11頁 龍と唄う桜巫女

《サクラ》


 渓流に入ってしばらくすると、10メートルくらいだろうか、そのくらいの大きな鳥居が、来訪者を待っていたかのようにずっしりと、その崩れそうなほどの古い巨躯を維持し、迎えていた。


 そこを抜け、坂を下ると平地だった。そこには小ぢんまりとした集落があったが、今は抜け殻のように誰も住んでいない。日の光に染まる廃家は閑寂のまま、自然の驚異を語る。

 思い出した、この土地に集落をつくった人々は聖地に踏み込んだため、神は怒り、天罰を下したと云われている、とウォークに教わった。確かに廃家を見てみると、いかにも災害に遭ったような壊れ方をしている。たぶん嵐にでも遭ったのだろう。


 住居跡を通り過ぎると、水辺に出た。水辺には3メートルほどの穂がたくさん生えているため、その水辺の先に何があるのかわからなかったが、その水辺に小さな廃船が見えたことは確かだった。あの水辺は河と隣接しているのだろうか。


 滝が見えた。響く音はこちらに微かに届いてくる。まるで大きな水のカーテンだ。でも、あの水量を体感すれば、いつも浴びているシャワーより何十倍もの衝撃が来るだろうな。

 あの滝はサルタリス大滝という名前だったと思う。あの滝を潜り抜けると、鍾乳洞という岩のつららみたいなものがたくさんある広い洞窟だと、またもウォークから聞いたことがある。その時のウォークは少年のように楽しげに熱説を振るっていたが、私は実際にその洞窟の絶景を見たことがないので、あまり関心はなかった。


 そういえば秋になると渓流は紅葉の色に染まって、更に美しい景色になるって聞いたな。


 でも信仰祭は初夏に行うから、その景色を見たことはまだ一度もない。紅葉を間近で一度も見ていないのは、サルト国で私だけだろう。


 再び高地に出る。進む先を見てみると、まるで木々がその頑丈な枝を何本も伸ばし、絡み付いたような大きな吊り橋があった。

 しかし、その吊り橋は朽ちていて、いつ壊れてもおかしくないように思える。かなり不安だ。だが、先にいる国兵は何の迷いもなくふつうにその朽ちかけの「サルタリス大橋」を渡っている。他の兵や王族を乗せた、馬車ならぬ鳥車もその兵たちについていった。


 この先に信仰地がある。あー緊張してきた、と独り言。

 出発からおよそ二時間ほど、遂にアマツメ教信仰地に先頭の列は到着した。


「はぁ、やっと着いた」

 50メートル近くあるサルタリス大橋を渡りきると広場に出た。山間の僻地にある標高100メートルの崖地の上。そこには緑豊かな草木が生え、岩も苔で覆い尽くされていた。


 その広場の正面の奥には、神々しさを放っている古く、大きな社がただずんでいた。

 渓流の古寺。

 そう私たちは呼んでいる。その廃屋に近い社は、かつてアマツメ教の開祖地だったという。


 しかし、その社を1柱の大樹が屋根をはじめ、社全体を覆うかのように、そこに生えていた。その大樹の根はどこまで続いているか計り知れないが、広場の平地から何本か太い根が、雑草の生えた地面から露出していた。上を見上げると、偉容を誇る大樹がまっすぐと伸びた幹をさらして立っている。枝葉は大空を覆い尽くすかのように高く、広く、天へと伸び続けている。


 常緑針葉樹にも似たそれは「アマツメの大樹」。唯一神アマツメの化身とも云われる、樹齢3000年の老樹だ。「万作の畑」といわれるほど、この樹に含まれる栄養分は非常に高く、多種多様の草木やその実や花が、その一本の極太い大樹から生えている。まるで樹に生えるキノコのように。


 森の父とも呼ばれるそれは、このサルタリス山脈に住むすべての生き物はその大樹の子どもだと、神話では述べられている。


 ここが信仰地であり、アマツメ教の始まりの地でもある。


 ここから本番……気を引き締めていかないと。

 外を見てみると、木製の鳴物を並べたり、お坊さんらしき人たちも出てきた。準備をしているのだろう。10分後、信仰祭のメインイベントの始まりだ。


 私は頭の中で確認を取る。毎年やっていることなので、確認するまでもないけれど、念のため。


 最初は奉神アマツメの礼式、次に国王の感謝の辞、次に恵みの経、次に天の能楽、次に地の剣舞、そして私の龍の舞踊。そして、最後に祈式をしてから民のアマツメ参りが始まる。社の前で祈ってから、右にある出口に向かい、山を下りていく。


