第一章 二節 天災の名に堕ちた者

13頁 姫、朱墨爛然し世の美しきを識る

《サクラ》

 翌日、私は我を忘れるように、空いた時間すべてを王宮の図書室に費やした。

 災龍の正体。今までは読んでて眠たくなるような、つまらない書物を今では無我夢中で調べ続けている。もちろん、ベッドに入ったときも。気が付くと、眠ることを忘れ、朝を迎えていたという日々が一週間近く続いたなんてこともあった。そのあとの寝ぼけていた様子にウォークはじめ専属教師の方々を困らせたのは言うまでもない。

 まるで人が変わったようだと使用人や雇用の先生、大臣までもが驚いたという(ウォークから聞いた)。生活管理の乱れに何度か注意を受けたとはいえ、誰もが、私が勉学熱心になって感心しているらしい。その時のウォークは、いつも以上に機嫌が良かった。


 信仰祭から約2週間。午後3時のティータイム。快晴の気温は高めでも風がよく吹き、涼しさを運んでくる。

 いつもの王宮の庭園でウォークと、幼い頃から仲が良い、つまり幼馴染のレインと談笑をした。


 正直、この時間も調べることに専念したかったけど、ウォークからの珍しい誘いだったので、休憩時間として過ごすことにした。


 おやつはオペラ。コアントローのシロップを染み込ませた生地にモカシロップで層を作り、そこにチョコレートを覆わせるケーキのことをいう、らしい。そしてティーはフォートナム・メイソン。ウォーク曰く、最高級品なんだとか。

「最高級っていってるもの多いよね」と言うと、「王女様であります故」の一言。そういうものなのか、とケーキに口を運びながら言う。


「王女、ここのところ随分と勉強熱心でいられますね。感心感心です。いやぁ頭でも打ったのですか♪」

「……」

 一回縛り首にした方がいいかもしれない。

 何も言わなかった代わり、じっと毒舌召使を睨みつけた。普段は生真面目の常識人のくせに、たまにまともじゃないこと言うんだよね。

「ウォーク、おまえなんかひどいこと言ってねぇか? 下手したら冒涜罪でギロチン逝きだぞ」

 椅子にどっかりと座っているレインが呆れながら言う。よかった、レインはまだまともな方だ。警備や護衛が仕事の彼は、今は休憩時間らしい。


「でもまぁ、勉学に打ち込んでいるのはいいことだからな。大したもんだぜ、まったくよ」

 レインが珍しく私を褒めてくれた。ウォークはいつも以上にニコニコとしていてなんだか怖かった。


「へへへ、なんかそんなこと言われると照れちゃうな~♪」とちょっと調子に乗ってみる。でも嬉しいことに変わりはなかった。


「しかし、話によると調べている内容の多くが、竜の種類と生態と生域、宗教や神話、そしてこれまでアミューダ地方で起きた災害の記録だと聞きました。……ひょっとして、災龍について調べているのですか?」

「え!? う、うん、そーだよ……」

 調べ始めて10日目、早速ウォークに見破られてしまった。声のトーンが少し下がったのが怖い。

 王族にとってはあまり必要なことじゃなさそうだからな。嫌な展開になりそうだな~……。


「へぇ、いもしない噂程度の災龍をこいつがね~。まぁそれをきっかけに他の事も学ぶことできるし、いいんじゃねーの? なぁウォーク」

「――しい……」

「……え?」

 私とレインが同時に疑問の声を問いかけたその時。

 ウォークは体を震わせたかと思いきや、私の両手を握りだした。涙目かつ満面の笑みでもう一度同じことを、今度は感慨深く、早口で言った。


「――素晴らしいですっ! 何とも素晴らしい! 私が昔追求し続けていた災龍を今度は貴女様が調べるなんて! やはり災龍には何かを惹きつけてくれるんですよ!」

「ちょ、ちょっと……」

「自分以外でこんなに熱心に災龍を調べているお方がいたとは! しかも私の好きな竜学についてまで調べ、知識をつけるとは! それに自然がお嫌いなはずなのに、そのような分野までも手を付けるとは!」

「え、ああ、うん……あの、ウォーク?」

「ああ、何とも素晴らしい! 私と同じ趣味というか気になることというか、とにかくそのような面で私と気が合う人がこんなにも近くに! しかもその人がまさかのサクラ王女という御方! その御方が私と同じように調べ――」

