21頁 召使の過去の一頁
《サクラ》
「っはぁ~……なーんにもわかんないっ」
私は王城の図書室で大きな独り言を言った。幸い、この時間帯は図書室に誰もいないため、独り言を聞かれることはなかった。いや、司書の人には聞かれたかもしれない。
災龍に出会ってから5日が経つ。けれど、進展がここのところない。
王城の図書室は呆れるほど広い。貴族の豪邸がすっぽり入りそうなほどだ。そもそも5日で読み切れるはずもない。
今日は棚の上の本を読んでいこう。
そう考え、使うのがめんどくさかった梯子に足をかける。何冊かの分厚い本を一冊ずつ机に運んだ。
「はぁ~重たかった」とつい口に出す。
さてと、どれから読もう。
私は時間を気にせずに本を読み続けた。読み耽っていると、ある項目が目に入った。
「……『竜人族』?」
そう声に出す。ふと周りに誰かいないか確認したが、相変わらずしんとしている。司書の人も近くにはいなさそうだった。
竜人族。幼いころ、聞いたことがあったような。
その項目の文章を読んでみる。
『竜人族:ティエンレイ。異人種族の一種。
共通する外見的な特徴として鋭い耳と薄い鱗状の皮膚が挙げられる。しかし、人間と何ら変わらぬ姿や、上体あるいは下肢のみ竜の姿など、広義的に外見的な特徴は多岐にわたる。
獣人族転換型と同様人型、人竜型、竜型の3系統に分かれるが例外も存在。そのため、生物学的な区分が難しい種族のひとつとされる。
総じて身体能力と筋力に秀でており、その力は人間(一般成人男性)のおよそ2, 30倍。長寿命であり数々の文明を遺してきたが、現在はそのほとんどの文明が滅び、衰退を続けている。歴史上その異質な人種に対し、人間は差別し続けており、時には虐待されたことも――』
「……思い出した」
昔、お母さんが教えてくれたんだっけ。
他の人たちはみんなよく思っていなかったけど、お母さんだけは違った。同じ命に優劣も罪もないと、言っていた。
ページをめくる。またもその手が止まった。
「『竜人語』……」
『竜人族の公用語。発音が獣の鳴き声に近似する。文体は「華戉国」言語の筆記体に似る独特な文字。現在では竜人語も時代と共に変化していき、かつて使われていた古語はほとんど見られなくなったが、地方によっては未だに使われている』
脳裏に光がよぎったような。思わず立ち上がりそうになった。
「……そっか! じゃあ災龍は竜人族なのかも」
思わず大きめの声で言ってしまう。はっとした私は口を押さえ、周りをみる。声は響いていなかったので、司書には気づかれなかったようだ。近くにいなかったのが幸いか。
根拠はないけど、一理ある。
竜人語を話せるようになれば、災龍との会話ができるかもしれない。竜人語についての本はないのか、探してみる。
しかし。
「あ~もう、ぜんぜんないじゃん」
結局見つからなかった。司書に聞いても、置いていないの一言。
それもそうだ。差別種の公用語なんて置いてあるわけない。どこかにないかな。
「あ!」
*
召使専用室。ここだ。
人目につかないようにこそこそと移動して20分。ほんとうにここのお城は広すぎる。絶対ここまで大きくする必要ないって。
新人っぽい給仕に召使の部屋を案内してもらうお願いを聞いてもらえなかったらもっと時間がかかっていたことだろう。
部屋に入ると、誰もいる気配はなかった。みんな仕事をしているのだろう。
ウォークっぽいとこはどこだろうな。
「……あっ、あった!」
その内部には大きな部屋があり、そこに続く寮みたいな小さい廊下にいくつかのドアがあった。そこに貼ってあるプレートに4つの名前が書かれており、そのひとつに『Wouk』の名が書いてあった。ここにウォークの寝室があるのか。
「おじゃましまーす」
小声でそう言い、入ってみる。快適に過ごせそうな四人分のスペースと設備が設置された部屋。奥にはベッド、その横に人数分の机と棚。その中でやけに整頓されている机があり、その横のしわひとつないベッドについているプレートにはウォークの名前があった。
性格が生活に出るって本当だったんだなと感心する。あの真面目な性格がここでも発揮されている。給仕長にも評価されているわけだ。
「さーてと」
ウォークは竜好きだから竜人語の本も当然あるはず。
