているのではないでしょうか」
「逃げている? 何から?」
「ある恐ろしいものから。その逃げ道の先に私たちの住む王国があるので、国を壊してでも逃げようとしたのだと思います」
「なんで遠回りしなかったのかな?」
「それだけ余裕がなかったのでは? それに、彼らにとって私たちの国など、森林や岩山とそう変わりませんし」
人よりも遥かに大きな竜なら、そういう考えもあるのかもしれない。国軍に攻撃されても逃げずに抵抗して攻撃的になるのも、それ以上に恐ろしい何かから逃げていると思えば、納得できない話ではない。
「いままでこういうことなかったよね?」
「ええ、確かにこのようなことは前代未聞です。原因はあらゆる災いを引き起こす災龍によるものだと思っていたのですが……」
顎に指をあて、ふむと考える。生態系の頂点に立つ竜でも恐れるのは天災くらいだろうと思っていたが、違うのだろうか。
「災龍が原因じゃないの?」
「私も最初はそう思っていたのですが、ここに来る竜の群は、サルタリス山脈地域どころかアミューダ地方のどこからでもなく、地方の外の遠くの北西から南東へ進んでくることが、国軍調査で確認されたと聞きます。災龍が神話として登場した舞台はこのアミューダ地方なので、この現象は災龍のものではないと考えられますよね。だとしたら、この地方の北西にある地方で起きた何かによって、竜群はその反対方向、つまりこちらへ逃げているのではないかと推察できます」
「その何かってなんなの?」
「はい、一番合点がいく原因がひとつありますが、それを言う前に少しだけお耳に入れてほしい言葉があります」
「うん、それも聞く」と一度大きく頷いた。それを確認したように間をおいて、ウォークは息を吸った。
「ある地方の言い伝えでこんな言葉があります――」
神の栄光ヘレメスよ、絶望ともいえる夜を迎えるということは
七つの災害を迎え、第二の死を受け入れることである。
土を奮起す者
山を怒らす者
風を荒らす者
水を煮たす者
森を薙倒す者
炎を生出す者
月を打砕く者
七つの災害が満ちる時
数多の龍が慄く時
火と硫黄との燃える池。第二の死を受け入れたとき。
黒神の伝説は蘇る。
その者の名は運命を荒ぶる黒の神
北より来る風の神
字名は宿命。避けられぬ運命。
天龍の絶命の刻、彼の者は天と地を覆い尽くす。
民よ、祈れ
国よ、叫べ
世よ、聴け
主イレウスの恵みがすべての者とともにあるように。
ミラネス。世を終え、夜を始める彼の者の鎮魂を、我らは祈ろう。
「……これは古くから伝わる、黒龍神『ミラネス』の竜神伝記より記載されていた一節です。かつて神話でしか信じられていなかったこの龍は、ご存知の通り、数々の国を滅ぼしてきました。それを食い止めるため、ある英雄を筆頭にその龍を討伐し、平和は戻りました。その分、英雄と讃えられてきた者が何十人も亡くなってしまいましたが。しかし、その龍は神といわれども所詮は生き物。寿命もあれば繁殖もあります」
つまり、と続ける。
「決して平和が戻ったわけではないのです。その龍の血が続く限り、この戦いは終わらないということなのです。災龍も十分に恐ろしいのですが、そんな空虚な伝説よりも、今でも悲劇を起こす伝説の龍の方が信憑性があります。なので、私はミラネスが元凶だと考えます。しかし、大陸中央区の調査で未だそのような知らせは来ていませんが、十分可能性が……いえ、もう確実でしょう」
「ということは……」
「『伝説が蘇る』。我々『人類の敵』が復活したのです」
「――っ」
思わず息をのむ。
衝撃的だった。災龍に夢中になっていた私は、周りの出来事に気づいていなかったのだ。一国の王女として情けなく感じる。
「そんな……」
その気持ちをウォークは感じ取ったのか、慰めるような声で話しかけた。
「王女、ご自分を責めても辛いだけです。幸い、まだこれといった大きな被害もなければ事故も発生していません。それにいま言ったことは、僕や軍の推測に過ぎません故。しかし、それが実現するかもしれないことは確かだと思います。ですので、今のうちに対策をとっていきましょう」
それに、と付け加える彼の言葉に耳を傾け続ける。「今説明しましたことは先ほど国王様に伝えましたので、今襲撃中の龍の討伐後、王直々から説明されると思われます。そして国軍全軍は完全に龍対策をとると思います」
「……」
「こちらで全力でやり遂げます。ですので、あなたはいつものように笑って過ごしてください。それが私たちの王女に対する望みですから」
ウォークは本当に心から安心させることを言う。だけど、自分ひとり安全な場所に隠れている場合ではない。私にしかできないことをやらないと。
黒龍神ミラネス――この人類の危機をどう乗り越えていくか。
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