14頁 魔導士の畏懼
*
《サクラ》
王宮の地下は3階まであり、その殆どは食糧庫や武器庫、金庫などの倉庫がほとんどを占める。その中でちょっとした研究室がいくつかあるらしい。確か生物の体質の研究をして食糧や武器に活かしたり、遺跡や古代文明の研究だったりと、なにかしらの専門の人たちが国の為に日々様々な研究に努めている。
私がまだ1歳の時からウォークがここに就くまでの世話人として、共に過ごした女性がその研究室にいる。彼女を筆頭になにかを研究し続けているというけど、確か、錬金術……いや、違ったような。魔術だったかもしれない。実際、どのような学問なのかはわからないが、かつての時代、栄えていた古代の技術だという。
見張りの兵士に許可を取り、無骨な石階段を下りる。
地下のため、てっきり暗い場所なのかと思った……が、壁や天井に自ら発光する鉱石が取り付けられていたので、石畳の廊下は昼の光が差すように明るかった。
地下二階の奥へ進むと「魔術実験室」というプレートが貼られたドアがあった。開けようとしたが、鍵がかかっていた。プレートの下に『危険物取扱の為、関係者以外の立ち入りを禁ずる』と書かれた紙が貼ってある。
もしかして実験中なのかな。少し待ってみよう。
10分後、ギギギ、と立てつけの悪い音がし、その分厚いドアから黒いマントを着た人が何人も出てきた。魔防用なのか、みんな不気味な仮面をつけている。廊下に置いてあった物資の隅に半ば隠れる形で、私はその顔のわからない集団を見送っていった。
全員出ていったようだ。私は恐る恐るとその黒い扉の前に再び立つ。
「……あ」
部屋締めしていた人なのだろう、最後の一人が丁度扉を開けて出てきた。ばったりと鉢合わせになる。
しまった、となぜか思ってしまった。しかし、ふわりと匂う独特な花の香りに、懐かしさを覚えた。対面して初めて分かる、黒いマントの下の服装。その長身の曲線美を装う服装も黒であり、一目でわかる細身の体形を、その黒服が魅せてくれる。
「……あれ?」
女性らしい、よく通る声。その人物がこちらを向いたかと思うと、フードと仮面を外した。ふぁさり、と滑らかに流れ落ちる艶を帯びた桃色の長髪。少しうす暗い部屋でもよく見える美白肌を持つ妙齢の女性。驚いたように目を大きく開き、満面の笑みで私に飛びついた。
数年前まで私のお世話をしてくれていたもう一人の母親に等しい存在。
イルアだ。
「サクラちゃんじゃない! やだ
苦しくなる程の強さで抱きしめてきたけど、それが嬉しかった。覚えてくれてたんだと私も心から安堵した。前と全く変わらないしゃべり方。いつもの彼女だ。
「呼びやすい方でいいよ。昔のままのイルアでよかった」
「あら、何年も経ったから変わったと思った? ふふ、呆れるぐらい全然変わってないわよ」
そう笑うと彼女は私から離れ、すっと立ち上がった。女性にしては少し背が高く、相変わらずのきれいな桃色の長髪と顔立ちと体つきだ。見た目は大人の女性という雰囲気で、しかし二十代半ばと思わせる若さだが、実年齢はわからない。
ただ本人が言うに「あなたのお父さんより何倍も年上」と言っていた。人間としてはあり得ないことだ。あの美しさをどうやって保っているのかがわからない。これも魔術によるものなのか。
「で、何の用でここに来たの? 好奇心旺盛なサクラちゃんとはいえども、こんなマイナーなとこ、普通王族が来るもんじゃないんだけどね」
「イルアにね、頼みがあって来たの」
それを聞いたイルアはきょとんとした顔をする。しかしすぐに少女のような無垢な笑顔を向けた。
「あたしに? いいよ、サクラちゃんの頼みならなんでも聞いちゃうわ」
ほっとする。やっぱり相談してよかった。
私は自分の望みを彼女に話した。
……が。
「……災龍ってあの災龍!? あんなものと遭うために外に出たいの?」
イルアは驚愕した。覚えてる限り、今までで一度も見たことがない顔だった。
「誰にもバレずにサルタリス山脈に行きたいの! 何か方法はない?」
「そりゃあ、ないわけじゃないけど――」
「本当!?」
「はいストップ、一旦落ち着きなさい。……サクラちゃん、あなた本気なの? 災龍の恐ろしさ知らないでしょ」
「本気だよ! 災龍のことだって図書室の本で調べつくしたんだから、災龍の危なさは把握したし、この国での災害の被害も小さいころから知っているんだし、大丈夫! 心配ないって」
