第9話
「約束、覚えてるか?」
「先生の言うことを聞く。一人で出歩かない。知らない人について行かない。魔眼のことは誰にも言わない」
「そうだ。いい子にしてるんだぞ?」
「わかった」
黒い髪飾りで纏めた長い赤髪が大きく波打った。
「忘れ物はない? お弁当は? ドゥドゥは?」
「大丈夫。全部かばんに入ってる」
何度目かになる質問に内心苦笑しながらも笑顔で答えた。捨てたと言うのに何を心配しているのだろうか。
「よろしくな。先生」
「よろしくお願いします」
「うむ。では、行くかの」
「いってきます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
湿った空気が重たくのしかかる。汗で濡れた服が後ろ髪を引くように動きを阻害した。
「こっちであってる?」
「うむ。あっておるよ」
代わり映えのしない森の中は方向感覚を失いやすい。空を見上げてみてもあるのは生い茂る葉っぱだけ。太陽の位置から方角を探ろうにも叶うことはないだろう。
そのため、森の中には道を見失わないための標があった。見るのは上方。人二人分くらいの高さにある枝だ。
ボロ屋に伸びる方角に向けて伸びた枝に白い傷がついている。つまり、逆を進めば森の外。もう見ることもないだろうと、レリアは冷めた瞳で傷を探した。
六年間、頑張ってきたつもりだった。嫌われないよう、文句も言わず、言われたことはきちんとやった。手を煩わせないよう、わがままも言わなかった。ただひたすらに理想の子供を演じてきたはずだった。
(なのに、俺は捨てられた)
上手くやれてると思っていた。二人はよく笑っていたし、喧嘩も殆どしていなかった。
どこで間違えたのだろう。何が悪かったのだろう。考えても答えは出ない。最善を尽くしていたつもりだったから。
けれど、一度生まれた亀裂がなくならないことを知っている。崩れたものを直せないことも知っている。もう一度はどこにもないのだと、知っている。
なら今は、次の親との関係を考えなければならない。自分を引き取ってくれたカラムに捨てられることのないように、演じ続けなければならない。
大丈夫。今度はボロ屋じゃないはずだ。お肉もいっぱい食べられる。草むしりだってしなくていい。人形遊びも強要されることはないだろう。
だから大丈夫。次こそは上手くやる。
その気持ちとは裏腹に、レリアの足取りは重く、緩慢なものだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
うず高く積まれた石壁に、その周りを堀が取り囲む。二方を吊り橋で繋いだ門は壁の高さにしては小さく、馬車がニ台並んで通るのがやっとという広さだ。
商業というよりも防衛に適した街並みと、騎士団の有する特徴的な武具の形から盾の街とも呼ばれる都市ゲーユ。
その城門を守る衛兵が二人に敬礼を捧げた。
「お疲れ様です!」
「お主もの。毎日外風に晒されて大変じゃろうて。変わりはないかの?」
「お気遣い感謝します! 自分は健康そのものであります!」
「うむ。それはよかった。おお、そうじゃ。この子なんじゃが、知り合いの子での。わしの仕事に興味があるらしく、しばらく預かることになったんじゃ。よろしくの」
「レリアです! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします。まだ小さいのに、よくできた娘さんだ。親御さんもさぞ鼻が高いことだろう」
「ありがとうございます」
「うむ。では、頑張っての」
「はい!」
街門をくぐると石畳と木造建築が建ち並ぶ大通りが出迎えた。時刻は夕暮れ時。夕飯の準備に追われる女性や酒場の扉を叩く者で
「ここがわしの家じゃ」
道すがら声を掛けられながら辿り着いたのは大通りから少し外れた静かな住宅街の一角にある家だった。
中は広々として天井は高く、明かり取りの窓から入る陽光が部屋全体を照らすように設計されている。清潔感溢れる内装は質素で、森のボロ屋を思い起こした。
ベッドが二つ並んだ区画は診察用だろうか。何かの器具が壁に複数掛かっており、レリアの知っている物もあれば、用途がまったくわからない物まであった。
「さて、レリアや――」
さあ、一息つこうかとリビングの椅子に腰掛けた時、ノッカーを叩く音がカラムの言葉を遮った。
一瞬ピタリと止まったカラムだったが、すぐに席から立ち、玄関へと向かった。
「はいはい、どちらさんかのう」
「あ、いた。はい、これ。頼まれてたやつよ」
「おお、ベアトリスか。いつもすまんのう」
「一応中身を確認してね。私じゃわからないから。取り込み中?」
「いや、大丈夫じゃ。上がっとくれ」
短髪にタイトなロングパンツの動きやすさを重視した服装は、よくよく見てみれば
気の強そうな吊り上がった瞳の奥にレリアはなぜだか自分と同じものを感じた。
「レリアや。そこの棚に茶葉が入っておる。淹れてくれるかの?」
「はーい」
「ありがとうのう」
カラムは包の中身を机上に広げた。乾燥した葉。色違いの
「うむ、見たところ問題は無いようじゃの。状態は良好じゃて。助かったわい」
「それは良かったわ」
「どうぞ」
「ありがとう。貴女、もしかしてレリア? お手伝いできて偉いわね」
「いえ。それって、薬草? 何だかいっぱい種類があるね」
「うむ。よくわかったのう」
