19頁 災禍の出遭い

「――えええええええええっっ!?」

 王宮2階。魔導士イルアの声が響く。彼女専用の書斎兼研究室にして住居用個室。思わず立ち上がったイルアの顎は今にも外れんばかりだ。

「おねがい! ほんっとにおねがい!」

 私は両手を合わせ、強く頼む。だけど、やっぱりイルアは猛反対だった。信じられないくらい動揺しながら。


「そんなこと言ったって、うえええええ!? サクラちゃんもう一回災龍に遭いに行く気!? いくらなんでも――」

「でもこの方法以外で黒龍に勝てる策はないの!」

「少しは国軍を信用しなさいよ! そんな上手くいくかもわからない死のギャンブルなんて絶対にダメ! それに、前みたいに会えずに終わるってこともあるのよ。そういうことも考えないと」

「でも、私はみんなの為に――」

「死ぬっていうの? そんな死しか待っていない、あてにならない力に」

「……」

 溜息が聞こえる。肩を落としたイルアの顔は明らか困っていた。それがなんだか、申し訳なく思ってしまう。結局、私のわがままに過ぎないのだろうか。


「少し冷静になろ、サクラちゃん。そりゃあ、ウォーク君のお友達の一件も聞けば、確かにミラネスに通用すると思う。煌皇龍で作られた防具をそんな容易く切り刻む生き物なんて聞いたこともないし。私のときだって、あんな一瞬で軍隊が壊滅状態に追い込まれたのも今でも信じられないくらい」

「それなら――」と開いた口に声がかぶさった。

「けど、よく考えて。どうやって災龍を使って黒龍神を討伐させるの? そもそもどうやって会えるの? 一度考えてみて。……殺されるだけなのよ」

 ずしんとくる一言。わかってはいる。でも、もしかしたら。

「"もしかしたら"なんて希望は捨てて。そもそも、災龍は人じゃなくて龍……いえ、神に匹敵する天災なのよ。言葉が通じるわけない。だから、そういう目的で外に出ようとするのはやめてほしいの」

 イルアのいうことは正しい。反論できないくらいに。私は自分を惨めだと感じた。


「そう……だよね。ごめん……」

 俯く。浅はかな考えだった。私はやっぱり、馬鹿だった。

「別に謝ることじゃないわよっ! ほら、顔を上げて! とにかく、戦うのは私たちだけじゃなくて、他の国や他の地方の国々みんなで戦うのよ。それに、プロのハンターたちも協力してくれる。だから、災龍に頼る必要はないの。だからサクラちゃんはひとりで背負い込もうとせずに、みんなを頼ればいいの。みんなの為ならなおさら。ね?」

「……うん、わかった。ありがとう」

 もうこれ以上言う気はない。私はそのまま、王宮2階にあるイルアの部屋を出ていった。


「……」

 私はただ、みんなを見守ればいいの?

 無事を祈ればいいの?

 それが私の役目なんて納得がいかない。

 もっと、役に立てるようなことを……。

 私はいままで誰かのために何かをしてあげたいなんてこと、考えたことあったかな?

 ないよね。これが初めてだよね。でもどうしてそう考えるようになったんだろう。外に出たからかな。

 たぶん違う。じゃあ一体なにがきっかけで……。

「ああ、もうわからない」

 気にしない。気にしたくない。

 今は、これからのことを見守るしかない。


     *


《レイン》

 王宮と離れていながらも、王宮領土内にある緊張感漂う何の飾り気もない施設。その壁は鉄よりも硬質なゴーメル鋼でできている。

 ここはサルト王国直属サルト国軍軍事局本部。いつもは兵たちの鍛錬している様子が見られ、鬼のような上官の怒鳴り声が響いている。だが、このとき上官の気配はなかった。それを除けばいつもの訓練風景だが。そこから視線を外し、目の前の豪奢な扉の前に立つ。

 いま、国軍本部内の大会議室にて国軍の上層部が着席している。兵たちの視線は一人の男コーダ国軍総司令官にして軍帥に向けられていることだろう。俺はドアのそばで聞き耳を立て、部分部分の情報をかいつまんでいる。