「サクラちゃん、本や資料に載ってることなんか序の口に過ぎないわ。災龍の本当の恐ろしさを体感していない。それに、アミューダ地方で日常のように起きている災害も、所詮"二次災害"。サルト国に度々訪れる外部からの災害事故は、その二次災害の余波なの」
その様子はぴしゃりとしかりつけるような。あの陽気なイルアが真剣な顔つきになっている。初めて見たかもしれない。
「あなたのように、災龍という未知の幻影に魅了されて、追求した者たちは必ず命を奪われる。なにか『遭って』からじゃ遅いのよ。だから、あたしは行くことを勧めない」
数秒の沈黙。私の目を見続けたイルアは途端、肩を落とし、大きなため息をついた。
「……はぁ~、あなたの事だし、それでも行くんでしょうけど?」
つまりOKなのだろう。私は笑顔になり、大きくうなずいた。
「うん!」
「"うん"じゃないわよ全く……サクラちゃんも小さいころから変わってないわね。ほんと、あいつと一緒だわ」
最後になにかぼやいていた気がしたが、構わず言いたいことを放つ。
「とにかく、何が何でも絶対に突き止めたいの! だから、方法を教えて!」
イルアは暫く悩み続け、頭を抱えつつも答えを出した。
「誰にも迷惑かけない?」
「うん」
「命の覚悟はできてんの?」
「当然!」
「……」
「本気なの!」
イルアは唸る。頭を抱えて唸り続ける。相当迷っているようだ。
意を決したように、パン、と彼女は手を叩く。
「――わかった! その望み応えてあげるわ!」
「っ! ホントに!? ありがとう!」
「だけど! 4つ条件があるわよ」
イルアは強調するように話すので、私は真剣に耳を傾けた。イルアは真摯に私を見つめ、口紅を塗っている、潤んだ口を動かす。
「いい? 一つは絶対条件! 必ず生きて帰ってくること! 死なれちゃ、あたしも国王も国民も歴史的に将来的に感情的にめちゃくちゃ困るからね、国にとって今世紀最大の迷惑をかけることになるわよ」
生きて帰る。当たり前のことだが、それがどれだけ重いことなのか、改めて突き刺さる。ズン、とした重みがのしかかった。
「二つ目はあたしの言うことを絶対に聞くこと。言うことに反したら命を亡くすから絶対に、ね。三つ目はこのことは勿論、外で入手した情報は一切人に口に出さないこと。あなたのイケメン金髪の側近、ウォーク君にもね。そして四つ目、信仰地の社には絶対に近づかないこと。わかった?」
「うん! わかった!」
「返事はいいんだよね~この娘は」
イルアは苦笑し、呆れる。でも頭ごなしに否定する人じゃなくて良かった。
これでなんとかなりそうだ。やっぱり小さいころからイルアは頼れる存在だ。
「じゃ、三日後の夜10時、竜小屋にこっそり来ること。その時間は就寝時間でしょ? 決してバレないようにね。必要なものはこちらで用意しておくし、細かい注意点やサクラちゃんが準備しておくことはあとで魔法で送っておくわ。だからその3日間、しっかり体を休めるのよ」
「わかった! イルア、ありがとう!」
「そういうことは無事に帰ってきてからにしてほしいわ。ま、かわいい子には旅をさせろっていうし、かわいいサクラちゃんの頼みだから仕方なくオッケーしただけよ」
それじゃ三日後に、と衣服を翻して彼女が去っていくとき、私は呼び止めた。
「イルア! ひとつ聞いていい?」
「? いいわよ」と踵を返す。
「さっき、災龍の本当の恐ろしさとか言っていたけど、イルアって災龍に会ったことがあるの?」
さっきまで陽気で優しさのあった顔が、そのことを聞いた途端、急にその表情を一変させた。
真剣、とうよりは畏怖。背中に嫌な寒気を感じさせる。
「……ええ、何十年も前になるわ」
まるで勇気を振り絞るような。普段読めないイルアの本心が垣間見えた気がする。それが、私の望みを真っ向から否定したいと訴えているような。
少しの間の沈黙。ついに彼女の口が開いた。
「今でも鮮明に覚えているわ。今の国王の三つ前の王、あなたの曾々おじいちゃんに当たるわね。その人に命じられて、国軍と魔道軍の一部隊は共に、その龍を討伐しにあの山へ行ったわ。探し続けた先、あの信仰地の古の社に着いたわけ。そこでちょうど牙狼竜と出くわしちゃったのよ」
「あの凶暴な?」という言葉に、彼女は頷く。
