第10話


 色とりどりの木の葉が舞う季節。森小屋に青髪の商人がやってきた。


「おう、ヴァーノンか」

「ご無沙汰しています。一年ぶりですね。元気がないようですが、どうかされましたか?」

「まあな。さ、入ってくれ」

「ええ、お邪魔します」


 玄関をくぐると、いつも敵意を滲ませた瞳で睨んでくるはずの少女がいない。


「おや、レリアさんは……」

「今はゲーユにいる。先生のところで預かってもらってるんだよ」

「なにかお身体にさわりましたか?」

「いや。健康そのものだよ。怪我もしてないし病気もしてない」


 落ち込んだランスの顔に、少しだけ活力が戻る。しかし、それもすぐに薄れてしまった。

 ヴァーノンは黙って、次の言葉を待った。


「実はな、ルシアンボネ家が森に来たんだ」


 それから、ランスはポツポツとこれまでの経緯を話した。


「なるほど。エマニュエルですか」

「何か知っているのか?」

「噂程度であれば。ルシアンボネ家のエマニュエルと言えば、当主の三男ですね。二人の兄とは歳が離れていますから、学園を卒業した頃には派閥が出来上がっていたそうで、随分と肩身の狭い思いをしたようです」

「やっぱり詳しいな」

「情報は武器ですからね。魔獣専門部隊の設立は彼の発案らしいですよ」

「嘘じゃなかったのか」

「ええ。そうですね。ルシアンボネ家内での自分の地位を確立したかったとか、自力で動かせる兵力が欲しかったとか、色々言われています」

「この森に入ったのも実績作りか?」

「そうかもしれません。ただ、この森が原因の被害は最近聞きませんし、実績として認められるかどうか……」

「ふむ」

「そういえば、噂話で一つ思い出したんですが」

「ん?」

「エマニュエルは幼女趣味らしいですよ。学園時代に奴隷商から幼い少女を買っては自室に侍らせていたとか」

「はあ!? そいつは最悪だな。レリアを見せるわけにはいかん理由が増えた」

「ははは、そうですね。まあ、何にせよ、注意が必要です。動向を探っておきましょう」

「ああ、頼む。いつもすまないな」

「いえいえ、安全で短い行路のためです」


 それから一年が経っても、エマニュエルが森へ姿を見せることはなかった。




 鳥の声を模した笛の音が森の中に鳴り響く。応答するように鳥の声が聞こえ、また笛の音が聞こえた。


「上手いもんじゃのう」

「うん。ありがとう」


 レリアはまた笛を吹いた。鳥の声を聞いていると、不思議と心が落ち着いた。

 胡散臭い商人から半成人の祝だと手渡された時は、すぐにでもゴミ箱に放り込んでやろうかとも思ったが、吹いてみればなかなか楽しいもので、今では暇さえあれば吹いている。


「もうすぐじゃのう」

「そうだね」


 見覚えのある風景。代わり映えのしない景色でも長年暮らしていれば違いがわかるようになる。

 記憶が蘇るたびに、レリアは怒りを膨れ上がらせた。


 今更なんだと言うのだ。自分たちから捨てておいて、一年も放置して、街での生活にも慣れてきたと思ったら、呼び戻すだなんて。自分勝手が過ぎる。

 先生も先生だ。失敗もたくさんしたし、あまり好かれていなかったのかもしれない。でも、嫌になったからと言って、自分を捨てた親のもとへと送り返すだなんてあんまりだ。


 レリアはまた笛を吹いた。


 森の切れ目。小川のほとりに佇む懐かしいボロ屋。扉の前には少しやつれたマリーと白髪の増えたランスの姿。レリアを見る瞳の色は変わらない。


「おかえりなさい」

「おかえり、レリア。寂しくなかったか?」

「ただいま! 寂しくなかったよ」

(俺を捨てたくせに)

「街のみんなも優しかったし、先生も良くしてくれたよ」

(こんなところよりも、過ごしやすかったさ)

「ふふ。そう。良かったわね」

「うん!」

「さあ、中へ入りましょ。街でのこと、いっぱい聞かせてちょうだい」

「もちろん!」


 街での生活はどんなによかったか。

 娯楽は山ほどあった。広場の吟遊詩人や大道芸、露天での食べ歩き。こんな森より彩りにあふれていた。

 労働なんて殆どない。石畳に覆われた地面は草むしりの必要がないし、見回りは衛兵がやってくれる。

 話すことはいっぱいあるのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 家の奥へと消える二人を見送る男たち。二人の顔は揃って険しい。


「先生、どうだった?」

「魔晶機は反応せなんだよ」

「じゃあ!」

「おそらく、魔力の扱いは問題なかろうて」

「良かった。魔法を使っても問題ないんだな」

「そうじゃな。一応、不測の事態に備えて、わしも同行しよう」

「助かるよ」

「よいよい。可愛いレリアのためじゃ。じゃが、今は存分に相手をしてやっとくれ。気丈に振る舞ってはおるが、ずいぶんと落ち込んでおったのでの」

「そうか。そうだよな」

「うむ。わかっておろうが、あの子は聡い子じゃて。自分よりも他人を優先してしまう。気遣ってやっとくれ」

「ああ、わかってる」


 二人は表情を変え、玄関をくぐった。幼子を心配させぬよう、できうる限りの笑顔で。

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