 国軍のトップを務めるコーダ軍帥は全兵に野太い声で黒龍神に関する情報を説明している。スキンヘッドが似合う強面だから非常に特徴的だ。加え、体つきは男として一度は憧れを抱くほどにデカく、ゴツい。まるで重装兵の鎧を着ているようにみえることから、鎧要らずと呼ばれることもあったっけか。


「――以上が、エンレイ国王からのご報告だ。二十年ぶりに凶暴期を迎えた黒龍神ミラネスの討伐が今回の緊急命令だ。しかし、その黒龍がいつ活動し、どこから来るかまだわからないのが現状である。したがい、今回の緊急会議はこれからこの国に攻めくる竜群撃退策兼、黒龍討伐策を議論する」

 一瞬、上層兵がどよめきながらもすぐに静まった。何人かが挙手をし、対策法を提案する。

「兵器や兵を増やすべきです」

「城壁を強化してはどうでしょう」

「龍が避けるような対策を」

「新兵器の開発はどうでしょう」

 いろんな意見が出てきたが、黒龍対策案は殆ど発表されなかった。そう判断できる。

 せっかく護衛として選抜されたからいい情報を耳にできると思ったのに、わかりきった答えしか得られなかった。次第に退屈になり、欠伸を堪える。

 一刻過ぎた頃だろうか、やっと意見がまとめられるのを辛うじて耳にする。が、俺は聞き流した。


「――議論の結果、龍の共通の弱点とされる《龍煙性電解質》を中心とした武器、兵器をプラトネル国と共に設計、開発することが先決となった。尚、兵、防壁、砦の強化も同時に実行し――」

 短いようで長い会議は終わった。1時間程度の時間を無駄にしたような気がした。内容は所詮、これから起きる出来事の対策の確認みたいなものだ。気を引き締めろってことだけを言えばいいものを、どうしてわざわざ大げさにするんだ。それが全兵に伝えられたところで、やることは変わらない。