「……ん?」
びっしり詰まっている本棚に『竜の言霊』というなんとも胡散臭いタイトルが書かれた背表紙を見つける。指をかけては赤茶色の本を取り出した。古臭く、辞書ほどじゃなくともそこそこ厚い。押花や枯葉の小さな栞がいくつもページを挟んでおり、彼のマメさがうかがえる。
「なんだろうこれ……あ」
サブタイトルには「竜人語読解参考書」。
「これだ」と思い、手に取る。中をパラパラと見てみると随分使い込まれているようだ。なんて都合のいい。しかし、その本は書の間で保管されているような本とは違い、手記に似た書籍だった。誰かから貰ったのかな。
よく考えれば、差別人種の言語集の本なんてこの大陸にあるはずがない。そう解釈する。
本の中を読んでみると、うっとするような、読めない文字が点在している。ただ、主体はこちらの言語であり、不可解な文字の説明がされている。
よくよく見れば、拒絶するほど難解なものでもなさそうだ。竜人語はかなりの難易度を誇る言語らしいが、この本はそれを簡単に表記している。持っていきたいところだが、几帳面なウォークのことだ。すぐ気付くだろう。
最後のページに発行者や発行日が書かれてあった。だがそこより気になった個所に目が行った。
「発行国……『龍國』? 龍國って――」
「竜人族の国ですよ」
突然の声に私はつい声を上げた。後ろを見ると毎日見る召使の姿が。
むっとして腕を組んでもなければ、呆れているわけでもない。変に笑顔でも分かりやすく怒ってもない。こういうのを無表情と言えばいいのだろうか。
でもこれ……絶対怒っているよね。
「王女、いくら王族のご眷属であろうと、許可なく人の部屋を物色しないでいただきたい所存です。貴女ともあろう御方がこのようなことをする人間でないと私は信じておりましたが」
別にみられて恥ずかしいものとかないじゃん、と言いかけた口を閉ざす。
ため息1つすら出さなし、稀に見る無表情の威圧。目を合わせることができない。
「ウ、ウォーク、これには訳が……」
「訳? いいでしょう、お聞きいたしますよ」
彼の目をちらりと見る限り、問答無用な気がしてきた。涙目になってきた。
おかしい、王女と召使の立場がひっくり返っている。悪いのは私だけど。これじゃあまるでお母さんに叱られる子供のようだ。
「うぅ……えっと……ね……」
「早くお答えになってください。王女の貴重なお時間が勿体ありません。それとも、私めに言うほどのことでもないとお考えで」
「ごめんなさい、許してください」
沈黙。微動だにしない。
「もう勝手に入らないから、怒らないで……」
「……」
「ごめんなさい! もうしませんから! だから許してぇ!」
思いっきり頭を下げた。なんなら土下座しようとしたけど、それを止めるように肩に手を当てられた。
「おやめください。仮にも王女なんですから」
仮にもって何。
「……はぁ、普通はそのような謝り方だったら僕らの間では通用しませんが、そこまで追いつめてしまったことは申し訳ありません。ただ、今後このようなことはしないでくださいね」
「ウ、ウォークぅっ!」
思わず飛び上がり、ウォークに抱き着いてしまう。
もとのウォークに戻った気がして、安心した。
「わぁっ!? ちょ、ちょちょっ、とと飛びつかないでくださいっ」
この戸惑いまくった反応もウォークらしい。体をくっつけているから胸の音がすごいドクンドクンいっているのがよくわかる。見た目かっこいいくせして初心だなホントに。
正直、王女の私にこんな言動ができるのはウォークとレインぐらいだろう。普通は冒涜罪とかなんとかで罰がくだされるらしいが、私は別に友達として接していることだと思うので罪までにはならないと思う。身分っていうのは本当に不便だ。
「だって、人が変わった気がして怖かったんだもん」
私がそう言うと、ウォークは少し呆れながら微笑んだ。ウォークは離れ、私がもっていた本に目を向ける。
「そりゃあ人のプライベートルームに想いのひ……思わぬ人がいればびっくりしますよ。ところで、王女はどうして竜人語を学ぼうとしたのですか?」
「え? ええと、たまたま図書室で知って気になって……ほら、ちょっと別の種族だし、言葉とか違うのかなーって」
「……」
まずい、嘘ってばれるかな?