医者の娘ならば頭の良さをアピールしたほうが良いだろう。教えを乞う好奇心とすぐに覚える有能さ。しつこくならない程度に、そして何より、自分が覚えられる範囲で興味を示さなければならない。
まずは一つ。それで様子見。赤い
「これは?」
「アリドフッゲコと言ってな。アルブンタリス山脈の奥深く、日の当たらぬ洞窟の中でのみ育つと言われておる薬草じゃよ。ドワーフの間では魔力増強の薬として使われておるんじゃが、なにせ珍しい薬草じゃからの、詳しいことはわかっておらん不思議な薬草じゃ」
「ふむふむ」
「そろそろお暇させてもらうわね」
「なんじゃ、もういいのか?」
「薬草を届けに来ただけだもの。お茶、ありがとね。美味しかったわ」
「ふむ。そうかいの。ではまた頼む」
「はいはい。そうならないことを祈ってるわ。じゃあね」
客がいたのに出しゃばってしまっただろうか。街で暮らすのなら、住人との関係も大切だったのに。
レリアが後悔の念に苛まれている間にベアトリスはヒラヒラと手を振って出ていった。
「さて、手伝ってもらえるかの」
「うん」
落ち込んでいる暇はない。カラムとの関係が大切だ。要望があるということは先程の失態では、まだ信用を失い切ってはいないということ。まだチャンスはある。
カラムに続いて地下に降りると壁中を格子のような棚で囲った部屋があった。格子の各々には植物だけでなく、動物の尻尾や鉱石、何ともわからないものまで様々な薬の材料が収まっている。
二人は部屋の中央、作業台に先程の薬草を広げた。
「薬草はの、このまま使える物もあれば、処理しなければ保存できんものもある」
「ふむふむ。やり方を教えてください! がんばって、覚える」
「うむ。まずはこれなんじゃが······」
それからレリアはカラムに言われるがまま、薬草に処理を施していった。
夕日が沈みきる頃には作業台の上はあらかた片付き、最後に残ったのは先程レリアの目を引いた
「さて、こやつはわしも初めて取り扱うんじゃが」
「先生も扱ったことのない薬草があるだ!」
「もちろんあるとも。わしにも知らぬことはたくさんある」
今の質問は不味かった。知らないことを指摘するなど、頭の良い人にとっては屈辱以外の何物でもない。
レリアの後悔をよそに、カラムは話を続ける。
「さて、こやつの処理じゃが、文献によると輪切りにして水に漬けておくと良いらしいんじゃが」
そう言って包丁を入れた瞬間、切り口から赤い靄が勢いよく噴出した。
「先生! 魔力出てる! 魔力が噴出してる!」
「なんじゃと? どんな感じじゃ?」
「えーと、切ったとこからびゅーって感じに……」
「うーむ。水に漬ければ治まるやもしれん。どうじゃ?」
「止まってない。勢いは弱くなった気はするけど……」
「ふむ?」
「止まるっていうよりは、出きったみたいな弱まり方だよ」
「ふむ、そうか。この保存方法は失敗じゃのう。」
「ごめんなさい」
ああ、終わった。初日で完全に信用を失った。また独りになるのか。
「レリアのせいじゃないわい。むしろ教えてくれてありがとうのう。効果のなくなった物を研究に使うところじゃったわい」
「……あ、でも、でっかい方はまだ魔力があるみたい」
「おお、そうか。ふむ。これは加工せぬほうが良さそうじゃの」
ただの慰め。悪いことを悪いと指摘せず、諦められた存在に対する仕打ち。いずれそれさえも疎ましくなって、最後には切り捨てられるのだ。
「おお、しまった。仕舞うための箱を用意するのを忘れておったわい。どこにやったんじゃったかのう」
「探してくる」
「うむ。そうじゃ、思い出した。あそこのー、見えるかの」
カラムが指したのは階段の下、部屋の雰囲気には似つかわしくない金属の箱。箱には白く輝く楕円形の鉱石が一つ嵌め込んであり、鉱石を中心に紋様が広がっていた。
「あの中にあったと思うんじゃが……」
階段下のスペースにピッタリと収まったその箱は音を立てるでもなく、ただそこにあるだけ。しかし、ポッカリと開いた口の中は漆黒で、不気味にレリアを飲み込める時を待っている、そんな予感がした。
怖いから無理だと、小さな子供が言えば、それは可愛く映るかもしれない。庇護欲を掻き立てられるかもしれない。
だが、レリアは別の可能性に行き着いた。命令に従わない子供は邪魔でしかないと。
「取ってくる」
表情を見られるぬよう、足早に向う。勢いそのままに行けば恐怖なんてどこへなりとも行ってしまうはずだ。
近づけば薄ぼんやりと中の様子が伺えた。何もいない。大丈夫、大丈夫。
中に入ると、そこには何もなく、暗闇に目が慣れても、やはり何もなかった。入れ物なんて見当たらない。
言われたこともできないなんて、無能もいいとこだ。
今日だけでどれだけ失敗した? 気付いていなかっただけで、ボロ屋でもずっと失敗し続けていたのか? 嫌な想像が頭の中をグルグルと回る。
自分は何をやってもだめだ。結局、世界が変わっても自分は何一つ変わらない。そうだ。だって、中身は一緒なんだから。
こんなことなら、記憶なんて引き継がなければよかった。
「レリアや。すまん。こっちにあったわい」
とぼけたカラムの声が虚しく地下室に響く。それは決してレリアの心を救ってくれるものではなかった。
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