「もうええわ!」

「ほぶしっ」


 レインが我をなくし、満面の笑みで涙を流す気色悪い召使を、勢いよく蹴り飛ばした。

 その召使はなんともまぁ、きれいな放物線を描いて吹き飛んだ。距離はざっと5メートルか。さすが国軍というか、人並外れた筋力だ。

 ウォークは蹴られた腹を押さえながら声すら出せずに、ただ横たわったその体を丸めこみ、震わし続けている。


「ったくよ、自分の世界に入るなっての。正直みてられなかったぞ。で、その生まれたての小鹿みてぇに倒れた姿をなんとかしろ」

 そうしたのはレインでしょ、と言いたかったが、敢えて言わないことにした。

 それにしても、ウォークは自分の調べていることに感嘆していた。賛成ってことでいいのかな。

 まぁ、これからも続けられそうだ。


「じゃ、俺は警備があるし、行くとするか」と、立ち上がっては背をググッと伸ばす。そして、5メートル先で倒れている召使に声をかける。

「おーい、ウォーク! いつまでそこで寝てんだ! 早く起きろよーっ! ……では王女、俺はこれで」

 幼馴染のレインは私にわざとらしい会釈と笑みを向けたあと、走って王宮の中へ入っていった。


「……あ、あの野郎っ……自分から蹴っといてよくもまぁ自分じゃないですよ的なことを言えたもんだ……っ」

 苦悶に満ちたウォークが半ば怒り気味でゆっくりと体を起こした。よろめきながら私のいる白いテーブルの所に来る。

 咳き込みを一つ。


「……とりあえず、さっきも言ったように、これからもどんどん調べていってください。わからないことがあればいつでも私に聞いて構いません。……で、では……げほっげほっ、ティータイムはもう終わりにしますか」

 ウォークはそう言い、テーブルの上のカップやポットを片付け始めた。彼の整った顔は痛みで歪み、片づけをしている手は震えていた。私はそのぎこちない姿に苦笑し、彼の手伝いをした。


     *


《サクラ》


『古の龍:脊椎動物門、亜竜網に属する老虫類の俗称。竜網に属する竜椎類や変鱗類の生態系とは生物学的に外れた孤独的進化系統を指す。共通の点がほとんどなく、動物としての形を成さない種もいるが、比較的竜網の動物に近似した形を成す種が多い。分類不明の大型生物も古の龍として区別される。

 両性類や六節類のように変態し、適応放散する種が比較的多い。化石も発見されており、比較すると、現在の形態とほぼ同じであり、古生代ティバン紀からほぼ進化していないため、生きた化石とも呼ばれている。

 生態、能力など、ほとんどにおいて、未だ解明されていない点が多い。中にはハザード指定されている種もおり、地震、嵐、噴火などの天災に匹敵する力を持つことから、古くから神話の神として祀られていた』


「……とすると、災龍は"古の龍"に入るのか」

 昼の2時、今日も私は王宮の図書室にいた。最初は熱意だけで無関心だった学問に正面からぶつかったため訳も分からなかったが、司書や見回りの衛兵、ウォークら使用人にいろいろと教わって以来、段々と分かることが増えてきた。

 知識を身につけることがこれほどまでに楽しいとは思わなかった。学べば学ぶほど、知らない世界があるんだと知り、私の認識していた世界がどれほど狭いものだったのか、金槌で叩かれたような衝撃を受ける日々だ。

 あれから一度も、災龍について解き明かしたい気持ちは変わっていない。今すぐにでもその正体を知りたい望みは常にあった。

 そして、あのとき聞こえた"声"も。ただ、私はそれに応えたい。


「できれば外に出て直接会えたらいいんだけどなぁ」

 ハッとする。とても私自身の口から出たとは思えない言葉だった。あんなに恐れていたはずなのに。恐れよりもかつて抱いていた憧れが再び湧き出たような感覚だ。

 思わず、頬が緩みそうだ。昔読んだ絵本にも出てきた旅人という世界の放浪者が旅をする意味を、ようやく理解できた気がする。

 この高鳴りは、きっとそうに違いない。

「どうしたら行けるかな」

 王女室の隠し通路を通り、竜小屋に入って、ナウルに乗って空を駆ける。そして一気にサルタリス山脈へ着けばこっちのもの。

 ちょっと待った。国の外、つまり王都含む都市部の境界線は高い防壁があり、常に監視兵がいると聞いた。夜に出発しても見つかる可能性は大いにある。

 そもそも、竜小屋周囲も見回りがいるんだっけ。就寝時間後に抜け出してもそこにばったり誰かと出会ったらどう誤魔化す。……ぜったい問答無用で連れてかれる。お父様や大臣にお説教されるかもしれない。そしてウォークにこっぴどく怒られるのは確実。

 そう考えると気分が沈んできた。でも、こんなことで諦めるほど、私の意思は弱くない。どうにかして無事に出発して、誰にもバレずに無事に戻ってくるには――。


「あっ!」

 思いついた!

 あの人のところへ行こう。あの人なら、すべてを解決してくれる……はず!

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