「しかしなぁ……」

 よりによってこの「時代転生の年」に黒龍が目覚めるとはな。宗教的に不吉だ。


「おーいレイン! なーに考え事してんだよっ」

 休憩時、施設前の芝生に生えている木に座り込んでいる俺を見つけ、声をかけたサニーの手には、茶色い紙袋が掴まれていた。

「その袋はなんだよ」と指さすと、嬉しそうな声が返ってきた。

「へへ、会議の前に街に行ってきて買ってきたんだ。"花都"に美味いって評判のあるパン屋が最近できたんだよ」

「もしかして『マリナ・フラワーベーカリー』店のパンか?」

「アッタリ~。しかもおすすめのやつ買ってきた。もう少しでクラウの奴も来るから3人で食べようぜ」


 そのパンは焼きたてだったのだろう、温もりがあり非常に美味く感じた。軍の飯の100倍上手いと叫んだサニーにひやりとしながらも、3人で談笑した。

「まぁ、お前の言いたいこともわかるけど、コーダ軍帥に文句言っているようなもんだぞソレ」

 サニーが俺をフォローしつつ、俺の発言に注意した。

「ンなこと言ったってよー、報告とそれからの対策を一人で言えばよかったんだよ。わざわざみんなに意見するこたぁねぇだろ」

「つーか盗み聞きするやつに言われたくねーよ」とサニー。に続き、クラウも呟く。

「……とても軍帥を尊敬してるとは思えんな」

「いや尊敬してるよ。だけどさぁ、それとこれとは違うだろ」

「それにしてもさ、国王の報告って言ってもさ、実際は……」

「ウォークの推測を国王がそのままコーダ軍師に伝えたんだろ。軍帥はそのことについては言ってなかったな」

「……当然、そのことを知るのは俺ら3人だけ」

「いいね~♪ 俺らしか知らない秘密、みたいな」

「……」と沈黙が走る。意図的な空気のしらけ具合にサニーはつまらなさそうな顔を浮かべる。

「おい、なんか言えよ」

「とりあえずさ」

「おい!」

「いつ黒龍が襲いに来るかわからないんだろ。もしかすると明日かも知れなし、今かもしれない。なら、一分一秒でも多く鍛えて、武器も磨かないと歯がたたねぇだろ」

「……つまり、いまから訓練所へ行くと」

 クラウがわざわざ言い直す。俺はニッと笑った。

「そうだ。だからお前らも行くぞ、国の為に!」

「おまえはホント、脳筋バカだよな。それに国じゃなくてかわいい王女の為だろ?」とサニーは茶化す。

「違ぇよ馬鹿野郎!」

「……とりあえず、気合の一声いっとく?」

「なんでいきなり!?」と、俺とサニーの声が偶然重なる。「まぁいいか。しばらくやってなかったしな。な、サニー」

「ああ、これからに備えて気合入れとくか」

 俺たち3人は右拳を互いに向い合せた。拳が手首に触れることで、小さな三角形を描いているようにも見える。

 歳も同じで、幼い頃からの仲。

 この意気投合も、何度も行ってきた。


「『3人揃えば』っ!」

 そして3人同時に、合言葉と共にその三つの拳を相手の手首へと強くぶつけ合った。

「「「『最強』っ!」」」


     *


《サクラ》

 黒龍神の復活という事実を知ってから四日後、私は罪を犯した。

「みんな、ごめんね……」

 誰もいない空に、私は謝る。

 身勝手なことしちゃったけど、これが私の望みだから。


 今、私は乗竜のナウルと共に、サルタリス山脈の奥――渓流の深部にいる。時間は夜の12時辺り。眠たい瞳を擦りながら、イルアの力に頼ることなく自力で抜け出してきた。武器は持っていない為、不安でいっぱいだ。でも、襲ってくる獣はすべてナウルが蹴散らしてくれるし、服装は魔術がかかったままの古の龍たちの素材でできた巫女の衣装を着ているため、決して無防備ではない。

 それに、前は気付かなかったけど、この服を着るとパニックにならない限り、周りの気配を敏感に感じ取ることができ、衝撃をはじめ、火や電気、冷気などに対しても耐性があるらしい。もっと早く知っていれば、迦雷獅子の攻撃を恐れることはなかったはずだ。でも、あれはさすがに無傷じゃ済まないか。


 サルタリス大橋の前に着いた。これ以上ナウルと一緒に進むと、あの二頭の竜みたいに存在を一瞬で消されるかもしれないので、ここでナウルを待たせることにした。


「じゃ、私が戻ってくるまでここにいてね。何があっても必ず戻ってくるから」

 私はひとりで、不安定そうにみえる強靭さかつ神聖さを誇る、自然が作ったサルタリス大橋を渡り始める。一歩一歩、複雑な太い枝をその足で踏みしめる。震えた足を動かし、信仰地へと近づいていく。

 前と同じように会えないかもしれないけど今は進むしかない。例え可能性がなくても自分で作ればいいのだから。


 アマツメ教信仰地。目の前には神々しさを感じさせる古の社と豊神の化身と崇められる『アマツメの大樹』が神の如くその神聖な地に腰を下ろしていた。月の光がこの地に集められているかと思わせるほど明るかったが、それでも暗夜の支配力には及ばず、仄かな光と化す。

 私は信仰地の中央に立ち、社を見つめ続けた。月光の光によって、私の背後に影が伸びている。

 風の流れる音、虫の幽かな声、葉の靡く奏、自然が生み出す静かな唄。

 こんな閑静な場所に、災いを引き起こす恐ろしい龍なんていないと思うけど、ウォークが言うにはサルタリス山脈地域の奥地に一番多く発生するらしい。「……やっぱりあれは違うのかな」

 気配もしないし、やっぱりいないのかな。

 でも、諦めきれない。何とかして災龍に力を貸し――っ!


