第5話


「あっついな」


 鬱蒼と生い茂る木々が日差しを遮ってはいるものの、湿った空気は逃げ場を失い、だるような熱気が一帯を満たす。少しでも歩けば服がべっとりと張り付き、不快感を増長させた。


「エマニュエル様は馬車の中で楽してるんですから、文句言わないでくださいよ」

「ダミアン。君だって馬上で楽をしているじゃないか。馬が文句を言うのならわかるけど、君も馬なのかい?」

「手綱を握るのだって疲れるんですよ」


 柄にも無く言い返した自分に辟易へきえきする。相当に気が立っているらしい。後で謝らければ。


「ダミアン! 主人に対してその態度はなんだ!」


 この暑さの中でもうなだれることなく、怒鳴る気力をもつフリュベールに驚愕する。もう、相当な歳だというのに、元気なのはいいことだが、余計に暑苦しく感じて疎ましかった。


「もういいよ、フリュベール。こんな所で彷徨い歩くことになったのも僕の責任だし、文句を言いたくなる気持ちもわかる。みんな、ごめんね」

「ですが」

「僕がいいと言っているんだ」

「……わかりました」


 エマニュエルは溜息をつき、森の道を紹介した商人のことを考えた。

 旅程の短縮と、何より面白いものが見れるとうたっていた癖に、その実、面白くもない茹で風呂の中をあてもなく彷徨い歩くだけで、旅程は一切進まない。

 この暑さもふつふつと湧き上がる感情の影響が少なからずあるだろう。


「セレナは暑くないのかい?」


 対面の席に座る少女は代わり映えのしない木々をまるで千紫万紅せんしばんこうの丘であるかのようにキラキラとした瞳で眺めている。


「暑いよ?」

「そうは見えないけど」

「そうかな? うーん、楽しいから!」


 淡い黄色の髪は綿毛のようにふわふわで、風が吹けば飛んでしまいそうなほどに線が細い。同じ髪色で細身のエマニュエルと並ぶとまるで兄妹のように見えた。


「そっか」

「エマニュエル様とのお出かけはいつだって楽しいよ」

「人っ子一人いない鬱屈とした森で迷子になっていてもかい?」

「うん!」


 元気よく頷く姿は老骨とは違い、清涼感をもたらしてくれた。


「そうでもないみたいですよ」


 御者台で手綱を握るピエリックの言葉がセレナの返事と重なる。

 エマニュエルは片眉を上げて小窓を覗き込んだ。


 前方から頭をかきながら歩いてくる男。頭から血を被ったかのような様相に、何より目を引くのはその冷たい眼光。すべてを憎み、呪うかのような目つきに皆の動きが固くなる。

 男は背に弓と矢筒を背負い、腰には短斧を下げた、狩人とも木こりともとれる装いだったが、とてもそうとは思えなかった。


「はいはーい。止まれよー」


 ダミアンとバジルが男の前に立ち、進路を塞ぐ。

 こちらの警戒をよそに男はすんなりと指示に従い、両手を上げた。


「手練ですね。間合いギリギリで立ち止まりました」


 ピエリックのささやきにエマニュエルの右手が腰の長剣に伸びた。


「すみません、道に迷ってしまいまして。この辺にお詳しいんですか?」

「……森の出口までなら」

「それは助かります。私はピエリックです。貴方は?」

「……だ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ケント王国西部を中央部から切り離すように位置するアルケヴラス大森林は、生息する獰猛な生物たちにより開発が進まず、その立地状況にもかかわらず、殆どが原生林で構成されている。侵入する者と言えば、商機を焦った商人か、あるいはよほど腕に自身のある戦闘狂アホどもくらいなものと言われていた。


「スランさんはどうしてこちらに?」

「森の様子がおかしかったんで様子を見に来た」

「おかしかった?」

「……深部に生息するイッペラポスが表層に出てきたんだ」

「だからそんなに重装備なんですね。でもよかったのですか? 我々の道案内を優先してしまって。そのイッペラポスを追っていたのでは?」

「いや。そいつはもう処理した。今日は奥の様子を確認するつもりだったが、まあ、仕方ないだろう。森を荒らされるよりはマシだ」

「ちょっといいかな。それなら、僕たちもその調査に同行しよう」

「なに?」


 男の瞳が一瞬揺れる。動揺の現れ。


「僕たちはケント王国随一の武力を誇るルシアンボネ家の騎士団だよ。力になれると思うけど」

「騎士の領分は対人戦だろう? 相手は十中八九、獣だ。正直言って足手まといだ」

「なるほど。もっともな意見だね。でも、もし僕たちが新設された魔獣専門の部隊だとしたら?」

「はあ?」


 嘘をついている様子はなかったが、隠し事をしているのは明らかだった。真偽を確かめなければならない。

 それに、男の言う事が事実だとすれば、自分たちの役割を放棄することになる。


 エマニュエルの方針は固まった。


「それに領内に異変が起こったのならそれに対処するのが僕たち貴族の努め。そんな重装備が必要な獣となればなおさらだろう?」

「ここは王家直轄領のはずだろ?」

「アルケヴラス大森林は王家直轄領とルシアンボネ領を横断しているんだ。ルシアンボネの問題でもあるんだよ。それに僕たちは王家の剣と盾。王家の問題だとしても対処するのが努めじゃないかな」

「ふぅ……。わかった。だが、馬と鎧は置いていけ。気付かれる」

「なるほど。それなら、フリュベール! それとアニエス!」


 名を呼ばれ、厳つい老練の騎士と濃藍の長髪を下ろした魔導騎士が進み出た。


「こっちのでかいのはフリュベール。鎧がなくても十分動けるだけの技量がある。こっちの魔導騎士はアニエス。まだ若いけど腕は確かだよ。ローブくらいなら問題ないよね?」

「ああ」

「うん。じゃあ、ピエリック。留守を頼むよ」


 その言葉にピエリックは肩をすくめ、他の者は驚きの声を上げた。


「やはりですか」

「おやめください! このような素性のわからぬ者と」

「なんてことを言うんだ。領内の問題を一人で解決しようとしてくれている人だよ? 失礼じゃないか」

「しかし……」

「この中で鎧を着けていないのは僕とアニエス、それとオルガだ。衛生兵のオルガに戦力を求められない以上、僕が行くしかないと思うけど」

「屁理屈はおやめください。それでしたら私とアニエスで十分ではないですか」

「鎧のない君では十全な攻勢に出られないだろうし、アニエスは新兵だよ? 僕も行くべきだ」

「エマニュエル様が言い出したら聞かないことくらいあなたもわかっているでしょう」

「ううむ。しかし、ピエリックよ……」

「話も纏まったようだし、出発しよっか。よろしくね。スランさん」


 その言葉に、皆呆れ顔で溜息を吐いた。

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