そう不安になったが、「すばらしいです! 他国の言語まで学ぶ気になるとは!」と輝いた目で感心された。
「う、うん、まぁね」と苦笑する。
「でも、ウォークはなんでこの本持ってるの?」
彼はその本を手に持つと、懐かしそうに見た。
「これは友人から貰ったものです。竜をこなよく愛する私の為に、竜人語の学習本を私でもわかるよう翻訳版をわざわざ自分で著してくれました。今でも愛用していますが、なにせ竜人族は差別の身。この本をこの国の人たちになんて見せたら大方は国外追放されるでしょう」
「そんなのおかしいよ」
「それが世界です。世の中は理不尽なことばかりですよ」
「そっかぁ……。あ、ウォークの友人ってどんな人なの?」
そう言った途端、時間が一瞬だけ止まったような気がした。呆気にとられたような、一瞬だけ開いた瞳孔。しかしすぐにウォークは視線を流し、下に落とした。聞いてはならないことだったのかな。
彼は椅子を引き、私に向ける。「お疲れでしたらお座りください。質素なものしかありませんが、お菓子と紅茶もお飲みになられますか?」
承諾するなり、ウォークは発熱石が入った道具に水の入ったポッドを置いた。お湯が沸くまで時間がかかるだろうと思ったとき、手に届くさきの机には庶民的なクッキーが置かれていた。
彼は手帳を開き、時計を確認する。そういえばあの懐中時計……私がプレゼントしたものだっけ。いまも使ってくれているんだ。
「彼は……テイルは竜人族でした。僕がまだアーカイドたちと一緒に暮らしていた頃ですね」
そう彼は立ったまま話す。アーカイドは確か、この間行った龍材屋の人だったよね。思えば、ウォークが昔何をしてたのかあんまり知らないかもしれない。
「近くの森で素材を採集していたとき、彼が倒れているところを目にしました。傷跡をみるに、人間らの仕業でしょう。家に連れ帰り治療して、幸運にも彼の意識が戻ったのは良かったのですが、当然ながら敵とみなされ、目が合うなり襲われました」
「っ! だ、大丈夫だったの?」
「ええ、大丈夫……ではなかったですね。不意打ちでしたし、顔を強く殴られたので何が何だかって状態でした。それもあって意識が朦朧としていてあまり覚えていませんが、彼の感情をすべて受け止めるべきだと、自然とそう感じていた気がします。結果的に僕はこうして元気ですし、彼は心を開きました」
「す、すごいねウォーク……もやしなのに」
「それはちょっとひどい言い草ですよ」
つい言ってしまった。結構傷ついた顔をしていたので軽く謝る。
ちょうどお湯が沸けたようで、すっと立ち上がるなりいつもの調子でウォークは紅茶を淹れてくれた。蜂蜜を燻したような香りと、深みのある黒っぽい赤色。給仕長からいただいたらしく、ルフナの葉と彼は紹介し、なんでも絶島の巨峰の頂に生えるのだそう。見た目とは裏腹に渋みがなく、さっぱりしていた。
「それで、私たちは親友としてその森で何日も過ごした気がします。本当に、あのときは楽しいことがたくさんありました。一時期、彼は故郷に行く用ができたので1か月後にまた会うことを約束したんです」
窓を横目に見眺め、懐かしそうに話す。ただ、なんだろう。楽しかったと話しているのに、その遠くを見る目はとてもそうとは思えない。
「そして再会を果たしたときにその時にこの本を貰いました。本当に嬉しかったですね、あのときは。私は彼との過ごす日々がずっと続くと思っていました。しかし……」
一度、話すのをやめる。違和感ある静寂に不安になったとき、もう一度、口を開いた。
重い声だった。
「彼は人間に殺されました」
「……え?」
驚きはあった。しかしそれ以上に、得体のしれないおぞましさを、あろうことか彼に対して感じてしまった。怒りはあるに決まってる。でも、それだけとは思えない。
しかしすぐにいつもの優しい声に戻る。
「後にアーカイドたちから聞いて知ったのですが、当時賞金稼ぎと同じようにハンター狩りというものがこの地方で流行っていたそうです。賞金首とは違い、ハンターを殺めても賞金は出ませんが、十分な金目になる装備や武器、道具などを沢山持っている故でしょう。ハンターがハンターを狩る、実に醜いことでした」
「……」
「そのときの相手の数は十人は越えていた集団で、なおかつハンターだった犯罪者。同業者だからと警戒を緩んでいた私はまんまと彼らの策略にはまりました」
「ひどい……」
「不意をくらった私はそのまま意識を失い、いっしょにいたテイル一人で戦わせてしまった。あのまま逃げてもよかったのに、彼はその身を滅ぼしてまで、抗った」
「ど、どうなったの」
「その集団は壊滅しました。彼もまた、力尽きましたが。相討ちでした」
「そんな……」
ウォークの瞳は潤んでいた。いまにも涙をこぼしそうな。
「彼は私を守る為に。それなのに、僕は……っ!」
