第3話


 灼熱の太陽は鳴りを潜め、着飾った木々の衣に隙間が見える。紅葉に交じって雪でも降り出しそうな空模様に、薄着の木々がざわざわと抗議の声を上げた。生命を死へと追いやる厳しい冬はもうすぐそこだ

 澄んだ空気に響くせせらぎに混じって跳ねる水音は魚だろうか。小川のほとり、森の中にひっそりとたたずむ小さな家にベルニエ家の三人は住んでいた。


「まーまー、だーいーすーきー」

「んあぁあ、ぃやぁいーふぅひぃ?」

「だーいーすーきー」

「パパも好きだよなー?」

「うあうあをふひだおんあ?」

「こいつぅー。パパも好きだぞー。んーまっ。んーまっ」

 

 この世のすべてを憎むかの様な顔から放たれる猫なで声にレリアは身震いした。生まれてから早数か月、両手で数えきれないくらいには人をってきているであろう見た目の父親に未だ慣れることができない。


「寒いか?」


 ランスが心配そうに薪をくべる。煌々こうこうと輝く暖炉の火がパチリと音を立てた。

 それと同時に、何者かの扉を叩く音が玄関に転がる。カラムは数日前に街へ戻ったばかりだ。こんな森にいったい誰だろうか。

 ランスが扉を開けると秋風に木の葉が舞う中、青髪の青年が帽子を手に笑っていた。


「おお、ヴァーノンじゃないか!」

「ご無沙汰しています。一年ぶりですね」

「そうだな。いつも助かるよ。そうだ。実はな――」

「もう、ランスったら。いらっしゃい。寒かったでしょう。さあ、入って」

「そうだった、そうだった。すまん。ついな。さあ、中に入ってくれ」

「それではお言葉に甘えて。お邪魔します」


 今日は随分と冷えるらしい。後ろから鼻水をすする音が聞こえる。薪の量を増やして正解だったようだ。


「おや?」

「そうなんだよ。生まれたんだよ! かわいいだろ?」

「はい、とっても」

「レリアちゃーん。ごあいさつちまちょうねー。こんにちはー」

「おあいあしゅいあしぉーぃえ。おんにいあー」

「ヴァーノンです。よろしくお願いします」

(誰だこいつ)


 初めて見る男の姿にレリアは身体を強張こわばらせた。一見爽やかそうに見える顔はテンプレートな笑顔を貼り付けただけの偽物の顔。そういう顔をレリアは嫌というほど知っている。


「すごいですね。もう言葉を?」

「はっはっは。俺たちのマネをしてるだけだよ」

「それでもすごいですよ」

「そうだよな? レリアは天才だからな。最近ようやく首が座って。色々見てまわるもんだから可愛いんだな、これが」

「……何にしようか迷ったのですが、クレーで良い品を見つけたものですから」

「ん? どうした?」

「出産祝いですよ。受け取っていただけると」

「そんなものまで用意してくれたのか。悪いな」

「あ! 懐かしい。ドゥドゥじゃない。ありがとね」

「こちらでは手に入りにくいかと思いまして」

「へー、こんなのがあるのか。よかったなー、レリア」

(うーん……)


 感情の読み取れない奴は決まって何かを内に抱えている。そんなやつから物を受け取ればどうなることか。けれど同時に、両親が求めている行動も理解していた。


 レリアは恐る恐る手を伸ばす。触れた生地は柔らかく、指を包み込むように吸い付いた。


「気に入ったみたいだな」


 触り心地も重さも申し分ない。抱き枕として使ったら、どんなにいい夢を見られることか。前世の枕とも遜色そんしょくない出来栄えに、思わず顔をうずめたくなる。

 だからこそ、レリアにはわからなかった。なぜこの男が自分なんかに人形をプレゼントしたのかを。

 この家は決して裕福ではない。あばら屋を補強しただけのボロ屋を見れば明らかだ。食事も三食ともにスープ一杯。こんな人形を買えるだけの金銭的余裕など、天地がひっくり返ったところで出てきやしないだろう。

 とすれば、思い当たる節は限られる。詐欺師か、はたまた宗教勧誘か。

 二人がどうなろうとレリアにはどうでも良かったが、自分が巻き込まれるのは真っ平ごめんだった。さらに言えば、せっかく築き上げた良好な関係をひっくり返されるのもしゃくさわった。

 渦巻く思考の中でレリアの腕に力が入り、ドゥドゥが奇妙にひしゃげる。


「ふふ。お気に入りね」

「ええ、良かったです。好みがわからなかったものですから」

「はっはっは。そりゃそうだ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 一滴の雫がポタリとグラスに落ちる。脳をくすぐる芳醇な香りと舌先をつかんで離さない渋味。それらをはらんだあでやかな紫色の流体が宴の終わりを告げた。


