第11話


 温暖な気候には珍しく、森に雪が積もった。この中では仕事にならないと言い訳を胸に、ランスはレリアとの雪遊びに勤しむ。


 まっさらな白い大地に脚を踏み入れればクッキーを砕いたような音が足元からする。

 塊をすくって握れば刺すような痛みと指先がじんじんと腫れ上がっていくような感覚。

 苦労して作った雪玉をレリアに向かって投げると、何倍にもなって返ってきた。

 ランスは真っ白になりながら逃げ回り、その様子をブランケットを羽織ったマリーが玄関先で鼻を赤くしながらも楽しそうに見ている。


 突然、ランスが、ピタリと止まる。険しい雰囲気に皆の顔から笑みが消えた。

 戻れと小さく言った言葉にレリアとマリーが家の奥へと静かに消える。


 木々の間から雪を押しつぶす音と金属をこすり合わせる不快な音が響いた。

 緩やかに行軍する軍馬の足音は軍としてみれば小さな規模のものだったが、ランス一人を相手にするには十分過ぎるほどの規模だろう。

 額ににじむ汗は運動のせいなのか、それとも緊張のせいなのか。


 やがて、白銀の世界を歩む黒銀の集団が姿を見せた。


「久しぶりだね。殿?」

「······調べはついてるってわけか」


 睨みつけるランスの瞳をものともせず、エマニュエルは話を続けた。


「そう邪険にしないでよ。何も君を捕らえようだとか、そういうつもりで来たわけじゃないんだから」

「ならなんだ? オークの調査か? にしては来るのが遅すぎるんじゃないか?」

「君が心配ないって言っていたからね。それに、大規模な調査をして困らせたくもなかったんだ」

「脅しのつもりか?」

「待って、待ってよ。僕たちに敵対の意図はないんだ。今回の訪問は礼を言いに来たんだよ」

「はあ?」

「出口のない蒸し風呂のような森の中。アテもなく彷徨い歩いて焦燥しきっていた僕たちを助けてくれた。遅くなったのは謝るけど、こっちにも事情があって」


 貴族の言葉を鵜呑みにはできない。なにか裏があるはずだ。


「受け取ってくれると嬉しい。何にしようか迷ったんだけど、残るものだと邪魔になるかもと思ってね」


 エマニュエルの合図で荷馬車から次々と荷物が降ろされる。

 呆気に取られるランスにエマニュエルはなおも話を続けた。


「それと、国を救った英雄がこんな森の中で隠遁生活を強いられている現状はどうかと思うんだ。しつこいと思うかもしれないけど、是非とも僕たちと一緒に来てほしい。もちろん十分な報酬と待遇を用意するよ」

「断る」

「君が国に恨みを抱く気持ちもわかる。だから、入隊を強要するつもりはない。戦争にだって行かなくていい。ただ、村々へと被害を与える魔獣討伐のための教鞭をとって欲しいんだ。君の知識は僕たちにとって、どうしても必要なものなんだ」

「無理だ。調べがついてるんならわかるだろう。俺はこの森から出られない」

「それはこっちで何とかする。ゲーユ子爵も協力してくれるって言ってるんだ。頼むよ」

「何度言われても無理だ。俺は森から出ないほうがいい」

「いつまでここに居るんだい? 奥さんのことだってあるだろう? 街に移ったほうが――」

「うるさい!」


 その時、ランスの叫びを掻き消すほどの勢いで玄関の扉が開き、赤い影が飛び出した。


「ケンカはだめぇーー!」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 暖炉の火がパチパチと音を立てる。レリアはマリーの浮かない顔を横目に家の外へと耳をそばだてた。

 聞こえてきたのは馬のいななきと金属のぶつかる音。複数の足音が家の前で止まる。


 知らない男の声が聞こえた時、レリアの脳裏に電流が走った。

 外から聞こえてきたのは馬と金属鎧の音に違いない。とするならばきっとそれは騎士団だ。


(これは運命だ!)


 不安定な自分の親。養育者は自分を嫌い、遠ざける。もう、未来はない。

 そんな矢先に騎士団だ。これはもう、神の一手と言わざるを得ない。


 騎士といえば貴族お抱えの戦闘集団。つまりは金持ちだ。子供の一人や二人養うのも苦じゃないだろう。

 もちろん、無能な浮浪児など養ってはくれないだろうが、自分は転生者。義務教育は終えている。簡単な計算はお手の物だ。


 レリアはチラリと窓外を見た。予想通り、騎士の面々が立ち並んでいる。


 リーダー格はすぐに見つかった。金髪に細身の青年が他の者とは明らかに品質の異なるきらびやかな衣装を纏っている。


 しかし、その青年とランスが言い争っているのがわかったとき、レリアは急いで家を飛び出した。


「ケンカはだめぇーー!」

(気分を害して帰られたらどうするんだ。アピールできないじゃないか!)


 突然飛び出してきた赤髪の少女にエマニュエルは目を奪われる。よくよく見れば瞳の色こそ違うものの、髪色がランスとよく似ていた。


「お父さん、なんで仲良くしないの? 喧嘩は良くないんだよ?」

「レリア……」

「この人たちは悪い人なの? 悪いことされたの?」

「それは……」

「仲直り、しよ?」


 ランスは目を丸くした。自分の意見をあまり言わない娘がこんなにもはっきりとものを言ったのだ。

 そして、その意見が自分の行いを咎める言葉だったことを何より恥じた。


 レリアの言う通り、眼の前の男は何も悪いことはしていない。

 自分の要件を後回しにしてオークの討伐を手伝い、事情を汲んで大規模な遠征を行わず、律儀にも道案内の礼をしに来たのだ。

 下心があったとはいえ、こちらの意見を尊重してくれた。悪いやつではない、だろう。


「ごめんよ。僕が悪いんだ。なんの連絡もなく、突然おしかけて、自分の意見を押し付けて。礼を言いに来たつもりだったのに。本当に申し訳ない」

「お父さん?」

「あー、そうだな。こっちも悪かったよ。礼は受け取る。せっかくだしな」

「よかった。お礼は食事を用意したんだ」


 その言葉に、レリアは飛び上がって喜んだ。

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