第6話


「待て」


 男の指示に皆が警戒の構えを取る。しかし、男はその様子には目もくれず、地面を撫でるだけで、すぐに立ち上がった。


「行くぞ」


 このやり取りが数度。男は構わず森の奥へと進んでいくため、三人は摩耗する神経をなんとか繋ぎ止めるので精一杯だった。

 木々は乱立し、視界が悪く、何ともわからない獣の鳴き声がそこらかしこから聞こえてくる。鳥や小動物が飛び出してくるだけでも相当に肝が冷えた。


 再び男は立ち止まり、身を低くした。しかし、今回は様子が違う。じっと一点を凝視したまま、手招きをしているのだ。

 三人は顔を見合わせて、男と同じように身を低くした。


 男の視線の先にはイッペラポスの群れがいた。小ぶりな体躯は雌だろうか。下草を食む姿にこちらの緊張感が嘘のような牧歌的な情景だった。



 四人は群れから離れ、向かい合う。


「あんたらについて来てもらって正解だったかもな」

「そうだろう。六頭を相手に一人では無謀というものだ」

「一度に処理するとなるとな。だが、そこのー、アニエスだったか? そいつを連れてきたのは失敗だったな」

「私が足手まといと? 新兵だからって舐めないでください」

「こやつの魔力保有量には目を見張るものがある。私が保証しよう」

「お前の保証がどうだかは知らないが······女は不味かっただろう?」

「女だからって!」

「叫ぶな。気付かれる」

「はぁ!?」

「私の部下を愚弄しないで頂きたい」

「待て待て。何を怒ってるんだ?」

「どうやら話が噛み合ってないようだね」

「うん? お前ら、あの腹を見なかったのか? 膨れていただろうが」


 腹と言われ、思い返すと先程のイッペラポスはよく肥えていた。森は餌が豊富なのだろう。しかし、それがどうしたと言うのか。

 三人の様子に男は頭をかきながら呆れた様子で言葉を付け足した。


「相手はオークだ」

「なぜ?」

「イッペラポスの腹が膨れていた。今は繁殖期前で妊娠はありえない。異種交配ならオークだ。お前ら、本当に魔獣討伐が専門なのか?」


 経験不足を見抜かれる。だが、そんなことよりも重大な事実を男はサラリと言いのけたのだ。

 あまりにも簡素で端的な説明に一瞬頭がついていかなかったが、その事実を認識したとき、三人の顔からさーっと血の気が引いた。


「馬鹿な。こんな所にオークだって? 奴らはもっと南方の生き物じゃないか! 異種交配ならゴブリンの可能性もっ」

「ゴブリンにイッペラポスをどうこうするのは体格的に無理だ。それにあの数。群れを丸々乗っ取ったとなると幻惑作用のあるオークが順当だと思うが」

「ううむ……」


 オークはその身体から発する匂いによってメスの精神を蝕み、己を同種の魅力的なオスと誤認させる。それは人間も例に漏れず、農村がオークの苗床となる事もあった。


「一旦戻るか? 流石に女をオークと対面させるわけにもいかんだろう」

「あ、相手がオークなら、僅かな時間でも、お、惜しいはずです」

「だがなぁ」

「か、数が増えれば、それだけ対処が難しくなります。今戻ったら、あの群れを、ま、また見つけられるか……」

「ならどうする。二手に分かれて討伐組とお前を守る組とで別れるか? そこのおっさんとなら二人で何とかならんこともないと思うが」

「エマニュエル様を護衛につけるわけにはいかん」

「なら戻るしかないだろ。なあ、あんたからも言ってやってくれ」

「ふむ。スラン殿の見立てではオークは何頭いると思う?」

「腹ん中にいるやつを含めないなら一頭だろうな」

「根拠は?」

「痕跡がない。もう少し見て回る必要はあるが、大食らいのオークが複数生息しているにしては残骸が一切見当たらない。イッペラポスが片付けているとも思えないしな」

「ならば、ここで討つのが最善か」

「おいおい」

「お、オークの幻惑作用は、み、魅力的な男と、ご、誤認させるものと聞いてます。それだったら、どうとでも、なるのではないでしょうか」

「……聞こう」

「人がいたら、ま、魔法をぶっ放してやればいいんです。幸い、ここに魅力的な男性はいません」

「あはは。僕たちが魅力的ではないと?」

「そ、そういうわけでは」

「いや、いいよ。君には心に決めた人が」

「そ、その話はいいでしょう!?」

「……はぁ、わかった。だがもしもの時は容赦なく処理するぞ」

「それは私がやろう。部下の不始末は上司がつけるものゆえ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 何やら準備があると森中で三人を待たせた男は数十分後に戻ってきた。

