17頁 神の怒りは天地の双王を喰む


 ――ヴォォォォォオオオォォオオオォオッッッ!!!


 その咆哮は木々を震わせた。

 

 とっさに耳を塞いでも頭の中にまで突き抜けてくる。肌がびりびりと痺れた。

 咆哮が止んだ後、雷王は私に向かって高く跳び上がり、右腕の一撃を放った。


「――っ」

 悲鳴すら上げられず、無我夢中で草むらに飛び込むことだけに全神経を使った。その一撃は地鳴りと共に、石と土が混じった地面に大穴を空けた。

 仰向けになり、すぐに携行火器へと手を伸ばす。こんな怪物相手に効く気がしないが、魔法がかけられているから多少は……!

 雷王に向けて撃ち続けるも、あまりにも焦っていたのか、当たったのはほんの2発。被弾する度に竜は唸るが、

「っ、そんな……!」

 屈しない。

 一人の少女に歩み寄ってくる。そのゆっくりとした動きから、いつ牙を剥いて襲ってくるのか。計り知れない恐怖があった。吟味している様子は、いつでも殺せるという王者の余裕を醸し出していた。


 撃ち続ければ倒れる。撃ち続ければなんとかなる。撃ち続ければ……っ!


 そう言い聞かせ、焦る気持ちを抑え、ひたすらに雷王を狙い撃つ。

 その時、雷王は狼が咆えるかのような体勢をとり、遠吠えを上げる。

 すると、その体から激しい電流がほど走り、それは空から落ちる稲妻へと変わった。

 小さくとも、それは落雷。稲妻が辺りで激しく大地に落ち続ける。


「きゃっ!」

 落ちた稲妻の衝撃波に軽く吹き飛ばされたと気づいたときには、背中に覚えた鈍い痛みが走っていた。

 その時、身軽さを覚える。手に何も持っていない。武器を落とした!

 命綱ともいえる唯一の頼みを失った。

 しかし、雷王は武器を拾わせる猶予を与えない。放電しながらこちらへ突進してくる。


「――っ」

 力の限り、地を蹴り、間一髪、避けることができた。肌に電気がピリピリと感じる。木々を倒し、小屋と同じほどの岩をも微塵に還す。

 このまま死にたくない。痛いのも嫌だ。

 逃げる。ただひたすらに逃げる。王は制裁を与える為、当然追ってくる。


 息が苦しい!

 肺が痛い!

 足が痛い!

 殺されたくない!

 もうこれ以上走れないほどの体力の限界に達しても、死の恐怖によって肉体の限界を超える。

 まだこんなところで死にたくない。

 何のためにここまで来て、こんな思いをしているの?

「はぁっ、はぁっ……!」


 私は――!

 災龍と会うため、その正体を突き止めるためにここまで来たんだ。それを叶えるためにも、死ぬわけにはいかない。

 イルアの約束も破りたくない。お父さんやウォークたちを悲しませたくない。何が何でも逃げ切らないと!


 無我夢中で走ると、太い枝の集合体で結ばれた――サルタリス大橋が見えた。

 信仰地までもうすぐ!

 咳き込みながらもその橋に向かって走り続けた。迦雷獅子カラジシはまだ追ってくる。もう少しで追いつかれそうだ。


「~~~~っっ!」

 私は声にならない声を出していたことにも気が付かず、何十メートルもある橋を渡りきった。躓き、転びそうになるも、身体を前に倒しながら、転げるように信仰地へと。


「……はぁっ……はぁ……けほっ、げほっ」

 信仰地に着いた。後ろを見る。

 竜が追ってくる様子はなかった。

 あの巨体では流石に橋は渡れないみたい。私は崩れるように地に膝をつく。肺の中に砂が入ったように、なんども咳き込んだ。

 頭がクラクラする。足がとても痛くて、もうこれ以上は走れない。こんなに走ったのも、こんなに真剣に走ったのも生まれて初めてだ。

 大粒の汗をぬぐい、広がる視界を前に気持ちを落ち着ける。

 出発してからどれだけ経ったのだろう。腕に付けておいた時計をみると11時45分を指していた。

 いくら走りやすい構造をした服装といっても結局は巫女の服。しかも、いつも着ている服より重たい。よく走れたものだと自分で賞賛する。

「……はぁ……とりあえず、逃げ切れた……かな」


 ヴォルルル……!


「っ、きゃあ!」

 うそでしょ……!?

 さっきまではいなかったはず。なんで。なんで!

 私は足をふらつかせてはその場からすぐに離れた。その朧月のような眼光は私を見続けている。

 全く気付かなかった。

 いつの間に橋を渡ってきたの?

 しかし逃げる力など、とうに尽きていた。私は社の両扉の前で腰を抜かし、かかとが何かに突っかかり、しりもちをつく。森の王はじりじりと近づいてくる。


「はぁ……はぁ……」

 足も疲れて、痛くて上手く動かせない。立ち上がれない。息切れして体ももたない。腰が抜けて立てない。

 もうダメかな……。

 そんな思いを馳せ、ふと満月を見ると、何かがこっちへ飛んでくるのが目についた。だんだん近づいてくる。


 飛竜? ……嘘でしょ?