「ご、ごめんっ、もういい、もう大丈夫だから」と、私は話を切る。これ以上自分を責める彼を見たくはなかった。
ウォークは私の眼から視線を逸らす。彼の眼は悲しみに沈んでいた。
「ご、ごめんなさい……思い出させるようなことさせちゃって」
「いえ、王女が謝ることではありません」
顔を上げ、にっこりと笑うウォーク。目は潤んだままだった。
「長話に付き合わせてしまいましたね。その本、持っていっていいですよ」
「え、いい、の……?」と歯切れの悪い返事をしてしまった。
「そのかわり、誰にも見せびらかさないこと。ちゃんと私に返すこと。いいですね」
「……うん。ありがとう、ウォーク」
「では、ここに留まれば他の方に見つかるかもしれませんので、もう出ましょうか。私は忘れものを取りに来ただけですので」
唐突に話を終える。早く気持ちを切り替えたいのだろうと考えた私は、
「うん、そうだね」と言っては部屋を出ようとした。
「あ、王女、ひとつよろしいですか」
「なに?」
振り返る。涙を拭ったウォークは、やさしく、しかし真剣な声で告げた。
「王女にとって、友人とはどうお考えになられていますか」
「どうって……よくわからないよ。だって私、そういうのいないし。ただ、ウォークやレインたちといっしょにいるのは楽しいよ。アンネもよく話しかけてくれるし。でも、それは王族に仕えているからであって、友達といえるのかなって。私にもいるのかな、これからできるのかなってちょっとだけ怖くなることはある、かも」
ちょっとした沈黙は肯定とも否定とも取れない。嘘でもいいから、自分は友達だと言ってほしかった。あくまで召使だから分別はつけなきゃならないと言っても構わなかった。この沈黙は、何を意味するのだろう。ウォークも悩んでいるのかな。
「……今はわからなくなる時期だと思います。ただ、ずっとこのままであるわけでもありません。先ほどの話を人に打ち明けたのは、龍材屋の人たち以外には誰もいません」
じゃあどうして。そう訊く前に、ウォークは答えた。
「王女には、これからもお優しい方でいてほしい。外の世界を、命溢れる世界をどうか許してほしい。ここだけじゃない、より広い世界で、いつか出会う友を大切にしてほしい。そんな僕の傲慢さを押し付けたに過ぎません」
切実な目。なぜそんなことを思ってくれているのか、なんてお門違いの疑問が出てきたのは、それが召使としての言葉として受け止められなかったからだろう。真面目だけど親しやすくて、でも底が見えない彼の本心が見えたような気がしたから。
「それじゃあ、ウォークにとっての友達ってなんなの?」
だからそんな言葉がふと出てきたのだろう。今の彼ははぐらかすことなく、返した。
「自分のありのままの"姿"を受け入れられる人こそが本当の友だと僕は思います。例えどんなことがあったとしても……」
ウォークの表情は緩やかだったが、眼は真剣だった。本当の友。きっと、まだ私にはわからない意味が含まれているのかもしれない。案外、そのままの意味なのかもしれない。その真意は目の前の召使にしかわからないけど。
「では、後ほどお会いしましょう。私はこれで失礼します。あと、やる気になっているところ申し訳ないのですが、竜人語を学んだとしても、その言語は古語ですので、通じる竜人族は今の時代あまりいないと思います。今の竜人族は、私たちの言語も体得していることですし」
「最も、絶滅の危機に瀕していますので一生をかけても出会えるかはわかりかねますが」と、ドアの傍にいた私にそう言い、先に部屋を出た後駆け足で行ってしまった。
この本、古語の教科書だったのか。だけど、私は災龍と話すつもりだから、あまり関係……古語で通じるのかな。
それにしても、今日は竜人語の本を貸してくれたり、ウォークの過去を聞けたりと、収穫がたくさんあった。気持ちは複雑だけど、温情でこれを貸してくれたからには早速部屋に戻って竜人語を学習するとしよう。
ウォークがこの本を大切にしてるってことは竜人語話せるのかな? だとしたら是非教わりたい。
「……」
ふと、思い返す。
ウォークが最後に言ったことはどういうことだったのだろう。過去の話と関係があるとは思えるけど。
本当の友……親友の事じゃないの?
友なら、例え人種や種族が違っても関係ないってことなのかな。
飲み残してしまった紅茶へと視線を落とす。一見だけではその深みまでわからない。それが良いものでも悪いものでも。
私は冷めたそれを飲み干す。ほんの少しだけ感じた甘みを口に残したまま、部屋を後にした。
災華の縁 ~龍が人に恋をしたとき~ 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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