15頁 どうか、今宵の空を独り占めに
*
三日後、夜10時。
「では、おやすみなさい」
いつものように、召使のウォークが私に微笑んでそう言った後、照明を消し、部屋を出ていった。足音が聞こえなくなってから5分待ち、そろりとベッドから抜け出し、ある準備をして部屋の奥の隠し通路に入った。ちょっとした滑り台の後に続く通路と梯子。狭く薄暗いが、慣れた道なのでもう怖くはない。
抜けた先は王宮裏の竜小屋。その小屋の裏にある牧場に行く。
月の光に照らされ、その黒く艶やかな毛を宝石のように輝かせている、猫のような目と艶めかしさをもつそれは私の親しい友達でもあり、乗竜でもある「ナウル」。そして、その迅翔竜の頭部や顎を撫でている女性、イルアがいた。桃色を帯びた長い髪が風に靡き、その妖しい美しさを保ち続けている彼女の素顔が露わになった。
彼女は私のいる方へ振り返らずに、話し始めた。とっくに気付いていたみたい。
「あなたはほんとに
イルアは懐かしむように語る。お母さんと親友だったから、その優しくもつらそうな瞳の意味が、よくわかった。
「その強さがこの国を栄えさせてくれたのかしらね。なんにしても、彼女はあたしが生きてきた中で、いちばんの人だった。あたしのことを一番の親友と言ってくれたもの。誰もがあたしのことを気味悪がって避けていたのにね。彼女がいなかったら、誰とも関わることなく、あたしはただこの世界を放浪するだけだったに違いなかった。キクには本当に感謝しているわ」
イルアは振り返る。優しい笑顔だった。
「……あなたの顔を見ると、彼女の事を思い出すの。キクが生んだ、たった一つの命。あたしは何が何でも、その命を守り続けようと思った。けど、こうやってあなたから旅立っていこうとしている。それは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか」
「イルア……ごめんね」
思わず出た言葉。しかし、イルアは首を横に振るう。
「いいのよ。あなたが望んだことなら、ね。どんなことがあろうとも、あなたは己の道を進んでいくでしょう。そして、あたしはその勇姿を見届けなくてはならない。そう信じていこうと思う」
涼しげな風。草が揺れるままに、彼女は私に近づいた。
「あなたの望むままに進めば、運命は変えられる。そう信じなさい。さぁ、出発の準備をしましょう」
イルアはあらかじめ持ってきた今年の信仰祭の巫女の衣装を私に着せた。そして、私とナウルの両手に何かの紋章を描いた後、聞き取ることができない言語で何かを唱え、「はい、終了」といって、私をナウルの上に乗せた。案外力持ちだ、と半ばびっくりする。
「おっと、武器忘れてた。……はい、持って。少し重いわよ。……よし、ちゃんと担げたわね。その携行火器は国軍の武器庫からパクってきたやつだけど、使い方わかる? わかるわよね。あ、一応その武器にも魔法はかけておいたから」
魔法というものはかなり難解で、でも便利なものらしい。詳しいことは分からないが、資質がある人でないと、使いこなすことはできないようだ。残念ながら私は資質もなければ言語を覚えることさえさっぱりだけど、ウォークが言うには廃れつつある古代の技術らしい。竜とも深いかかわりがあるそうだけど、あのときはそれ以上興味を示さなくなったんだっけ。
「ねぇ、この服って信仰祭のときに着た物なんだけど、これがちゃんと防具になるの?」
「大丈夫よ! その服、素材がいろんな種類の龍から獲れたものばっかりだもの。魔法かけるまでもないくらいの強度があるわよ。でも、災龍に遭うとしたらまた別の話になるけど。ま、ちゃんとその服にも強力な魔法はかけておいたから、大丈夫よ」
「イルア、ごめんね。迷惑かけ――」
「らしくないこと言わないのっ」と元気づけるような声で遮られる。「ほら、もう準備は整ったし、もう出発よ! 時間も限られているわ! 謝罪も感謝も、あなたが無事に帰ってきてから!」
「……うん!」
強くうなずいた。それに応えるように、イルアは「よし!」と白い歯を見せて笑う。
「じゃ、あたしは今から、みんなにバレないようにする"おまじない"を唱えるとしますかっ」
彼女はそう言った後、手話のような動作をしながら羅列を唱え始めた。そして、指を鳴らし、その手を地面へ振りおろした。
風に靡いていた葉音が止む。
さっきまで感じていた風も、竜小屋から微かに聞こえていた竜の鳴き声もすべて止んだ。
「……なんか、変な感じ。何をしたの?」
そう訊くと、イルアはいたずらな笑みで「ふふふ」と笑う。
「どう? 時間の静止した世界にいる気分は」
「え、時間が止まってるの?」
ウソでしょ? そんなことも魔術はできるの?
得意げな顔で、イルアは説明する。
「そう、正確には、周りの世界を時間が止まっているかのように遅くしているんだけどね。それであたしたち二人と、その竜が光のような速さで瞬間的に動いているわけ。静止範囲はサルト国をざっと囲っているわ。あたしが解除するまでこの静止空間は続くけど、早めにこの空間の境界から出てね。結構魔力と気力と体力使うから。あと空間から出ても何の支障もないから安心してね☆」
イルアはそういい、ウィンクをした。
やっぱりすごい人だ。王国丸ごとの時間を止めるとは。しかもこの余裕。
だけど、こんなすごい人を一撃で死に掛けさせた災龍はいったいどれほどの存在なのか。神と並べられるのも納得がいく。
「あ、言い忘れてた。夜明けまでには帰ってくること。いいわね」
私は「わかった!」と笑顔で頷く。
私は手綱を取り、いつも稽古でやっている感覚で、ナウルを乗りこなす。ナァァ、と鳴きながら両腕を大きく広げ、蝙蝠のような、しかし毛並み整った美しい翼をはためかせる。風を作り、巻き起こし、ゆっくりと浮上していく。
「じゃ、いってきまーす! 必ず帰ってくるから! ほんとにありがとう!」
「いってらっしゃーい! 絶対無事に帰ってくるのよー!」
私はイルアに手を振りながら空高くへと飛び上がった。静止した国の中、竜のナウルが私を乗せ、真っ暗な空を滑空する。私は心を躍らせた。
ついに、外に出れる! ついに災龍を突き止められる!
目指すは、サルタリス山脈へ――。
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