 はぁ~長いなぁ。

 そう溜息をついてふと外の様子を見ると、くどくどと長ったらしい礼式は終わりを告げ、お父さんの感謝の辞が読まれるところだった。

 いつもよりも更に野太い声で辞を読んでいく。内容は難しすぎる言葉の羅列だったので全く理解できなかったが、とりあえず素晴らしいことを言っているのだろう。しかし、その羅列は20分続いた。どれだけ言いたいことあるんだろう。


 お父さん話すの長すぎだよ。私はわけのわからない言葉の連続を聞いていた上に、それが20分も続いたため退屈さを感じ、うとうとしていた。


 しかし、その感謝の辞が終わっても、その次は恵みのお経があるので、さらに眠たくなる。気を引き締めていかないとダメなのに。睡魔が襲ってくる。


 ゆっくりと瞼を開く。あくびを一つ。やっぱり眠っていたようだ。首が少し痛い。後ろの壁から背を離し、寝ぼけまなこで窓の外を見てみる。


「っ! ああっ」

 もう剣舞終わっちゃったの!? 次私の番じゃない!


 目を皿のように開き、思わず声が出てしまった。

 心の準備が整らないまま、龍の舞踊――私の舞台が始まろうとしていた。


 大丈夫、落ち着こう、今年も上手くいける。


 私は心を冷静にして今まで習ってきた舞踊の内容を少しずつ思い出していった。

 古楽器の音色。人の心を鼓舞させる、ふしぎな音。息を吸い、こみ上げる緊張を抑える。突然だけど、なんとかなるだろう。楽観的にいけば大抵上手くいくとレインからも聞いたことだし。


 そして、鳴物の演奏と共に私は乗車口から登場し、ただ正面にある渓流の古寺と呼ばれる古の社を見続け、信仰地の中央まで歩いていった。


 大勢の人々の視線。後ろには百万もの民。踏み込む草の音は鮮明に聞こえる程の寂寞。私の息は、この自然の呼吸と同調させる。


 見つめる先は父なる神木。この巨木の前に立つと、なぜだろうか、しばし口を噤み、頭を垂れたい気持ちになる。

 森の創造主は、静かな威厳を身にまとい、今日も森の時を刻んでいる。

 目を瞑り、感謝の意と祈りの意を込めながら、森の父、そして先祖の社に向かい深く一礼し、頭を上げる。


 瞳を開く。

 私は舞踊を披露した。



 鳴物の奏でる音色に心を合わせ

 この地に吹き流れる山岳の風を身体で感じ

 大地を踏みしめる音を脚に響かせ

 天を飛び回る鳥の唄を耳に伝え

 山に浮かぶ霧を手で奏で

 この地を輝き照らす太陽の光を口で躍らせ

 幾万の緑の恵みから放たれる香りを鼻で受け入れ

 神の大樹が枝葉を振るい舞う営みを眼で見守り

 思い伝えられる数多の人の願いを頭で謡い

 社に現る静寂の祖霊を己の魂で語る


 語りを窺う奉災の龍の行方はただ神のみぞ知る

 我等の願いを貴方に問おう


 神よ、私は貴方に問おう

 神よ、貴方は生きる者全てに等の恵みを与えているのか

 失う人は、不幸に陥るものは、何を信ずればよいのか


 幸福は太陽の光の如く常に降り注ぎ

 悲劇は雨の如く降り注ぐ


 この両の手が祈るのは我等の明日の為

 この両の手が守るのは愛しき者たちの為


 時の終わりの果てを絶ち

 時の始まりを今ここで放て


 餓えし神よ

 満たし神よ

 与えし神よ

 奪いし神よ


 我等に愛を、恵みを、幸福を唄い

 巡り廻る原始の命を育み、彩へを描きたまえ


 報いし愛の言葉をすべての者へ

 叶えし望の言葉をすべての者へ


 神よ、我等よ、天地よ、等しく恵みの光あれ




 ――si-rayan liolay-reyo (本当に信じればよいのか)


 (……え?)

 気のせいだろうか、なにか耳元で囁いてくるような音。


 ――reye-siyete-rya liolay-reyo (私は貴女を信じればよいのか)


 確かに今、何か聞こえた。上の方から何か……っ!

 私は舞踊をしながら上に目線を向けた。


「っ!?」

 声が出そうになる。

 あれはいったい……さっきまでは何もいなかったのに。

 何か、何かがいる……っ!


 私の目に映ったのは、一頭の龍だった。

 だが、それは――。

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