第12話


 かまどを中央に構えたテントの中は雪が積もっているとは思えないほどに温かい。

 老骨の騎士と若い騎士がテントの外で見張りをし、他の面々は竈を囲んだ。

 金髪の少女がレリアをキラキラとした目で見ている隣でエマニュエルが口を開く。


「改めて、自己紹介と行こうか。名前も知らないもの同士で卓を囲むというのもなんだしね。僕はエマニュエル・ルシアンボネ。ルシアンボネ家の末弟だ」

「私はピエリックです。この隊の隊長をしています。僭越ながら隊員の紹介も合わせて。右からダミアン、アニエス、オルガ。外にいるのがフリュベールとバジルです」


 ピエリックが口をつぐんだ瞬間、待ってましたと言わんばかりに、少女が手を上げて身を乗り出した。


「はいはい! 私セレナ! あなた名前なんて言うの? 好きなものは? お肉好き? 私は好き! あとねあとね、お友達になりたいなーって思うんだけど、だめ? ねぇ、ダメ? きっといいお友達になれると思うの。だってあなた可愛いし、髪もサラサラであとねあとね」

「待て待てセレナ。困っているじゃないか。君ばかり喋っていたら質問にも答えられないよ」

「ごめんなさい」

「僕に謝っても仕方ないだろう?」

「あっ、えっと、ごめんなさい」

「周りに同じ年頃の子がいないから、君を見てはしゃいでしまったんだよ。悪い子じゃないんだ。仲良くしてやってくれると嬉しい」


 正直、子供は好きではない。しかし、見たところエマニュエルとは兄妹のように見える。つまり、セレナと仲良くなれば養子縁組もそれだけ近づくということ。


「はい! 私、レリア。よろしくね」


 レリアが手を差し出すと、不安そうな顔はパッと明るくなり、両手で手を握り返して、ブンブンと振った。

 その勢いにレリアは肩が外れるかと思ったが、努めて笑顔を貫いた。


「良かったな、レリア。友達ができて。みんな知ってると思うが、ランスだ」

「妻のマリーです」

「各々紹介も終わったことだし、宴と行こうじゃないか。今日は無礼講だよ」


 網に乗せられた肉はレリアの手ほどの厚さで、大きさは手の何倍もあった。

 肉を包むタレが雫となって落ち、炭の上でジュッと焦げる。甘い香りが灰とともにムワッと広がり、涎で口が一杯になった。


 取り分けられた肉にナイフを突き立てると、なんの抵抗もなく入り、断面が赤く輝いた。

 滴る肉汁を零さぬよう、素早く口に運ぶ。舌で受け止め、そのまま中へ。

 一噛みする前に蕩けてしまった。味わう暇もない。次は慎重に。

 二口目をゆっくりと噛みしめる。スポンジから溢れ出るように肉汁が口を満たした。脂の甘味が舌を包み込み、タレと炭の香りが鼻から抜ける。

 それからはもう、フォークが止まらなかった。


 幾度目かの運搬を終え、さあ次の一口、とレリアがフォークを伸ばすと、目の前の肉がすっと消えた。キョロキョロとあたりを見回せば、ダミアンの口の中へと消えていく肉。

 口惜しそうにフォークを咥えるレリアの姿に、思わずエマニュエルの手がその頭を撫でようと伸びた。だが、その間にランスの身体が割って入る。


 エマニュエルは苦笑し、行き場を失った手をセレナの頭に置く。するとセレナは目を細めて身を委ねた。


「ねぇねぇ。レリアちゃんていくつなの?」

「七才だよ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあさ、なんがつうまれ?」

「五月」

「そうなんだ! わたしはしがつだからわたしがおねえさんね!」

「そうなんだ」


 目の前のフフンとした顔を眺めるとはっ倒したくなる。けれど、レリアは、ぐっと堪えた。相手は子供。挑発に乗ってはいけない。


「セレナちゃんは妹がほしいんだ」

「え? うーん、わかんない! それより外で遊ぼうよ!」

「え、あ、うん。でもまだお肉が……」

「私の方がお姉さんだから、お姉さんのこと聞かないとだめなの!」

「うーん、わかった」


 レリアの返事を聞くか聞かないかという内にセレナはレリアの手を引っ張り、引きずるようにして外へ連れ出した。

 戻ってくる頃には、もう肉はなくなっているのだろう。今は我慢。そのうちもっと食べられるようになるとレリアは自分に言い聞かせる。


「ねぇねぇ、レリアちゃん! 雪合戦! 雪合戦しようよ!」

「いいけど、ルールわっ!」

「あはは! やったー! あたった!」

「もうっ!」


 レリアの投げた雪玉はセレナにかすることもなく、ヒョイヒョイ避けられ、逆にセレナの雪玉はほとんどがレリアの顔に当たった。


「あははっ! 私の勝ちだね!」

「うー」

 