「ん、もうないのか」

「お気に召していただけたようで。またお持ちしますね」

「んー」


 暖炉の火に合わせて食卓の影が陽気に踊る。気がつけばすっかり日は落ち、音を立てる薪の光だけが屋内を照らしていた。

 机に並んだ食器には既に料理はなく、マリーがそれらを片付けようと席を立つと、その様子にランスがてのひらを上に向けた。


 暗幕あんまくに針で穴を開けたかのようにポツリと点が現れる。やがて、その点は草を喰む芋虫ように暗闇を喰らい、拳大こぶしだいの光源となるとフヨフヨとマリーの方まで飛び、ニュルリと手首に巻き付いた。


「光属性は便利ですね。行商をしているとそういう光が恋しくなる時があります」

「便利ではあるけどな。俺程度の力じゃ、こんな事くらいにしか役に立たないさ。……どうした?」

「いえ、その。少し気になることがありまして。レリアさんは魔眼持ちなんですか?」

「まさか。そんなわけないだろ」

「そうですか。いえ、気のせいならそれでいいんですが、どうも魔力を目で追っているようでしたので」

「うーん?」

「どうしたの?」

「いや、ちょっとな。悪いが、そこに立っててもらえるか?」

「少し確かめたいことがありまして……」

「いいけど……?」


 ランスの掌から黄色のもやが芽吹いた。体表から溢れる陽炎のような白い靄を押しのけ、太く、長く伸びていく。

 やがて、芽は幹となり、枝を伸ばして、マリーを包み込みこむ。マリーから漏れ出る緑の靄が枝を飾った。

 大樹に住まう小麦色の少女。その情景にレリアは思わず呼吸を忘れていた。


 不意に黄色の靄だけが風に吹かれたようにスーッと横に移動した。机をすり抜け、ヴァーノンの前を通過し、壁際にたたずむ。

 そうして現れたのが、マリーと瓜二つの虚像。身にまとう靄の色以外は紛うことなきマリーの姿。レリアが驚きに目を白黒していると虚像は跡形もなく霧散した。


「目で追ってるな」

「そうみたいですね」


 二人の声が重たく響いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 暖炉が部屋を赤く照らす中、マリーとランスが机を挟んで向かい合っている。部屋には二人のほかにまぶたを重く垂れ下げたレリアがいるだけで、ヴァーノンの姿はない。


「前向きに考えましょ?」

「そう、だな」

「魔眼持ち、それも魔力が見えるだなんてすごい才能じゃない? 人とは違うって、きっといいことよ」

「ああ。だけどな」

「病気ってわけでもないのよ? こんな才能があればきっと森の外へ出たって困ることは」

「なら、誰が守ってやるんだ?」

「それは……」

「俺たちはついて行けない。ヴァーノンか? あるいは先生か? カスパールって手もあるな。だが、レリアのために他人を危険に晒すのか? 魔眼持ちなんて欲しい奴はごまんといるんだぞ。貴族に徴用されるのならまだしも、奴隷商に目をつけられなんかしたら」

「……」

「なんで魔眼なんか持っちまったのかなぁ」

「そんな言い方しないで。レリアちゃんはなんにも悪くないの」

「……そうだな、すまん。今日はもう寝よう」


 暖炉の火を消し、二人はベッドへと潜り込んだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 真っ暗闇の中、息遣いだけが聞こえる。目を開けているのか瞑っているのかもわからない中でレリアはまだ眠れなかった。


 険悪な空気は言語を理解できなくとも感じ取れる。二人の行きつく先を想像して、レリアの心はざわついた。

 別に、二人を心配しているわけではない。自分へと波及しないか。それだけが心配だったのだ。

 喧嘩をすればストレスが溜まる。その捌け口は自分よりも弱い存在。そして自分は無力な赤子。行き着く先は明白だった。

 まだ問題はある。離婚となればついてくるのは親権争い。自分を取り合うだけなら勝手にやってくれればいいが、押し付け合いになると話は変わってくる。その後に育児放棄が待っている。


 心臓が早鐘を打った。


 そもそも片親で自分を育てられるのかという疑問もあった。

 見るからに貧相な暮らしをする自分の親が一人になったら、どうなるだろうか。


 解決策は裕福な家庭に養子に入るくらいなものだが、選択肢がない以上受け取り手を自分で見つけなければならない。でも、どうやって? 誰がいる? 老い先短い医者か、闇を抱えた青年か。


(どっちもゴメンだ)


 レリアはいつ来るかもわからない救世主に自分の未来を託すほかなかった。

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