2頁 誰も知らない歴史

 今は夕刻を迎え、窓から射し込む光は赤く焼けていた。仮に今から帰っても、深夜を過ぎるし、もう少しだけこの静かな場所に身を置きたいと感じていた。


 長いこと本を読んでいたようで、奏宴は図書館の柱時計を見る。すでに五時間は読書に集中していた。一息つこうと、喜一のところへ足を運ぶ。そろそろ夕飯の用意ができている頃だろう。


「ずいぶん長いこと本を読んでたね」

「まぁ、一番落ち着けるというか、懐かしい感じがして」

「それはよかった。まだその心を忘れてなくて安心したよ」

「おじいちゃんとおばあちゃんのおかげもあってこそよ」と笑う。無垢に笑えるのはどうしてだろうか。まるで童心に戻ったようだと、奏宴は思った。


「高校を退学されて刑務所の世話になったにもかかわらず、いい企業とこに就職できるとは、世の中わからないもんだ」

「本当にね」と苦笑する。「あ、そういえばさ、図書館と家を繋ぐ廊下のとこに関係者以外立ち入り禁止の部屋あるよね」

「あぁ、資料室か」

「あそこって私でも入っちゃ駄目なの? 一応おじいちゃんの親族にあたってるから、そういう意味では関係者だとは思うんだけど」


「……何か気になることでもあるのか?」

 訝しげに聞く祖父に、奏宴は無垢のふりをする。

「ちょっとね。小さい頃入れてもらえなかったから、好奇心かな」

 まっすぐと奏宴は喜一の目を見る。小さいころとは異なり、彼女はもう二十歳を超えている。一度目をそらした喜一だったが、唸っては、


「鍵は受付のところにあるよ」と折れた。奏宴は微笑みを返す。

「ありがと、おじいちゃん。あと、そこの部屋ってどんな資料が保管されてるの?」

「ここらの地域の統計資料や歴史や、うちの家のことについてのものばかりだよ。大したものはない」

「物置ってやつね」と半ば呆れる。小さい頃は宝でもあるのかと期待していたが、現実はこんなものだと心の中で苦笑した。


     4


 公開している図書館よりも、非公開の資料室の内部は、書類が床に散らかり、埃で満たされている。

 ――と奏宴は予想したものだが、案外整頓されており、塵も少なかった。しかし高いところまでは手がつけられないのか、天井の蜘蛛の巣は立派に張っており、その家主が元気に動いている。


 それを一瞥し、奏宴はファイルで敷き詰められた資料棚の通路へと入る。あまり部屋の中は広くはないようだ。


「こんな風になってたんだ」と独り言。壁に埋め込まれている本棚の一冊を手に取る。細かい埃が手につき、はらはらと床に落ちる。染みのにおいが思いの外強い。


 奏宴が知りたかったことは、祖父や祖母のことについてだった。


 かつて祖父は兵士として戦争に参加していたらしい。海外まで赴いては重い火器を握りしめ、何人もの人を殺めていた。祖父の過去については父から聞いた。また、植民地にした小さな国の住民に自国の言語や文化について教える先生でもあったという。


 どうしてそのような経緯になったのか、実際の現状はどうだったのか、そこでどのようにして祖母と出会ったのか。戦争に参加してなにを知ったのか。

 直接聞きたかったが、あまり思い返したくはない記憶であることだと、小さな頃からわかっていた。

 だからこそ、この血族についての歴史が記録されているかもしれない資料室に行ってみたかったのだ。


 なるほど、自分の家系はマメに記録を残すようだ。

 手当たり次第に奏宴は資料を漁ってみる。壁際の古い机にはどっさりと資料が綴じられたファイルが何冊も乗っていた。


 この家や地域の歴史や統計図、家族の経歴や関わったニュース等、喜一おじいちゃんの言ったとおりのものばかり。農家、商人、政治家、兵士……かつての血の繋がった先人たちはどれも異なる生涯を過ごしてきたようだ。


 冷房のない部屋はただ暑く、汗がにじみ出る。漂う埃は湿った肌にまとわりつく。

 さっさと出て風呂にでも入ろう。そう奏宴は急ぎめで資料を本棚に戻す。


「あっ」と思わず声が出てしまうと同時、手元の資料本がバサバサと落ちてしまった。無理に詰めようとしたからか、手が滑ったのか。片手に持っていた資料本を棚に戻し、真ん中あたりにページが開いてしまった資料ファイルを拾おうとした。


「……?」

 心の内で首を傾げた奏宴はその資料の開いたページを見つめる。「サルト事件……?」


 ちょうど見開いたページを見、何かに惹かれるように、そのページの中身を読んでみる。吸い寄せられるように手が伸び、ぱらりとページをめくった。


 切り取られたいくつかの古い新聞記事、色褪せた紙に染み込んでいたインクの綺麗な文字。その内容にさっと目を通す。


 サルト事件。

 その資料と記事を読んだ限り、事件というよりは震災だった。それも、情報媒体である記録というには、あまりにも現実離れしていた。


「なにこれ……」

 アストラ暦2034年春期、クルム大陸アミューダ地方に厄神ゲナという龍の姿をした神が存在し、その災いの神を討つべく、王族含むその地方の国々が見事捕獲に成功し、その神をサルト国にて処刑する。


 しかし、その祟りで大陸をも揺るがす"複数の"天災に遭い、たった一晩でサルトという王国が滅んだ。要約すれば、どこかの神話にでもありそうな、おとぎ話染みた記事だった。


 まるで物語の一場面。しかし、災害規模は6枚ある白黒の写真をみる限り、凄まじい被害を出している。隕石が墜落したような形跡もあれば大地震と津波に見舞われたような景色もあった。まるで、パンドラの箱の中身をその国にすべて撒き散らしたかのようだと、記事にはコメントとして書いてあり、実際に巨大地震や大規模な台風、そして火山活動の痕跡が残っていると記してある。信じられないと言いたげな顔をする。


 奏宴はその竜の姿をした災いの神は、どこかの神官か予言者として天災を予知していた人間か、手に負えないような狂暴な獣だと勝手に予想づけた。奏宴の生きる時代に神の存在は宗教として見られているが、当時は本当に存在していると信じている国が著しく多い。どのような経緯と物語であれ、世界中に共通して『神』の概念があるというのは小さい頃、不思議でならなかった。


「おお、まだそこにいたか」

 奏宴は振り返る。「おじいちゃん、この記事もこの地方や私の家系に関係あること?」そう言ってはサルト事件の記事を見せる。


 途端、喜一の表情が一変する。ほんの一瞬だけ、思いを馳せたような目。奏宴はしっかり、その一瞬を捉えた。


「おじいちゃん……?」

 声をかける。一度せき込んだ祖父は、ゆっくりと奏宴の方へと顔を向ける。

「一度家に戻ろう。それのことについては、そのとき話す」

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