 蝙蝠のような翼膜に堅殻の鱗を纏った翼は黄金色。薄く赤も交じり、月の光によって光沢を増している。

 産卵期になると、全身が黄金色から桜色になる、目撃情報が少ない非常に珍しい竜。どうしてそのように変色するのはウォークにでも聞かないとわからない。その身体は歳を重ねるごとに強靭さを増してゆく。

 名は炎桜竜えんおうりゅう。またの名を月食命ツキハミノミコト。大空を支配する炎王だ。


 今日はよく珍しい生き物に会えるな……。

 もうどうでもよくなっているのが自分でもわかる。生を諦めたのかもしれない。死にたくないのに、逃げなきゃと必死で思っているのに体が動きたがらない。腰が完全に抜けて、身体の限界を越えている。


 森の王は空の王の存在に気が付いたのか、標的を私から炎桜竜へと変え、跳びかかった。互いに衝突し、地響きを鳴らし転がり込んだ。

 森の王は轟く。雷の激流を放ちながら、その頑強な鋭爪で深く傷跡をつける。空の王は怒りを爆ぜる。その金色の鉤爪で掴み、尻尾にある毒棘を突き刺しながら、その口から灼熱の炎をはき続けた。

 雷撃と灼熱が轟音ともいえる咆哮と共にこちらまで伝わってくる。稲妻の腕や炎の息吹が、辺りの地面を抉り取る。


 信仰地、奉神アマツメの玉座で繰り広げられる二対の王の争い。どちらかが勝っても、私を喰い殺すだろう。なぜこんなちっぽけな人間を狙うのか、この身にまとう衣服を思えば明確だろう。


 ……そういえば、社に近づいちゃダメだったね。ああ、この状況でなんでこんなに体が必死になれないんだろう。頭の中では逃げたがっているのに。

 二頭の竜が争いの勢いで掴みあいながらこちらに転がり込んでくる。この勢いだったら社ごと大破してしまう。

 逃げないと死んでしまう……でも体が逃げようと思わない。走っただけなのに、必死に走り続けただけなのに、それだけで体は休みたがる。竜は目前まできていた。

 もう間に合わない。


「ごめんね、みんな……」

 私は瞳をゆっくりと閉じた。



 ――……。



「……?」

 恐る恐る目を開ける。


「あれ……?」

 目を疑った。

 眼前にまで来た雷王と炎王がいない。


 それは、一瞬の事だった。一瞬であの大きな竜たちは、争いの痕跡だけを残し、忽然と消えたのだ。竜の咆哮で煩かった場所がたった今、再び無音の地となった。まるで、さっきまでの出来事がなかったかのように。

「……何が、起きたの?」

 ただ茫然として、社の入り口の階段に座り込む。


 風の流れを涼しみ十数分を経た後、黒毛の愛竜が私を迎えに、空を滑空して降りてきた。なんとも痛々しい生傷が目立つが、大丈夫と言わんばかりにいつもの調子で甘えたような鳴き声と共に、触り心地のいい頭を胸や顔にこすりつけてくれた。この様子からしてまだ動けるようだ。身体や脚はまだ痛むが、立って歩けることぐらいはできた。

「……一緒に帰ろう、ナウル」

 弱々しい一吠えと共に、空へと飛び立った。


     *


 冷たく感じた夜風も、いまはぬくもりを感じていた。

 結局、災龍についての事は何も知ることはできなかった。

 でも、あの不思議な出来事はきっと、災龍の仕業に違いない。あれは社を守る為だったのか、それとも……ううん、社を守る為に決まってるよね。


 帰る途中、私たちは空を飛んでいるはずだったのに、いつの間にか竜小屋の裏の広場丘にいた。

 それは、イルアの魔術による転送魔法によるものだとすぐに気づいた。目の前に彼女がいたからだ。

「おかえり」と。

 涙を浮かべた魔女は私を、抱きしめた。

 ああ、無事に帰ってきたんだ、私。

 そう思った途端。目から熱いものが零れた。


     *


 あのあと、私が王宮から出たことは誰も知られないまま日々が過ぎていった。

 ぼうっとしながら、夜明けの日差しが照らす都を眺めていた。いつもの召使がノックするまでもう少し時間がある。いつもは起こされているから、びっくりするかな。それとも疑うかな。やっぱり寝たふりでもしておこう。

 それにしても。どうしてイルアはあのとき私と同行しなかったんだろう。帰ってきた直後の会話を追想する。


「信仰祭のとき、あなたは災龍の存在に気が付いたんでしょ? だとしたら、災龍も気づかれたことをわかっているはず。気まぐれかどうかわからないけど、場合によってはそのとき一瞬であなたは殺されたかもしれないじゃない」

「たしかにそうかも……」

「でも、殺さなかった。そして今回の件で、あなたは2匹の竜と同じ場所にいたのにあなただけ助かった。顔も覚えているはず。だけど、始末しなかった。ということは、災龍は無差別に殺すわけじゃない。それに、もしかすると災龍は……いえ、何でもないわ」

「……? それで、イルアが来なかった理由は?」

「あたしは何年も前に信仰地を訪れて、災龍に襲われたっていったでしょ? そのとき、災龍はあたしの顔も覚えているはず。だから一緒に同行しちゃうと、あなたも敵だと判断されて、あたしと共にこの世をおさらばしちゃうってわけ。ま、憶測に過ぎないけどね」


 それに、イルアから聞いたが災龍は渓流地帯含む、サルタリス山脈全域を見渡せるほどの眼を持つらしい。正に神といっても過言ではないだろう。

 私はイルアの魔法のおかげで疲れ切った体は全快した。それに、ナウルの傷も完治させた。イルアに頼ってばっかりだけど、バレない為だから仕方がない。それに彼女はクビにならないためにも全力(?)で私を支えてくれている。


「……」

 災龍。

 その存在を知る為ならば、何度でもあの場所へ訪れよう。

 迷惑をかけてしまうことはわかってる。でも、この言葉にできない気持ちにあらがうことはできない。私は私の望むままにやっていこう。

 例え、そこに危険と後悔が潜んでいようとも。

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