 勝手を知る男を先頭に前屈みでイッペラポスの群れがいる場所へと向かう。

 気付かれないよう、声を出さずに小さな手振りだけで意思を伝える男の動作は驚くほど明確で、三人は大人しく指示に従った。


 眼前、三十メートル程のところにイッペラポスの群れがいる。こちらの殺気を感じてか頻りに耳を動かし警戒しているようだ。

 男は矢をつがえ、弓を引絞った。ギリギリと弦が音を立てる。


 ビンッと弦が跳ね、静寂の幕を切り裂くように風切り音を纏った矢が弧を描いた。イッペラポスの眼球に深々と突き刺さり、赤い飛沫が小さな斑を作る。


 痙攣けいれんしてその場に伏す一頭のイッペラポス。仲間の異変に他のイッペラポスが毛を逆立て、十の赤い瞳がギョロリと四人の姿を捉えた。

 体躯の大きな二頭が四人へ向かって駆け出す。角はない。しかし、迫る巨躯は恐怖を掻き立てるのに十分過ぎるほどの威圧を放っている。


 男は再び矢を放ち、眉間に打ち込むと、砂煙と共に一頭が大地を削った。

 更に矢を番えるも間に合わない。既のところで巨躯を躱す。


 振り返ると、そこには頭を失ったイッペラポスの身体と、大剣を払うフリュベールの姿があった。

 頭がボトリと音をたてる。それを合図にアニエスから放たれる水の散弾。

 幹を削りながらも、逃げるイッペラポスの後肢に命中する。硬い毛皮を貫き、鮮血が散る。

 しかし、致命傷には至らず、跳ねるよう駆けていく背中が木々の間に消えていった。


「くっ」

「待て、こいつらの処理が先だ」


 地面に転がるイッペラポスの腹がモゾモゾと動いている。母体からの栄養供給を失ったオークの胎児がさらなる栄養を求めて母体を食べているのだ。

 四人は無言で死骸の腹に何度も武器を突き立てた。


 咽返るような錆び臭い匂い。返り血が服を、手足を、顔面を、そのすべてを赤く染め上げる中、武器だけがきれいに拭われ、鈍く冷たい輝きを放った。




 傷を追ったイッペラポスの血痕を追うと、逃げたイッペラポスはすぐに見つかった。

 皆一様に一本の脚がその場に吸い付いたように動かず、残りの脚で地面を蹴ってはその場に戻るという行為を繰り返している。

 目を凝らしてよくよく見れば吸い付いた脚にはロープが絡まっている。

 近づく四人を視認して、イッペラポス達はますます地面を蹴る脚に力を込めた。


「罠、か」


 暴れるイッペラポスに向かってアニエスの風の刃が飛び、首が落ちた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「森を一人で歩いていただけのことはあるね。ほとんど一人で片付けてしまったじゃないか。僕たちは必要なかったかな?」

「元々そのつもりだったからな」

「あはは」

「でも、結局オークは見当たりませんでしたね」

「オークは光を嫌うと聞いたことがある。何処か心当たりはあるか?」

「この近くにクマが冬眠用に使う洞穴があったはずだ。あとは、少し離れたところにある岩穴か。問題なければすぐに向かうが」

「わかった。これらは放置かい?」

「ああ。飢えた獣が血の匂いを嗅ぎつけてすぐにでも食いに来るさ。アンデッドになんかなりゃしねえよ。まあ、たとえなったとしてもここに居場所なんてありゃしないがな。すぐに駆逐されるさ。ぽっと出のアンデットがやっていけるほど甘い場所じゃない」

「なるほど。やっぱり詳しいね」

「……そりゃあ、仕事場のことくらいは知っておかないとな」

「ふーん」

「さあ、早く行くぞ。日が暮れちまう」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 一本の大樹があった。苔藻を生やしたその幹は十人が並んでも到底一周できない程に太く、その身に刻んだ歴史の深さを物語っている。

 大樹に注がれる日の光は殆どが枝葉に遮られ、地面に届くことはなく、大樹の周りには湿気を帯びた苔以外に緑はない。

 森から出れば空を鮮やかに染め上げる夕日が見れたのだろうが、今はただ、薄ぼんやりと色づく大樹の葉だけが見えた。

 根本には男が話していた通りの穴があり、中は暗闇に包まれている。男の合図で穴に近づいた時、中からにゅっと白い腕が這い出した。


 その手は人のようで、しかし関節がわからないほどに腫れ上がり、伸びる腕は地肌を隠すつもりのない黄ばんだ毛がまだらに生えている。

 白木の丸太のような腕に追随するように出た顔は豚の頭そのもの。

 小さな子供ならば丸呑みしてしまいそうなほどの口に、下から突き出た犬歯。マズルを途中でぶつ切りにしたかの様なひしゃげた鼻。顔面に対して不釣り合いなほど極端に小さな瞳は黒々と感情がまるで読み取れない。


 四人から発する血の臭いに興奮しているのか、身の丈二メートルを超える白豚の化物は鼻息荒く地を蹴った。

 皺のない、でっぷりとした腹を揺らしながら、その巨体に似合わぬ俊敏さで動く。

 男が放った矢を簡単に避け、みるみる内に距離を詰めた。


 地を揺らす踏み込みに、繰り出される拳。受け止めたフリュベールの大剣がオークの皮膚を裂き、鮮血が飛んだ。

 しかし、オークは止まらない。痛みを感じていないかのように次から次へと赤く染まった拳を打ち付ける。その度にフリュベールの脚が地面に二本の線を刻んだ。


「ぐっ」

「はあっ!」


 横から飛び出したエマニュエルの剣がオークの横腹を突く。ぱっくりと割れた腹から黄色い脂肪の塊が見え、すぐに血の海に沈んだ。

 傷口を抑え、よろめくオーク。肩には矢が刺さり、膝をつく。


「やれ!」

「喰らぇええええ!」


 オークを中心にして円形に地面がひび割れた。

 足が沈み、勢いそのままに顎を強打したオークから奇声が漏れる。その様子にアニエスの顔が苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。

 オークの口から悲しげな声が響く。よだれをたらし、血溜まりの中で藻掻き苦しむ姿にアニエスの心はかき乱される。


 魔法が弱まった。重力の網がほつれ、ちぎれたのだ。その一瞬を逃さず、オークがアニエスへと飛びかかる。


 眼前には醜く太った白木の手。その奥には大口を開けたオークの頭。アニエスは自分の失態と心の変化に戸惑い、動けない。


 しかし、オークの手がアニエスへと届くことはなく、斧がオークの口へと吸い込まれ、顎を裂き、首を穿つらぬいた。


 赤黒い泡を吐きながら崩れ落ちた巨体は、しばらくもがき苦しんだ後、再び立ち上がることはなかった。

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