 レリアは焦った。これでは自分の有用性を示せない。何かでセレナに勝たなければ。

 それに何より調子に乗っているセレナにムカついていた。


「かくれんぼ、かくれんぼしようよ」

「いいよ! かくれんぼね!」


 これはしめたとほくそ笑む。勝手知ったる我家の庭だ。地の利は確実にレリアにある。木の上か、ボロ屋の薪置場か、あるいは――


「隠れるから見つけてね!」

「あ、ちょっ」


 離れていくセレナの背を見つめ、やっぱり子供は嫌いだとレリアは思った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ううー、また見つかっちゃった。なんでわかるの?」

「たまたまだよ。セレナちゃん、隠れるのうまいから、探すの大変」

「むむむー。次は絶対見つからないんだからね!」

「わかった。いーち、にーい、さーん」


 何度目かのセレナの背中。いつになったら飽きるのだろうかと心のなかでひとりごちる。


「きゅーう、じゅう!」


 さて次はどこだろうか。突き出た木の根は探した。川辺の穴蔵も探した。ボロ屋の裏辺りだろうか。


 しかし、いくら探しても見つからない。積み上げられた薪の裏も、足場の悪い屋根の上も、煤だらけの竈の中も、思いつく限りの場所を探し回ってもどこにも居なかった。

 嫌な想像が頭をよぎる。まさか森に入ったのではないだろうか。

 敷地の外へ出れば隠れる場所はいくらでもある。だが、危険と隣り合わせの場所だ。いつ獣に襲われてもおかしくはない。

 森へ探しに行くか? だが、それで自分が襲われるのも嫌だ。とはいえ、このまま放置して何かあれば養子縁組は確実に遠ざかる。助けを呼ぼうにも、それだけでも監督不行き届きの失態だ。しかも最悪なことに、かくれんぼを提案したのは自分。

 渦巻く葛藤の中でレリアの視界が右往左往する。


 ふと、白いもやを纏う雪の塊に目が止まった。注意してみれば、雪景色に紛れて、確かに靄をまとっている。


「あうっ」


 試しに石を投げてみたところ、返答があった。なんとなくもう一つ石を拾い上げてみる。


「まって! まってまってまって!」


 叫びとともに雪塊が黄色の靄を纏いながら輝く。輝きはモソモソと形を変え、やがてセレナの姿となった。しかし、何処か違和感がある。

 それはすぐにわかった。髪色だ。淡い黄色の髪色が白銀の雪色に変わっていたのだ。


「ひどいよー」

「あれ、色違う?」

「え? あわわ! 見ちゃだめー!」


 頭を隠そうとセレナは両手をパタパタとする。指の隙間から見える頭は先程と同じように黄色の靄を纏いながら輝き、元の淡い黄色へと戻った。


「こら、セレナ!」


 背後から聞こえた突然の叫び声。振り向けば怒ったエマニュエルの顔。


「人前で力を使ってはいけないといつも言ってるじゃないか」

「だって」

「だってじゃないだろう?」

「うぅ。ごめんなさい。でも……」

「はあ。やってしまったことは仕方がないけど、次から気をつけるんだよ」

「はい……。ごめんなさい……」

「すまない、レリア。驚かせてしまったね」

「いえ」

「この事は誰にも言わないでもらえると助かるんだけど」

「わかりました。だれにも言いません。お父さんにも、お母さんにも、言いません」

「ありがとう。助かるよ」


 エマニュエルはニッコリと笑い、二人の頭を撫でた。


「さて、二人とも。おやつの時間だ。戻っておいで。カステラを用意したんだ」


 レリアは再びほくそ笑んだ。

 貴族との秘密の共有。そんな相手を野放しにできるだろうか。いつか話してしまわないかと気が気ではないはずだ。つまりはそばに置いておきたくなるということ。

 とはいえ、今はおやつだと、グズるセレナの手を引きながら、レリアはエマニュエルの後を追いかけた。





「今日は楽しかったよ。ありがとう」

「いやいや、礼を言うのはこっちの方だ。それに、すまなかったな、疑って」

「終わった話じゃないか。それに、レリアのおかげで事なきを得たんだ。礼を言うならその子に、だよ」


 二人が見るも、お土産のカステラに夢中で気付かない。ホクホク顔のレリアをランスが撫でた。


「さて、帰るとするよ」

「ああ」


 エマニュエルはしゃがみ、レリアに目線を合わせる。


「セレナが寝てしまってすまない。お別れも言えずに」

「大丈夫です。あの……」

「どうしたんだい?」


 レリアがランスの目を盗むように耳打ちする。


「また、来てくれますか?」

「もちろんだとも」

「よかった」

「セレナもちゃんと連れてこよう」


 その言葉にレリアの顔がキョトンとする。


「ん? 変なことを言ったかい?」

「あ、いえ、その」

「遠慮しないでいいよ」

「会いたいのはエマニュエル様なので」


 ゴニョゴニョと小さな声で呟く少女の姿に心がざわつく。


「そうか」


 ポツリと返し、馬車に乗る。窓から森の家族を見たエマニュエルは、手を振る彼らに小さく手を振り返した。

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