「っ!?」

 何かを感じた。気配にしては違和感がありすぎた。初めて体感する何か。しかし、この違和感は一度体感したことがある。

「この感じ……あの時と一緒だ……!」

 だけど、あのときのような本能的な怖さはなかった。むしろ、なにか安心する感じがする。

 ふと上を見ると、社の大きな屋根に何かがいた。さっきまでいなかったはずなのに。気付かなかったのか。

 心のざわめきに似合わない、やさしい風が吹く。


「……だれ……?」

 そこにいたのは"人間"だった。

 けど、何かが違う。人にはない何かを感じる。あの"人間"からあの龍の気配を感じる。そんなはずはない。そんなはなし聞いたことないから。だけど否定もできない。

 もしかして、あの人間こそが――。

「"災龍"……」

 その"人間"は社の屋根で寝そべっていた。目を閉じているようだ。

 いや、あれがあの災龍だなんて考えらえない。いや、あれは本当に災龍なのか。

 近づいてみようと一歩踏み出したとき、その"人間"は瞼を開けた――刹那。風がどよめき、大樹どころか、山脈の木々に止まっていた鳥のすべてが飛び立っていく。この森、いや、この山のすべてがざわめき始めた。

 "人間"は身を起こし、私の方にその目をむける。


 ――時が静止した気がした。互いに瞳が合った瞬間、ざわめく音は消え、木々の流れる動きも止まった、そんな気がした。

 その"人間"の髪は燃え上がるような紅蓮を帯びた赤。瞳は業火と深淵を混じり合わせたよう。何か、悍ましく、しかし引き込まれるような……"竜の眼"。

 若い男性といえる髪型と顔立ち、そしてここに住んでいるといっても納得できる、鍛えられた兵士に引けを取らない肉体。筋骨隆々とまではいかなくとも、神話の絵画で見た巨人を倒した英雄のような、鋼の肉体とも表現できる。

 だが、その雰囲気は青年そのものというより、少年というべきか。あるいは考えられないけど、老人というべきか、そのような雰囲気を漂わせる。背丈が150程度の私よりは遥かに高い。

 着ている服は襤褸ぼろ切れのよう。蛮族か浮浪者の衣装を連想させる。

 ふと、私はその「人間」に気をとられていたことに気づき、我に返った。

 とりあえず、人なら話せるよね……?

「あ、あの……あなたは誰……ですか? ここに住む人ですか?」

 私は尋ねながら近づいてみると、その"人間"は咄嗟に立ち上がり、前のめりになっては、赤髪を逆立たせる。宝石のように、血のように鮮やかな眼を鋭くさせ、殺気立てて何かを叫んだ。


「――ッ!?」

 表現しようのないその声は、竜の咆哮としか言いようがない叫び。いや、生物の域を越えている轟音だ。神の化身である頑強な大樹でさえもミシミシと悲鳴を上げている。

 それだけじゃない、この山自体が悲鳴を上げ、脅えている。とても人間の発する音ではない!

 私は耳を塞ぎ、眼を強く閉じ、歯を食いしばり、眉を寄せて何歩か下がった。頭の中で痛いほど反響する程、その咆哮は地鳴りのように大きく、噴火のように強く、雷鳴のように高く響き渡った。

 恐る恐る、目を開ける。その"人間"の姿は音沙汰なく消えていた。叫んだあと、すぐに大樹の奥へ姿を消したのだろうか。再び閑静な世界へと戻った。

「……なんだったの、今の……」

 私はその場で膝が崩れた。疲れがどっと体から溢れてくる。

 結局、あれは誰だったのか。

 人にしては龍のような叫びを上げていたし、良く見えなかったが彼の肌に鱗みたいなものが薄くあったような気がする。目の色も普通の人にはない赤と黒の入り混じった紅蓮の目。

 それに、あの存在から感じられた違和感。異形の龍――災龍に会った時と同じ感覚。

 しかし、その災龍に殺されることなく逃げていった。いきなり怒ったということは私に何かを警告したかったのか。あまりの展開に私の頭は追いつかない。

 けど、ひとつだけはっきりとわかったことは。


 災龍は「人間」なのだと。

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