「で、何人かの兵が携帯式の迫撃砲を集中砲火した、けどそいつの身の軽さで全て避けられたの。弾はそのまま社へと直撃しそうになったから、私は結界を展開して防ごうとした。……このときだったわ」
目を疑うようなことが起きた、という。静まり返った空間で、イルアは一度だけ話すことを躊躇った。微かに手元が震えている。
「……何が起きたの?」
「突然爆発したの。社だけじゃなくて、砲弾を撃った兵士全員が」
「っ!?」
「何が起きたのかと思った。けど、そう思ったときには、全身が切り刻まれていたの。強い魔力で守られた防護服とその回りの結界の2重結界をしていた私だからこそ、今でもこうやって生きている。けど、そのときは瀕死だったわ。結界を破るなんて、当時は信じられないことだったのよ」
「……そんな」
「もう死ぬんじゃないかって思った。身体も上手く動かなかったし。その中で私が見たものって、なんだと思う?」
「……」
答えられなかった。絶句の一言に尽きただろう。思わず口を噤んでしまった。
「みんなの死体よ」
現実を受け止めるように、はっきりと、そう口にした。
「誰もが一斉にね、人形みたいにバラバラになっていったの。それも、誰にやられることもなく、勝手にね。もう花火みたいに散っていったわ。聖域だった信仰地は一気に真っ赤色。地獄でも見ている気分だったわ」
昔はよく、いたずらされたり、ちょっと怖い話をおどけた様子で話しては私を怖がらせていたことを思い出す。だけど、いまのは違う。ふざけてなんかない。
本心だった。
「話はここからよ」と付け足す。
「迫撃砲に当たったはずの古の社は傷一つ付いていなかったの」
「っ、なんで」
「それだけじゃない、暗くてよく見えなかったけど、そこにはね、見たこともない龍……ともいえないし、なんて言うか、異形っていうか……何かがいたの。何かがね」
それが災龍なのか。息を呑む。
「その姿を見た途端ね、体から……いえ、本能から、脳から恐怖そのものを植え付けられた感じになって。逃げろ、逃げろ、としか考えることしかできなくなった。本能的危機による、火事場の馬鹿力って言うのかしらね。もう狂ったみたいに力を振り絞って、なんとか魔術でその場から逃げることができたわ」
だけど、と彼女の口調は段々と重たくなる。
「100人はいた国軍兵も、34人いた私の同胞や部下もみんな……殺されてしまったわ。後に調査しに信仰地へ行ったけど、死体は腕の一本どころか血の一滴すら見つからなかったらしいの。あのときの夜が嘘だったみたいにね。だけど、部隊が全滅したのは紛れもない事実。全員、龍の餌食に遭ったって、誰もが思った……これを知った王や国民は、その存在を改めて恐れたの。国の一軍や当時圧倒的戦力として扱われた武力魔道でさえ敵わない存在。無知な私たちは天罰を受けたの。もう、あれに手出しをすることも、関わることも許されない」
ぎゅっと、拳を握っていることに気が付く。ハッとするように見上げると、歯を食いしばり、瞳孔を震わすイルアの姿があった。それはなぜか、私にショックを与えた。
「あたしももう、あんな目に遭いたくない。思い出せば今でもそんな恐怖心が湧いてきてね、頭が狂いそうになる。……私の推測だけど、あの社に危害を加えたから災龍は怒ったと思うの。だから、あの社には絶対に近づかないでほしいの。本当はあなたに、そんな怖い思いをさせたくない! だから、できれば、三日後の夜、来てほしくないの……!」
「……」
もう、何も言えなかった。いつも笑顔で振る舞う彼女の目から、涙が込み上がっていた。
そのあとのことは自分でもあまり覚えていない。彼女の涙で頭がいっぱいだったからだ。
三日後、行くべきか、行かないべきか。普通は行かない方が妥当だ。
でも、不正解の方へ行きたい。エゴだというのはわかっている。悪いことなのはわかっている。
だけど、それでも。一つでもいいから真実を知りたい。
でも、イルアのことを考えると……。
もう、どうしたらいいのかわからない。誰にも聞けないし、時間も限られている。今回ばかりはウォークにもレインにも、誰にも頼れない。
私はどうすればいいの?
※※※
【修正】
・以前に「古寺」と書いていましたが、「古の社」です。自分の中で混在していました。
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